聞こえないパフォーマー・もりおか見帆
【空白の11月】
お久しぶりです、もりおか見帆です。
この1ヶ月、SNSの更新がパタリと止まっていました。
ご心配をおかけしたかもしれません。
実は11月、私はまさに「嵐」の中にいました。
・手話のまちの生け花ワークショップ(11/7)
・聴導犬かなとのTBS取材(11/4,11/13)
・ギャラリー・トットの企画運営(11/10〜11/21)
・東京デフリンピック2025
その開閉会式のアートプログラム出演(開会式11/15,閉会式11/26)、(全20回以上の稽古!)
・国際手話通訳業務(11/18〜11/24)
今日は、その怒涛の日々の中で、
私が一番「心が震えた瞬間」と、
同時に感じた「ある痛み(課題)」について、
正直に綴ろうと思います。
【幸運と過酷さ】
私は今回、
開閉式のアートプログラムに「ステージパフォーマー」として出演しました。
総勢130名。ろう児、知的障害、肢体不自由…本当に多様なメンバーが集結しました。
演出家の大橋弘枝さん、コンドルズの近藤良平さんが率いるこのチームに、
25回目・100周年という記念すべき時に立ち会えたことは、本当に幸運でした。
でも、正直に言えば、決して楽な道のりではありませんでした。
・「まずは振りを覚え、後からカウントを付ける」という独特な手法への戸惑い。
・パートナーである聴導犬かなを、休憩のたびにトイレに連れ出すという世話。
(そのため、休憩時間に周りの人と雑談する余裕もありませんでした)
それでも、必死に食らいついて迎えた、11月15日の開会式。
あの東京体育館のフィールドに立った時の景色は、
一生忘れられないと思います。
第25回夏季デフリンピック競技大会 東京2025 開会式
https://www.youtube.com/watch?v=7_P-pRPY_0o
アースティックプログラム「100年の一日」は
2時間00分00秒あたりからです。
100周年という記念すべき大会の幕開け。
観客席を埋め尽くす、
音のない「手話の拍手(両手をひらひらさせる動き)」の波。
そして、照明や振動が体を突き抜ける感覚。
私たち130人のパフォーマーが放つエネルギーと、
世界中から集まった選手たちの期待感がぶつかり合い、
会場全体が「 言葉を超えた熱狂 」で一つになった瞬間でした。
「これから、ここから、新しい歴史が始まるんだ」
その震えるような高揚感は、
まさにデフリンピックならではの「美しさ」だったと思います。
【130人が一つになった「光」】
そして、その熱狂のバトンを繋いで迎えた
閉会式では「ボン・ミライ」の踊り。
第25回夏季デフリンピック競技大会 東京2025 閉会式
https://www.youtube.com/watch?v=C56asc8iKy8
1時間09分54秒あたりからです。
この時、会場には2,000人の世界各国の選手たち、
そして客席を埋め尽くす観客の皆さん。
そこに私たちアートプログラムのメンバーが駆け込み、
加わった瞬間、会場は「歓喜のカオス」に包まれました。
あちこちで自由に踊る人。
その場の空気を噛み締めるように立ち尽くす人。
誰も、誰かを強制しない。
ただそこに「在る」ことが許される空間。
ふと見ると、
選手たちが前の人の肩に手を置き、長く連なって歩き始めました。
その姿は、まるでバラバラだった個々人が繋がり、
「一本の太い線(きずな)」が会場に織りなされたかのようでした。
客席の皆さんも総立ちで体を揺らし、
選手も、私たちも、観客も、
すべての境界線が溶けていく……。
言葉では言い表せないほどの「熱狂」と「一体感」。
それは、私がずっと見たかった
「世界が一つになる」景色そのものでした。
【現場で感じた「影」と課題】
しかし、だからこそ、
私はある「悔しさ」も感じていました。
それは、
舞台裏でのコミュニケーションのあり方です。
もちろん、
稽古や本番には手話通訳の方が配置され、
情報保障はなされていました。
その環境には感謝しています。
けれど、私が感じた「壁」は、
休憩時間や、ふとした雑談の場面にありました。
これだけ多様なメンバーがいるのに、
そこでのやり取りは「音声言語(声)」が
中心になってしまうことが多かったのです。
ろう・難聴者の中には、
私のように声で話す人もいます。
もしかすると、
「あ、声でも通じるんだ」という安心感が、
逆に「伝える工夫」を止めてしまう要因になったのかもしれません。
疲れもあったのでしょう。
でも、結果として、
手話を覚えようとしたり、
身振りで伝えようとする「歩み寄り」が、
ふと途切れてしまう瞬間がある。
「そこにいるのに、深い部分で繋がれていない」。
そんなもどかしさを、私自身、痛いほど感じました。
「聞こえないことは、人と人を切り離す」
ヘレン・ケラーの言葉が、ふと頭をよぎります。
【本当のレガシーとは】
形だけの共生ではなく、
本当の意味で心が通い合うにはどうすればいいのか。
ふと気づいたことがあります。
オリンピックやパラリンピックが
「記録」や「限界」への挑戦だとしたら、
デフリンピックは、
「交流」を基軸とした大会なのかもしれない、と。
世界中に散らばっている「聞こえない仲間」が、
手話という共通のルーツで繋がり、
「ひとりじゃない」ことを確かめ合う。
そう考えると、
この大会が100年も続いてきたことは、
偶然ではなく、
私たちが生きていくための「必然」だったのだと腑に落ちました。
だからこそ、その「交流(繋がり)」のバトンを、
未来へ、そして「聞こえる社会」へも、しっかりと渡していきたい。
「聞こえる・聞こえない」を超えて、
相手に伝えるための「工夫」。
それこそが、
私たちが次に繋ぐべき「レガシー」であり、
私が『Life as Art』でお伝えしたい
「美」の正体なのだと、改めて確信しました。
この11月の経験は、
私にとって大きな財産となりました。
また少しずつ、このブログで、
その「工夫」や「気づき」を紐解いていきたいと思います。



