生まれ変わり、輪廻転生はあるのか? 言い換えれば 魂の存在を信じるのか?

 これは信仰心とか宗教に通ずる問いかけだ。

 説明はとても難しいが、なぜか古代から魂の存在は認められ語り継がれている。

 ヒンズー教は魂や輪廻転生を認めるところからスタートしている。

 ヒンズー教の影響下のインドで生まれたお釈迦様も当然輪廻転生を信じていただろうし、仏教もその前提だったと思う。

 しかし、生まれ変わりを最初に言い出したのは誰なんだろうか?

 もしかしたら古代の人は私たちよりもっと感覚に優れていて、魂の存在を自然に感じていたのかもしれない。

 

 輪廻転生を信じる立場では、一つの人生を終えたものはまた新たな人生を送る。

 その際には新たな肉体に入っていくものだけでなく、大いなるものと一つになるもの、隣のものと合体するもの、場合によっては二つに分かれるものも出てくるかもしれない。

 前世で失敗しても来世で成功するかもしれないし、誰かほかの人と合体してより高次な生を営むのかもしれない。

 人に生まれ変わるだけでなく、天体になるとか、虫になるとか、何回も何回も繰り返して一つのものに戻っていく。

 悟りに至ると輪廻転生から解放されるというのもあった。

 そうして宇宙にとって重要な一つ一つの経験を積み上げていく。

 どうせ経験するならなるべく自分の望む経験をしたい。

 幸せな経験、誰かの役に立った経験、愛に満ち溢れた経験が望ましい。

 もちろん、つらい経験もあるのかもしれないが前を向いて一つ一つの大切な経験を積み重ねていく。

 途中で失敗しても、みっともなくても一生懸命に経験を積み重ねていくことが宇宙の意思に適っている。

 そして、宇宙がまた一つになるまで途方もない時間をかけて輪廻転生を繰り返す。

 弥勒菩薩は56億年後に現れるというのを聞いたことがあるが、意外とそんな時間の感覚が的外れではないような気がしてくる。その時、人類は滅んでいるかもしれないが別の存在として魂は生き続ける。

 今の自分がいまいちでも、その次は良いかもしれない。来世は大谷翔平かも。

  今世がいまいちだからとリセットなんかしてしまうときっと来世でも同じ苦しみを味わうような気がする。

 情けないこと、恥ずかしいこともあるかもしれない。前世ではひどいことをやったかもしれない。

 未熟な私が大きな罪を犯したかもしれない。

 でも、一つ一つの人生に優劣はないと信じて、それぞれを大切に味わう。

 焦らず、求めすぎず、只々大切な経験を積み重ね、ともに歩む仲間を慈しみながら経験を積み重ねる。

 そしてそうやって魂は磨かれ、成長していく。