横浜で、友人と一緒に薔薇の花を見て、ランチをしました。この数年間の激動の時代の中、イベントで知り合った友人です。 この数年間の間に、私と意見が合わずに離れた友人、新しく友人になった人といろいろな人生の流れがありました。

 

 

以前の私は自分がちょっと我慢すれば、相手が腹を立てるのは、私が至らないからだ。といつも罪悪感を抱きながら、他人と付き合ってました。 私が誰かが喜んでくれたり、笑顔になってくれるのを喜ぶように、私の幸せを誰かが喜んでくれる。という発想がほとんどありませんでした。

 

いつも何かが違うと思い、違和感を感じながら、それでも我慢して付き合っていて、そして、一人になってほっとするという繰り返し。

 

一人でいるほうがこんなに楽なのに、みんな何で人と一緒にいたがるのだろう?と思う日々

 

それでも、やっぱり一人でいることが寂しく、誰かと一緒にいるのだけど、それが苦しかった

 

 

このコロナ過で、「私とは意見があわないから、縁を切る」と去っていった人達がいた。

 

 

その一方で、「変な人だけど、私のことが好きだからそばにいる」と一緒にいてくれた人もいた。

 

私が学んだのは、友人とは、ただ一緒に遊んだり、行動する人ではなくて、「本音を語り合える人」なんだと思った

 

 

「嫌なことは嫌と言っていい」「好きなことは好きと言っていい」「違う意見でもバカにしない」「仲直りが出来る」

 

そんな関係が友人なんだと、この年齢になって初めて知った

 

 

何かあった時、去ってゆく人は、もともと縁がなかった人であり、もう手放して良い人なんだと思った

 

 

どんなにそばにいても、縁が切れるときは一瞬で、「気持ちよく見送る。手放す」ということを学んだ数年間のような気がする

 

 

今ここに私のそばにいる友人は、私が変なことを言ってもバカにしたりせず、ちゃんと聞いてくれる。ひょっとしたら、信じてないのかもしれないけど(笑) 私の言うことだから、ちゃんと誠意をもって聞いてくれるのが伝わる

 

 

気持ちよく手放した先には、以前より素晴らしいものが手に入るのだ。もう無理に執着する必要がないのだ。と理解することになった

 

 

横浜で会った友人とも、大した話はせず、空を眺めたり、花を見たり、鳥と遊んだり、そんな何気ない時間がとても気持ちが良い時間だったと思う

 

 

本当の意味での、人間関係をやっと理解する入口にたったような気がする。

 

 

私の友人達には、いつも感謝の気持ちをもって接します。いつもありがとう。本当に至らない私ですが、今後もよろしくお願いします。