屋久島旅行記5。(2日目②) | 気ままに生活。

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「楠川分かれ」と呼ばれる分かれ道を右に。

小杉谷集落の跡地へ続く橋を渡って、小杉谷小中学校跡の前を通ります。



小杉谷集落はかつて全国から腕の立つ人々が移り住み、林業を生業として暮らしていたそうです。

最盛期には800人以上の人々が住んでいたらしく、大きな怪我や病気で大きな病院に行く以外はこの集落から出る必要がないほど設備も整っていたそうです。





ちなみに杉を伐採するようになったのは割と最近だそうで。

屋久杉の伐採は、豊臣秀吉が島津義久に命じたのが最初と言われているそうですが、屋久杉は島民により神として崇められていたため江戸時代までは殆ど伐採の対象になっていなかったとのこと。



江戸時代に入り、屋久島出身で薩摩藩に仕えていた儒学者の泊如竹(とまりじょちく)が島民の貧困を目にして屋久杉の伐採を島民に勧めました。

これが原因で1640年ごろから本格的な伐採が始まります。

島民は薩摩藩に年貢代わりに「平木」とよばれる幅10センチ程度の屋久杉の木材を納めたそうです。



1970年以降、屋久杉の伐採は禁止されています。



杉の伐採を解禁させた儒学者「泊如竹」。立派な顔が逆に胡散臭い感じもします。
「泊 如竹:とまりじょちく」。



マキオさんによると、この人は島民が貧しさで苦しんでいるのを目の当たりにし、山に修行に入ったあと

「神様が『杉を切っても構わん』と仰った」というお告げを残したそうです。





…大丈夫ですかこんな無責任なこと言って

まぁ「嘘も方便」といいますから、これで島民が満足したんならオッケーでしょうが。





ところで、杉の木が育つまで数十年~数百年掛かります。

特にこの島は土壌の関係で生長が遅いというのは前回の書き込みでもあるとおりです。

そうすると、当然何十年かでこの付近の杉は伐り尽くされるわけです。

杉がほぼ伐り尽くされた昭和45年、この集落は姿を消しました。

生活を続けるのが難しくなったためだと思われます。



ちなみに、現在残っている屋久杉は当時木材として使用するには困難なものだそうですね。

良質な木材は、根や枝分かれ、拒絶反応(「夫婦杉」のところで後述します)のない一部だけということになっているそうで。

要は、地表数十センチから数メートルまでの範囲しか使われないということです。



つまり、数十センチの切り株と、枝の生えている部分は捨てられると。

ついでに、使用する部分が歪な形をしている杉は木材としては使えないということで、そのまま残されました。

これが現在残っている屋久杉です。



打ち捨てられた切り株と倒れた上の部分。

本来ならば数年で朽ち果てるんですが、ここの杉は樹脂が多く含まれ、腐るのにも時間が掛かります。

およそ100年掛かるとのこと。

100年といえば相当の時間ですから、その間も森は様変わりします。

そこで起こる特徴的な現象として挙げられるのが「着生」「更新」という現象。



「着生」とは、樹木や岩の上にくっついて生活することをいいます。

「寄生」と間違えられることもありますが、くっついている植物から栄養を吸収しているわけではないので、全く異なるものです。

要は、より高い位置に登って、少しでも太陽の光を浴びようとするコケ類によく見られる現象です。

実際、屋久杉に着生しているコケは多いです。



もうひとつ。

「更新」とは、古い杉の木に新しい杉が芽を出して育つことです。

鬱蒼と木が生い茂る森では、周りの木のせいで日差しが入りにくい状態になっています。

そこで、伐採された木や倒れた木の上から芽を出すことによって、こちらも少しでも多くの光を浴びようという。

それぞれ切り株の上から芽を出すことを「切株更新」、倒れた木の上から芽を出すことを「倒木更新」といいます。

そして、更新によって育った杉のことを「二代杉」といいます。





さて、登山の続きです。

小杉谷小中学校跡を通り過ぎると、あずまやが見えてきます。

小杉谷の歴史や、集落が姿を消す直前の「最後の運動会」の写真などが展示されています。

ここで5分ほど休憩。

湧き水もパイプで整備されてまして、ここで水を補給することができます。

ここからはトロッコ線路のレールの間にまっすぐな板が敷かれ、いちいち枕木を跨いだり乗ったりしなくて良くなります。

だいぶラクです。



ここからおよそ1時間半は、この道を歩くことになります。

途中、ここの有名な屋久杉である「三代杉」があります。

この杉は2回も更新が行われている、珍しい木です。

一代目の杉が千数百年前に倒れ、その上に二代目の杉が生えました。

そしてそれが江戸時代に切られ、その後に三代目の杉が立っている状態です。

千数百年前の倒木が今も残っている様子は、屋久杉の腐りにくさのよい証明ですね。

ただ、腐りにくいのは樹脂の濃い周りの部分で、中の幹の部分は割と早いうちに朽ち果てます。

…ですので、倒木や切り株などは、中が空洞になっているものが目立ちます。

…ちゅうわけで、この空洞になった倒木の中は絶好の写真スポットになっています。





ここから30分ほど歩いたところが休憩スポット。

トイレもあります。

ただし、ここでトロッコ線路は終わり、本格的な山道に入っていきます。

あとおよそ1時間半で目指す縄文杉です。

トイレ休憩を済ませ、いざ山道へ。

軍手が必要な方は、ここで装着していきます。

幸い雨が全く降っていなかったので、そんなに滑ることもないだろうということで、ワタシは装着せず。

…だってカメラ撮るのがメンド臭くなるんだもん(爆)





さて、今回の記事のメインは「ウィルソン株」です。

大正3年にアメリカから調査に来た植物学者のウィルソンという人物が発見した切り株。

樹齢は4000年を越えているそうで、根のまわりが32mあります。

この木が切られたのは1586年、戦国時代(豊臣秀吉が全国を統一する直前ですね)

トロッコ線路が終わり、山道に入ってから20分強のところにあります。





この中でウィルソン氏が雨宿りしたそうです。
ウィルソン株。





中は当然空洞になっており、祠のようなものが建てられています。

マキオさんによると、この祠は「コダマ」という名前だそうで。



…そうです。

『もののけ姫』のモデルになった森はこの屋久島の森。

そして、宮崎駿監督本人が言っていたらしいんですが、その中に出てくる「コダマ」という森の精。

その名前のモデルはこの「コダマ」だそうです。

こういう話を聞くとなんか嬉しいですね。



さて、このウィルソン株、中が空洞になっているといいました。

当然切り株ですんで、つまりは上部が吹き抜けのような状態になっています。

で、このウィルソン株にはもうひとつ見どころがありまして。

ある場所から上を見ると、↓このように見えます。





何かの形に見えませんか?
ハート型。





そう、ハート型です。

合成でも何でもありません。

かなりキレイなハート型の吹き抜け。

これはぜひ写真に収めねば…ということで、かなり無茶な位置からカメラを構えましたね。

ここを訪れた際は、ぜひこのスポットを探してみてください◎





ここでしばらく休憩したら、再び山道を出発します。




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