私は、以前から神様という存在を信じてたし、そういう話を聞くのが大好きでした。

幼い頃から、神社やお寺に参拝するのは、日常の中で当たり前で、叶えてもらうために参拝するのではなく、挨拶として普通に参拝していたように思えます。

 

 

 

 

幼い頃から、人と接するのが怖く、とにかく一人で行動している子供でした。私の最古の記憶は、2歳の頃ですが💦 実はその頃から、他人は自分を害するものであり、傷つける存在である。と思っていたようです。 家族以外の誰にも心を開かず、そばに寄ると怖がる始末でした。

 

あまり他人と会話をしたがらない私。なぜなら人間が怖いから💦 そんな私を両親は、しゃべるのが遅いから発達が遅いのでは?と心配するものの、何かを強制したり、押し付けたりすることもなく、ただあるがままに、私のことを信頼し、愛してくれました。

 

私が友人を作れず、幼稚園の先生に呼び出されても、私のペースで進めば良いと認めてくれ、一人で本や絵を描き続けている私に、図鑑や色鉛筆、絵本などを買ってくれ、ただあるがままに愛してくれました。私が親の立場なら、そんなペースで付き合えなかったと思います。今の自分がここにいるのは、両親のおかげです。心から感謝します。

 

ただ私がそんな調子でしたので、小学生、中学生、高校生とまともな友人関係を結べず💦

 

高校になっても、ただひたすら毎日、図書館に通い、本だけが私の唯一の友人のような暗い人種でした(笑)

 

人間関係の基礎を学んでおらず、もちろん恋愛感情などというものも、よくわからず、今考えたら、人から傷つけられたり、うまくいかなったのも当たり前だと思います。

 

つまり自分自身が未熟だったということですね

 

そんな毎日の中で、私は自然に話しかけ、木に話しかけ。その中に神様がいると誰から教わったわけでなく、自然に思うようになりました。

 

 

学校でいじめられたこと。つらかったこと。こんなことを考えているとか。私がお気に入りになった木に対して、話しを聞いてもらってました。 今でこそ、スピリチュアルが盛んになり、ご神木や、木に感情があり、神様が宿ると言っても、あーそんなこと言う人いるよね。となじみがありますが、その当時、木に話しかける人など「何この人気持ち悪い」となってたでしょう。間違いない(笑)

 

 

とにかく私の幼少期は、友人は本当に気を許した数人。そして自然に生えてる木。家に帰ってからは両親、ほとんどの時間は、本を読むことに費やし、知らない人には口もきけない。現実と妄想の世界を行き来していた、とても変わった今なら治療が必要と言われても仕方ないような子供時代でした。

 

本を沢山読むうちに、とうとう小学生では、手を出すはずがない本にまで手を出してしまいます(笑)

 

宇宙のしくみや、ブラックホールや、死とは何か?前世などはあるのか?などのオカルト系や神様の話などです。

 

ただそういう話を読んだり、興味があるということを他の人にバレるのは、その当時。とても恥ずかしいことでした。

 

 

親にも言わず、友人にも、そんな話が好きとかぜったいにバレたくないと隠れて読み(笑)宇宙船に乗って、宇宙旅行したらどんな感じなんだろう?と妄想するのが好きな子供でした

 

 

大人になっても、そういう本を読むのは変わらず、ただずっとばれないように普通の人のようにふるまってました

 

こんなに神様のことが好きなのなら、どこかの宗教団体に入り、そこの人達と同じ教義を習い、一緒に話したり、勉強したりするほうが楽しいのではないかと、ある日思うようになりました。

 

その当時、○の科学と言う、新しく宗教法人を設立した組織があり、そこの本を読んで、ここなら真面目に教義をやっているみたいだし、一度顔を出してみても良いかもしれない。とたずねてみることにしました。

 

まあ、結果はお察しです(笑)

 

 

私がやりたかったことは、修行であり、自己鍛錬、誰かに救いを求めたり、願いを叶えてもらうことではなかった。

 

行ってみて思ったことは、そこの人達は、とても純真で真面目な人が多かったのですが、誰かに助けを求めたい。信心することで自分が助かる。無心でこの教えを広めることで、皆が助かる。 

 

そして、疑わずに教えをひたすら信じることでした

 

 

私には、宗教団体は無理だな。と思った瞬間でした。

 

実は今、私はヨガをやっており、ヨガの教義は、基本的に自己鍛錬。最初からヨガに出会っておれば・・・と悔やまれる感じです

 

 

私は神様は、いつも自分自身の中にいるのでは?と思っており、誰かを崇める必要も、崇められる必要もない。そして、いつもでも、他人と自分自身は繋がっており、誰かの幸せを願うことは、自分自身の幸せを願うこと。

 

そして、人の喜びは私の喜び。それを多くの人類が気付けば、誰かを傷つけたり、自分だけが得をしようとしたり、利用しようとしたりする人もいなくなるのではないかと思う。

 

今はスピリチュアル好きだと言っても、趣味の一つと認められるようになり(笑)とても良い時代になりました。