義父のことを語るには、すこし義父の家系を語らなければならない。



以前、義母に家系図のようなものを見せてもらったことがある。


そこには、日本史の授業で習ったような戦国時代の年号のようなものが記されていた。


おそらく何百年と続く家柄で、近所も同じ苗字ばかり。 近所の人たちは「屋号」で呼び合っている。


これが地方の田舎の話ならわかるのだが、横浜市内の話である。



義父は大学卒業後、いったんは就職をしたが、すぐに辞めて家を継いだ。


その後、私鉄が開通し、所有していた土地は一気に高騰していったようである。


義父はアパートや駐車場経営をする傍らで、地域の活動に従事した。


いわゆる地元の 『名士』 であり、面倒見もよく、みんなの 『人気者』 だった。


農協や自治会、消防団の活動に、選挙管理委員や保護司なども務めていた。


空いた時間で畑を耕し、ゴルフを楽しみ、いつでも真っ黒に日焼けをしていた。


がっちりとした体躯で、一週間前の健康診断でもどこにも異常は見られなかった。


だから、救急車で病院に運ばれたときも、必ず帰ってくると誰もが信じて疑わなかった。


死因は、 『心不全』 とされた。

ぼくの大好きな作家に、南木佳士という作家がいる。


南木氏の本業は医師であり、作品には生と死をみつめたものが多い。


その南木氏は、エッセイのなかで、 「人生とはふいに風が吹いてくるようなもの」と表現している。


「ふいに吹く風」だから、それほど死を恐れることはない、と。


でも、その風はいつどこで吹いて、誰の足元を掬うのかは、誰にもわからない。



昨日、8月14日、風が、ふいに吹いた。


義父が足元を掬われた。


隣に寝ていた義母が、いつも以上に大きないびきを掻いて眠る義父の異変に気付いた。


声をかけたが、反応はなく、いびきを掻きながら眠り続ける義父。


急にいびきが止まり、呼吸も止まった。


慌てて救急車を呼び、その間も義母は電話の指示に従い、お嫁さんと一緒に心臓マッサージを続けた。


妻の携帯が鳴ったのは、午前5時半を少し過ぎたところだった。


近所の救急病院に運び込まれたが、心肺停止状態であるとのこと。


目を真っ赤にした妻が、ぼくに不安そうな顔を向ける。


ふたりの息子を起こし、とりあえず着替えて、病院へと車を走らせた。


遅れて、義理の妹家族も到着し、全員が救急措置の部屋へと通された。


そこでは、医師たちの懸命の心臓マッサージが続けられていた。


でも、心電図の表示は 「0」 のまま、1以上を刻むことはなかった。


医師が義母の了解を得て、心臓マッサージを止め、義父の口からチューブが外された。


胸に聴診器が当てられ、瞳孔が確認され、臨終が告げられた。


義父の顔は、寝顔そのままだった。


どうしたみんな集まって・・・と、今にも起き出してきそうな、おだやかな寝顔だった。



義父との付き合いは、妻と結婚をしてからなので、わずか20年でしかない。


個人的なことで申し訳ないのですが、しばらく義父のことを、このブログに綴らせてください。




毎年、年に一回は高校時代のサッカー部の連中との飲み会がある。


でも、消息がわからなくて連絡の取れないメンバーが二人いる。


一人はキャプテンの飯田、もう一人は守りの要だった磯部。


その磯部と、昨日、飲んだ。


磯部がクラス会を開きたいと思い、サッカー部でもあり同じクラスでもあった松嵜に連絡をしてきたとのこと。


磯部は中学時代は市の選抜に選ばれるほどのプレーヤーで、メンバー全員が彼のディフェンスには絶対的

な信頼を置いていた。


そしてこの男、めちゃくちゃ「熱い」。 例えるならば、先日亡くなった松田選手みたいな男。


その熱さは、46歳になった今も変わっていなかった。


自分で会社を興し、いくつかの顧問会社の役員も兼務しているという。


ぼくが恐る恐る 「今は、フットサルやってるんだ」 と言うと、ぜひ誘ってくれ、と彼は言った。


同じサッカー部でも 「いい歳してまだボール蹴ってんの?!」 と嘲笑する奴とは大違いだ。


刺激的な、最高の夜だった。


同じ沿線に住んでいることもわかったし、お互いに刺激を与えられる存在になれたら、、、いいな。