三上は、物語を考える時
ラストから考えることが多い。
たまに、どうでもいいネタをやりたくて
そのネタをやるために
無理くり前後を創ることもあるが
そういう時は、だいたいスベる。
なので、ラストから考える。
三上はスベるのが
怖い年齢になったのです。笑
その考えたラストに向かい
起承転結があり
喜怒哀楽の感情で表現していくのだが
考えてみると
「怒」がラストの物語を見たことがない。
みんなで
喜んだり、哀しんだり、楽しんだり
そうやって物語は終わっていく。
なんでなんだろ?
たぶん、「怒」は
分かち合えないのだと思う。
「怒」は
いずれは、「喜」「哀」「楽」に
変換される。
そうしないと物語は終われないのだ。
「怒」は
あくまでも起爆剤であり
通過点なんだと思う。
「怒」の感情は、どの生き物でも
持っている自己防衛本能からやってくる。
自分の危機や不安を回避し
生存するために、必要だから
備わっている感情だと思う。
しかし、その「怒」を抑えるために
前頭葉が発達した生き物が人だ。
「怒」は相手の発言や行動から
起こっていると思っているが
本能だとすると、自己防衛のため。
相手のためではなく
矢印は
やはり自分に向いているのだと思う。
芝居でも日常でも
物語は、分かち合えたほうがおもしろい。
いっそのこと、喜哀楽でいこー!
と思った、そんな朝です。
役者として、人として
日々考えながら
ぼくらの挑戦は続きます。