私がよく〝本日のおことば〟

みたいにしてコピペして

(時間経つとサイト削除されちゃうから)

拝借する

 

 

 

糸井重里が

毎日書く

エッセイ

のようなもの

 

 

今回はこちら

 

 

 

 

毎年、いまごろになると
 「鬼が笑うけど」というようなことを

考えます。
 だってねぇ、今年やることなんて

あと10日分しかない。

 来年は、今年の続き…だと、

ふつうは思うじゃない?
 だけど、そういうことには

ならないよ、たぶん。
 

ただの続きのつもりでやってても

だめだよ、きっと。


 東京オリンピックがあるから、

ということでもないな。
 

 

この国の現在の

一見、穏やかそうな

「停滞」が、もっとキビシイ

「大停滞」に

なってきている

 

と思うのよ。
 

 

 

ある時代から、ちょっと見、日本も
「ITの時代」になったとか

思われてきたわけですよね。

 「IT」の二文字に関わってたら

先端みたいだとかね。
 

でも、そのせいで「媒体」が

増えたりもしたようだけど、
 予測が正確になったようにも思えるけれど、
 人の「おしゃべり」がうるさくなった気もするけれど、
 いろんなものが無料になったかもしれないけれど、
 「価値」を増やしている

ようには思えないんだ。

人がクルマを運転して

モノを運んでいるのは同じだし、
「こういうものを買った人は、

こういうものも買うよ」ということを

コンピューターが考えてくれるらしいけど、
買える総量を倍増させるようなことにはならないさ。
 

予測やら、整理やら、

管理やらはうまくなったけど、
「うれしいこと」や

「いいこと」を

増やせていない。
 

 かつて、「めんどうなことは

機械にやらせて、そのおかげでできた時間は、
 もっとクリエイティブなことに使いましょう」 
 という意見があったけど、そうなったっけ?
 (テレビを観る時間が増えただけかもしれない)。
 

その時代には、

洗濯や掃除とかのテーマだったけど、
 いまは「コンピューター」に働かせろ、

という時代だ。
計算とか、整理や見通しは

コンピューターは上手だ。
 でも、管理が上手になったり

情報量が多くなっても、
 価値は増やせている

のだろうかねぇ。


 「作る」も「造る」も

減っているのか景色が変わらない。


 そして「創る」が

足りないという感じ

は、ないですか。


 やっぱり、実は「大停滞」が

続いていたんだよね。


 評論みたいなことしてても

しょうがないから、
 「こういうことやりたかった」

ということ、来年やるぞ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれて

ありがとうございます。
あと10日、

鬼をたっぷり笑わせながら

過ごしましょうや。

 

 

今日のダーリン

2019.12.21.公開分