2016年5月13日(金)⑨




そして「西棒鼻」京方見附

藤川宿を離れる辺りで

「歌川豊廣の句碑」

解説によると吉良の浜であがった蛸をこの当たりで売っていたらしいじぃ~

あのまま吉良上野介の領地です…

この辺りに大門があったのでしょうか?

西陽を眩しそうに微笑む飛脚ともお別れし

「藤川駅」の家康さんにご挨拶した所で本日の歩きも終わり

すぐそこの道の駅で冷たいモノを買い込んで

移動のバスの中で頂き…

ホテルに帰ってシャワーを浴びてすぐ夕飯…

考えなしだったと反省しながら

岡崎城の見える大浴場で暫しリラックス

2016年5月13日(金)⑧



同じように街道沿いに建つ常夜燈なのに
石標に記されていたりいなかったりの「村社」はどのような違いなのであろうか?と


参道の向こうの神様を覗き込みながら進む「東海道」


紫の幟がひらめく「藤川宿」

立派な建物が目に入って来てら

「高札場跡」

そして「問屋場跡」と

旅籠やら脇本陣が並ぶ

宿場の中心部

商店やら何やらは建物を維持する体力が残っていたのでしょうけど…

宿場の中心とも言うべき「本陣」は

江戸の時代から名誉職…かさむ出費を賄うのに一苦労だったはず

明治と共に破綻をきたしたと言う話をよく聞きます

そして…たいていは一等地にあった事もあり

ステキな公園に生まれ変わっている

かえって一般客を泊まらせることが出来た「脇本陣」の方が

立派な構えを今に残している事が多いようで

世の無常を感じるけれど

そのお陰でこんなにも気楽に

今ここで爽やかに頬を撫でて行く風を感じる幸せもあったりする…






2016年5月13日(金)⑦




階段の上にまるで赤い三鳥居

そこから左脇に山道のような所を進むと先ずは「徳川家康公御開運の 鳩ヶ窟」石碑

更に左へと回り込むと葵の御紋の柱の奥に空いた穴

ここが「鳩ヶ窟」

永禄6(1563)年に起こった三河一向一揆で

家康が敗れ逃げ隠れた洞窟だそうですじぃ~



追手の兵が怪しみ洞窟を探そうとしたその時

中から白い鳩が2羽飛び立ち

追手の兵は「人のいる所に鳩などいるわけない」と考え通り過ぎてしまったとか…

そうやって家康が難を逃れたと言う噂が広がり

肖りたくて詣でる人が後を絶たない時代もあったとか…

今はさやさや麦の穂の音が聞こえる位静かでのどかキラキラ3

そして「東海道」はいよいよ

「藤川宿」

浮世絵と同じように仕立てられた江戸方「見附」

そこに吹く風は…紫の麦の穂を揺らし

その麦の穂はかつて染織に使われたとか…

「藤川」だけど麦で藤色に染めていたのかぁきらきら

ちょっと驚き振り返りながら

街道を先に進むと宿場には

その「むらさき麦」で染めた店名や屋号を入れた幟や暖簾が風に揺れていました(*'∀`*)v
2016年5月13日(金)⑥




「本宿陣屋」もこのマキの生け垣の路地を入った突き当たり


黒い塀の向こう側…今の病院の敷地と言うことですがくろねこびっくり

陣屋にしても広いですが病院にしては羨ましいほど広いなっ・・・なんと!

敷地が広いので高層階を造らなくても十分なのでしょうねぇハートそれもまた羨ましい

こちらがその文政10年築の「旧代官宅」

こちらも倉なども併設され十分大きな建物なのですが

お隣の病院と比べてしまうとその一辺に建っている感じ…



東海道に戻り「火の見櫓」と「常夜燈」前を通過して


今はお寺に遷されてしまった

閻魔信仰「十王堂跡」

日本橋から78里目の「本宿一里塚」きゃはっ音符

そして代々お医者様の家系で7代目はシーボルトに学んだ蘭方医だっただけあり

立派なお宅だったろうと想像できる


「宇都野邸跡」と「長屋門」

更にあちらこちらで見掛ける

工事の際にか動かされ向きが変わってしまった道標は

新たな東海道名物と言ってもいいププッ・・・

そしてこちらの大きく立派な「常夜燈」は

「開運御身隠山」へと誘うもの…



立派な参道を進んだ先

朱い鳥居に被さるように枝を広げ

一際新芽が鮮やかなその大樹は


岡崎市内でも2番目の巨木と言われる

「山中八幡宮のクスノキ」

「開運」現場を拝見しに

くろねこあっ開運の?蛇が姿を見せるこの階段を

厳かに上がってみたいと思います…



(悲鳴を上げて驚かして大変申し訳ありませんでしたぁ泣き1この場を借りてお詫び申し上げます)

2016年5月13日(金)⑤




「法蔵寺」の御朱印を授けて頂こうと

庫裏の入り口をがらがらっと開けると

「会津中将様御預(あずかり)」の文字きらきらハート

「新選組屯所」の看板…本物だろうか?くろねこハート

なんてまごまごしているうちにみんなから置いていかれ

ダッシュで上がった階段の先

赤い権現造りの御堂が輝いて見えましたが

既に説明は終わっていて…

案内板を見ると「東照宮」の「本殿」とあるので

この一角は大権現がまつられているお宮と言うことになるお~

よく明治に取り壊されずに済んだものですねぇくろねこキラキラ




初代親氏から家康のお父様や松平家の皆々様のお墓が並ぶこの地こそ明治政府に目を付けられそうですが汗不思議です

そしてこちらには家康の長女?「亀姫之墓と伝わる」ものや

三方ヶ原の合戦で忠死なさった方々のお墓などが並ぶそのすぐ隣に



三条河原で晒し首となった

新選組組長「近藤勇首塚」があります

斜面とは言えこの広い敷地の中

徳川家にとって大切な人々を祀るいわゆる聖地に隣接し…ほぼ並んで…くろねこキラキラ

いくら徳川の為に尽くしたとは言え

いわゆる罪人の墓を造ること自体徳川時代では考えられなかった事…

当時のご住職が嘆願しこの地に連れて帰ったと言います

ご住職の思いも伝わって来るような…


その事を新選組の面々が知ったらさぞや誇らしかったに違い無いきゃはっ

新選組を預かっていた会津中将…松平容保はその事を知っていたのかしら?




その時代を正に命懸けで生き抜いた人々の足跡のお陰で

あちらこちらで時代の息吹が伝わって来るきらきらハート




みんながのほほんと過ごしているように感じてしまうこの時代にも

目を凝らし耳を澄ますとその足跡を残していく人が確実にいる事に気が付きます…

誠に心強い限りでありますふふ~ん