今節は、何点か、手順上の問題を、実況・解説の方々から
ピックアップされることがあったので、自分の視点を残しておきます。
4回戦、黒沢プロが連荘中のワンシーン。
ここで五萬をツモ切りしたところ。
「見落とし」「ミス」等とコメントをされましたが、
個人的には、頭を振り絞って考えた打牌で、快心の選択のつもりでした。
五を切る(東を残す)理由は主に三つ。
①四七が薄いとの推理
四七は、自分の手牌を含めて、4枚切れ。
上家と下家の四切りは、捨て牌相上、七を持っている可能性が高いと読んでいました。
(トイツ場、変則手でないことが前提)
したがって、残っていても、せいぜい1、2枚くらいだろう、と。
②二が絶好、との推理
対して、二は、まず誰も使っていないという確信に近いものが。
(一の切れ方と、四の出方などの情報)
したがって、例えば、中を持ってきてテンパイした場合は
仮に五を残しておいたとしても、
四七待ちのリャンメンではなく、二待ちでリーチを打ちたいと考えていました。
しかし、リーチ宣言牌を五とすると、
折角良い待ちと考えている二が出てきにくくなります。
それが嫌、というのもありました。
「引っかけになるから五を先切りした」のではなく、
「引っかけになってしまうから五を先切りした」というニュアンスです。
蛇足ですが、中や北をポンした場合は、一旦カン二萬受け。
(実際、そうして、二をツモった)
その後、進行状況によっては、さらにもう片方の役パイをポンして
これもまた良いと思っている三六萬に受け変え、からの
ドラをひいてなどの③-⑥待ちまでを、この時点で想定していました。
③五が後々危なくなる、という推理
前述の上家の古橋プロと、下家で親の黒沢プロは、四が早い相。
こういう場合は、七を軸に塔子が残っている場合が多く
特に裏筋の五は、危険度が中位以上と考えています。
特にこの局の上に寄っている古橋プロの進行スピードは速いと考えていたので
五は早めに処理したいと考えていました。
東は、2枚切れの安牌に近い牌。
進行が速そうな他家に対して残しておきたい牌でした。
このケースの私の思考は、単純化すると麻雀でよくあるパターンの思考と似ています。
例えば
二三三⑤⑥⑥⑦⑦⑧3499北のイーシャンテン。
ここでは、三を切る時と、北を切る時があるとおもいますが、
それらは、場況や、他家の進行予想、自分があがれそう(あがりたい)かどうかの判断に左右されます。
頭がドラであるかどうか、とか頭が中張牌か、などによっても打牌は変わりますし
三や9(あるいはその周辺牌)の捨てられ方によっても決断は変わります。
自分の点棒状況が、絶対あがりたい局か、見でも良い局かによっても違います。
もちろん、三の将来的な危険度の計測も大事です。
ここで、三を切る人に、「受け入れ枚数が減る」という指摘は妥当ではないでしょう。
それらの刻一刻と変化する状況によって、方針を決定する、というのが
私がやりたい「麻雀のスタイル」と考えています。
「『勝手読み』になってはいけない!」という自戒の念は常に意識しているつもりですが
その恐れのある局面を、突き詰めて洞察していくことこそが、
紙一重のアガリの成否を左右する、麻雀の醍醐味と考えているのですが、どうでしょうか。
少なくとも、初心者でも見逃しようのない、一三四五五六の形や、2枚切れの東について
「わかっているうえで選択している」ということだけは理解してもらいたいなあ、と考えています。
「やっぱりいたか」と思える瞬間は麻雀の喜びのなかでも格別です。
もうひとつ。
ここで、打六。
一を切れば、二四六のリャンカンが残る場面。
これも「見落としだろう」との指摘を受けましたが、
この局面も、もちろんわかった上で六を捨てています。
「チャンタ?まさか。4索が頭ですよ」
とのコメントもありましたが・・・
そのまさにチャンタやジュンチャンを見ていること。
と
安全牌の枚数を増やすこと。
を
この局面では重視した、ということです。
(六から切っている理由は単純に親の現物残し)。
この手、三色同順が色濃くみえる手ですが、
都合よくペンチャンやカンチャンが埋まることはそうそうなく、
先手を打たれるケースがほとんど、と見ます。
その時に、比較的安全な字牌や、ヤオチュー牌が残っているメリットは大きいと考えます。
ましてや、それが雀頭に振り替わっているとなおさらです。
なぜなら、雀頭がヤオチュー牌に振り替わるもう一つの大きな理由は
仕掛けが意味をもってくる、ということです。
雀頭がヤオチュー牌に変わるだけでこの手は、満貫以上が狙える手になり
仕掛ける理由、押し返すに値する手に化ける、というのが私の考えです。
上述のメリットを、カン五萬の受け入れのロスと引き換えにとる、という考えなんです。
この手は、現状、先行されたら、オリの手だと思いますので。
判断が正しいか正しくないかは、自信があるわけではありませんが、
さすがに、一二四六と、画面のように並べていて
五の受け入れを「見落とす」ということはない、
と信じていただきたいです^^;


