長年、自分自身の人生が他の人より劣っていて、私には人より幸せになる価値などないのだ。と思っていた。
まさに、引き寄せの法則で、本来なら自分自身が幸せになれる場面であっても、躊躇してその出来事を受け取れなかった自分自身がいた。つまり、自分が自分をどう思っているのか?ということが物事を決めるのだ。という事実を、今この年齢まで気づくことなく生きていた。
そして、もう一つ重大な間違いが
自分を後回しにして、他人に譲ること。犠牲にして誰かが喜ぶことこそが、人生で尊いことなのだ。と思っていたこと
言葉にしたらすごく変だけど、表面意識でそう思っていたのではなく、いつからなのか?もともとの資質なのか?教えられたわけでないのに無意識にそう考えていたようだ。
スピリチュアル系でもよく言われるように、この思考自体に何が問題なのか?一見したらわからないように思える
あの人は、あんなにいい人なのに。何であんなに苦労するのか?
そう思われる人がよくいる。私はそのパターンを地で行っていた人間だったかもしれない💦
誰かのために、何かをやる。行動する。それは決して悪いことではない。むしろ良い行いのように思える。
問題は、自分を犠牲にしてもやることに意義を感じているという精神なのだ。
他人に与える=自分のものもすべてあたえる これを繰り返してたら、自分自身はそりゃあからっぽになりますよね。
与えるの人の中に、一番大切な自分自身が抜けているのだから。
心理学用語的には、私のような性格の人物をギバーと言うらしい。単純に与えることに対して喜びを感じる人である。良い情報や、誰かが得をすることや、誰かのためになることがあれば、喜んで自ら動くのが当たり前となっている。それによって、恩を売ろうとか、徳を積もうとかの気持ちはまったくない。ただ単に誰かが喜んでくれることそのものが嬉しいのだ
対して、誰かと付き合うときは、損得勘定をし、自分にとって有利なことをいつも探し、得をすることを喜びとする。そのために誰かが犠牲になっても、まあ自分が得したからラッキーだ。という感覚の人。こういう性格の人をティカーというらしい。
ティカーの人は、巧みにギバーに寄ってゆき、これでもかというくらい得られるものを得ようとする。ティカーの人はギバーの人が大好きだ(たくさんのものを受け取ることが出来るから) 私が今までうまくいかなった人間関係であり、結婚生活は、まさにこの組み合わせだったことが今なら良くわかる
相手を選んで付き合うことを、悪い事と思い。誰でも心の中は悪い人ではなく、たまたま今こんなふうに表現しているだけだ。と自分をごまかして、誰にでも仲良く付き合う。ひどいことされても、許す。そんなことを繰り返してました。
- 誰からでも好かれる必要はない。
- 嫌なことは嫌と言わないと分からない人がいる
- 何もしなくても嫌われることがある
- 自分自身が本音で喜ぶことを与える。欲しいものは欲しいと言う遠慮しない
- 怒りを出しても良い。
- 人より先に走ることに躊躇しない(失敗を恐れない)