企業減税と消費税増税(2)
お久しぶりです。
ここ2週間は仕事が忙しかったのと、スノボ行ったり、祖父母両親を連れて温泉に行ったりと、色々ありまして、更新が滞ってしまいました。すいません。
なんか、いきなり生活感あふれる記述で始まってしまいましたが、前回の続きです。というか、むしろ、今回の話だけで閉じる気もしますが。で、前回は減価償却制度が税の繰り延べでしかないということ、国と企業の国際競争力を考えると、税制は「国」の国際競争力に非常に大きな影響を与えるため、しっかりとしたビジョンをもって考えないといけないということを述べさせていただきました。今回は前回のさらに補足的な話です。それは税制が「国」の影響力に影響するという話とリンクするのですが、企業の利益は給料としてして労働者に、配当として株主に流れるということになります。したがって、法人税で税を徴収するか、所得税で税を徴収するか、消費税で税を徴収するかは、実は税の徴収基準の違いであって、負担する人の違いではありません。
つまり、100円ショップですべての品物が100円のお店で消費税が5%から10%になったとき、店長が英断をして、100円を維持することになれば、その分の5円ちょっとはその店(法人)の負担になります。消費税だから消費者の負担になるというのは税の名前からくる思い込みなのです。むしろ、法人税が日本に立地し(国際課税とか考え出すと複雑ではありますが)、利益を出している法人に課されるという点で、不平等なところがあるのに対して、消費税は日本で作った製品も海外で作った製品も同様の課税がされるという点では平等なのです。しかし、実際には企業から労働者や株主への所得の流れはあまり進んでおらず、企業はカネ余り状況になっており、そのことが企業減税への批判へとつながっています。これについては3つの問題が背景にあるのではないかと思います。
まず、1つ目は現在企業の投資姿勢が非常に保守的であることです。バブル崩壊後の不景気の間、金融機関は貸し渋りや貸し剥がしといった厳しい姿勢を企業に対してとっており、企業の資金的自由度は非常に低い状況にありました。その反動で企業は景気が良くなり、金融機関が企業に対する姿勢を改善させた現在でも、企業は極力自己資金で投資等を行おうとし、そのために利益を企業に多く溜め込むようになったのではないかと思います。
2つ目はまだまだ利益をあげている日本の産業が資本集約的な産業であり、まだまだ人間に起因する知的労働集約的な産業になっていないからではないでしょうか。ここで知的労働集約的な産業とは、労働量に着目し、代替可能性のある(誰でもできる仕事である労働集約的な仕事ではなく、人が生み出す付加価値(アイデア、デザイン、発明等)に着目し、代替可能性のない(その人しかできない)仕事を中心とする産業とします。資本集約的な産業の利益の源泉は設備投資であり、そのため、企業は企業段階で利益を設備投資に回すということになります。一方、知的労働集約的な産業の利益の源泉はアイデア等を生み出す労働者(人間)であり、それは給料の増額につながっていきます。
3つ目は株主への利益還元が少ないことの原因ですが、やはり企業は企業で働く人のものであるという意識が日本においては非常に強いことが原因ではないかと思います。部外者と思われている株主に対する企業の経営陣・労働者の配慮はまだまだ非常に弱く、それが配当の少なさにも出ているのではないでしょうか。
つまり、企業の余っているおカネを労働者や株主により流れるようにするためには、単純に言うと、より金融機関が企業に対して柔軟な姿勢を取り、企業の資金的不自由な意識を改革すること、そして、知的労働集約的な産業への脱皮を目指して、優秀な人材の採用や人材に対する教育の活発化を果たす必要があります。
さらに、企業内の意識の問題ですが、M&Aの活発化等でだんだんその意識も変わりつつあります。しかし、この意識については、メリットも存在していると思うので、なかなか難しいところです。少なくとも1つ言えるのは、企業は企業で働く人のものであるという意識の強い日本においては、株主も企業のことを投資対象であること以上に、勉強していく必要があるし、逆に労働者も実際の企業という枠組みの外にいると思っている株主を意識して仕事をしていくことが重要であるということです。つまり、株主と労働者の意思疎通を強めていくことが必要な気がします。米国では配当や株高で消費が活発化するように消費者も株主の側面を持ってますが、日本においても、その方向に進んでいくことは非常に好ましいのではないかと思います。
解決先についてはもう少し精査する必要がありそうですが、取り急ぎ仮説で。ご意見いただければ幸いです。