第119代天皇 光格(こうかく)天皇⑦ 在位期間1780年1月(旧暦11月)~1817年 なお、「⑦」は「今上天皇の直系のご先祖様で、直系7代遡る」という意味です。
師仁(もろひと)親王→即位のとき兼仁(ともひと)と改名。
閑院宮典仁(かんいんのみやすけひと)親王⑧の第6皇子。仁孝天皇⑥の父。
東山天皇⑩
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第6皇子・閑院宮直仁(かんいんのみやなおひと)親王⑨
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第2皇子・閑院宮典仁(かんいんのみやすけひと)親王⑧
諡号は、慶光天皇(きょうこうてんのう)
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第6皇子・光格天皇⑦
1771年生まれ。8歳(旧暦での数え9歳)で即位。
1788年先例(第86代・後堀河天皇と第102代・後花園天皇⑲のときの例)に基づき存命中の父に太上天皇の尊号を贈ろうとしたが、1789年老中首座の松平定信が反対してできなかった(尊号一件[そんごういっけん]or尊号事件)。これが尊皇運動へ繋がっていく。結局、1884年(明治17年)に明治天皇の高祖父にあたるという理由で閑院宮典仁親王に慶光天皇(きょうこうてんのう)の諡号(しごう)と太上天皇の尊号が贈られた。
45歳(数え47歳)で譲位し、69歳(数え70歳)で崩御。
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1782年~1788年天明の飢饉。
1783年浅間山の大噴火。
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1784年俳人の与謝蕪村(よさぶそん)没。代表作は下記の句。
★菜の花や月は東に日は西に
なのはなやつきはひがしにひはにしに。
(解説)一面に続く菜の花畑、東の空からは月が昇り、西には赤い夕陽が沈んで行く。
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1786年将軍・徳川家治が没し、老中・田沼意次が失脚する。
1787年一橋家の徳川家斉が江戸幕府第11代将軍に就任し、田安家出身の白河藩主・松平定信を老中首座に任命、寛政の改革が始まる(~1793年)。「田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水」
徳川吉宗
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4男・宗尹(むねただ。一橋家)
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4男・一橋治済(はるさだorはるなり)
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長男・家斉
徳川吉宗
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次男・宗武(むねたけ。田安家)
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7男・松平定信(田安家から白河松平家へ養子入りし白河藩主)
しかし厳格過ぎたため1788年尊号一件をきっかけに1793年松平定信を罷免。「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」
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1787年アメリカ合衆国憲法作成(1788年発効)。
1789年フランス革命(la Révolution française ラ・レヴォリュスィオン・フランセーズ)が始まる。
1792年ロシアのラクスマンが大黒屋光太夫ら漂流民と根室に来航。
1793年ころの喜多川歌麿の浮世絵『歌撰恋之部 深く忍恋(かせんこいのぶ ふかくしのぶこい)』。2016年(平成28年)にフランスのオークションで約8800万円で落札されたニュースが話題になった。上は同作品のイラスト。美人画の大首絵(おおくびえ)を考案したのは歌麿。
1794年の東洲斎写楽の浮世絵『三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛(さんだいめおおたにおにじのやっこえどべえ)』(重要文化財、東京国立博物館所蔵)。上は同作品のイラスト。写楽は1794年から翌年にかけて10か月間だけ活動した謎の人物。江戸八丁堀に住んでいた阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者・斎藤十郎兵衛(さいとうじゅうろべえ)という説が有力。
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1802年十返舎一九(じっぺんしゃいっく)が『東海道中膝栗毛』の初編を刊行。
最初は品川から箱根までの道中記の予定だったが、読者の好評を博したため次々と書き継がれ、大坂見物を終えた後も、四国に渡って金比羅参詣、続いて安芸宮島まで行き、山陽道、中山道を通って1822年江戸に戻るまで、21年にもわたる旅=刊行となった。
『南総里見八犬伝』の著者・曲亭馬琴が十返舎一九のことを「著作料で生計を立てた最初の人物」と評している。
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1802年イギリスのリチャード・トレビシックが世界初の蒸気機関車ペナダレン号を発明。しかし、当時のレールは馬車鉄道用のもろい鋳鉄(ちゅうてつ)製レールで、ほどなくして破損したため実用化に至らなかった。
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1804年ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte)がノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris カテドラル・ノートルダム・ドゥ・パリ)で皇帝戴冠。
(パリのシテ島にあるノートルダム大聖堂)
(ナポレオンが造らせたエトワールの凱旋門)
1804年ロシアのレザノフが長崎に来航したが、幕府に追い返され、1806年&1807年フヴォストフ事件を起こす。
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1814年曲亭馬琴(きょくていばきん)が『南総里見八犬伝』初輯(しょしゅう)5巻を刊行、読者の要望に応えて以後28年間書き続けられる。馬琴は1840年数え75歳のとき失明するが口述筆記で1842年完結刊行された。全98巻106冊。「滝沢馬琴」の名でも知られているが、これは明治以降に流布した表記で、本人はこの筆名を用いてない。
室町時代、安房国(あわのくに。現、千葉県の南部)の里見家のため、霊玉の持ち主である八犬士が、関東管領軍などと戦い活躍する。
八犬士の霊玉の文字、名前、1983年(昭和58年)の深作欣二監督の角川映画『里見八犬伝』で演じた俳優(公開当時の年齢)は、下記の通り。
1、仁 犬江親兵衛仁(いぬえしんべえまさし) 真田広之(23歳)
2、義 犬川荘助義任(いぬかわそうすけよしとう) 福原拓也(子役)
3、礼 犬村大角礼儀(いぬむらだいかくまさのり) 寺田農(てらだみのり。41歳)
4、智 犬坂毛野胤智(いぬさかけのたねとも) 志穂美悦子(28歳)
5、忠 犬山道節忠与(いぬやまどうせつただとも) 千葉真一(44歳)
6、信 犬飼現八信道(いぬかいげんぱちのぶみち) 大葉健二(28歳)
7、孝 犬塚信乃戌孝(いぬづかしのもりたか) 京本政樹(24歳)
8、悌 犬田小文吾悌順(いぬたこぶんごやすより) 苅谷俊介(かりやしゅんすけ。37歳)
映画でのヒロインは静姫(しずひめ) 薬師丸ひろ子(19歳)
映画でのラスボスは玉梓(たまずさ) 夏木マリ(31歳)
物語の発端となる姫は伏姫(ふせひめ) 声のみの出演・松坂慶子(31歳)
「『八犬伝』中の八士の如きは、仁義八行(はっこう)の化物にて、決して人間とはいひ難かり」という『小説神髄』※1での批判も有名。
※1 小説神髄 しょうせつしんずい。坪内逍遥(つぼうちしょうよう)の小説論。1885年(明治18年)&1886年(明治19年)刊行。日本近代最初の本格的文学論。勧善懲悪的文学観を排し、文学の独立的価値を主張し、小説における心理的写実主義を唱えて、近代文学の成立に貢献。二葉亭四迷※2や自然主義の作家に影響を与えた。
※2 二葉亭四迷 ふたばていしめい。小説家。坪内逍遥の弟子。長編小説『浮雲』を書いた。
『浮雲』は1887年(明治20年)~1889年(明治22年)刊行。
(あらすじ)下級官吏の内海文三は、自我をかたくなに守ることで職を失い、寄宿先の叔父の家でも孤立、叔父の娘・お勢との恋にも破れる。
孤独な近代知識人の内面を初めて描き、日本近代小説の先駆となった。その清新な言文一致の文章は後世の国語に影響を与えた。
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1807年アメリカの技術者&発明家のロバート・フルトンが外輪式蒸気船クラーモント号を開発、ニューヨークで乗客を乗せてハドソン川での試運転に成功。「蒸気船の実用化に初めて成功した」と言われている。世界最初の蒸気船は1783年にフランス人クロード・ダバンが発明したという。
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1817年デイビッド・リカード(David Ricardo)が比較優位の原理(Principle of comparative advantage)を提唱する。
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(雑感)
今日のお題もたくさん。
「与謝蕪村について」
「フランス革命(la Révolution française ラ・レヴォリュスィオン・フランセーズ)について」
「フランス(France)について」
「喜多川歌麿について」
「十返舎一九の『東海道中膝栗毛』について」
「東洲斎写楽について」
「ナポレオンについて」
「曲亭馬琴の『南総里見八犬伝」について」
「デイビッド・リカードの『比較優位の原理』について」
このうち「フランス(France)について」だけコメントします。
「デイビッド・リカードの『比較優位の原理』について」は第6回でコメントしたので省略。
あとは「大変難しくリスクが高いので、コメントは控えます」「私より詳しい方が大勢いらっしゃるでしょう。私はコメントを控えます」パターンです。
フランスも、アメリカのときのコメントと似た感じ。
嗅覚障害に取り組んでるフランス人がいれば会いに行くんですが、聞いたことがないです。観光を少々、ですね。もちろん、そんな超ラッキーな幸運が舞い込めば、の話です。
あと、「日本史メモ」の次は東京オリンピック&パラリンピックに向けて外国語を勉強する予定で、フランス語も予定してますので、早いですがちょっと書いてみます。
まずエッフェル塔(La Tour Eiffel ラ・トゥール・エフェル)。ここは外せませんよね。
1889年(明治22年)に建てられた錬鉄(れんてつ)製の鉄塔で、2022年(令和4年)3月以降の高さは330m。「パリのセーヌ河岸(Paris,rives de la Seine パリ、リヴ・ドゥ・ラ・セーヌ)」(文化遺産)の一部として世界遺産(patrimoine mondial パトリムワヌ・モンディアル)です。
3つの展望台へエレベーターでアクセス可能、パリの街を眺めて楽しみたいです。
セーヌ川はフランス語で「La Seine ラ・セーヌ」。
ちなみに、1975年(昭和50年)のアニメ『ラ・セーヌの星』の主題歌では、歌っているフランス人歌手のアレーヌが、前奏中に、
「Étoile de la Seine エトワール・ドゥ・ラ・セーヌ。ラ・セーヌの星。」、
歌の最中に、
「Allons-y! アロンズィー!行こう!」
「Oh Liberté! オーウ、リベルテ!★ああ、自由よ!」★「リベステ」と聞こえる
「Oh L'Amour! オーウ、ラムー!ああ、愛よ!」
「Étoile! エトワール!★星よ!」★「エストワール」と聞こえる
とフランス語で歌ってます。
1975年(昭和50年)ですから『一休さん』が始まったのと同じ年ですね。44年前、私が小学1年生のとき。かすかに憶えてます。
ちなみに、『ラ・セーヌの星』の主人公シモーヌの家がある場所はパリのシテ島。シテ島と言えば、ノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris カテドラル・ノートルダム・ドゥ・パリ)のある場所。
(ノートルダム大聖堂が立っているシテ島。セーヌ川の中洲)
そのノートルダム大聖堂、現地時間4月15日夕方に火災があったという残念なニュースがありました。
(ノートルダム大聖堂で火災。毎日新聞公式動画)
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エトワールの凱旋門(Arc de Triomphe de l'Étoile アルク・ドゥ・トリオンフ・ドゥ・レトワール)。ここも外せません。
1805年のアウステルリッツの戦いで勝利したナポレオンが翌1806年から造らせました。1836年完成時は7月革命でブルボン復古王朝が倒れルイ・フィリップが王位についていた7月王政の時代。ナポレオンは1821年に51歳で没していて、1840年パリに回葬されたとき棺は凱旋門をくぐったそうです。
シャンゼリゼ通り(Avenue des Champs-Élysées アヴェニュ・デ・シャンゼリゼ)の西端、シャルル・ドゴール広場にあります。かつてはエトワール広場。12本の道路が四方八方から集まっていて上から見ると星のように見えるので星=エトワール Étoileの名。
螺旋階段で屋上まで登ることが可能、ぜひ屋上からの眺望を楽しみたいです。
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(パリにある、ルーブル美術館)
ルーブル美術館とオルセー美術館も行きたいです。
ルーブル美術館(Musée du Louvre ミュゼ・デュ・ルーブル)は、もちろん、モナリザ(la Joconde ラ・ジョコンドゥ)とミロのビーナス(la Vénus de Milo ラ・ヴェニュス・ドゥ・ミロ)とサモトラケのニケ(la Victoire de Samothrace ラ・ヴィクトワール・ドゥ・サモトラス)がお目当て。
(パリにある、オルセー美術館)
オルセー美術館(musée d'Orsay ミュゼ・ドルセ)は、印象派絵画をたっぷり見たいです。
私は高校時代、美術部で油絵を描いてました。印象派(impressionnisme アンプレスィオニースム)が好きでしたから、当然、ルーブルよりオルセーですね。
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モン・サン・ミッシェル(Mont St-Michel)も行きたいです。世界遺産の代表格ですもんね。
大昔はトンブ山と呼ばれた、海岸線から1kmほど先の高さ80mの岩山で、サン・マロ湾の奥、干満差14mと言われる干満の激しい湾にあります。
時には湾に浮かび時には干潟になる姿は古来より土着信仰の聖地で、伝承では8世紀に大天使ミカエルのお告げがあって礼拝堂が建てられ、10世紀に修道院が建てられます。その後増築が繰り返され、鐘楼と尖塔は1897年(明治30年)に完成。
フランス革命で修道院が廃止され監獄になりますが、ヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo)がナポレオン3世に提言して修道院として復活。
堤防道路ができて周囲の潮流がせき止められ陸地化してしまったので、2009年(平成21年)堤防道路は取り壊され、2014年(平成26年)に脚付きの橋が完成してます。
あとは、大好きなL'Arc~en~Cielがフランスに関係あると言えばある、バンド名(ラルク・アン・シエル。意訳して虹)と『heavenly』の曲『C'est La Vie(セ・ラ・ヴィ。人生ってこんなもんさ。)』、『REAL』のジャケ写はノートルダム大聖堂のガーゴイル像、というところでしょうか。
(2000年[平成12年]のラルク8枚目のアルバム『REAL』のジャケ写は、実際にノートルダム大聖堂のガーゴイル像を撮影した写真。ちなみに、私は、このアルバムに収録されている『NEO UNIVERSE』が一番好きな曲です)
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とにかく、嗅覚障害に関連する事柄があるかどうか、そこが重要です。









































