教師が事件に関わってしまう割合は…? | 気ままに生活。

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すっかりほったらかしてしまいましたが、ぼちぼちアップしたいと思います。
よろしくお願いします。


…何ですかコレは。

学年主任がこんなことしたんですか。

記事は↓こちら。





<福岡いじめ自殺>発端は学年主任の「いじめ発言繰り返し」(毎日新聞)


 福岡県筑前町の町立三輪中2年の男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した問題で、合谷(ごうや)智校長、中原敏隆町教育長、学年主任らが15日、男子生徒宅を訪れ、両親と面会した。学校側は、男子生徒の1年時の担任教諭を務めた学年主任(現在)がいじめ発言を繰り返し、それが発端となって他の生徒にまでいじめ行動が広がったことを認めた。

 両親と学校側の面会は報道陣に公開された。両親らは、自殺直後に学校が全生徒から取ったアンケートと、両親が親しかった生徒2人に書いてもらったメモを基に「息子だけが1年の時からいじめられていた」「一部生徒がアンケートで学年主任によるいじめを記述している」と指摘した。

 また、▽1年の時に生徒らをイチゴやジャムに例えてランク付けするなど人格無視の発言を繰り返した▽ケガをしているのに仮病よばわりやうそつき扱いした――ことなどを、同級生2人から伝えられたことを明かし「間違いないか」とただした。学年主任は「(男子生徒が)からかいやすかったから」と、いじめ発言を繰り返していたことを認めた。

 さらに、母親が男子生徒のインターネット利用について教諭に相談した内容を他の生徒たちに明かして、これに絡めてバカにしたあだ名をつけ、いじめを誘発していたことも指摘した。母親によると、男子生徒はこの後「学校に行きたくない」と言うようになったという。

 両親がこうした教諭の言動がいじめ助長につながったのではないかと迫ると、合谷校長は「そう思います」と答えた。

 両親との面会の後、中原教育長は報道陣に対し「校長から今朝、(1年時の担任教諭の)発言内容を聞いた。教師によるいじめがあったと判断している」。学年主任は「一生かけて償います」とうつむきながら謝罪した。【川上敏文】





…論外ですね。

また、こんなことをしておいて「一生かけて償う」などと軽々しく口にした学年主任も許せません。

からかうというか、冗談の範囲で接することは(どこまでがその範囲内かというのは判断が難しいですが)オッケーだと思います。

ただ、この「母親が相談したことをバカにした」というのは明らかに行きすぎだと思います。



…さて、これを受けて。

「教師という人間は…」という意見がブログ上で見られます。

この事件だけではなく、その他の教師による事件で、教師に対する風当たりが強くなっています。

「今の教師はダメだ」と全体論まで出ています。

…ですが、これはあまりにも教師が気の毒だと思うわけです。



表現は難しいですが、僕としては「教師」という職業が「事件を起こす可能性が多い」という風には思いません

もちろん、原因の一端を担っていることが少なくないのは認めますが…。



なぜかといいますと。

学校に通っているのは、幼稚園を2年として、小学校6年、中学校3年、高校3年の14年間というのが一般的だと思います。

(大学などは、もはや「教師の責任」を外れていると思いますので、除外しました)



で、寿命を84歳とすると(日本人の平均年齢からわかりやすい数字を作りました)。

単純計算で6分の1の人間が教育を受けている世代ということになります。

(実際の割合からすると、およそ5分の1以上になると思います)



で、何か事件を起こすと。

当然、成人の方が起こす事件のニュースよりも子供が起こした事件のニュースの方が大々的に報道されます

ここでは簡単に、全ての年齢の人間が等しい割合で事件を起こすと仮定すると。(←そんなことはまずありませんが)

巷で起こる事件のおよそ6分の1が「教育を受けている世代」が起こす事件だということになります。

で、そうなると当然取り沙汰されるのが、通っている学校や担任をはじめとする教師。



これは統計の基準が簡単すぎますが、事件が起こったときに学校または教師が絡んでいる可能性は、例え教師に非がなくとも高いということになるような気がします。

しかも、話題性が高いので報道も熱を帯び、あたかも教師が悪い方向にニュースが作られることもしばしば。

…もちろん今回の事件は教師に責任もあると思いますし、教育者として相応しくない教師が実際にいることも否定はしません。

ですが、「教育を受けている世代」が起こす、または巻き込まれる事件に教師の姿は必ず出てくるものだと思いますので、必ずしも全ての事件で教師に責任があるとは言えないんじゃないか、という意見も持っています。



…何が言いたいかといいますと。

確かに、一日の大半を学校で過ごす児童が起こす(または巻き込まれる)事件で、教師の監督責任は切っても切り離せない問題だと思います。

しかし、全てを教師の責任にしてしまうのはどうかっちゅうことです。

成人してからは、責任の所在は様々なところになりますので、教師ほど事件に巻き込まれることは少ないということです。



例えば、暴漢が小学校を襲ったことで、学校としてはどう対処すべきかという問題。

学校の塀を高くして、有刺鉄線を配備すればいいのかといえば、それではいざというときに助けに入る人が困りますし、何より外から中の様子が見えませんので、危険を察知するのが遅れる可能性が出てきます。

どんな塀を配備しても、入ろうと思えば入れるというのは揺るがない現実ですので、難しい問題です。

警備員を配置するのも無料ではありませんので、どこからそんなお金を出すんだという話もありますし。

公立の学校となれば尚更です。

ちょっと設備を整えようとしてもお上へ伺いをたてなければならず、難しい問題は山積みです。

しかも、お上からは「よそでこんな事件があったから、○○に気をつけるように」などといった曖昧な通達しか来ないという話で、具体的な施策およびそれに関わる援助といったことはないようです。



もはや、これは学校だけ、ましてや教師だけではどうにもならないかと思います。

…教師だって数あるうちの職業のひとつですから。

生活の全ての時間を生徒に費やすわけにはいかない部分もあります。

やはり保護者との連携といいますか、保護者の協力が不可欠だと思います。

昔は割と保護者の方々の協力があったと思うんですが、最近はめっきり希薄な気がします。

そういうのも、未成年者による事件の原因のひとつなんじゃないかと常々思います。

教師を責めるのはカンタンですが、責める前に考えなきゃならないこともあるんじゃないかなぁと僕は思います。