ヒンズー教ではブラフマンという宇宙の根源、絶対的な存在が示されている。また、アートマンという個人個人の中にある究極の存在も示されており、それはブラフマンと同一であると言う。梵我一如と言うらしい。

 

 宇宙の始まりはビックバンだと言われている。ビックバンの前はすべては一つであり、ビックバンの後、空間が生まれ、時間も生まれたと何かで読んだことがある。

 空間は物と物の間の距離を作り、引き合う力と反発する力を作った。時間は、事象の原因と結果、因果関係を作り出した。この二つの原理原則で、一つだった存在はたくさんのものに分かれ、現在に至っているのだと思う。

 

 私とあなたは元々一つだった、私とそこにある物質は元々一つだったことになる。

 

 たくさんに分かれたものはやがてまた一つのものに戻っていく。宇宙は最後には消滅するらしいし、その時にはまた一つに戻るということなのだろう。

 これも感覚的に理解できる。様々な色のついた液体を混ぜると最後には一つの色になる。高い温度の水と低い温度の水を混ぜると一つの温度になり、もとには戻らない。すべてのものは均一な方向に進む。熱力学ではエントロピーが増大すると言うらしい。

 すべては一つのものに戻る証左だと思う。それには途方もない時間がかかるのだと思うが。

 

 宇宙は、なぜわざわざいろいろなものに分かれてまた一つに戻るようなことをするのだろうか。

 おそらく宇宙はいろいろな経験をするために自ら分かれ、また一つに戻っていく方法を選んだのではないか。いろいろな経験をするにはたくさんに分かれたほうが効率が良い。そして再び一つに戻った宇宙はたくさんの経験をした宇宙として一段成長しているはずだ。

 すべての存在は宇宙の一部としてさまざまな経験をする。

 いろいろな経験はある尺度でみれば優劣がつくかもしれないが、それぞれが大切な経験ではないだろうか。 

 成功者や偉人の経験だけが素晴らしいのではなく、名もなき人々、病に倒れた人々、場合によっては犯罪を犯した人々の経験もまた大切な経験なのではないか。そこに転がっている石の経験もまた大切な経験かもしれない。

 そしてこれこそが、生きていること、存在することの理由ではないだろうか。

 すべてはひとえに経験をするために存在するということだ。