いつもありがとう(*^^)v
久々にブログにもコメントがつきました(^O^)/ありがとうございました。
そうそうこの話は実話ですよ(^O^)/
記憶がね曖昧なところもあったんだけどそこは、周りの人に聞き込みしたでのござ~る!おさ~る!ばざ~る! はい!うざい!(*_*)
さて今回のお話は「破壊の精神状態」ですね。破壊されていくのですが、はっきり言って当時の俺の記憶はほとんどありまっせ~ん(-"-)
ん~まぁ、病気が完治したときに主治医から聞いた時の話や両親か聞いた話をそのまんま書きますので、勘弁してくださいね。
すこし大げさになってたらすんません(..)聞いたことをそんまんま書くんでよろしゅうです。
では、いつも行きますよ~~~~~タイム~~~スリップ!!
1999年・・・7月・・
ハァハァ・・暑い・・
汗が出てくる。
ここ独房に入ってもう何日?いや何週間?どれくらいたったのだろう。
まったく分からない。もう精神状態は狂いかけてた。時々、寄生を叫びだす。
「ここから出せえええええ!!」
って叫びまくり、喉が痛くなる。
それでも自分を必死にコントールさせる自分がいた。
1日3回の食事でなんとか朝昼晩が分かる状態。
しかし真っ暗闇の中・・意識がもうろうとしていた。
看護師がいつもの小窓のポストから食事を差し出す。時々主治医が診察にくる。
その時だけだった・・その時早く俺はこの部屋から出たいっていう思いから、主治医に対して意識を保つ。
いつも言う言葉は「先生!治りましたから家に帰らせてください。」ばかり・・
親を刺した!っていうレッテル貼られ、主治医を殺そうとしたって言う現実から、当時の吉村先生は俺の言葉を信用しなくなってた。
先生はいつもこう言う。「もう少しで出れますからね」っと・・
毎食後、20錠以上の薬を飲まされる・・・その薬のせいか、意識がもうろうとする。
生きてるのか?俺・・・こんな状態でも・・常に思う自分がいた。
薬の副作用がきつすぎていた・・
そして、いつの間にか俺の体には。一人で食事が取れなくなっており、トイレも自力でいけなくなってた・・・
オムツ着用、食事を介助され、手と足には布のシーツ見たいなもので拘束されていた。
完全にもう、身体障害者になっていた・・・
1日1回先生の診察が独房で始まる。
先生の質問に、もう答えられなかった。安定剤と睡眠薬の薬を毎日飲まされる。
まるで薬物中毒かって思うくらい、もう何がなんだかわからなかった。
その精神状態が完全に破壊されようとしていた・・・
そして月日が流れる・・・
吉村先生「そろそろここから出ましょう。ここまでの状態になればしばらく閉鎖病棟に行ってもほかの患者に被害は会わないでしょう。両親にきてもらいましょう。」
何も覚えてなかった。当時の俺はほんの1~2%の意識はあったが、暴れるとか、そんなの考えることもなく完全に戦意喪失の状態だった。
独房から出れることになった当日・・・
両親が特別に息子の俺に会いに来る。その時の俺の状態は、車いすで手首、手足に紐でしばられ、オムツ着用の拘束状態であった。
そして外の世界の2重の鉄の扉がゆっくり開く・・
目が開けれない。眩しい。
目が慣れてくる。
目の間に立っていたのは両親の姿だった。
意識が少しずつもどっていく俺・・
青ざめた両親の表情・・
変わり果てた俺の姿に、母親は泣いていた!夏の季節入ってた。母親の半袖の姿には右腕から痛々しく包帯が巻かれてあった・・・
刺したっていうのは事実かって飲み込んだ
意識がもどるまでに時間はかからなかった。
その後自分が拘束されてたって気付く。あ~俺、オムツもしてるんだ。
ってこれが今の俺の姿かって何度も自分を見ていた。
そして、閉鎖病棟に移った俺は衝撃な事実を見ることになる。
はい!今回のお話はここまでです。
え~と独房にいた時は、意識が壊れていたんだけど、独房から出て光を浴びたら、少しずつ安心したのか、意識が戻っていったんだよね(*_*)
でも、完全に覚えてるってわけじゃないんだけど(*_*)
じゃあ次回のお話は「閉鎖病棟の現実」をお送りいたします。またね~(ToT)/~~~