乗り換え駅のスーパーで、焼酎の4合瓶を1本買った。


普段だったら絶対に買わないような、ちょっと高いやつ。


レジで 「ご自宅用ですか?」 と訊かれたので、そうだと答えた。


スーパーの名前入りのビニール袋に、4合瓶を無造作に突っ込んだ。


スーパーを出たところで、実家に電話をした。


家を出る前に一度電話をしていたが、電車で行くことを伝えていなかった。


「電車で行くよ、あと40分くらいかな。腹減ったから、昼飯よろしく」


電話越しの父の声が、いつもより明るく聞こえるのは、気のせいだろうか。



己が家庭を持つと、「父の日」 の意味合いが変わる。


息子としての「父の日」


そして、父親としての「父の日」


父親としての「父の日」には、あまり期待をしていない。


それは、己の若かりし日の頃を思えば、無理からぬことである。


だから、せめて、息子としての「父の日」を迎えられる間は、まぎれもないあなたの息子でいたい。



昔の呑んべえ侍のように、焼酎の入ったビニール袋を肩に担ぐようにぶら下げた。


胸を張って、少し大股で歩きながら、改札を抜けた。

ご主人と、高校生の息子、中学生の娘。


残された家族は、しっかりと顔を上げ、焼香をする人たち一人ひとりに丁寧に頭を下げていた。



子供が小学生の頃に所属していた地域のサッカークラブで、私たちは知り合った。


意気投合した7組の家族は、子供たちがクラブを辞め、高校を卒業をした今でも親交を続けている。


半年に一度は家族全員が参加する盛大な飲み会を開き、母たちはもっと頻繁にランチ会をしていた。


私たちは、昨日、4か月ぶりに再会した。


その7組の家族のなかの、ある家族の奥さんの通夜で。


いつも笑顔で、控えめで、でも時々面白いことを言って、周りを笑わせてくれる奥さんだった。


そして、息子のサッカーの試合の応援の時には、必ず娘さんが寄り添っていた。


決して今風の母親ではなかったが、きっと彼女を嫌いな人はいないんだろうなと、思える人だった。



癌だった。


詳しいことは知らないし、聞くつもりもない。


どうか安らかに・・・・なんて、言えない。


悔しくて悔しくて、無念だっただろうな、と想像するのは、私の思い上がりだろうか。



せめて、このブログの冒頭の文章を訂正したい。


「残された家族」ではなく、「託された家族」、と。

仕事でお手伝いをさせていただいた「写真館」が、先週の金曜日にオープンをした。


自宅のある駅の、2つ隣の駅。 地元でもあり余計に愛着を感じていた。


「写真館」のオープンは、飲食店のそれと違い、いきなりお客さんなんて入るはずがない。


そこで、『営業協力』をした。


土曜日は家族を連れて、日曜日は実家の両親を連れて、写真を撮りに行った。



「写真館できちんと写真を撮るなんて、結婚式以来だよ」


若いカメラマンの指示するポーズに応えながら、満更でもなさそうに父も母も同じことを言った。



協力のお願いを実家に電話したとき、受話器の向こうで母が言った。


  いい機会だから、遺影用の写真を撮っておきたいの。


反対はしなかった。 できるはずがなかった。


両親もぼくも、それくらいのことは理解できる年齢になっていた。



デジカメで撮られた画像データが、マックの画面上に小さく羅列される。


2枚を大きく左右に並べて表示し、いいほうを残し、1枚を差し替えていく。


それを繰り返して、最終的な1枚を決める。


年老いた両親とぼくは、顔を寄せるようにして画面に見入った。



澄ましている母の顔は、とても美しかった。


ていねいに刻まれた皺は、葉を落としてもなおも伸び続ける枝を思わせた。



口を真一文字に結んだ父の顔には、強い威厳を感じた。


父に殴られた記憶は一度もないが、写真にはそれ以上の「怖さ」があった。



でも、父も母も、そしてぼくも、、、最終的に選んだ一枚は一緒だった。


ふたりが、やさしく穏やかに微笑んでいる写真だった。