第38代天皇 天智(てんじ)天皇㊽ 在位期間668年~672年 なお、「㊽」とは、「今上天皇の直系のご先祖様で、直系48代遡る」という意味です。
中大兄皇子(なかのおおえのみこorなかのおおえのおうじ)。舒明天皇㊾&皇極(斉明)天皇の子。間人皇女(はしひとのひめみこ)&天武天皇(大海人皇子)の同母兄。弘文天皇&持統天皇&元明天皇&志貴皇子㊼(しきのみこ)の父。
626年生まれ。皇子時代から実権を握っていた。律令体制の確立に尽力する。
661年に斉明天皇が崩御した後もしばらく即位しなかった。
662年百済の残党救援の遠征軍派遣、ところが663年白村江の戦い(はくすきのえのたたかいorはくそんこうのたたかい バイ・ツン・ジィアン・ヂー・チャン)で唐(とう タン)&新羅の連合軍に敗北。
665年禁断の愛が問題視されたとも言われる同母妹の間人皇女没。
九州北部沿岸に防人(さきもり)を配備するなど国防を強化し、667年飛鳥から近江の大津に都を移す。
668年唐は新羅と同盟して高句麗を滅ぼし安東都護府(あんとうとごふ アン・ドン・ドゥー・フー・フー)が設置される。この年に数え43歳でようやく即位。
669年狩りの最中落馬し死の床についた中臣鎌足(なかとみのかまたり。614年生まれ)が「藤原」の姓を賜り、翌日数え56歳で没。
670年~676年唐・新羅戦争。
671年6月10日(ただし、当時使われていたユリウス暦ではなく、グレゴリオ暦換算。旧暦4月25日)、日本初の時計(水時計)が時の鐘を打つ(日本書紀)。1920年(大正9年)に東京天文台(現、国立天文台)&文部省の外郭団体が「時の記念日」を制定、毎年6月10日が時の記念日となる。「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と呼びかけ、時間の大切さを尊重する意識を広めることが目的。祝日ではない。
671年、死の床についた天智天皇は、わが子可愛さのあまり跡継ぎを大海人皇子から第1皇子の大友皇子に変更し、かつ、大海人皇子に後見を頼もうとするが、大海人皇子は吉野に去ってしまう。これは日本書紀の記述で、異説もある。
672年1月7日(旧暦12月3日)旧暦での数え46歳で崩御。
★万葉集の詠み人知らずの歌
秋田刈る仮庵を作り我が居れば衣手寒く露ぞおきにける
あきたかるかりいおをつくりわがいれば、ころもでさむくつゆぞおきにける。
(口語訳)稲刈りのために草木を編んで造った仮小屋で宿っていると、袖も寒々として、夜露もおりてくるよ。
↓上の歌を元に後世の人が下の歌を作成したと言われている。
★天智天皇の百人一首の第1(後撰集)
秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ
あきのたのかりおのいおのとまをあらみ、わがころもではつゆにぬれつつ。
(口語訳)秋の田のそばに造った仮小屋に泊まっていると、屋根をふいた苫の目があらいので、その隙間から忍びこむ冷たい夜露が、私の着物の袖をすっかりと濡らしてしまっているなぁ。
★防人の歌 代表的な4首 その1(万葉集)
国々の防人つどひ船乗りて別るを見ればいともすべなし
くにぐにのさきもりつどいふなのりて、わかるをみればいともすべなし。
(口語訳)全国から集まった防人が任務のため船に乗って別れる光景を見れば、なんともなす術もない。
★防人の歌 その2(万葉集)
行こ先に波なとゑらひ後方には子をと妻をと置きてとも来ぬ
ゆこさきになみなとえらいしるえには、こをとつまをとおきてともきぬ。
(口語訳)行く先に大波よ立たないでくれ。後には子と妻を置いてきたのだから。
★防人の歌 その3(万葉集)
わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えて世に忘られず
わがつまはいたくこいらしのむみずに、かごさえみえてよにわすられず。
(口語訳)私の妻はとても恋しがっているようだ。飲もうとする水に影までも見えていて、決して忘れられない。
★防人の歌 その4(万葉集)
唐衣裾に取りつき泣く子らを置きてぞ来ぬや母なしにして
からころむすそにとりつきなくこらを、おきてぞきぬやおもなしにして。
(口語訳)衣の裾に取りついて泣く子供たちを防人に出るために置いてきてしまったよ。あの子たちには母がないのに。
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(雑感)
今回のお題は防人の歌です。
日本史メモを作成していて有名な詩歌をたくさん読んでますが、防人の歌と他の詩歌とじゃ大違い。温度差がすごいです。
こうなるともう、好き嫌いの世界になるんでしょうね。こういうリアルで素朴な詩歌が好きな人にとっては日本史上最高傑作かもしれません。一方、美しい詩歌や芸術的な詩歌が好きな人にとっては「これは別もの」といったところでしょう。
私はどうか?
うーん、それがですねー、難しいところです。
嫌いってわけじゃないんです。好きと言えば好き。
でも、これが「最高」かと言うと、うーん、「これは別もの」という気もしてきます。
とにかく、「リアルで素朴な詩歌」として素晴らしいものであることは間違いありません。1300年前にこれだけの歌を詠んでいたんですから「すごいなぁ」と感心するほかありませんよね。






