学問にも及ぶ、安倍晋三君の日本「私物化」の目論見 | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

学問にも及ぶ、安倍晋三君の日本「私物化」の目論見

この前も書いたけれど、安倍晋三君たちは「国立大学から人文系を減らせ」と言っている。

当然のことながら、日本の学術界を代表する機関である日本学術会議が批判声明を出し、それが昨日のニュースで取り上げられた。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150723/k10010163651000.html

で、僕のところにもこのニュースで初めて知ったという人から「国立大から文系なくせって、どういうこと?」という声が上がっているのだった。

安保法制案は誰もが知ってる重大な問題だけれども、こっちも安保法制案に通底する大問題である。だから繰り返し書いておく。

「我々が提出する法律についての説明はまったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」
と平気で国会で言ってのける安倍晋三君は、自分の考え以外はすべて間違っていると思うのだろう。だが、多くの国民は安倍晋三君よりもはるかに賢い。国民を馬鹿にするなと言うことだ。それゆえ安倍晋三君の支持率は急降下している。

安倍晋三君と大の仲良しである文科相の下村博文君は、新国立競技場問題で役人の言うままに2500億円だかを認めた無能政治家だが、そんな下村博文君率いる文科省が、国立大学に対して人文社会科学系の学部の廃止やほかの分野への転換を求めたのであった。

いったい何を言っているのであろうか?

政治からの学問の独立、学問の自由というのは、近現代社会では常識である。ていうか、近現代民主主義の必須条件のひとつである。
それを否定しようとする横暴さは、安保法制案強行採決に見られる現政権の独裁的発想を見事に表している。

つまり、「国民は政府のイエスマンであれば良く、政府に対して根本的で深い問いは必要ない」ということだ。

ちょっとだけ詳しく。

いわゆる「理系」と呼ばれる分野の大部分を占める「自然科学」は、「善悪」を問う学問ではない。
物理学にしても化学にしても生物学にしても、そこで問われるのは「真偽」である。
「この実験結果からこの結論を導き出して良いのか?」「この仮定は正しいのか?」
そういうことが問われている。

日本語で「正しい」というと、「正義」の「正」と「正解」の「正」の二つがあるが、これは明確に分けて考えなければならない。
「正義」の「正」は「善悪」の問題であり、「正解」の「正」は「真偽」の問題である。

自然科学で問題とされるのは「真偽」だ。
みんな知ってるとおり、ガリレオは当時の権力者であった教会が天動説を唱える中、「それでも地球は回る」と言った。
これが、自然科学的な「真偽」の問題である。
だからこそ自然科学は大切だ。権力者が何を言ったとしても「真偽」は譲れないのである。

ところが一方、自然科学では決して「善悪」は語れない。

これは、権力の束縛から自由になったからこそ近代自然科学が誕生したという歴史的な問題でもあるし、だが同時にその時点で「善悪は語りませんよ」という学問として独立したからでもある。

不思議に思う人もいるかもしれないので書いておこう。

確かに、核理論の産みの親とも言えるアインシュタイン自身が核兵器廃絶を唱えたし、こんにちの日本でも、ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英京都大名誉教授は率先して、「安全保障関連法案に反対する学者の会」を立ち上げた。
もちろんこれらは素晴らしいことだ。だがこれらは「科学的真実」ではなく「科学者の良心」の問題である。

核兵器の例を見よう。
アインシュタインが唱えた「E = mc2」という「科学的真実」をもとに核兵器が誕生した。
もちろん、この「科学的事実」は譲れない。だが、これを兵器にした米国は広島長崎に原爆を落として大惨事を引き起こした。その後の米ソ冷戦時代で核戦争が起こったら大変なことになる。アインシュタインは「戦争でそれを使うな」ということを、(「科学」ではなく)「科学者の良心」として、「善悪」の問題として訴えたということだ。

では、「真偽」ではなく「善悪」の問題を語り得る学問は何か?

それが、哲学や文学、芸術、人文諸科学である。

みんなも高校の社会科で「倫理」って選択科目があったでしょ。
「倫理学」は「哲学」のジャンルで、「善悪」を問題とする学問。
「道徳」の授業と一緒にしてはいけないよ。日本の現状で「道徳」の授業は「何が良くて何が悪いのか」という「答え」を、上から目線で教えているようだが、「倫理学」はそんな陳腐なものではない。「善悪」とはどう言うことかを「問う」学問である。当然「善悪なんてそもそもあるのか」という問いも検討される。

「善悪」について徹底的に問うこと。
それができるのが文系の学問だ。理系の学問では不可能だ。ていうか理系の学問は「それをしない」ことを前提に成り立っている。

要するに安倍政権が目論んでいるのは、国民に「善悪」を問わせないようにすることだ。国民から文句が出ないようにするために、学問の尊厳を踏みにじろうとしている。

つまりこれも、安保法制案と同様に、安倍晋三君と仲間たちが日本を私物化しようという企てとしか言いようがないのである。