第28話
実亜の裁判が始まったのは萌子さんと最後にPホテルで会ってから間もなくだった。
もうすでに、雪は解け、長い冬が終わっていた。
しかし、花の季節はまだ始まっていなかったが、雪解けの泥んこが乾いていた。
その日、僕は実亜の情状証言をする日だった。
寒の戻りの北風が吹き、土埃が顔に当たった。
中央区にある裁判所に向かいながら、僕は戸惑っていた。
こうして、土埃を顔に当てながら、僕の体も心もどうしたらよいのか分からない状態だった。
僕は卑怯だ。
実亜を守るためだと自分に言い聞かせている。
そして、萌子さんは僕を許してくれている。
萌子さんとは終わった。
僕は実亜だけを愛し、実亜だけを永遠の女として守っていくのだ。
そんな勝手な言い訳を自分に言い聞かせていた。
人殺しという罪を犯しておきながら、自分の都合のいいように解釈している。
僕は卑劣だ。
そう、自分で自分を責めながら、結局は逃げているのだった。
法廷に入ると、傍聴席の後ろの席に萌子さんはすでに座っていた。
黒の服に身をまとった萌子さんは、不思議な雰囲気を醸し出していた。
美しかった。
しかし、萌子さんは、ずっとうつむいたままだった。
僕は萌子さんを見やりながら、萌子さんと反対側の前の席に座った。
もう、萌子さんとは、目を合わせることもない。
萌子さんとあのPホテルでの最後の日、萌子さんは言った。
「法廷で実亜ちゃんの情状証言の時、実亜ちゃんがどんなにいい奥さんだったか言うのよ。そして、援交を迫り脅迫していた主人を許せないと主張するのよ」
「どうして、萌子さん、僕をそこまで」
「分からない」
…分からない
そう、僕も自分のことが分からない。
やがて、実亜が法廷に入ってきた。
実亜はやつれていたが、それでも愛らしさは残っていた。
僕が差し入れした真っ白なブラウスに紺色のタイトスカートが実亜に似合っていた。
実亜のあどけなさを引き出していた。
僕は証言台に立ち、実亜の情状証言を被告人の夫として、訴えた。
そして、結審は早くされ、実亜に3年の実刑判決がくだされたのは
夏と秋が行きあう季節だった。
僕は実亜のために差し入れ品を選んだり、面会に行ったり、手紙を書いたり、それが僕の日常の全てだった。
最初の頃、こわばった顔を向け、言葉少なく怯えていた実亜も、すっかり夏が果て、秋が深まる頃には刑務所暮らしに慣れて来たと言い、笑顔を見せるようになっていた。
すると、僕の気持ちは落ち着かなくなっていた。
今更ながら、僕は自分の犯した罪に苛まれていた。
実亜を守る…そんな言い訳で自分をごまかしていた。
しかし、そんなことが許される訳がない。
これから先、実亜が出所してから、心の中で実亜に罪滅ぼしの念を持ちながら、一生隠し通して暮らしていけるのだろうか。
いや、いくのだ。
それでないと、僕の生きる意味がなくなってしまう。
不思議なもので、実亜が元気になって、明るさを取り戻していく姿に反比例をして、僕の気持ちは落ち着かなくなっていった。
でも、実亜はあれだけ僕を頼っている。
僕がいなければ、実亜は生きていけない。
僕から離れる訳がない。
僕次第なのだ。
しかし、朔が来て、気づいていたことを告白された今、僕は気が狂いそうなほどに、不安と恐れに身舞われた。
僕はどうすればいいのだ。
次の日、僕は実亜に面会に行った。
実亜に会わずにいられなかった。
実亜は顔に生気を取り戻し、僕にくったくなく、笑顔を向けた。
僕の胸は締め付けられそうに苦しくなった。
アクリル板の向こう側の実亜を抱きしめたかった。
「秀ちゃん」
実亜の呼びかけに、僕は実亜のいつものおねだりだと思った。
「秀ちゃん、私達、離婚しましょう」
実亜の口から思いがけない言葉が飛び出した。
頭の中に空洞が出来て、実亜の言葉はそのまま素通りしていった。
一瞬、時間が止まった。
我に返った僕は極めて明るく言った。
「実亜、冗談はやめろよ。びっくりしたじゃないか」
実亜は真剣な眼差しを僕に向けた。
実亜のこんな真剣な眼差しは初めてだった。
僕は動揺した。
「秀ちゃん。私、出所後、秀ちゃんとは暮らせない」
「どうして!?」
僕は小さく叫んだ。
「人殺しの私と、秀ちゃん、本気で暮らせるの?」
「当たり前じゃないか。僕が実亜を守るから」
僕は身を乗り出して、必死に訴えた。
実亜は頭を大きく横に振ると、
「私、自由になりたいの」
毅然として言い切った。
僕はすっかり、混乱してしまった。
「自由って…」
僕は実亜が何か得体の知れない女になり、僕から離れていこうとしていることが信じられなかった。
続く
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愛川るな
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