先般

 

 

 

 

小林聡美さんの新刊エッセイを

拝読し





思い出したことがあります


彼女がピアノを習っているおはなし

「ピアノ道①」「ピアノ道②」から・・・

 

 

 

 

 

 

 

私自身の

 

昔を思い出し懐かしんだり

 

記憶の糸をたぐってみたら

 

新たな気づきがあったりしてね

 

 

 

 

ここのところ

 

やたら振り返りがちなのは

 

もしかしたら

 

老化のせい???

 

 

 

 

 

それはそれで

 


時として微笑ましく思える

 

ひそかな自分よがりの愉しみ

 

だったりもしますが・・・

 

 

 

ニヤリ

 

 

 

 

 

 

 

 

私は6歳から

 

 

YAMAHA音楽教室の

 

当時「オルガン教室」という

 

コース  だったどうか定かではないけれど

 

 

 

 

小学校とか幼稚園の

 

音楽室に並んだ足踏みオルガン

 

(電気オルガンも混在)を使い

 

10人くらいの子供らが

 

グループで習っていた教室に

 

3年間通いました(通ったというか

 

放課後そのまま突入?)

 

 

 

3年間のカリキュラムを終了し

 

やめちゃう(退会)子もいたし

 

ピアノの個人レッスンか

 

エレクトーン(電子オルガン)の

 

グループレッスンに進むか

 

概ね二者択一だったと記憶する

 

 

 

 

 

私はエレクトーンを選択し

 

そこからズーーーーっと

 

続いた

 

 

 

中学生になっても

高校に入ってからも



 照れ

 

 



 

部活動や受験を機に

 

辞めるどころか

 

ますます熱を入れてエレクトーンに

 

挑み続けた私

 

 

 

 

 

 

母は「いつやめてくれるの?」と

 

という心境であったらしいけれど・・・

 

 

お月謝も我が家の家計には

優しくはなかったと思うので

続けさせてくれた親には感謝しかない

 

 

 

 

 

 

 

今はもう廃止された


音楽実技コンクール


文部省主催だか管轄だったと記憶

学校?教育委員会?が主体だったから


というのがあって



歌唱(独唱、デュエットはあった?

混声はなかった記憶)

 

器楽(木管、金管、ピアノ、電子オルガン)

 

・・・と各部門に分かれて

 

予選と本戦(県大会)が

 

毎年晩秋から初冬にかけて

 

開催されていました

 

 

 

私が小中高の当時から

 

20年後の姪っ子の時代にも

 

まだコンクールは存続していて

 

姪っ子万理奈が小6の時には

 

県大会の独唱で「カリンカ」を

 

歌ったのを母と義姉とで

 

観に行ったこともあります

 

 

 

姪っ子万理奈をサラッと紹介

click下矢印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

姪っ子の時からさらに遡って

 

私が小6の時のこと

 

 

あっちこっち話が逸れてごめんなさい

 

 

 

 

エントリーした

電子オルガンの部門で

 

島根県の小学生1位


という成績をおさめたことが

 

ありました

 

 

 

 

 

当時音楽教諭のS藤先生が

 

めっぽう張り切られ



(エレクトーンを

S藤先生から

何一つ教わったわけでは

ありませんよ)


 

近くの楽器店から

 

コンクールと同じ機種のエレクトーンを

 

わかる人にしかわからない(きっと、

あの人とあの人…)

Eー20というタブルペースの白いエレクトーン(笑)

 

 

レンタル搬入の手配をし


翌日の全校朝礼で

演奏を披露するという運びと

 

なりました

 
 
 
せっかくだからと
 
コンクールの曲に加え
 
もう1〜2曲
 
得意のレパートリーの中から
 
演奏したんだと思います
 
 
受賞した曲( チャイコフスキーのくるみ割り人形より
花のワルツをスウィング調にアレンジされた
「華麗なるチャイコフスキー」という楽曲)と
自分で選んだ曲を1つ2つ
「メグスタメグスタ」か「ルパン三世のテーマ」か
「ピンクパンサーのテーマ」あたり…
 
 
 
 
全校朝礼でのデモ演奏を機に
 
たちまち私は
 
「エレクトーンを弾く子」と
 
全校に認知されました
 
 
 
それから間も無くして
 
休憩時間の校庭で
 
 
年下の男子児童から
 
 
 
 

あ!

エレク

トーン

マンだ

 
 
 
 
 
言われたことを
 
 
今でもよく憶えています
 
 
 
 
 
 
そんなふうに認知されたことを
 
嫌とは思いませんでした
 
 
 
 
王道を行くピアノに対抗し
 
エレクトーン(楽器名としては
電子オルガンが正解
エレクトーンはYAMAHAの商品名であり
カワイではドリマトーン
テクニクスではテクニトーンといいました)
 
市民権を得たような気分で
 
その時の私は
 
ちょっと誇らしく思っていましたから
 
 
 
 
 
 
あれから長い長い歳月が流れ・・・
 
 
 
この頃ふと思うことは
 
 
 
あのとき、私の人生は
 
決まったというか
 
そういう枠組にはまった・・・と
 
いうのが正しいか
 
 
 
 
 
 
40年以上経っても
 
当時とさほど変わらず似たようなこと
 
人様の前で音楽を演奏するということ
歌の素晴らしさを伝える活動が続いているということ
 
 
今なおやっているのだから
 
不思議でもあり納得でもあり
 
 
 
かわり映えしていないわけだ
 
 
 
 
 
 
活動エリアは極めて狭く
 
 
 
小さな田舎町で
 
いくつになっても
 
音楽と共に生きている
 
 
ささやかでコンパクトなる人生なんだ
 
 
 
 
しみじみ思う57歳の師走
 
 
 
 
 
 
 
 
明日の歌ユニットさくら組は
 
 
米子市公会堂にて
 
ハッスルしてきまーーーす笑
 
 
 
 
今となってはもう
 
エレクトーンマンじゃない
 
けれどね