第22話
先に目を逸らしたのは僕の方からだった。
朔の刺すような視線に息が出来なくなったのだ。
ここで、萌子さんのご主人を殺したのは僕ではないと、否定すれば、朔は納得して引き下がってくれるのだろうか。
それとも、認めて、この鉛のような重たい荷物を降ろせば、楽になるのだろうか。
気まずい空気の中で、2人は黙っていた。
このまま、映画のエンディングのように映像が小さくなってフェドアウトしてくれたなら、どんなにいいだろう。
僕は次第に緊張感に耐えられなくなり、可笑しさが込み上げてきた。
僕はゲラゲラと声を上げて笑った。
笑いながら、僕は否定することを決めたのだった。
「朔、何を言い出すんだ」
そう言うと、僕はまた声を上げて笑った。
朔はそんな僕を憐れむように凝視していた。
「それなら、いいんだ」
「それならいいって…朔、何を根拠にそんなこと言い出したんだ?」
「見たからさ」
「何を?」
内心、ドキリとしながらも僕はとぼけた。
「あの夜、秀と実亜ちゃんが、廊下で出くわしてから…」
朔は焼酎のグラスをあおった。
「一度、2人は自分たちの部屋に戻って行ったよな。そして、すぐ、秀は萌子さんの部屋に入って行った」
僕の顔から笑いが消えていくのが分かった。
「それで?俺が殺したということになるのか?」
「実亜ちゃんが殺したと言っているのだから、実亜ちゃんが殺したんだろう。ただし、先にな」
「だから、朔、何を言いたいんだ?」
僕は苛づいてきていた。
「はっきり、言えよ。奥歯に物が挟まった言い方をするなよ」
声を荒げている自分に、自分でも狼狽していた。
朔の目が悲しげに僕を見つめたが、すぐに視線を落とした。
「萌子さんの悲鳴を聞いて、部屋に入った時だ。俺は横たわっているご主人の死を確かめるために近づいた。首に巻かれているヒモの後が残っていた。躊躇いの締め後があった」
「躊躇いの締め後?」
「あの時、俺は咄嗟に『実亜ちゃんが殺したのか』って訊いた」
僕は頷いた。
「でもな、秀」そう言うと、朔は顔を上げて、僕を真っ直ぐに見た。
「俺には、秀の動揺している顔が『殺したのは俺だ』と言っているのが分かったんだ」
僕は不敵な笑いを浮かべていたと思う。
「長い付き合いだからさ。俺と秀は」
僕は何か言葉にしようとしたが、声にならなかった。
朔は姿勢を正すと、
「秀が再び、萌子さんの部屋に入って行ったとき、俺はドアの外で聞いてしまったんだ。ご主人の苦しがるうめき声をな」
朔は立ち上がった。
「帰るよ」
朔は踵を返すと玄関に続く廊下に向かった。
そして、振り替え座観に、
「秀。一事不再理があるから、安心しろ」
「…一事不再理」
僕は口ごもった。
一事不再理とはある刑事事件の裁判について、確定した判決がある場合には、その事件について再度、実体審理をすることは許さないとする刑事訴訟法の原則だ。
朔が帰った後、しばらくの間、僕はぐったりとして身体を椅子にゆだねていた。
あの日の夜中、僕は萌子さんと唇を重ね合い、つかの間の甘味な愛に酔っていた。
そして、二階に上がって来た時、血の気のない実亜に出くわした。
自分たちの部屋に戻ると、実亜は僕にしがみついてきて、泣きじゃくった。
「殺してしまった」
実亜の告白に僕は衝撃を受けた。
実亜をベッドに座らせると、「見てくる」そう言って、萌子さんの部屋に入って行った。
ご主人の鼻に耳を近づけると、ご主人は息をしていた。
気絶しているだけだった。
僕は何を考えたのだろう。
自分でも分からない。
ただ、ご主人に生き返ってもらったら困る…
ご主人の存在を消したい。
だからと言って、萌子さんと結ばれると思った訳ではない。
愚かなことに、僕は殺したほうが実亜のためになると思ってしまったのだ。
萌子さんのご主人として憎かったのではない。
僕の憎悪は実亜の脅迫者として牙を向いたのだ。
僕は思いっきり、ご主人の首を締め直していた。
僕は部屋に戻ると「死んでいたよ」と実亜に告げた。
実亜は恐ろしさのあまりなのか、放心状態になっていた。
僕は実亜を力いっぱい抱きしめた。
僕は卑怯で狡い人間に化していた。
続く
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愛川るな
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