突然だが、書いて吐き出したい事があるのだ。思うことは、日本人の清潔な習慣が、日本でのコロナの爆発的感染を瀬戸際で抑えている事に、一役買っているのでは無いだろうか。身を清めたり、人に迷惑を掛けたくない精神が功を期しているのではと、そう思う。この際、心の中にあることを話してしまいたいと思う。

強く断言したいのだが、科学的なデータを元に語っているわけではない。純粋に個人的な見解だということを了承して読んで頂きたい。

 

ブログを書いている今日は4月4日であり、コロナウィルスが中国で確認された2019年12月31日から、3ヶ月以上が経過した。そして3月11日にWHO(世界保健機関)がパンデミックを発表してから、3週間半が経過した。

3月11日のパンデミック発表時、世界では約12万人の感染者、114ヶ国、4千人強の死亡者だった。

4月4日現時点で、感染者100万人以上、208ヶ国、5万7千人の死者数にまで膨れ上がった感染拡大の現在に至る。

 

日常生活だった生活が非日常的になっており、映画で観たようなシーンを現実に見ているのだ。連日の報道や、ネットでの情報が止まらない。あまりの情報量と刻々と変化する各国政府や自治体の対応や判断を見ていて、頭の整理が全く追いつかない。

 

安倍首相が臨時休校要請を発表した2月下旬位から、私はWHOのSituation Reportのデータを追っている。レポートは毎日更新されている。不思議なことに気付いた。日本の死者数が、他国に比べて少ない。どうしてだろう。ヨーロッパでは毎日半端ない数の方が亡くなっている。イタリアやスペインでは毎日800人が亡くなり、アメリカでは1000人の死者数を越している。東京と似ていて人口密度が高いニューヨークでは昨日だけで600人が亡くなった。4月4日のレポートを見ると、日本は累計69人が亡くなり、1日にコロナで4人が亡くなった。日本では、1日に死者が皆無の日もある。

 

ここで一つ注意して頂きたい見逃せない指摘がある。世界が知っている事は、日本は累計PCR検査の実施数が圧倒的に少ないそうだ。PCR検査数が少ないという事は、日本国内の感染拡大の全容が把握できていない。そして日本の死者数の中には、コロナ陽性の死亡者が、死者数の統計に含まれていないのでは、との指摘もある。例えば、肺炎で亡くなった人が、コロナ陽性だったとする。でもその死者がPCR検査をしてなければ、ただ肺炎で死亡と記録される可能性もある。これが本当ならば恐ろしい事実である。これは追って、世界のPCR検査数の実施状況を調べて比べてみない事には分からない。

 

近日の報告では、BCG接種がコロナ死者の少なさに関連しているのではとの仮説も出てきた。それはそうであるなら、BCG接種をしてくれた国に感謝のみである。日本以外の国でもBCG接種を続けている国はコロナ感染の死者数が少ないそうだ。

 

色々考えているのだが、日本人として思うところは、日本人の清潔さは世界に唯一無二の習慣であり、それが感染予防に関係していると勝手に想像している。再度忠告するが、私が勝手に想像しているだけで、清潔さがあれば無敵と言っているのではない。

 

今現在は、日本国内のコロナの感染者数は増えている。これから月日が経って、2週間後には日本でも爆発的な感染拡大になっていて医療崩壊が起きていることもあり得る。現に専門家達や、国外から日本のリーダー達の判断を心配する人達は、日本に対し警鐘を鳴らしている。それにしても日本はコロナと長期戦に入っている。ヨーロッパの国々や北米の国より前にコロナの感染がありクルーズシップの件もあった。感染拡大が既に起きていてもおかしくないように思うのだが。

 

世界から十分周知されている日本人の清潔さ。清潔な習慣だけが感染死者数を少なくしているとは思えない。でも少なからず綺麗好き文化が接触感染予防には役立っているはずだ。それについて語りたい。

 

まず、土足厳禁。日本では当たり前だが、玄関で靴を脱ぐ。ググってにわかに仕入れた情報では、日本は、高温多湿な島国であるため、家屋は高床式の湿気が抜けやすい構造を設ける為に玄関に段差がある。「外」「内」を明確に分ける観念もあるようだ。それに比べて海外では、土足の家は普通にある。余談だが、カナダで家主が玄関で靴を脱いだのに、お客に靴を履いたまま家に入っていいよ、と促す事だってある。靴脱着の面倒をお客にさせないように、一種のホスピタリティ精神が入っているのではと思う。

私が住むカナダの山岳地では積雪や悪天候の日も少なくない。靴が濡れていたり、泥がついていたりする事も多いので、土足厳禁の家が普通。しかしカナダで玄関が段差になっているところは、見たことが無い。日本の玄関はバリアフリーでは無くて足の不自由な方には不便である。しかし、ウィルスの侵入をバリアする大事な役割をしている可能性もある。

 

更に加えて言えば、日本では玄関で靴を脱いでから、スリッパに履き替える習慣もある。トイレに入れば、トイレ専用のスリッパに履き替える。学校でも上履きに履き替える事が通常だ。本当に綺麗好きだ。私の子供達が通うカナダの小学校の例だが、教室では上履きに履き替えるのだが、廊下は土足である。

 

次に手洗い。今のようなコロナ感染が拡大してから、海外では手洗いを徹底的にすることを伝えている。しかし海外の国々では今まではどうだったのだろうか?

日本では手洗いは普段から習慣として親や学校の先生から教えられる。神社でも手洗いをしてお参りの前に清めるのだ。私の記憶では、通学していた小学校の教室の外には数人並んで手洗い可能な水道場があった。確か校庭にも同じような水道場があったと思う。私の子供達が通うカナダの小学校に手洗い用の水道場は見当たらない。カナダの学校で手洗いができる場所はトイレだ。日本は手洗いの習慣を教えてもらえる上に、水道場が物理的に設けられている点が優れている。

 

平時でもマスクを着用する習慣だ。日本でマスク着用の習慣が一般化したのは、花粉症の流行と、新型肺炎のSARSが世界的に大流行した時からのようだ。空気感染の予防意識が一気に高まったことが理由にある。日本人のマスクを着用する習慣は海外からは異様に見えていて、恐怖心さえ起こさせるそうだが、平時からマスクを着用する習慣は、今まさに、コロナ感染の広がりを予防している。

 

日本人の清潔さを述べているとキリがない。日本人が当たり前と思っている習慣が、世界には稀有である。細かく出しきれないが、他にも清潔に関した事例をザッとここであげる。お風呂、温泉、スーパー銭湯、ピカピカのトイレ、レストランに行った時のオシボリ、お釣りを受け取るトレー、などなど。

 

そして極め付けは、「“誰かがやるだろう“ではなく、”自分たちで綺麗にする“」という考え方。この日本人に植えつけられた素晴らしいマナーは世界中どこを見渡しても持っている国は無いのではと思う。残念な事に、まだ山林での不法投棄がある事も現実なのだが。しかしほとんどの国民はゴミを出さない事に誇りを持っている。というかそれ以前に、そんな事は当たり前でしょうと思っている。そして他人が出したゴミでも自分が片付けるのだ。それが日本人の美化意識だ。小さい頃から学校で掃除の時間であったり、下校途中に定期的にゴミ拾いをしたりして身に付いている常識なのだ。ごくごく当たり前と思っているからこそ優秀なのだ。

 

日本人のコロナ感染者数が少ないと聞いて、サッカーワールドカップの関係者の中には当然だと言う人もいる。ロシア杯で負けた後、ファンはスタジアムを去る前に、知らない人同士で一緒に掃除した。サムライイレブンはロッカールームを綺麗にして帰った。

 

昨日アメリカは日本在住のアメリカ国民に対して、日本から早く退出するように要請している。日本が感染者を把握していない事とこれから医療崩壊が起きる可能性があり、そしたら十分な医療が受けられない恐れがあるからだ。日本国内でのPCR検査の実施数が少ない事がこのアメリカの要請に関係しているのだ。

 

私も年配の親や親戚が心配であり、警鐘を鳴らしている人のコメントの動画を送ったり、日本の規制が緩いのではとの見解を発信してきた。しかしこれからは、他国がしているけど日本がしていない規制の批評はやらない。日本のリーダー達が判断した事に敬意を払おうと思う。日本人の清潔さを考えていたら、恐れがなくなり、冷静になってきたのだ。それでも私の予防対策の啓発は変わらない。日本に現在いたとしても、不要不急の外出は控えて、自粛する。手洗いをして、ソーシャルディスタンスを遂行する。

しかしそれをしない人に対して、親身になって勧める事はするが、批評したりする事はしない。世界で新しい常識になったソーシャルディスタンスが日本の常識になり、それに日本の清潔さが加われば、より早く終息できる事は可能ではないだろうか。どうか日本での爆発的感染拡大が起きませんように。医療従事者に全てが備えられて安全に治療できますように。子供達が早く学校に戻れますように。感染者は早く治りますように。日本人の清潔さの習慣がウィルスの接触感染を防ぎますように。そして日本のリーダー達が勇気を振り絞って懸命な判断ができますように。お祈りします。