馬鹿国家 | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

馬鹿国家

「馬鹿」というのは、ルールや秩序がわからない人のことだと思われている。

たとえば、1+1=2がわからないというのは、「1」や「+」、「=」、「2」といったことばの意味、すなわちそのことばの使い方(ルール、秩序)がわからない、ということだ。

これはまったくその通りである。
安倍晋三君やその仲間たちが、戦争のための法案を「平和なんとか法」と呼ぶのと同様の馬鹿さ加減だ。

だが、安倍晋三君のような低レベルの連中のことはひとまず置いて、
1+1=2を数学のルール、あるいは一般的なことばの使い方としては同意しても、もっと徹底的に「1+1=2」とは果たしてどういうことなのか考える人もいる。

「彼こそが現存する最も偉大な哲学者」と言われることも多い天才ソール・クリプキ(Saul Aaron Kripke)は、「68+57=5」という議論を展開した。
この話を突っ込むとそれだけで哲学書になってしまうのでここでは書かないけれど、問題の核心は「ルールとは何か」ということだ。
我々が日常思っているほどルールなんか自明のものではない、ということである。

この話を理系、特に自然科学系の人に言ってもさっぱり伝わらない(逆に文系、特に文学部系の人は意味を取り違えて過剰に反応するのだが)。

で。
何が言いたいのかと言えば、「68+57=5」などというのは我々の日常生活にちっとも役に立たない。ていうかむしろ有害ですらある。そんなこと言い始めたら経済だって成り立たない。
だが、それにもかかわらず「68+57=5」は、我々の思考そのものを根本的に問う鋭い問題提起なのだ。
そういった、凡人には考えつかないような問題提起があってこそ、人々の考えは深まっていく。

政府は国立大学から人文系を減らしたいらしい。
文科省が設置した「国立大学法人評価委員会」の案には

教員養成系、人文社会科学系は、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/kokuritu/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2014/08/13/1350876_02.pdf
と書いてある。

要するに、「役に立たない根本的な問いはやめろ」ということだ。
学問も、現代日本の資本主義経済に役立たなければならない、という主張である。

これを愚民化政策という。

ほんとうの馬鹿とは、ルールや秩序がわからない人のことではなく、ルールや秩序そのものの存在を疑うことのできない人たちである。

政府が言っているのは「深く考えるな」ということだ。
つべこべ言わずにせっせとカネを稼げと言いたいのだろう。
国民はすべからく安倍晋三君の知能指数に合わせろと言うことかもしれない。

だがこれは学問に対する侮辱である。国家の品格とはこういうところで問われるものなのだ。
ほんとうにそんな愚民化政策を続ければ、日本は1億数千万全員、安倍晋三君程度の知性しか持たない馬鹿国家になってしまうだろう。