今日は私ども 結婚記念日 60年周年のお祝いにご出席いただきましてありがとうございます。 何とか二人で 人生の荒波を色々な方の力も借りながら ここまで乗り越えてきました。 年子に近い3人の子供に恵まれ 本当にありがたいと思います。
3人の子供たちは優しく育ち ,これもご先祖様のおかげと感謝の気持ちでいっぱいです。 この日を記念して 私ども命ある間にご先祖様のことを知る限り 書き残したいと思いました。 お時間ある時 読んでいただけたらと願っております。
まずあなた方のおじいさん禮三さんや、 32歳の若さでこの世を去ったおばあさん キクさんのことから 記します。
禮三は横浜の方でした。その関係で戸籍は長い間 横浜市になっていました。 その後 私達の代になり焼津市に変更しました。祖父は横浜で高校生の頃関東大震災に遭いました。実家は芸者さんを大勢抱えていた置屋でした。
その頃は生活も裕福でした。 実は置屋には子供がいなかったので、置屋の親戚だった武田家から養子に入ったのでした。禮三は何不自由なく過ごしていました。あの時代でも高校も行かせてくれた。
ところが関東大震災で横浜も罹災し家族3人養母、その妹、養母の母親が震災の犠牲で亡くなったのです。わが家には遺影が飾ってあります。震災時、禮三は外出していて運よく生き延びました。その後行くあてもなく 高校時代の仲間が住む 静岡へと来たのでした。
いよいよ静岡での生活が始まりました。祖父は 器用な人で水道関係の仕事をしていました。 30歳過ぎた頃社長さんのお世話でお見合いをしました。置屋で女性を沢山見ていた禮三は綺麗なキクさんにひと目ぼれして結婚しました。禮三も端正な顔立ちで遺影はお二人の結婚式の写真です。続く