※前回のブログの続きになります。

 

 

 介護医療院入院3日目。

 面会に行くと、ナースが血圧を測っているがエラー表示が見える。測定不能の様子。

 そのナースが私に言いました。

「今、状態がとても悪くなって、この心臓のモニターを付けて飛ばしています。いつ何があってもおかしくないと、覚悟していて下さい。いつでも電話に出られるようにしていて下さい」

 やはり奇跡は起こらなかった。せっかく良い所に転院できたのに、窓から見える桜の花が咲く前に終わってしまうのだと認識しました。

 

 もう今夜か、明日の早朝にでも息を引き取るのではないか? と思われ、帰宅すると父に話して、「明日タクシーで一緒に面会に行こう」と約束しました。

 父は退院したばかりの時はまだ面会に行く気力も体力もなかったけれど、1週間経って大分回復して来たので、行く気持ちになれたのでした。でも父が行くまで持つのだろうか?

 兄にもLINEして、病院から電話がかかってくるかもしれないので注意していてと伝えました。先ず私のiPhoneにかかってくることになっているけど、私は難聴なので気が付かないかもしれないので、そうしたら兄の方に電話が行くので。

 

 もう今夜は寝られないよ、いつ電話がかかってくるかと思うと。

 すると、23時55分に着信が!

 知らない携帯番号だったけど直ぐに出ると、やはり病院のナースからでした。

 波形がゼロになっていて呼吸が止まっているので、今直ぐ来て欲しいと言われました。

 え? それってどういうことなの? もう死亡しているということなの?

「いえ、これから医師の診察があるので」と、曖昧な言い方。そうか、医師の死亡診断をしていないから、ナースの口からは死んでいるとは言えないんだ。

 でも今直ぐと言われてもタクシ―で1時間かかると話すと、それなら立ち会わずに医師に死亡診断して貰っても構わないか? と聞かれたので、了承しました。

(それで死亡診断時刻は日付をまたいで0時6分になりました)

 また、朝まで置いておけないので、直ぐに引き取りに来て下さいと言う。霊安室が一つしかないからと。(つまり、その一つしかない霊安室はもう塞がっているってこと? 相部屋にはできないのね?)

 病院からの電話を切って、急いで葬儀屋に電話しました。幸い、直ぐに引き取りに行ってくれるとの返事で、私も一緒に乗せて行って貰えることになりました。

 

 そのあとに兄に電話したのですが、出ない! いつでも電話に出られるようにしていてねって言っておいたのに、なんで出ないのよ? すると義姉が出てくれて、寝ている兄を起こしてくれました。

 母が亡くなったと電話で伝えると、兄は、

「直ぐ行く!」と答えました。

 いやでも、兄は埼玉県だから車で2~3時間かかるのに、病院に行ったってすれ違いになるだけだよ。だから病院じゃなくて葬儀屋の方に来て欲しい、と私は言いました。

 別に兄は今直ぐ来なくても、朝になってからでいいんじゃないの? と思ったけど、いやいや、今直ぐに駆けつけたいという気持ちを止めてはいけないよ、とも思った。

 

 寝ていた父が、気配を察して起きてきたので、訳を話して「おとうさんは朝まで寝ていてください!」と言い残して、私は迎えの車に乗って行きました。

 

 行きの車の中で、助手席のスタッフが後部座席の私の方に振り返って、火葬はいつにするか? と聞くのです。え? もうその話? まだ死亡確認もしてないのに?

 火葬場は混んでいるので、早く押さえておかないとならないようです。それで、往復2時間の車の中で、葬儀の日程をどうしようかと、ずっと考えていました。

 

 この葬儀屋とは、1年半前に会員になりに行って、葬儀の見積もりをして貰った所なので話が早かった。母が胃がんで入院中に敗血症を起こしてHCUに担ぎ込まれた時のことで、もうダメだと思ったからお葬式の準備をしていたのです。その時に「近いうちにお世話になると思います」と私は言ったのだけど、近いうちじゃなくて1年半も経っています。

 

 病院に着くと、母の亡骸はベットからストレッチャー移されて、車に運びこまれます。私は受付で死亡診断書を受け取りました。

 葬儀屋の安置室に遺体を安置して貰って、お線香をあげて拝んでから、そこで死亡届を書きました。火葬の予約もその時にネットで取ってくれました。

 

 今日はこれで家に帰って、お昼過ぎに改めて兄と一緒に来て、葬儀の打ち合わせをすることになります。

 帰宅したのは午前3時くらいで、まさかこんなに早く家に帰って来られるとは思わなかった。病院から電話が来た時から、まだたったの3時間しか経ってないとは信じられない!

 あっと言う間だった!

 

 兄にLINEして、もう終わって家に帰って来たからお兄ちゃんも葬儀屋じゃなくて実家に来てください、と伝えました。

 私は兄が直ぐに寝られるように、居間に布団を敷いて、パジャマやタオルや歯ブラシも準備して待っていました。

 こんなことなら、やっぱり兄は朝まで待ってからにすれば良かったのに。

 それにしても、「直ぐ行く」って言った割に、こんなに遅くなったのはどういうわけなのか?

(後で兄に聞いたら、22時に寝たので2時間くらい眠った後だったけど、電話を切ったあとに「もう少し寝てからにしよう」と考えて寝ちゃったんだって! 呆れた)

 

 父は気になって寝ていられなかったのでは? と案じていましたが、ぐっすり眠っていて、兄が来たのにも気が付かなかったそうだ。それで、居間に布団が敷いてあったのでギョッとしたんだって。一瞬、お母さんが帰ってきたのかと、恐くなって、そーっと顔を覗いてみたら違ったって。

 

 

 それから、葬儀やら手続きやらの日々になります。

 私は異常にハイテンションで、娘から「なんでそんなに元気なの?」と驚かれたくらい。

 父も兄もそうで、葬儀が終わるまでは、3人とも全然泣きもせず、元気だったのです。

 やるべきことが山積みだから、気合いを入れなければいけないから。

 

 

 長い長い毎日でした。

 一日が、通常の一週間分くらいの長さに感じられました。

 良い葬儀ができたと、私も父も兄も満足しています。

 

 

 ところが、告別式が終わった翌朝から、父がガクーッと弱って寝込んでしまったのです。

 葬儀中あんなに元気だったのは、火事場の馬鹿力ってやつだったのかもしれない。父は喪主として、体力の限界まですごく頑張り過ぎたのだと思います。

 口もきけないくらい憔悴して、ずーっと寝ていました。

 もう、このまま父も亡くなるんじゃないか? と本当にそう思って、心配で心配で、毎日父のことで頭がいっぱいで、亡き母を偲ぶ余裕もありませんでした。

 

 

 でも、アリナミンゼリーを毎日飲んで貰っていたら、1週間くらい経って回復してきたので、やっと安心になりました。

 

 父には母のようにはなって欲しくないという思いから、在宅介護で看取る方向で検討中です。

 その為にも、早く母のことは終わらせて、父の介護に専念したい。

 でもまずお墓を建てないことには、納骨ができません。でも兄は、納骨は一周忌と一緒にやれば良いと考えていて、お墓もゆっくり建てたいと言うので、私は反対しました。一年間も骨壺を居間に置いておきたくない、お墓が建ち次第納骨したい。兄が忙しくて無理だと言うなら、私に任せて欲しいと強く言って、ようやく承諾して貰いました。

 

 

 

 というわけで、桜が満開の日曜日に、二人の息子たちに頼んでお墓の打ち合わせに連れていって貰いました。

 高度難聴の私には、担当者の声があまり良く聞き取れないので、息子たちがいてくれてすごく助かった!

 おかげで納得のいくお墓の見積もりを立てることができました。

 

 

 その帰り道、息子たちが車で昭和記念公園に連れていってくれました。

 満開の桜を見ることができたので良かった~。

 今年は桜が見られなくても仕方ないと思っていましたが、息子たちが私を労う気持ちで桜を見せてあげようと考えてくれたことが、とても嬉しくて、桜を見て心身共に癒されました。