大飯の人たち、お疲れ様でした!
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現在ユーストの中継を見ると、今夜の闘いはこれで終わりかもしれない。
ほんとうにありがとう!
心から敬意を表します。
20時間以上、ドラムは鳴りっぱなしであった。
今回のデモのリズムセクションこそ、2012年度日本反原発大賞最有力候補ではあるまいか?
それから最後の数時間は、これは治安部隊の常套手段であるが、奴らは参加者を分断する。
最前線の約100人と、その後方の何百人かの人たちの間には機動隊員たちが立ち塞がっていた。
暴力的な反体制組織であれば、このように最前線が孤立化した段階で、作戦の変更を余儀なくされる。
つまり、「力vs力」の闘争と考えているのであれば、味方の分断は致命傷なのだ。
ところが、大飯の人たちは、決して暴力的に原発施設に突入しようというわけではない。
ただ、楽器を鳴らし、歌い、踊りながら、「再稼働反対」をアピールするだけだ。
なので、分断、弱体化を狙った警察の作戦は狙い通りにはいかない。
とはいえ、最前線の100人の人たちがかなり疲労していたことは確かだと思う。
水も飲めない、トイレにも行けないかったかもしれない。
非暴力でありながら、文字通りの意味で「命を賭けている」のだ。
正直言って、戦争であればこんな馬鹿な闘い方はない。
つまり、楽器を鳴らして歌い踊るような、「敵に被害を与えない」体力消耗は、「無駄」の二文字に尽きるからだ。
警察の連中は突っ立ったままだ。眠いかもしれないが体力はそれほど消耗しない。
ところが、我が軍は、踊り続ける。そして歌い続ける。
なぜならば、「敵」は目の前にいる機動隊の若者たちなどではないからだ。
もしも目の前の機動隊員をボコボコに出来る軍事力があったとしても、それで意味があるというわけでは決してない。
敵は、原発建物内で眠っているであろう関電の奴らであり、野田政権であり、カネのためなら弱い人たちを犠牲にしても何も感じない財界の奴らだし、さらに、そんな連中をのさばらしている日本のシステムそのものだからだ。
だから、この闘いは祭りである。
参謀術数を駆使した戦争ではなく、敢えて言えば「祈り」である。
「祈り」とは「思い」の表現のことだが、では誰に対してその思いを伝えようとしているのか?
昔は神だった。
でももう、ほとんどの人は神を信じない。
ところが、神はいないくても、今やネットワークが世界中につながっている。
去年の3月を思いだそう。
僕らは、被災地の人たちのために何か自分が出来ることがしたくって、インターネット、SNSで必死に情報を収集し、そして発信した。
行政に任せていては遅いと、ネットワークで情報を収集発信し、自分たちで行動した。
ジャスミン革命のときは、SNSの情報が国境を越え、アラブの市民はヨーロッパや米国の人たちと連帯した。
今、大飯原発前のユースト視聴者は約1万3000人で、ピーク時の半分である。
それでも、世界中のユースト視聴者ランキングの1位、2位を大飯の中継が占めている。
この、事の重大さに警察当局、そして政府は気がつかないのだろうか?
神のいない21世紀、我々の祈りは、「極めて現実的に」世界中に届いているのである。
ユーストで見る限りまだ元気はありそうだけれど、我々は、最前線で孤立させられた100人の勇士のために何が出来るのかを考えなければならない。
彼らを応援しなければならない。
手っ取り早いのは情報の拡散だ。
もはやマスメディアが役に立たないのはご存知の通り。
明日も、すべてのネットメディアを使って、彼らの闘いを全世界に向けて発信しよう!
前回も言ったが、
今日は、歴史的な日である。
日本という国が始まって以来初めての市民革命になるかもしれない。
最前線で闘う人たちのために、我々も、ネットメディアを駆使して、「祈ろう」ではないか。