義父のことを語るには、すこし義父の家系を語らなければならない。
以前、義母に家系図のようなものを見せてもらったことがある。
そこには、日本史の授業で習ったような戦国時代の年号のようなものが記されていた。
おそらく何百年と続く家柄で、近所も同じ苗字ばかり。 近所の人たちは「屋号」で呼び合っている。
これが地方の田舎の話ならわかるのだが、横浜市内の話である。
義父は大学卒業後、いったんは就職をしたが、すぐに辞めて家を継いだ。
その後、私鉄が開通し、所有していた土地は一気に高騰していったようである。
義父はアパートや駐車場経営をする傍らで、地域の活動に従事した。
いわゆる地元の 『名士』 であり、面倒見もよく、みんなの 『人気者』 だった。
農協や自治会、消防団の活動に、選挙管理委員や保護司なども務めていた。
空いた時間で畑を耕し、ゴルフを楽しみ、いつでも真っ黒に日焼けをしていた。
がっちりとした体躯で、一週間前の健康診断でもどこにも異常は見られなかった。
だから、救急車で病院に運ばれたときも、必ず帰ってくると誰もが信じて疑わなかった。
死因は、 『心不全』 とされた。