2016年11月16日(水)




紅葉に彩られた韮崎駅を降り


タクシーで向かった駐車場脇の登山口から登り始め…


樹林帯にこぼれて来る優しい秋の陽射しに

何となく緩山な気がしていましたがとんでもない


ごろごろと大きな岩が転がる急坂を登るその横は

岩が崩落し立ち入り禁止になったエリアなっ・・・なんと!侮れない

そんな急坂を登り切り

金峰を向こうに望む辺りに

「深田久弥終焉の地」はあります

ここ茅ヶ岳は「日本百名山」の著者深田久弥が晩年足繁く通った山

「偽(にせ)八ヶ岳」とも呼ばれ

八ヶ岳と韮崎駅のちょうど間に位置する「二百名山」の1つ

そこからは八ヶ岳ばかりではなく「北アルプス」や

「南アルプス」を見渡せ

標高1,704㍍とは言え

麓へ下りる紅葉のグラデーションも楽しめ

岩あり急坂ありの樹林帯も楽しめ楽しい山きゃ★

ぐるり周回して登り始めに戻った時は『終わっちゃった?』と思ったけど

そこからちょっと先には

百名山の一節『百の頂に 百の喜びあり』

の碑が立つ「深田記念公園」があり

そこからは今登って来た「茅ヶ岳」山頂が僅かに望めます

そして再びタクシーで韮崎駅へ

駅のホームからは八ヶ岳とそれと見間違うばかりの山容「偽八」を

みんなとワイワイ言いながら眺め

帰りの電車でもワイワイ言いながら


あっと言う間の八王子


次はいつになるか分からない楽しい仲間との山行を今日は満喫ですきゃはっハート
2016年6月10日(金)①




途中のパーキングで「石松弁当」をゲットして


向かった先は前回の終点「慈眼寺」

馬市だから馬頭観音様なのか?

馬頭観音様がいらっしゃったから馬市なのか?

何てちょっぴりボーッとした頭で考えながら進む「東海道」


こんなステキなお茶屋さんのある角で

右の路地へと進んで行きますルン

そしてなんだか似つかわしくない?建設中のタワーマンション前が「池鯉鮒宿問屋場之跡」

この先は池鯉鮒の中心地で老舗?の和菓子屋さんや


「池鯉鮒宿本陣跡」や

山車の「蔵」やら(*'∀`*)vハート

黒壁の家や

道が鍵型になった辺り…


分かりにくいかも知れませんがこの辺り

ぐっと向きを変えていて
かつては「御殿」があった辺りとか…
2016年5月15日(日)⑦




「東海道」を歩いていると芭蕉の句碑がそこここにあるので

『小林一茶?芭蕉はどうした?』とつい思ってしまいますが…



元禄5(1692)年

芭蕉は『不断たつ 池鯉鮒の宿の 木綿市』


と詠んだのを受けて


文化10(1813)年

一茶も『はつ雪や ちりふの市の 銭叺(かます)』

と…

往時の繁栄と芭蕉を忍び

同じ木綿市の句を詠んだのでは無いでしょうか?



そして歌川広重の「東海道五十三次」では木綿市ではなく「馬市」が描かれていますegao

そうププッ・・・ちょっと昔ではありますが

大河の「功名が辻」で山内一豊が妻の千代さんから貰った大切なお金で

「東国第一の馬」をゲットした場所と言うこときらきらハート

その「馬市之趾」の石碑と


「万葉の歌碑」

「馬市之趾」の石碑の裏には麦人の


『杜若 名に八橋のなつかしく 蝶つばめ 馬市たてし あととめて』

どこで切るのか?57577の概念を覆してくれたり

段々と崩した文字が読めるようになって来たりキャ


東海道も伊達に歩いていないなぁふふ~んと自己満足で「池鯉鮒宿」

そこここの屋根の上から「鍾馗様」


お家と一緒に街道も護ってくれているようです(*'∀`*)vハート

そして昔の道幅をとどめる「東海道」を進み

馬頭観音様がまつられている「慈眼寺」に来ると

お寺の片隅に立つ「家畜市場」の石碑

初めは「並木八丁」で行われていた「馬市」が明治に入りお寺の境内で行われるようになったそうなのですが


『馬市なのに家畜?』な訳は

昭和に入ると取り引きが馬から牛へと変わった事からとか…




因みにこの辺り住所は「桜馬場」…

何となく土地の人々も賑やかだったあの頃?が懐かしいのでしょうかねぇふふ・・・



そして今回歩き終わりは「国道1号線」

ここでバスを待ちながら

足下のマンホールで

今回の旅を振り返ったりしてえへ


「か」らころも
「き」つつなれにし
「つ」ましあれば
「は」るばるきぬる
「た」びをしぞおもふ

ププッ・・・ハート

2016年5月15日(日)⑥




古い「元禄の道標」を擦りながら文字を確かめ


周りを見渡すとまたしても真っ直ぐな道

こちらも「明治用水」

そして向こうはまたしても松並木きゃはっハート

歩道橋を渡り


上から見下ろす松並木も好ききらきらハート

そしてこちらは「江戸日本橋 八拾四里拾七町」

東海道五十三次の

「池鯉鮒宿」の東のはずれ


「並木八丁」と呼ばれた所

そこに松並木が所々残っていて

その間にカキツバタ?も植えられ

小林一茶51歳の句


『はつ雪や ちりふの市の 銭叺(かます)』


と池鯉鮒の木綿市の繁昌を詠んだ句碑も立ち

「八橋」だったり「市」だったり

この辺りのあれやこれやに思いを巡らせながらの楽しい散歩道ルンハート

2016年5月15日(日)⑤




そんな「八橋」は

稀代の色男?「在原業平」もインスピレーションを受けたようで

このお寺から10分ほどの場所で

か ら衣
き つつなれにし
つ ましあれば
は るばるきぬる
た びをしぞ思ふ…

と「かきつばた」の5文字を頭に句を作り都に残してきた家族を思ったとか…

因みにこの業平



『世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし』




『名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと』





『月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして』


などなどよく引用されたりして耳にもし

後の人々が替え歌などで遊んだりして


今でも親しまれている歌を数多く詠んでいたりもする

時代を越えてモテモテぶり

「伊勢物語」の主人公のモデルとも…イメージは光源氏ププッ・・・



そんな色男業平伝説…

こちらの「杜若姫供養塔」

東下りの業平に恋い焦がれこの地まで追い掛けてきたものの

その思いが業平には届かず

悲恋を嘆き池に身を投げた杜若姫を

後の人々が哀れみ供養塔を建てたとのこと

そんなこんなで美しく悲しいかきつばたを眺めながら

お茶を頂く?気にはなれず

ゆっくりゆっくり散策し

家族を思っている風な歌を読みながら

実は杜若姫を思っていたのではないか?と
ちょっと勝手な解釈をしていたり…

色男なんだから中途半端じゃなく全ての女性を幸せにしてくれなくちゃ汗

…光源氏にも無理なのだから

「男」には無理

と言うのが古今東西の女性の見解なのかもしれませんがププッ・・・

そして「来迎寺一里塚」

左右の塚が江戸時代のまま残る貴重な一里塚

左右には松が植えられているのも珍しく

塚の斜面でゆっくりおにぎりでも頂きたいところですが

見上げてお茶で一服し先へと進みたいと思いますルン