前回の続きです。


父の病院へ向かう道中、とっても気分が悪い。

吐きそうで、道端で一回休憩。

抗不安薬を飲もうか迷う。

普通の人は飲まないのだから…。

けど、わたし1人で向かってるわけじゃなくて、妹を病院に連れて行かなくては。

死んだ後、耳は最後まで残ってるっていうし、お父さんに話したいこともあるから、早く病院に行かなくては。

と、思って、薬を飲む。


病室に着いて、「お父さん来たよ!」って言っても、返事がない。

お父さんに色々話したいけど、離婚していて父のことを嫌いな母の前では話しにくいと一瞬で思って、妹と3人にしてほしいと言って、母と夫には別室で待機してもらう。


そこから、父に何を話したのか、ほとんど覚えてないけど、その時思いつくことは、話した。

してほしかったこと、父親らしかったこと、思ってることを、父に会ったとき言えなかったことも全部話した。


父の家で会った時に、父は自分が唯一父親らしいことをしたっていうエピソードを話した。


自転車で、私と並走していて、父が曲がろうとして私は直進しようとして、ぶつかって、父だけ倒れたらしい。

私は、ごめんなさい!ごめんなさい!っと繰り返し言ってたけど、父は、倒れてない私に、大丈夫か?と言って、私の心配をしたらしい。

私は、そのことは全く覚えてないけど、父の中で、1番父親らしいことをしたと思ってるエピソードらしい。


だから、わたしの1番、嬉しかった父親エピソードを話した。

わたしが小学生の高学年の時、万引きをした。

一緒にした友達は常習犯で、捕まって、junもしたと言って、学校から連絡が来た。

母は、怒って、泣いて、わたしを叩きまくった。

父は、冷静に、お店に謝りに行こうと言って一緒に行った。

怒りもしなかったと思う。

お店の裏で、店長さんに謝って、許してもらって、父はわたしが万引きしたものを買い取った。

わたしが1番印象に残ってる、良いお父さんだった。



色々話した後、あんなに触りたくなかった手を握った。

まだ、温もりがあった。



家に帰る時、父への嫌悪感、嫌いな感情、憎しみなどが、ほとんど無くなってることに気づいた。


父が生きてる時に、全部話せたら良かった。


全部話して、フラットな会話ができたら良かった。


もう少し、時間がほしかった。


こんなに早く死ぬと思ってなかった。


だって、余命3.4ヶ月って言われてから、まだ3週間くらいだよ。


こないだ会った時は、マシンガントークして、ムカつくこと言えてたじゃん。


癌の人の弱ってく過程みたいなのをネットで調べて把握してたけど、全然違うじゃん。


お父さんが、もう少し弱ったら冷静にお互い思ってること話せるかなとか期待してたのに。


わたしは、最後に会った時とか、酷い態度取って、LINEでも冷たくして、家を退去してほしいって言われたって時もすぐに行かずに、ほんとにひどい。


父はどんな思いでいたんだろう。