そろそろ自宅の紹介でも、と思って、自宅外観でもケータイで撮影してみるか、と思ったけど、今日はいちにち外出していないことに気づく。
このまま玄関先にすら出ない日にしようと決定、そういえば、自分が両親から聞いたりしている事実とおぼしきものから、生い立ちらしきものを振り返るってのも面白いかもと。
お、これネタがないときに使えるかも。
…ということで、両親が「おまえが生まれた」と言っている熊本県は健軍からスタート。
Wikipediaで検索すると、健軍町は「熊本県東部のアーケード街(ピアクレス)を中心として形成されている商業地区の総称」だそうな。
読み方は「けんぐん」。
町の名前が「商業地区の総称」とくくられていることに若干の疑問を抱きながらも、読み進める。
「熊本市電健軍線の終点健軍町電停が最寄りの駅で、近くには住宅地に加え陸上自衛隊西部方面総監部があり、夕方は付近の住民で賑わう」…この賑わいは自衛隊関係者かな。
市電は趣きがあります。後々また熊本には住むことになるのですが、その時の市電は緑色の古びた感じ。
スピードも当然そんなに出るものではなく、ゆったりというよりは、のろのろっと(すみません、個人的印象です)。
どうやら「ピアクレス」は1992年に出来た模様。
ぼくがここに住んでいたのは、1977年~78年、79年くらいだと推測されるので、ぼくは多分見たことないんだな。
ピアクレスという名前がどんな意味か、商店街のページにも載っていませんでした。
ていうか、商店街のページがあったことに驚きました。
戦時中に三菱重工の航空機製作所が建設されたようです。
2009年に健軍商店街は「新・がんばる商店街77選」に選ばれたそうです。
中小企業庁が選定し、発表。
2006年に「がんばる商店街77選」なるものを発表したようですが、それに続くものとのこと。
都内の戸越銀座商店街、横浜・鶴見の鶴見銀座商店街、宮崎のDoまんなかモール…理由は異なりますが、結構身近に感じるところがいくつか含まれていました。
健軍には2歳くらいまで住んでいたと聞かされています。
このテーマは不定期で。
調べ物をしたりもするし、意外と自分のためになるかも。