おせんの写真でこんにちは -276ページ目

小諸城(懐古園) 3

天守台
かつて三重天守があったというが、寛永期はじめ落雷により焼失したと伝えられているとの事。

 
 

 

天守台の上から下を見てみました
 

横(下)から見ると 
 

 
 
苔むした野面積石垣で積まれた天守台の周辺の景色は「小諸なる古城のほとり」と詠まれたイメージにぴったりと言われてます。
石垣は400年前のまま当時の姿で残されています
 

 
  
 
  
  

小諸城(懐古園) 2

小諸城は、武田信玄のころ山本勘助らにより現在の縄張りとし、豊臣秀吉天下統一のとき小諸城主となった仙石秀久により完成された城ということですが、城のことを調べると「縄張り」ということばが出てきます。
縄張りと言うと「テリトリー」というイメージが強いのですが
城用語の縄張りといううと「曲輪や堀、門、虎口等の配置をいう。城の最重要項目と言ってよく、城の良し悪しはこれで決まるとも言える。曲輪の配置によって大きく分類ができるが、実際はその地形的条件や城の規模により、いくつかの形が混在することが多い。」ということです。

「山本勘助」の名前も時折見かけます。(静岡の久能山東照宮には勘助井戸があります)

山本勘助が愛用したと言われる鏡石
  
 

私もうつしてみました 
  

 そばには桜の木から松の木が 
 

 「小諸懐古射院」
朝早くから矢のおとが響いていました
 

 
 

小諸城(懐古園) 1

 今回の城巡りは8月に軽井沢に行った帰りのお城です。
8月12日に小諸城・上田城・山中城の3城のスタンプをもらい、夫は満足しておりました。

懐古園は以前ゆっくりとまわったので今回は門の写真だけでもと思い朝8時頃に着いたところ、お掃除の方から「見学できるよ。今なら入園料はいらないよ」と教えて貰い園のなかをざっとまわりました。

「懐古園」の額が掲げられた三の門
1765年に建てられた2代目の門で、国の重要文化財となっているそうです

 

 城は、千曲川の河岸段丘上に築かれていたが、城郭部が城下町より低い位置にあるため「穴城」ともいわれる。