前回の続きです。



父の家に行った時、父に、「死んだら棺桶に一緒に入れてほしい箱があるからよろしくね」と言われていた。


わたしは、それを聞いた時、その箱の中身によって、父への接し方が変わるなぁと思ってた。


結局、生前にその中身を知ることは出来なかったのだけれど、離婚の1番の原因になった浮気相手のものが入ってたら…とか考えた。



亡くなった日の次の日、妹とその箱を開ける儀式をした。


中身のほとんどは、わたしと妹が小さい時に書いた、父への手紙だった。


びっくりして、涙が止まらなかった。

と同時に、安堵感と罪悪感と自己嫌悪感も襲ってきた。


父に愛されてたのかもって安堵感。

それなら、もっと優しく接していればよかったという罪悪感。

そんな父に冷たく接した自己嫌悪感。



わたしの記憶では、小学校高学年の頃には、父のことがすごく嫌いで、離婚してほしいと思ってたはずなのに、わたしが小6の時に書いた手紙によると、


好きな男の子がいて、バレンタインのチョコをあげるけど、1番好きなのはお父さんだよ


とか


お母さんがお腹痛くて寝てる時に、お父さんと2人でこっそりご飯食べたのすごく楽しかった。

優しくて面白いお父さん、大好き。

ちょっとふざけすぎだけどね。


とか、わたしの記憶と違うことが書いてある。



他にも、お父さんのことを嫌いと思ってるとは思えない手紙ばかりだった。

そりゃぁ、「嫌い」って手紙はなかなか書かないと思うけど、気を遣って書いたような手紙じゃなかった。

私の本心の手紙だと思う。



なんで、わたしはお父さんとの良い記憶が全て抜け落ちてしまったのだろう。


その記憶があれば、もっとお父さんとの関係も違ったはずなのに。



考えてみれば、離婚した後、お父さんの仕事場でバイトしたな。


20歳頃は、妹と3人でカラオケも何回か行ったな。


10年くらい前にも2.3回2人で会ったと思う。

夫にも1回会わせた。


そして、7年前、妹と姪っ子甥っ子と会ったのを最後に会わなくなってた。


なんでだろう。


夫には、「良い記憶が抜け落ちたのは、良い記憶を無くさないと辛くて生きていけないからじゃないか」と言われた。


まあ、そうじゃなくても、人はいい事より悪いことの方が記憶に残りやすいしね。



母からは、離婚前も離婚後も耳にタコができるほど、父の不倫やその他の素行の悪さを事細かに聞かされていたし…。


不倫の証拠集めの協力もさせられてた。

その当時は、普通に手伝っていたけど、今考えるとすごく心に傷を負ったと思う。


あとは、6.7年前はちょうどカウンセリングを受け始めた時期で、良い記憶が抜け落ちてる私が昔のことを話すと、父は完全な悪者だった。

その悪者の父のことを話して、心理士の先生と記録をつけていくことで、父との悪い記憶が強固になった気もする。


あとは、5年前に潰瘍性大腸炎になってからは、わたしの行動できる範囲もすごく狭まり、体調の浮き沈みも前よりひどくなった。


そんな色々な要因が重なって、余計に父と疎遠に

なってしまったのだと思う。


父は変わってる人だし、酷いこともいっぱいされたけど、きっと父は昔と変化していないのに、私が変わっていったんだ。


父も不器用だから、それに昔から秘密主義だから、自分の本心とかは言わずに、私たちに会えば、いつも強気で、ムカつくことを言ってきてた。


看護師さんやヘルパーさんから聞く父の評判は、「面白くて、辛いはずなのにみんなを笑わせるような冗談を言ってる明るい人だった」と。


そんな面を、大人になった私にも見せてほしかった。


でも、本心では違うことを思っていた父に対して、わたしはなんて酷いことを言って、なんて酷い態度をとって、父を悲しませ苦しめたんだろう。


こんなに早く死んじゃったのは、私のせいなんじゃないかと思う。


癌になったことでさえも、私のせいなんじゃないかと思う。


去年の夏に、1回抜けた、父と妹との3人のグループLINEに復活したのだけれど、わたしはそこでも嫌味みたいなことを言ったし、冷たかった。


そもそもグループLINEを抜けたこと自体が悲しませたと思う。


その時は、父のLINEが来るたびに父の放つ言葉にイライラして、自分の心を守るために抜けたのだけれど…。


お互い、本心を話せていれば…。


まぁ、父が素直に本心を話すなんて、それは父ではない気もするけど。


兎にも角にも、結果、わたしは父を悲しませ苦しませた。