【重要】これは歴史上初めてのデモの形だ!!~デモのあとのゴミ拾いと記念撮影 | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

【重要】これは歴史上初めてのデモの形だ!!~デモのあとのゴミ拾いと記念撮影

さらに書く。

大飯原発の前で、比喩ではなく文字通り身体を張って再稼働を阻止しようとしてきた人たちの話、
「【緊急】大飯原発前再稼働反対行動を支援しよう」
「追記【緊急・拡散!!】大飯原発生中継・非暴力非服従を貫き、再稼働に反対する勇士たちの姿を見よ!」
「大飯の人たち、お疲れ様でした!」
の続き。

あ、え~と言っておくけれど、僕は飲んでいてなおかつかなりSPEEDY(文科省)に原稿を書いたから、「非服従」か「不服従」か混乱していて誤植が多いけど気にしないでね。

さて。

大飯の前線で再稼働を反対を訴え頑張っていた人たちが一応、解散した。

と思ってたら、なんとなくまたシュプレヒコールを始めているが、今度は機動隊員からも何メートルか離れて、パーカッションを鳴らしながら「再稼働反対」を訴えている。(2012/07/02 午前1時18分)

昨夜は「再稼働反対」だったのが、さっき一旦解散する前までは「再稼働再稼働再稼働反対」というふうに、この24時間で「再稼働を3回繰り返してから反対と言う」スタイルがいつの間にか定着していたのだったが、今はまた「再稼働反対」に戻っている。
これはまあMC次第なのかなあ。

まず思うのが、この柔軟なスタイルが、60~70年代のデモとはまったく違うところだ。
すなわち、デモの主催が「組織」ではないのでその中に上下関係がない。
たまたまマイクを握った奴がMCを努めて、しばらくは彼(彼女)のスタイルでやる。
MCというよりもDJに近いのかもしれない。
現場を見ながら、盛り上げられる奴が盛り上げていく。
うん、すごい。

それから、僕がちょっと外していた間なので見ていないのだけれど、twitterなどによると、デモ参加者は「一旦解散」となったとき、まずは自分たちがいた場所のゴミを拾ったそうだ。

古今東西。
こんな緊迫した抗議活動で、参加者がゴミ拾いをしたことがあったか?

まずあり得ないはずだ。
なぜならば、「敵」が目の前にいるときにゴミ拾いなんかする余裕なんかこれまではなかったのだ。

ではなぜ大飯の人たちがゴミ拾いを出来たのかと言えば、さっきの記事でも書いたけれど、「敵は目の前の機動隊員ではない」からだ。
もしも機動隊員をボコボコに出来たとしても、そんなことにはなんの意味もない。
再稼働を止めるためには、関電、財界、政府、さらにそれを支える日本のシステムそのものを変えなければならないのだ。
だからこそ、彼らは非暴力で闘えたのだし、機動隊員たちも非暴力の市民に対しては60年70年安保闘争のときのような暴力的な対応にでることが出来なかった。

とても良い写真がある。

flower 

大飯原発正面で、立ち塞がる警察官ひとりひとりの胸、腕などに、黄色い花を着けていく女性の写真だ。(ちばゆみさんのtweetからキャプチャーさせていただいた。撮影は冨田貴史さん)

これは昼間。
僕もユーストで実況を見ていたが、警察がどういう出方をするか、まだ全然わからなかった頃だ。

僕は男だからこういう場面はかなりピリピリする。でも、女性は偉い。子どもに接するように、あるいは兄や弟に接するように、無言で立ったままの警察官の服に、花を刺していったのだった。
服に花を刺してくれる女性に対して、いったい誰が彼女のことを公執(公務執行妨害)だなどと言えようか?

また、最前列の若い機動隊員に対して、彼らのお母さん世代の女性がこう語りかける場面もあった。
「あなたがたや、あなた方の子どもたちのような、若い人が犠牲になるのです。上から言われたままではなくて、自分の頭で考えてください」

僕は自分では見ていないのだけれど、twitter上では、そんな話に目がうるうるしていた警察官もいたという。

我々は、若い警察官や機動隊員と争いたいのではない。
むしろ、できることなら彼らと一緒に闘いたい。
財界の一部の連中のためにではなく、国民のためにすべきことは何なのか?
子どものため、未来の世代のためにするべきことは何なのか?
もしも昨日の勤務のあと、家に帰ってそのことを考えてくれた警察官、機動隊員がいたらほんとうに嬉しい。

あとは記念撮影。

デモが一段落したあと、それでも警察官は上の命令がなければ動けないので整列している。
再稼働反対の参加者たちは、ギリギリまで寄って直立不動の警察官の列をバックに記念撮影を始めたのだった。

これも、古今東西こんなことがあっただろうかという出来事だ。

60年70年安保闘争のときにはあり得なかっただろう話だから、その世代の人は違和感を憶えるかもしれない。
でも、21世紀の若い世代は、それが人生の刻み方なのだろう。
49歳の僕には思いつかない発想ではあったが、それこそがこの抗議行動の新しさなのだった。

いずれにしても、結果的に見ればこのデモは、かなり平和的に終わった。
もちろん、参加者が非暴力不服従に徹したのに対して、警察が暴力的な行為に出たのは確かだろう。
逮捕者が出たのかどうかなどはまだわからない。
しかし、このレベルの国策反対の現場のデモであれば、最悪20~30人くらいの逮捕者が出るのではないかと危惧していた僕、あるいは、僕よりも一~二世代上の安保世代にとって、これは驚きではないだろうか?

昨夜からずっとユーストに釘付けで寝ていないので酔っ払ってきた。
まとめに入ろう。

僕は詳しく知らないので断言は出来ないのだけれど、
いわゆる先進国、つまり自由主義を標榜する資本主義国家で、21世紀に入ってから、国策あるいは国の考えにまっこうから反対を唱える大規模抗議行動、しかも今回の大飯の場合は道路をクルマで封鎖するという明らかな法律(道交法)違反の抗議行動を繰り広げていて、今回ほど平和的に解散した例を、僕は知らない。
(たとえば米国の「99%デモ」でも、かなりたくさんの人が逮捕された。)

もちろん、昨夜は解散しても、日が昇ればみんなまた集まるのだろう。
今日もまた、機動隊員の列を目の前にしながら「再稼働反対」を訴える。
そしてその後、「緊迫した抗議行動のあとにゴミ拾いをする」彼らの姿が、日本中に、いや世界中に伝えられる。

これは、世界史でも類を見ない、「まったく新しい社会の変え方」が、今まさに実践されようとしているということなのだ。
このブログではしつこいほど書いているが、これまでとはまったく違った「イデオロギー抜きの社会改革」が実現されようとしているのである。

確かに大飯3号機は再稼働のスイッチは押されてしまった。
しかし、それが我々の敗北を意味するものでは決してない。
歴史は大きく動こうとしている。
と、僕は思う。

とはいっても、ベルリンの壁を壊す市民の姿や、天安門事件で戦車の行く手を阻んだ青年などという「あまりにも象徴的な画」は、僕の考えでは、たぶん、今回はない。
でも、今の流れを見れば、1~2年で、きっと日本は原発を諦めざるをえない。
そしてそのときに、映像として記憶されるのは、2012年6月30日~7月2日、現場で闘ってきた大飯の勇士たちの姿であると思う。

ここで終わりにしようと思っていたのだったが、「1~2年できっと日本は原発を諦めざるをえない」と言ったことについて。

金曜日の官邸デモ、そして今回の大飯の勇士たちの闘いを(ネット上ではあるが)ずっと見ていて、僕は、約50年生きてきた中で、これまでになかった世界の動きを感じざるを得ない。

たぶん、これからの5日間が勝負だと思う。
テレビしか見ずに最前線の勇士たちの闘いを知らない人は、大飯3号機が再稼働されてしまったことに敗北感をもっているかもしれない。
でももしもそんな人だって、
大飯の戦士たちが、機動隊にどれだけ押さえつけられても両手を高く挙げて非暴力を貫き通したこと、あるいは最前列の警察官ひとりひとりの服に花を刺していった女性。
そんな姿を知れば、彼らの闘いがどれだけ意義があったかを知ることが出来る。

つまり、大飯3号機の再稼働は決して敗北などではなく、勝利への布石であると確信せざるをえないと思う。

だから、ユーストを見ていた人はその話をみんなに伝えよう。
大飯に集まった勇士たちがいかに素晴らしかったのかを拡散しよう。

「踊りが嫌だ」とか「レイブぽいのが嫌だ」という人がいるのはもちろんわかる。
でも、大事なのは「~~ぽい」とかいうことではなく、完全に非暴力不服従を貫き通したと言うことだ。

我々は大飯の勇士たちから、腕力(肉体的な力だけではなく財力なども含めて「現実的な力」)に屈しない力を学んだのだ。

我々は知らなければならない。
世界のシステムは、「腕力(カネ)」のある連中が好き勝手作ってきたが、これからは、そうは問屋が卸さないということを。
最前線で闘っている大飯の勇士たちは「腕力(腕っ節)」では機動隊に負けていたが、「腕っ節勝負」に持ち込まないことによって、非暴力不服従で戦い抜いた。
つまり、我々は「腕力(カネ・権力)」なんか関係なく闘えるのだと言うことを知らなければならないのだ。

ユーストで24時間以上聞き続けてきた大飯の勇士たちの「再稼働反対!」の声が、耳の奥でまだこだまする。

アデュー!
寝るよ。酔っ払った。