桜を愛でない
固有性とはそのものが持つ本質的な在り方、本来備わっている性質です。
偶有性とは本質的ではない偶然的な性質です。広辞苑によれば「例えば、人間一般を考える場合、その皮膚の色のようなもの。」ということになります。
古い話。
新渡戸稲造が著書『武士道』の中で本居宣長の詠んだ和歌を例に出して桜を考察しています。
敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花 -本居宣長
”ヨーロッパ人はバラの花を賞賛するが、バラは桜花の持つ簡素な純真さに欠けている。
バラはその甘美さの陰に棘を隠し、執拗に生命にしがみつく。まるで死を怖れるがごとく。散り果てるよりも、枝についたまま朽ちることを好むかのようにである。
色は華美であり、濃厚な香を漂わせている。
私たち日本人の愛する桜花は、その美しい装いの陰に、棘や毒を隠し持ってはいない。自然の為すがままいつ何時でもその生命を捨てる覚悟がある。その色は決して派手さを誇らず、淡い匂いは人を飽きさせない。”
何いってんスかね?稲造のやろう。
このまるで皮膚の色だけ見て「人間」を語っているような違和感。
桜はその花も枝も木さえも曖昧にされ漫然と見られて幸せかと疑問です。
また孤独であることを元来知っているバラの方が幸せのような気がします。
孤独であり、死を恐れ執拗に生命にしがみつき、散り果ててなお再生し、棘を持ち毒を持ち、当然濃厚なアトモスフェア、それこそ人を飽きさせない。自ら飽くことがないといえませんか。
↑この崖の中腹に立っていた桜の木はそれは見事な花を付けてたんですよ。毎年。
折れたのか病気でこうなったのかわからないんだけれども、桜は延命処置としてバッサリ切ると新芽が伸びることがあるんだそうです。
このあとの生命力に期待します。
そうそうこんなこと もあるらしいですよ。
桜を絶妙に表現する言葉はないのか?
先日の桜の話の続き。
桜って一部の古木を除いてどうにも個性に欠けるというのは書いた通りです。
例えば
等々名木と呼ばれる桜は大抵が一本でそれなんです。
一本立ちして孤独。
だからこその名木だと思うんだけど、街中でよく見かける桜はそうじゃない。
もう完全に十把一絡げです。
たぶん山桜の並木ですら、枝が絡み合えば個性を失ってるんでしょう。
もしも、わざわざ桜の名所を訪ねて眺めに行くとしましょう。
そこで密集して咲く花を見上げて考えます。
桜一本の木に固有性があるんだとしたら、鑑賞している者は偶有性を眺め愛でているだけではなかろうかと。
そして「きれいだね。」としか言えないんでしょうか。
大変に個性的な美人、例えば女優さんと、街中の美人メイクで決めている素人美人を同じ「きれい」だとしか表現出来ないのだとしたら、僕はあまりに貧しいと自照するでしょう。
しかし、この桜の元大木にして名木を見上げ眺めながら、なお言葉を失います。
吹く風をなこその関と思へども 道もせに散る山桜かな
-源義家
武蔵小杉をやっつけに行く
Jリーグファンには川崎フロンターレの本拠地、等々力競技場の最寄り駅ということでおなじみの武蔵小杉が(川崎フロンターレなのに川崎駅じゃないんですね)
なんだか最近生意気だということでやっつけにいきました。
神奈川県は川崎市にある武蔵小杉って元々町工場とオフィス、それも品川などには行けなかったオフィス達の町なんですよね。
でも最近JR横須賀線の新駅開発が決まってオシャレ高層マンションがニョッキニョッキ立っちゃってるんですって。このご時世なのに地価高騰でバブリーなんですって。
ダイエーなのに24時間営業でしかも名前がフーディアム ができたりとか。
コナミができたりとか、このホテル↓なんて
1階部分が消防署なんですよ!奥さん!
ホテルの1階に消防車です。
消防員はペントハウス住まいですか?
どんだけ火災に強いホテルなんだと。
やっつけに行くどころかやっつけられました。完敗です。
でもね、そんな感じにやられながらもうつむき加減でガードをくぐったら、ありましたね。
立ち飲み屋が。
ガード下の立ち飲み屋。これぞ武蔵小杉って感じで安心しました。
あ、ちなみに僕一滴もお酒飲めませんけどね。




