7月から再開予定だった、手話やフラダンスも全部、8月末まで中止になりました。

 理由は、新型コロナウイルスの東京都の感染者数が、3日連続で100人超えているから。

 

 グループラインに先生から連絡が入って、それに対する皆の返信は異口同音に、

「本当にまだ恐いですよね。これからも外出を控えて自粛を続けていきます!」

 と、同調するものばかり。

 私も仕方がないとは思うものの、釈然としない気持ちもあって。口には出さないけど。

(その代わりブログで吐き出しているわけ)

 

遡れば、2月中旬に中止になった時には、4月からは再開する予定でした。

しかし、緊急事態宣言で延長に。

それも解除になったから、6月から再開の予定が立ちました。

しかし、東京アラートが出た為に中止に。

それも解除になったから、今度こそ7月から再開だと思っていたのに、連日の100人超えの報道でまたもや中止に…。

 

 9月から再開するって言うけど、9月になったら今度はコロナ第2波とか来て、やっぱり再開できない気がする。

 このまま感染者ゼロになるのを待っていたら、永遠に再開できないでしょう。

だからもう、諦めた方がいいかも。

再開するのを期待しているからガッカリするんだ。

もうないものだと、忘れていた方がいい。

 

思えば、緊急事態宣言中の方が、穏やかに落ち着いて自粛生活ができていました。

でも今は、父はゲートボールに、母もデイサービスに通っているんです。

ゲートボールでは父もマスクをしていますが、マスクをわざわざ外してから喋ってくる人がいると、父は困っています。

デイサービスなんて、お昼ご飯食べる時にはマスク外して対面で座ってお喋りしながらだって言う。それって、一番感染リスクが高い行為なんじゃないの? いや、ダメとは言えない。母はお喋りが楽しくてデイサービスに行くのに、お喋りができないんだったら行く意味がないもの。

それに比べたら手話の勉強なんて、フェースシールドも付けるし、よっぽど安全なのでは?

ディズニーランドでさえ再開になったっていうのに、なんで地元の小さな手話サークルはやっちゃいけないんだろう?

そんな風に考えると、気持ちがザワザワしてしまいます。

 

緊急事態宣言中は、近所の公園に一人で散歩に行くだけでも「ステイホームですよ!」と叱られるくらいでしたが、今は一人でスタバに行っても咎められません。美容院にも行かれたし、県またぐ移動して孫たちにも会いに行ってきました。

 

それならいいじゃない。

何不自由ない生活。恵まれてるでしょう。

この上何を望むのよ、贅沢よ。

そう、その通り!

 

でも、私には手話仲間たちとのコミュニケーションが、何よりも大事なんです。

生きるって、人と接することなのではないでしょうか?

 

5年前に突発性難聴になった時、何が一番悲しかったって、お喋りができなくなったことでした。

もちろん聞こえなくても声は出るので喋ることはできます。でも、お喋りは相手の相槌があって初めて成立するもの。一方的に喋るのではただの独り言に過ぎず、虚しいだけ。

そんな当たり前のことに、難聴になって初めて気が付いたのです。

 

けれども、手話に出会って、私は変わりました。

大げさな言い方をすると、新しい世界を見つけたのです。

それからは手話でお喋りをすることが、生きがいになりました。

もう二度とお喋りは楽しめなくなったと思ったのに、また楽しいお喋りができるようになったのです。

 

でも今は、感染リスクがあるから、人と会ってお喋りをすることが、一番良くないことになっています。

人と会わない、喋らない、それが一番の感染予防でしょう。

逆に言えば、それができないからこそ、感染者数は増えていくのでしょう。

 

健聴だった頃は、仕事帰りに仲間たちと居酒屋に行って、ビールやワインを飲みながら声が嗄れるほど喋りまくったものです。

楽しかったなあー!

しかし、難聴にならなかったとしても、今はそんなことは控えなければならない状況。

どんなに美味しい料理でも、一人で黙々食べなければいけないなんて。お喋りしながらだから美味しいのにね。

 

ああ、友だちとワイン飲みながらお喋りがしたいなあ。

それが今一番の願いです。