その会館の館長さんは、我々の顔を見るなり
怒鳴りつけてきた。
「お前ら、嘘ついてんだろっ!」
事前に会館に電話を入れ概要は職員に
伝えていた。
それを聞いて怒っているようだった。
「東京から金を騙しとりにきたのか!」
まるで詐欺師あつかい
とにかくすごい剣幕だ。
もうヤダよ〜
怒るくらいなら、電話で断ってくれよ〜
もう帰ろうとしたところ、館長さんが
「宮崎に特攻基地はない!
特攻基地っていえば、知覧や鹿屋だろ! 」
…おや?
宮崎空港は、かつては特攻基地だった。
その証拠に空港の片隅に今も鎮魂碑が
建てられている。
この館長さん、まさか知らねぇんじゃねぇ?
勝機を見つけた我々は攻めに転じた。
「嘘じゃありません!一度調べてみてください。
宮崎に着いた時も空港の鎮魂碑に手を合わせ
ました。本当に知らないんですか?」
「ちょっと待ってろ!」
館長さんが職員さんにパソコンで調べさせる。
画面を食い入るように見つめている。
沈黙の時…
無言のまま近づいてきた館長さんが
頭を下げる。
「すまん、無知だった…」
その後はいろいろ話しを聞いてくれた。
特攻基地があったことを知らないとは
宮崎県人として恥ずかしい、と言い
全面協力を約束してくれた。
まさかの逆転劇だった。
あっぶね〜
行かずに東京帰るとこだったぜ !
「諦めたら、そこで試合終了ですよ」
ですよね〜
公演が実現するまで、その後2年が掛かったが
劇団初の地方公演は、宮崎県内4箇所を回る
宮崎ツアーという形になっていた。
この営業はさらに広がりをみせ
宮崎ツアーの同年秋には福岡で公演。
翌年は、福岡、宮崎、鹿児島という九州ツアーに
まで発展していった。
しかし三上いるとこ、何も起こらないはずはなく
九州ツアーでは
キャパ600席の劇場でチケット40枚しか
売れてないという恐ろしい現実が待っていた。
ここから
現地での、鬼の集客営業がはじまります。