「冒涜」に納得。 | 気ままに生活。

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すっかりほったらかしてしまいましたが、ぼちぼちアップしたいと思います。
よろしくお願いします。


死刑反対論もありますが、世の中には死刑をもって罪を償うしか原告の心が休まらない事件もあるんじゃないかと思います。
↓この事件がそのいい例かと。





検察、改めて死刑要求「被害者を冒涜」 光市母子殺害(朝日新聞)


 山口県光市で99年4月に会社員本村洋さん(31)の妻弥生さん(当時23)と長女夕夏ちゃん(同11カ月)が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死などの罪に問われている元少年(26)の差し戻し控訴審第11回公判が18日、広島高裁であった。検察側は最終弁論で、元少年が殺意の明確な否認に転じた点について「事実を捏造(ねつぞう)、歪曲(わいきょく)し、被害者を冒涜(ぼうとく)している。死刑を免れるための虚構」と非難し、一審・山口地裁の無期懲役判決(求刑死刑)を量刑不当とし、改めて死刑を求めた。

 弁護側の最終弁論は12月4日にある。

 検察側は、元少年が「いつのまにか首を押さえていた」と弥生さんへの殺意を否認し、弁護側が傷害致死罪を主張したことに反論。遺体の所見から殺意をもって首を絞められたのは明らかで、そもそも抵抗する成人女性の首を5分以上押さえつける行為からも殺意は明確と述べた。

 また、元少年が弥生さんへの死後の姦通(かんつう)について強姦目的を否認し「復活の儀式だった」と公判で語ったのは「非科学的で荒唐無稽(こうとうむけい)。被害者を冒涜し、その死を軽んじている」と批判した。

 また、夕夏ちゃんをあやそうとして落とした風呂場の浴槽を「ベビーベッドだと思った」などとする主張は「不自然きわまりない」と批判。遺体の所見から、殺意は容易に認められるとした。

 弁護団が、中1の時に死亡した実母と弥生さんを重ねて抱きついたことで事件が起きたと主張する「母胎回帰ストーリー」も客観性を欠くとした。

 元少年が捜査段階で検察官から自供を誘導されたとした点は「(当時)否定する部分は否定しており、供述調書の取り直しも求めていない」と反論。公判での供述の変化は「遺族を苦しめ続けている」とした。最高裁は06年6月、「特に酌むべき事情がない限り、死刑を選択するほかない」と審理を差し戻したが、検察側は「その事情は一切ない」と結論づけた。





当事者ではなく、ニュースで見た程度なので断言はできませんが、
記事の最後に書いてある検察の結論どおり、酌量の余地は一切ないんじゃないかと思うわけです。

この「元少年」は、
「約1時間に及んだ最終弁論が終わった後も、最後まで遺族に視線を向けることはなかった」
とされていまして。

8年も前から裁判で戦い続けている原告の本村洋さんの気持ちは計り知れませんが、自らの手で被告を殺したいと思うほど憎いんじゃないかと思います。

この差し戻し審についても、本村さんの心の傷をさらに抉っているだけのような気がしてなりません。
掌を返して殺意を否定し、反省の欠片も見当たらない被告の供述には、当事者でない僕もはらわたの煮えくり返る気分になります。

一刻も早く裁判が「原告の望む形で」終わって欲しいと切に願います。





兵庫県加古川市で起きた、小学校2年生の女の子が自宅玄関前で刺殺された事件もそうです。
何故そういうことをしようと思うのかと。

この女の子については、親が発見したときはまだ意識もはっきりしていたそうです。
保護者の方の無念さはいかばかりかと思います。



こういったニュースの裏で、亀田一家のニュースがやたら取り上げられているわけなんですが。
…呆れ返るばかりですね。