小学生の時、私はずうっと、リレーの選手でした。
今は歩くのもやっとなのに…
小学校の6年生の時、私はアンカーに選ばれました。
私の時代の運動会は一年生から六年生まで、バトンを繋いでいました。
紅組と白組から各学年、二人づつ選ばれていました。
リレーは競技の一番最後に行われ、まさしく、運動会の花でした。
運動会が近付いてくると、毎日、練習しました。
その時のパターンは決まっていました。
私のメンバーの五年生までの走者は決して、速くありませんでした。
バトンを受ける取る時は、いつもビリで四位でした。
そこを、私はごぼう抜きで一位になり、ゴールインしていました。
周りからは称賛を受ていました。
私も当日は観衆の前で注目されて、拍手をいっぱいもらえると、自負していました。
それは揺るがない自信だったのです。
ところが…
運動会当日…
最初から一年生が転んでしまいした。
途中の学年が巻き返すどころか、どんどん遅れに遅れて、私のところにバトンが届いた時は、同走者はもうすでにゴールした後でした。
私は誰もいないレースに、たった一人ぽっちでグランドを一周したのでした。
一生懸命、走りました。
観衆の目と拍手を独占しました。
リレー競技の結果が出ている中で、アンカーがたった一人でグラウンドを一周している…
意味あるのかな。
でも、私は一生懸命に走って走って走りました。
ゴールした時の割れんばかりの拍手の音は、今でも耳にはっきり、残っています。
正直、残念でした。
どうせ、拍手をもらうのなら、ごぼう抜きして一等でゴールする私に欲しかった…
その時は悲しくて、拍手さえも恨めしかったことを覚えています。
でも、今思えば、あのハプニングは人生の縮図だったように思います。
あのようなことは多々あることです。
拍手をもらえただけでも幸運だったと思っています。
満身、膠原病の私に温かい拍手をいただいたことがたくさんあります。
結果はどうであっても、一生懸命であれば、拍手がもらえるのです。
私も一生懸命な人に拍手を送ってきました。
これからも送り続けます。
膠原病人生。
それでいいのです。