嗅覚障害者の団体を作りたい。 I want to create an organization for people with smell disorders. -37ページ目

嗅覚障害者の団体を作りたい。 I want to create an organization for people with smell disorders.

リトル・ミックスのペリー・エドワーズも同じ嗅覚障害らしいですね。"Perrie Edwards from Little Mix also seems to have the same smell disorder as me, doesn't she?"

 

第119代天皇 光格(こうかく)天皇⑦ 在位期間1780年1月(旧暦11月)~1817年 なお、「⑦」は「今上天皇の直系のご先祖様で、直系7代遡る」という意味です。

師仁(もろひと)親王→即位のとき兼仁(ともひと)と改名。

閑院宮典仁(かんいんのみやすけひと)親王⑧の第6皇子。仁孝天皇⑥の父。

東山天皇⑩

第6皇子・閑院宮直仁(かんいんのみやなおひと)親王⑨

第2皇子・閑院宮典仁(かんいんのみやすけひと)親王⑧

諡号は、慶光天皇(きょうこうてんのう)

第6皇子・光格天皇⑦

1771年生まれ。8歳(旧暦での数え9歳)で即位。

1788年先例(第86代・後堀河天皇と第102代・後花園天皇⑲のときの例)に基づき存命中の父に太上天皇の尊号を贈ろうとしたが、1789年老中首座の松平定信が反対してできなかった(尊号一件[そんごういっけん]or尊号事件)。これが尊皇運動へ繋がっていく。結局、1884年(明治17年)に明治天皇の高祖父にあたるという理由で閑院宮典仁親王に慶光天皇(きょうこうてんのう)の諡号(しごう)と太上天皇の尊号が贈られた。

45歳(数え47歳)で譲位し、69歳(数え70歳)で崩御。

1782年~1788年天明の飢饉。

1783年浅間山の大噴火。

1784年俳人の与謝蕪村(よさぶそん)没。代表作は下記の句。

菜の花や月は東に日は西に

なのはなやつきはひがしにひはにしに。

(解説)一面に続く菜の花畑、東の空からは月が昇り、西には赤い夕陽が沈んで行く。

1786年将軍・徳川家治が没し、老中・田沼意次が失脚する。

1787年一橋家の徳川家斉が江戸幕府第11代将軍に就任し、田安家出身の白河藩主・松平定信を老中首座に任命、寛政の改革が始まる(~1793年)。「田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水

 

徳川吉宗

4男・宗尹(むねただ。一橋家)

4男・一橋治済(はるさだorはるなり)

長男・家斉

 

徳川吉宗

次男・宗武(むねたけ。田安家)

7男・松平定信(田安家から白河松平家へ養子入りし白河藩主)

 

しかし厳格過ぎたため1788年尊号一件をきっかけに1793年松平定信を罷免。白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき

1787年アメリカ合衆国憲法作成(1788年発効)。

1789年フランス革命(la Révolution française ラ・レヴォリュスィオン・フランセーズ)が始まる。

 

1792年ロシアのラクスマンが大黒屋光太夫ら漂流民と根室に来航。

 

1793年ころの喜多川歌麿の浮世絵『歌撰恋之部 深く忍恋(かせんこいのぶ ふかくしのぶこい)』。2016年(平成28年)にフランスのオークションで約8800万円で落札されたニュースが話題になった。上は同作品のイラスト。美人画の大首絵(おおくびえ)を考案したのは歌麿。

 

1794年の東洲斎写楽の浮世絵『三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛(さんだいめおおたにおにじのやっこえどべえ)』(重要文化財、東京国立博物館所蔵)。上は同作品のイラスト。写楽は1794年から翌年にかけて10か月間だけ活動した謎の人物。江戸八丁堀に住んでいた阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者・斎藤十郎兵衛(さいとうじゅうろべえ)という説が有力。

1802年十返舎一九(じっぺんしゃいっく)『東海道中膝栗毛』の初編を刊行。

最初は品川から箱根までの道中記の予定だったが、読者の好評を博したため次々と書き継がれ、大坂見物を終えた後も、四国に渡って金比羅参詣、続いて安芸宮島まで行き、山陽道、中山道を通って1822年江戸に戻るまで、21年にもわたる旅=刊行となった。

『南総里見八犬伝』の著者・曲亭馬琴十返舎一九のことを「著作料で生計を立てた最初の人物」と評している。

1802年イギリスのリチャード・トレビシックが世界初の蒸気機関車ペナダレン号を発明。しかし、当時のレールは馬車鉄道用のもろい鋳鉄(ちゅうてつ)製レールで、ほどなくして破損したため実用化に至らなかった。

1804年ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte)がノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris カテドラル・ノートルダム・ドゥ・パリ)で皇帝戴冠。

(パリのシテ島にあるノートルダム大聖堂)

 

(ナポレオンが造らせたエトワールの凱旋門)

 

1804年ロシアのレザノフが長崎に来航したが、幕府に追い返され、1806年&1807年フヴォストフ事件を起こす。

1814年曲亭馬琴(きょくていばきん)『南総里見八犬伝』初輯(しょしゅう)5巻を刊行、読者の要望に応えて以後28年間書き続けられる。馬琴は1840年数え75歳のとき失明するが口述筆記で1842年完結刊行された。全98巻106冊。「滝沢馬琴」の名でも知られているが、これは明治以降に流布した表記で、本人はこの筆名を用いてない。

室町時代、安房国(あわのくに。現、千葉県の南部)の里見家のため、霊玉の持ち主である八犬士が、関東管領軍などと戦い活躍する。

八犬士の霊玉の文字、名前、1983年(昭和58年)の深作欣二監督の角川映画『里見八犬伝』で演じた俳優(公開当時の年齢)は、下記の通り。

1、仁 犬江親兵衛仁(いぬえしんべえまさし) 真田広之(23歳)

2、義 犬川荘助義任(いぬかわそうすけよしとう) 福原拓也(子役)

3、礼 犬村大角礼儀(いぬむらだいかくまさのり) 寺田農(てらだみのり。41歳)

4、智 犬坂毛野胤智(いぬさかけのたねとも) 志穂美悦子(28歳)

5、忠 犬山道節忠与(いぬやまどうせつただとも) 千葉真一(44歳)

6、信 犬飼現八信道(いぬかいげんぱちのぶみち) 大葉健二(28歳)

7、孝 犬塚信乃戌孝(いぬづかしのもりたか) 京本政樹(24歳)

8、悌 犬田小文吾悌順(いぬたこぶんごやすより) 苅谷俊介(かりやしゅんすけ。37歳)

映画でのヒロインは静姫(しずひめ) 薬師丸ひろ子(19歳)

映画でのラスボスは玉梓(たまずさ) 夏木マリ(31歳)

物語の発端となる姫は伏姫(ふせひめ) 声のみの出演・松坂慶子(31歳)

 

『八犬伝』中の八士の如きは、仁義八行(はっこう)の化物にて、決して人間とはいひ難かり」という『小説神髄』※1での批判も有名。

※1 小説神髄 しょうせつしんずい坪内逍遥(つぼうちしょうよう)の小説論。1885年(明治18年)&1886年(明治19年)刊行。日本近代最初の本格的文学論。勧善懲悪的文学観を排し、文学の独立的価値を主張し、小説における心理的写実主義を唱えて、近代文学の成立に貢献。二葉亭四迷※2や自然主義の作家に影響を与えた。

 

※2 二葉亭四迷 ふたばていしめい。小説家。坪内逍遥の弟子。長編小説『浮雲』を書いた。

『浮雲』は1887年(明治20年)~1889年(明治22年)刊行。

(あらすじ)下級官吏の内海文三は、自我をかたくなに守ることで職を失い、寄宿先の叔父の家でも孤立、叔父の娘・お勢との恋にも破れる。

孤独な近代知識人の内面を初めて描き、日本近代小説の先駆となった。その清新な言文一致の文章は後世の国語に影響を与えた。

1807年アメリカの技術者&発明家のロバート・フルトンが外輪式蒸気船クラーモント号を開発、ニューヨークで乗客を乗せてハドソン川での試運転に成功。「蒸気船の実用化に初めて成功した」と言われている。世界最初の蒸気船は1783年にフランス人クロード・ダバンが発明したという。

1817年デイビッド・リカード(David Ricardo)が比較優位の原理(Principle of comparative advantage)を提唱する。

 

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(雑感)

 

今日のお題もたくさん。

 

「与謝蕪村について」

「フランス革命(la Révolution française ラ・レヴォリュスィオン・フランセーズ)について」

フランス(France)について」

「喜多川歌麿について」

「十返舎一九の『東海道中膝栗毛』について」

「東洲斎写楽について」

「ナポレオンについて」

「曲亭馬琴の『南総里見八犬伝」について」

「デイビッド・リカードの『比較優位の原理』について」

 

このうち「フランス(France)について」だけコメントします。

「デイビッド・リカードの『比較優位の原理』について」は第6回でコメントしたので省略。

あとは「大変難しくリスクが高いので、コメントは控えます」「私より詳しい方が大勢いらっしゃるでしょう。私はコメントを控えます」パターンです。

フランスも、アメリカのときのコメントと似た感じ。

嗅覚障害に取り組んでるフランス人がいれば会いに行くんですが、聞いたことがないです。観光を少々、ですね。もちろん、そんな超ラッキーな幸運が舞い込めば、の話です。

あと、「日本史メモ」の次は東京オリンピック&パラリンピックに向けて外国語を勉強する予定で、フランス語も予定してますので、早いですがちょっと書いてみます。

 

まずエッフェル塔(La Tour Eiffel ラ・トゥール・エフェル)。ここは外せませんよね。

1889年(明治22年)に建てられた錬鉄(れんてつ)製の鉄塔で、2022年(令和4年)3月以降の高さは330m。「パリのセーヌ河岸(Paris,rives de la Seine パリ、リヴ・ドゥ・ラ・セーヌ)」(文化遺産)の一部として世界遺産(patrimoine mondial パトリムワヌ・モンディアル)です。

3つの展望台へエレベーターでアクセス可能、パリの街を眺めて楽しみたいです。

セーヌ川はフランス語で「La Seine ラ・セーヌ」。

ちなみに、1975年(昭和50年)のアニメ『ラ・セーヌの星』の主題歌では、歌っているフランス人歌手のアレーヌが、前奏中に、

「Étoile de la Seine エトワール・ドゥ・ラ・セーヌ。ラ・セーヌの星。」、

歌の最中に、

「Allons-y! アロンズィー!行こう!」

「Oh Liberté! オーウ、リベルテ!★ああ、自由よ!」★「リベステ」と聞こえる

「Oh L'Amour! オーウ、ラムー!ああ、愛よ!」

「Étoile! エトワール!★星よ!」★「エストワール」と聞こえる

とフランス語で歌ってます。

1975年(昭和50年)ですから『一休さん』が始まったのと同じ年ですね。44年前、私が小学1年生のとき。かすかに憶えてます。

ちなみに、『ラ・セーヌの星』の主人公シモーヌの家がある場所はパリのシテ島。シテ島と言えば、ノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris カテドラル・ノートルダム・ドゥ・パリ)のある場所

(ノートルダム大聖堂が立っているシテ島。セーヌ川の中洲) 


そのノートルダム大聖堂、現地時間4月15日夕方に火災があったという残念なニュースがありました。

(ノートルダム大聖堂で火災。毎日新聞公式動画)

エトワールの凱旋門(Arc de Triomphe de l'Étoile アルク・ドゥ・トリオンフ・ドゥ・レトワール)。ここも外せません。

1805年のアウステルリッツの戦いで勝利したナポレオンが翌1806年から造らせました。1836年完成時は7月革命でブルボン復古王朝が倒れルイ・フィリップが王位についていた7月王政の時代。ナポレオンは1821年に51歳で没していて、1840年パリに回葬されたとき棺は凱旋門をくぐったそうです。

シャンゼリゼ通り(Avenue des Champs-Élysées アヴェニュ・デ・シャンゼリゼ)の西端、シャルル・ドゴール広場にあります。かつてはエトワール広場。12本の道路が四方八方から集まっていて上から見ると星のように見えるので星=エトワール Étoileの名。

螺旋階段で屋上まで登ることが可能、ぜひ屋上からの眺望を楽しみたいです。

(パリにある、ルーブル美術館)

 

ルーブル美術館とオルセー美術館も行きたいです。

ルーブル美術館(Musée du Louvre ミュゼ・デュ・ルーブル)は、もちろん、モナリザ(la Joconde ラ・ジョコンドゥ)とミロのビーナス(la Vénus de Milo ラ・ヴェニュス・ドゥ・ミロ)とサモトラケのニケ(la Victoire de Samothrace ラ・ヴィクトワール・ドゥ・サモトラス)がお目当て。

(パリにある、オルセー美術館)

 

オルセー美術館(musée d'Orsay ミュゼ・ドルセ)は、印象派絵画をたっぷり見たいです。

私は高校時代、美術部で油絵を描いてました。印象派(impressionnisme アンプレスィオニースム)が好きでしたから、当然、ルーブルよりオルセーですね。

モン・サン・ミッシェル(Mont St-Michel)も行きたいです。世界遺産の代表格ですもんね。

大昔はトンブ山と呼ばれた、海岸線から1kmほど先の高さ80mの岩山で、サン・マロ湾の奥、干満差14mと言われる干満の激しい湾にあります。

時には湾に浮かび時には干潟になる姿は古来より土着信仰の聖地で、伝承では8世紀に大天使ミカエルのお告げがあって礼拝堂が建てられ、10世紀に修道院が建てられます。その後増築が繰り返され、鐘楼と尖塔は1897年(明治30年)に完成。

フランス革命で修道院が廃止され監獄になりますが、ヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo)がナポレオン3世に提言して修道院として復活。

堤防道路ができて周囲の潮流がせき止められ陸地化してしまったので、2009年(平成21年)堤防道路は取り壊され、2014年(平成26年)に脚付きの橋が完成してます。

 

あとは、大好きなL'Arc~en~Cielがフランスに関係あると言えばある、バンド名(ラルク・アン・シエル。意訳して虹)と『heavenly』の曲『C'est La Vie(セ・ラ・ヴィ。人生ってこんなもんさ。)』、『REAL』のジャケ写はノートルダム大聖堂のガーゴイル像、というところでしょうか。

(2000年[平成12年]のラルク8枚目のアルバム『REAL』のジャケ写は、実際にノートルダム大聖堂のガーゴイル像を撮影した写真。ちなみに、私は、このアルバムに収録されている『NEO UNIVERSE』が一番好きな曲です)

とにかく、嗅覚障害に関連する事柄があるかどうか、そこが重要です。

 

 

第116代天皇 桃園(ももぞの)天皇 在位期間1747年~1762年

遐仁(とおひと)親王。桜町天皇の第1皇子。後桜町天皇の異母弟。後桃園天皇の父。

1741年生まれ。6歳(数え7歳)で即位。

幕府や五摂家※1に支配された現状に不満を持つ若い公卿たちから垂加神道※2の講義を受けたことが1758年の宝暦事件※3に発展した。そのため五摂家と険悪な関係だったという。

在位のまま21歳(数え22歳)で崩御。

 

※1 五摂家 ごせっけ。鎌倉時代に成立した藤原氏嫡流で公家の家格の頂点に立った5家=近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家のこと。藤原忠通(ただみち。弟・頼長と対立して1156年保元の乱が発生、勝った後白河天皇側)の4男・基実(もとざね)の家系である近衛家、6男・兼実の家系である九条家、兼実の孫・九条道家の次男の家系である二条家、道家の4男の家系である一条家、近衛家から分かれた鷹司家。大納言・右大臣・左大臣を経て摂政・関白、太政大臣に昇任できた。この5家の中から藤氏長者(とうしのちょうじゃ)も選出された。この時代の五摂家に年少者が多かったことが宝暦事件の遠因となったと言われている。明治維新で摂政&関白の職はなくなり、五摂家の当主は公爵に叙せられた。

 

※2 垂加神道 すいかしんとう。江戸時代前期に生まれた神道の学説。天照大御神(あまてらすおおみかみ。アマテラス)への信仰&その子孫である天皇が統治する道を神道と定義づけ、天皇への信仰・神儒の合一を主張した。尊王思想の思想的背景となり、水戸学の尊王論や国粋主義思想に影響を与えた。

 

※3 宝暦事件 ほうれきじけん。1758年に京都で尊王論者の若い公卿や学者が処罰された事件。儒教と神道の学者・竹内式部(たけのうちしきぶ)は垂加神道に基づいて日本書紀などを塾で講義し、朝廷の政権回復の心構えを説き、徳川将軍を激しく誹謗した。現状に不満を持つ門弟の公卿は深く感銘し、若い桃園天皇に式部の学説にのっとった日本書紀を進講した。しかし朝廷と幕府の関係がこじれるのを恐れた五摂家は、これらの公卿を処罰して天皇の周囲から排除し、式部については幕府にゆだね、翌1759年式部は京都から追放された。

1760年家重の長男・徳川家治が江戸幕府第10代将軍に就任。

 

 

 

第117代天皇 後桜町(ごさくらまち)天皇 在位期間1762年~1770年

智子(としこ)内親王。桜町天皇の第2皇女。桃園天皇の異母姉。日本史上8人目の女帝&現在までのところ最後の女帝。

1740年生まれ。五摂家が密議し幼少だった後桃園天皇即位までの中継ぎとして未婚のまま21歳(数え23歳)で即位、生涯独身。和歌や書の才があった。

29歳(数え31歳)で譲位。

1789年の尊号一件では「御代長久が第一の孝行」と言って光格天皇⑦を諭したという。1813年73歳(数え74歳)で崩御。

1764年ハーグリーブス(Hargreaves)がジェニー紡績機(spinning jenny)を発明。1765年ジェームズ・ワット(James Watt)が蒸気機関から復水器を独立させ大幅な改良に成功。これ以後1830年ころまでが、いわゆるイギリスの産業革命(Industrial Revolution)。

1767年田沼意次が側用人になり、田沼時代が始まる(~1786年)。

 

 

 

第118代天皇 後桃園(ごももぞの)天皇 在位期間1770年~1779年

英仁(ひでひと)親王。桃園天皇の第1皇子。

1758年生まれ。11歳(数え13歳)で即位。

皇子が無く閑院宮家(かんいんのみやけ)から養子(光格天皇⑥)を迎えた。

在位のまま21歳(数え22歳)で崩御。

1774年『解体新書』刊行。著者は翻訳係の前野良沢、清書係の杉田玄白など。

1776年上田秋成『雨月物語』を刊行。全9話。1768年に初稿が成立し8年間も推敲していた。日本と中国の古典に題材を求めた怪異小説。人と霊が混じって生きる幻妖な世界で、人間の醜悪なるもの、心の中にある業(ごう)が、和漢混淆の華麗な文体で描き出され、我が国の幻想文学の中でも最も優れた作品として、近代の作家たちにも多くの影響を与えた。

1775年アメリカ独立戦争(American War of Independence)(~1783年)、1776年7月4日アメリカ独立宣言(United States Declaration of Independence)。

1776年アダム・スミス(Adam Smith)が産業革命進行中のイギリスで『諸国民の富(国富論)』を発表。富=消費財(生活必需品+便益品[=贅沢品])であり、輸出だけでなく輸入で消費財が国内に入ることによっても国は豊かになる」と主張。自由主義経済理論を体系化し古典派経済学(classical economics)の基本文献となった。

それまで主流だった重商主義者は、「富=貴金属であり輸出で支払われる金銀を得ることが国を豊かにする」と主張し、国家による保護関税や産業保護を主張していた。

1779年イギリスの探検家ジェームズ・クック(James Cook)(キャプテン・クック[Captain Cook])がハワイ島で殺害される。

 

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(雑感)

 

今回のお題は「産業革命について」「アメリカについて」「アダム・スミスについて」。

このうち「産業革命について」「アダム・スミスについて」は「私よりも詳しい方が大勢いらっしゃるでしょうから、コメントを控えます」パターン。

アメリカについて」だけコメントします。

 

いよいよアメリカ合衆国の独立です。第118代・後桃園天皇のときの出来事ですから、やはり、新しい国ですよね。

私個人としては、アメリカに行きたい気持ちは、ほとんど無いです。

とりあえず、嗅覚障害との関連性が思い浮かばないんですよね。イギリスにはペリー姫ことペリー・エドワーズがいます。ペリー姫のような嗅覚障害者がいれば行きたいのですが。


そうそう、スカンク Skunkと対決してみたいですね。スカンクのおなら、私は絶対平気ですから。直撃を浴びても平気なところを動画に撮ってもらってYoutubeやブログに上げたいです。

観光で行きたい所も、意外とありません。2つくらい。

 

まず、ナイアガラの滝 Niagara Falls。

(ナイアガラの滝。JTB公式動画)


すごいですよね。

ヴィクトリアの滝(Victoria Falls)(ジンバブエとザンビアの国境)、イグアスの滝(スペイン語:Cataratas del Iguazú カタラータス・デル・イグアス。ポルトガル語:Cataratas do Iguaçu カタラータス・ド・イグアス。アルゼンチンとブラジルの国境)と並ぶ「世界3大瀑布」の1つですが、ここだけ世界遺産になってません。なってる2つの方がだいぶ大きくて、しかも、他にもナイアガラ級の滝が世界にいくつもあるからだそうです。世界は広いですね。

ナイアガラの滝は、川の中に存在するゴート島の南西のカナダ滝(Horseshoe Falls、もしくは、Canadian Falls)と、ゴート島の北のアメリカ滝(American Falls)、ブライダルベール滝(Bridal Veil Falls)に分かれてます。上の写真はカナダ滝。幅675m、落差56m、滝壺の深さ55m。普通「ナイアガラの滝」と言えばこれですよね。

5大湖のエリー湖からオンタリオ湖に流れるナイアガラ川にあって、カナダのオンタリオ州とアメリカのニューヨーク州を分ける国境となってます。上の写真は北から南を向いて撮った写真で、右側(西側)の陸地がカナダ側。左(東)の陸地はゴート島で、さらに左(東)にアメリカ側があります。

名前の由来は、ネットで色々と書いてありますが、簡明じゃないので省略。

上の写真は、アメリカ滝(左。幅330m、落差58m)とブライダルベール滝(右端の小さい滝。幅15m、落差55m)。さらに右はゴート島です。西から東を向いて撮った写真で、奥に見える陸地がアメリカ側、手前の写真撮影してる側はカナダ側。アメリカ側からの眺望はほとんどが滝の背後に位置し、滝の正面や全体を眺望できるのはカナダ側です。

2つ目は、自由の女神(Statue of Liberty)。

アメリカ独立100周年を記念してフランスから贈呈され、1886年(明治19年)除幕式。世界遺産(文化遺産)です。

左手には独立記念日である「1776年7月4日」とローマ数字で刻印された銘板を持ってます。

内部にエレベーターがあって、エレベーターの最上階(10階)から螺旋階段を登って、王冠部分の展望台まで登れます。登ってみたいですね。

他の観光地はあまり興味ありません。ニューヨークの摩天楼とか、ラスベガスとか、グランドキャニオンとか、イエローストーンとか。スポーツ観戦も、今は興味ないですね。

とにかく、嗅覚障害に関係することが今後あるかどうか、それ次第です。

 

第115代天皇 桜町(さくらまち)天皇 在位期間1735年~1747年

昭仁(てるひと)親王。中御門天皇の第1皇子。後桜町天皇&桃園天皇の父。

1720年生まれ。15歳(数え16歳)で即位。

朝廷の儀式復興に実績を残した。和歌や書の才もあった。

27歳(数え28歳)で譲位し、30歳(数え31歳)で崩御。

1735年清の第6代皇帝・乾隆帝(けんりゅうてい)が即位(~1796年)。

1745年吉宗の長男・徳川家重が江戸幕府第9代将軍に就任。

1746年武蔵国児玉郡保木野村(現在の埼玉県本庄市児玉町保木野)の農家で、塙保己一(はなわほきいち)が生まれる。

幼児の頃から身体が華奢で乳の飲み方も弱く丈夫ではなかった。数え5歳のときに胃腸病にかかったのが原因で目痛や目やにの症状が出て徐々に視力が弱っていき、数え7歳で失明。

数え15歳のとき江戸に出て視覚障碍者としての修業を始め、数え17歳のとき当道座※1雨富須賀一(あめとみ すがいち)検校(けんぎょう)(生年不明~1784年没)に入門する。しかし平曲&管弦&鍼灸&按摩は上達せず、また、代金取立ても不得手だった。

自殺も考えたほどだったが、雨富検校に学問の才を見出される。

賀茂真淵(かものまぶち)などに師事、国学者となる。※2

1779年から古典文学や記録など貴重な文献資料を分類・整理した『群書類従(ぐんしょるいじゅう)』に着手し、41年かけて全666巻or670巻刊行を終了した。この間水戸藩の『大日本史』の校正にも参画。1783年に検校となる。1793年には麹町に和学講談所を設立した。保己一から教えを受けた者の中には平田篤胤(ひらたあつたね)頼山陽(らいさんよう。歴史書『日本外史』の著者)もいた。

1821年に総検校となり、同年75歳(数え76歳)で没。

★★塙保己一の超人的な記憶力のエピソード★★

数え7歳で失明する以前から草花を好み非常に物知りだった。

失明してから和尚や家族から聞いた話を忘れることはなく、一言一句違わずに語ることができた。

★文字は手のひらに指で書いてもらうことで覚えた。

★触覚や嗅覚をフルに使うことで草花を判別できた。

★数え13歳のとき江戸では『太平記』を暗記してそれを読み聞かせて名を成している者がいることを聞き「わずか40巻の本を暗記することで妻子を養えるなら、自分にも不可能なことではない」と言った。

★本を貸してくれるという人の噂を聞いては尋ねて行き、読んでくれるという人を捜し求めた。まず按摩を施し、終わると読んでもらった。お礼として施術代はいただかないことにしていた。

★本を読んでもらっている間、全神経を集中して聞いている保己一の様子に、読む人は感動した。

一度聞いた書物は全部覚えてしまい、次に訪ねたときは意味が分からなかった箇所を尋ねたりするので、読み聞かせた方が驚いた。

記憶力を高め維持するために毎日般若心経を100巻唱えていた。

夏の夜は、蚊に邪魔されず集中するため、本を読んでもらっているときは自分の両手を縛っていた。

こうして、「誰かに音読してもらってそれを丸暗記する方法」で6万冊の本を暗記した。

ヘレン・ケラーから尊敬され、お手本とされていた。

(山桜 ヤマザクラ。日本の野生種。開花の時期と赤茶色の葉が開く時期が同じ)

 

※1 当道座 とうどうざ。鎌倉時代から1868年(明治元年)にかけて日本に存在した男性の視覚障碍者の団体(自治的互助組織。ギルド)。

第54代天皇・仁明天皇㊸の子・人康(さねやす)親王(831年生~872年数え42歳で没)は、859年ころ視覚障碍になり山科に隠遁して視覚障碍者を集め琵琶&管弦&詩歌を教え、親王の死後に側近に検校(けんぎょう)と勾当(こうとう)の官位が与えられたという。

鎌倉時代に流行した『平家物語』の演奏者である視覚障碍者=琵琶法師or平家座頭は、源氏の長者である村上源氏の庇護&管理を受け、当道座ができたという。

室町時代には幕府から庇護を受けた。

江戸時代、当道座の本部は京都にあり、長として惣検校or総検校(そうけんぎょう)が選出された。視覚障碍者の官位は、最高位の検校から順に、別当、勾当、座頭と呼ばれ、それぞれ更に細分化され合計73個の位があった。視覚障碍は世襲と無関係なので、平曲&管弦&鍼灸&按摩の業績が認められれば一定期間おいて官位が順次与えられた。しかし、非常に長い年月を必要としたため、金銀による官位売買が公認された。検校の権限&社会的地位はアップし、トップの惣検校になると15万石の大名並の権威&格式だったという。官位の早期取得に必要な金銀収入を容易にするため、元禄(1688年~1704年)頃から幕府により高利の金貸しが認められた。「御家人&旗本に貸し付け何万両もの蓄財をし吉原で豪遊した検校もいた」「あまりの悪辣さのため、1694年(元禄7年)に8検校と2勾当が全財産没収&江戸払いの処分を受けた」という。

なお、当道座は男性に限られ、女性の視覚障碍者のための団体として瞽女座(ごぜざ)があった。また、盲僧座という別組織も存在し対立もあったという。

当道座に対する保護は1868年(明治元年)に廃止されたという。

(ヤマザクラ)

 

※2 国学の発達について。

元禄文化の頃に始まった『万葉集』などの古典研究は、18世紀後半になると『古事記』『日本書紀』などの歴史書の研究へと進み、それらの古典の中に日本古来の精神、古道を明らかにしようとする国学に発展した。

荷田春満(かだのあずままろ)は国学の学校建設を説いた。

その門人・賀茂真淵(かものまぶち。1697年生~1769年没)は、儒教&仏教などの外来思想の影響を受けない日本古代の思想、古道を追求し、『国意考』『万葉考』を著した。

この国学を大成したのが伊勢松阪の本居宣長(もとおりのりなが。1730年生~1801年71歳[数え72歳]で没)。

1763年宣長が、伊勢神宮の旅の途中伊勢松阪の旅籠(はたご)に宿泊していた真淵を訪れ、生涯一度限りの教えを受けた「松阪の一夜」のエピソードが有名。

宣長は『源氏物語』を研究して「もののあはれ」を主張し、特殊な漢字の用法(変体漢文と万葉仮名)で書かれていた『古事記』の研究に成功、古道を説き、外来思想を排除して日本古来の精神にかえることを主張した。

宣長は「将軍は天皇の委任により政権を担当しているのだから将軍の政治に従うことが天皇を尊ぶことになる」と説き、幕府政治を否定する考えはなかった。

しかし、宣長の影響を受けた平田篤胤(ひらたあつたね。1776年生~1843年没)は、激しく儒教&仏教を排斥して日本古来の純粋な信仰を尊ぶ復古神道を大成し、神職や農村の有力者に広く受け入れられて、幕末の尊王攘夷運動に影響を与えた。

(吉野の山々に咲くヤマザクラ)

 

本居宣長の有名な和歌

敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花

しきしまのやまとごころをひととわば、あさひににおうやまざくらばな。

(意訳)「自画像であなたの姿形はわかった。あなたの心について尋ねたい」と人から尋ねられたとすれば、私は国学者であり、かつ、山桜が好きであるから、「日本人としての私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、その麗しさに感動する、そのような心だ」と答える。

(解説)この歌は宣長の有名な自画像『六十一歳自画自賛像』に賛として「筆のついでに」書かれている。したがって、日本民族に共通する心をアカデミックに研究した末に書いたというより、プロフィール欄に「私の好きな花:山桜」と書くような趣旨で書いた、という説が有力。

日露戦争中に政府が販売した煙草は「敷島・大和・朝日・山桜」という名前だった。

1944年(昭和19年)太平洋戦争で初めて結成された4隊の神風特別攻撃隊の隊名は大西瀧治郎海軍中将が「敷島隊・大和隊・朝日隊・山桜隊」と名付けた。護衛空母セント・ローに突入して特攻隊初の敵艦撃沈を成し遂げたのは敷島隊。関行男(せきゆきお)大尉の隊長機と言われている。同隊の別の機という説もある。

(吉野の山に咲くヤマザクラ)

 

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(雑感)

 

今日のお題は「塙保己一について」「昔の視覚障碍者のための制度である、当道座(とうどうざ)について」「国学について」です。

このうち、「国学について」は「大変難しく、リスクが高いので、コメントは控えます」パターンです。

塙保己一、もちろん、私も尊敬してます。凄い人ですよね。

一度聞いたら忘れない。6万冊を暗記。凄いです。

私も五感のうちの一つが全くないわけです。しかも、物心ついた頃からずっとないわけです。でも、塙保己一のような超人的な記憶力なんてありません。

「障碍者には、何かがない代わりに、特別な能力がある。特に頭脳に関して」みたいなこととは、違うように感じます、保己一のケース。

そもそも視覚障碍以前から本人が暗記の天才だった。保己一の脳がそういう脳だった。これが最大の理由だったと思います。

それに加えて、視覚障碍のため人生の選択肢がごく限られていたこと、保己一本人が非常にやる気になったこと、周囲のバックアップが素晴らしかったこと、視覚障碍者のための制度が当時すでに存在していたこと、これらがプラスになった、そう思えます。

いったい、どんな頭脳だったんでしょうね?保己一の頭脳。

私なんかとは違う頭脳だったんでしょうね。

とはいえ、私も、暗記に関しては、不得意分野ではないです。

これでも一応、中学校の時は学年2番目くらいの成績で、偏差値は70台でした。高校は県立浦和高校、大学は中央大学法学部法律学科。司法試験は、論文試験はダメでしたが、択一試験は4、5回合格してます。

この成績の原動力は暗記力でした。

私の暗記方法は、「つまらない暗記勉強を、何とか我慢できるように面白くして、ひたすら反復して覚える」というもの。

「1回聞けば忘れない」というタイプじゃありません。

私だって、暗記勉強は、基本的につまらないのです。これを、何とか我慢できるように面白くする、これが得意なのです。

この「日本史メモ」も、工夫して、何とか我慢できるように面白くしてきました。毎日、誤字&脱字&ミスがないかチェックしながら暗記にチャレンジしてまして、かなり覚えました。もちろん年月日や年齢や皇子&親王の諱(いみな)を全て覚えるのは無理ですが、他はけっこういけます。歴代天皇もイザナキからの直系父系図も歴代将軍・執権も覚えましたし、和歌も漢詩も冒頭文もあらすじも原理・法則も外国語読みも覚えましたよ。

保己一のエピソードを見ると、努力のエピソードの中には、「ホント?信用できない。精神の鍛錬には役立ったかもしれないけど・・・」と思えるエピソードもあります。

まず、「記憶力を高め維持するために毎日般若心経を100巻唱えていた」というエピソード。こんなことしたら脳が疲れてしまい、他の勉強が進まなくなりそうです。

そして、「夏の夜は、蚊に邪魔されずに集中するため、本を読んでもらっているときは自分の両手を縛っていた」というエピソード。こんなことしても蚊がいたら集中できません。蚊帳に入るか、蚊を退治するか、蚊のいない部屋に逃げるか、しないと。

保己一のエピソードのうち、「努力した」「こんな努力をした」というエピソードは微妙なのです。

仮にホントだったとしても、暗記に効果があったとは思えません。精神の鍛練にはプラスだったかもしれませんが・・・。

つまり、やはり、保己一は天才だった。記憶力の天才だった。凡人が努力したって真似できない天才だった。そう思うのです。

浦和高校や、中央大学の司法試験受験団体「真法会」で、「この人、天才だな」「暗記の天才だな」「勉強じゃ絶対かなわない」と思ったこと、ありました。

そういう凄い人が何人もいる、それが世の中の現実。そう思うのです。

それにしても、失明したのに学問で身を立てるなんて、保己一はホント素晴らしいです。志が立派です。

視覚が全くないなら、私だったら、「どんな気色悪い光景も平気だし、どんなに視界が悪くても平気。この点なら世界一(タイ)」と考えて「俺は世界一。これを心の支えとして生きて行こう。この世界一の得意技を生かして、何かできないだろうか?」と考えそうです。

そうじゃなくて、見事、学問で身を立てた塙保己一。立派です。

次に、昔の視覚障碍者のための制度である、当道座(とうどうざ)について

なんと、日本には鎌倉時代から視覚障碍者のための制度があったんですね。

江戸時代には大金持ちになった視覚障碍者の方もいたんですね。

今回日本史メモのため調べていて初めて知りました。

やっぱり、障碍者の団体、必要ですよね。

「よし!これからも地道に頑張るぞ!嗅覚障害者の団体を作る。ライフワークとして取り組むぞ!」と、決意を新たにした次第です。

今回は、やっと、障害への取り組みに直接関連する歴史的出来事が出てきました。

この「日本史メモ」は、あくまでも、嗅覚障害への取り組みにプラスにする目的で、やってますからね。

ホッとしてます。