プロレス人間交差点〜令和のUWF論〜 佐藤光留☓細田昌志「前編 昔、好きだった異性」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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「人間は考える葦(あし)である」



これは17世紀 フランスの哲学者・パスカルが遺した言葉です。 人間は、大きな宇宙から見たら1本の葦のようにか細く、少しの風にも簡単になびく弱いものですが、ただそれは「思考する」ことが出来る存在であり、偉大であるということを意味した言葉です。


プロレスについて考える葦は、葦の数だけ多種多様にタイプが違うもの。考える葦であるプロレス好きの皆さんがクロストークする場を私は立ち上げました。



 

さまざまなジャンルで活躍するプロレスを愛するゲストが集まり言葉のキャッチボールを展開し、それぞれ違う人生を歩んできた者たちがプロレス論とプロレスへの想いを熱く語る対談…それが「プロレス人間交差点」です。

 
 
 

 

今回はプロレスラー・佐藤光留選手とノンフィクション作家の細田昌志さんによる対談をお送りします。

 

 

 

 

 

(この写真は御本人提供です)




佐藤光留(さとうひかる)

 1980年7月8日生まれ。岡山県岡山市出身。173cm 93.10kg 

主要タイトル歴:世界ジュニア、アジアタッグ、IJシングル 

スポーツ歴 :レスリング、柔術、墓石麻雀5級 

得意技: 蹴り、関節技、北斗百裂アウトレイジ野球 趣味・特技:釣り、きもちく拳法 

好きな有名人: 来栖うさこ、岬恵麻、エロマンガパンチ 

好きな食べ物: sio

 会場使用テーマ曲: 「俺ら代表取締役辞任するだ」鳥羽周作


1999年にパンクラスに入門。総合格闘技で腕を磨き、2008年よりプロレス参戦。以後、DDTや全日本プロレスで活躍、 全日本ジュニアに強いこだわりを持ち絶対的な中心を自負する。ミスター・天龍プロジェクトの異名も取る。'23年3月開催のジュニアの祭典では田口隆祐&今成夢人と変態トリオを結成。8月の自主興行ではエル・デスペラードと一騎打ち。〝現在進行形のU〟と称される大会「ハードヒット」のプロデュースも行っている。 




 

 






(この写真は御本人提供です)

 

細田 昌志(ほそだ・まさし)

1971年岡山市生まれ、鳥取市育ち。鳥取城北高校卒業。CS放送のキャスターや放送作家など職歴を重ねたのち、ノンフィクション作家に。著書に『坂本龍馬はいなかった』(彩図社)、『ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか』(イースト新書)、2020年刊行『沢村忠に真空を飛ばせた男: 昭和のプロモーター・野口修 評伝 』(新潮社)で第43回講談社本田靖春ノンフィクション賞。2024年刊行『力道山未亡人』(小学館)で、第30回小学館ノンフィクション大賞を受賞。X(旧Twitter):@kotodamasashi


〇力道山未亡人








佐藤選手、細田さんに語っていただくテーマは「UWF」。第一次UWF、第二次UWF、UWF崩壊後にその系譜を継いだUWF系団体とUWF戦士について熱く語り合うディープな対談となっております。


「マット界に一時代を築き、社会現象を起こした格闘プロレス・UWFとは何だったのか!?」


UWFを愛する二人の論客によるノンストップUWFトークは最高に盛り上がりました。


令和の時代に問いかけるUWF対談、是非ご覧下さい!




プロレス人間交差点 〜令和のUWF論〜

「変態レスラー/Uの末裔」佐藤光留☓「ノンフィクションの賞取り男」細田昌志

前編「昔、好きだった異性」










「新日本で罵声を浴びせられたラッシャー木村が、好感度の高い前田日明の参謀役になっている図式が単純に嬉しかった」(細田さん)



──佐藤選手、細田さん、「プロレス人間交差点」にご協力いただきありがとうございます!今回はプロレス界と格闘技界に一時代を築いたUWFについて色々と語り尽くす対談をさせていただきます。「UWFとは何か?」という難題なテーマについてU系団体や選手についても深堀りできればと考えています。よろしくお願いいたします。


佐藤選手 よろしくお願いいたします!

細田さん よろしくお願いいたします!

 

──まずはお二人のUWFとの出逢いについてお聞かせください。


細田さん 1984年4月11日大宮スケートセンターで行われたUWF旗揚げ戦。僕はその時は中学1年生のプロレスファンでした。1981年に国際プロレスが崩壊してからUWFが旗揚げされるまでの3年間は、ずっと新日本と全日本の2団体時代だったわけで、「2団体時代が永遠に続くのかな」と思っていたところに突如、謎の新団体UWFが誕生、前田日明がエースとして担ぎ出されるという。

 

──当時25歳、キャリア6年の前田さんは新日本の将来のエース候補として期待されていました。


細田さん スター候補生の前田日明が突如、新日本を離脱して新団体のエース、副キャプテンの地位になぜかラッシャー木村がいて、その下にはなぜかグラン浜田、剛竜馬、マッハ隼人。高田延彦(当時は伸彦)が途中から友情参戦していて、「何だろう、この団体は?」という想いを抱きました。でもね、僕個人としては格闘技路線になる以前のUWFについては、「もう少し見たかったなあ」って正直思ってます。


──これは興味深い発言ですね。


細田さん このまとまりがない感じが中1には刺激的で、「前田・木村組のタッグで暴れ回ったら面白いな」とか(笑)。


──国際プロレスの延長線みたいな感じですね。


細田さん ただ、国プロにしては、当時の前田日明はイケメンで洗練されているから「そのミスマッチがいいよね」みたいな。新日本で罵声を浴びせられたラッシャー木村が、好感度の高い前田日明の参謀役になっている図式が単純に嬉しかったのもあって。新日本での、ラッシャー木村の扱いがちょっと可哀想だなと思っていたのもあって。僕は猪木信者だったけど、ラッシャー木村の家に嫌がらせとかそういう被害があって、ストレスで愛犬が亡くなっていたことにも心を痛めてました。だから、そのあとにUWFがカール・ゴッチイズムに傾倒していくのは、正直「うーん」という感じもあって。


佐藤選手 前田さんは好感度が高かったんですか?


細田さん 高かったですね。ヨーロッパ武者修行から帰国初戦でのポール・オーンドーフとのシングルマッチ(1983年4月21日・蔵前国技館)でサラサラヘアーの知的なお兄さんがいきなり現れて、「7色スープレックス」とか言って、誰も見たことがないスープレックスをやるじゃないですか。ジャーマンも美しいし。当時、ドラマで『ふぞろいの林檎たち』をやっていて、その作品に登場人物のような大学生のお兄さんがリングに上がっている感じがして、ものすごくかっこよかった。初代タイガーマスクが引退した時も「これからの新日本は前田だな」というムードがあったから、だから、新日本を離脱してUWFに移籍っていうと、「ラッシャー木村さんもいるし、これは応援するしかないな」と思いました。


──当時、アントニオ猪木さんと国際プロレス軍団の抗争が一区切りして、新日本での木村さんのポジションが浮いていたんですよね。


細田さん そうです。UWFは新間寿が立ち上げた団体なので、ラッシャー木村は「新間さんの言うことにとりあえず従っておこう」ということだったんでしょうね。新日本から追い出された新間寿が、居場所がなくなりつつあった木村、剛、浜田に声をかけて、彼らはUWF旗揚げに参加することになった。このアンバランスさは僕は決して嫌いではなかったですよ。

    



「僕から見て前田さんはすごく上下関係を重んじる真面目な方なんですよ」(佐藤選手)

「前田日明は後の高山善廣のような感じで、馬場さんの懐に入っていったら、面白かったかもしれないですね。鶴田&前田とか凄く魅力的じゃないですか」(細田さん)




──私は細田さんが言われたような「格闘技路線になる前の状態でUWFが進んでいったらどうなったのだろう?」と夢想してしまいます。


細田さん おそらく、全日本に吸収されていったでしょうね。現に木村、剛、浜田は全日本に移りましたし。ただ、新日本からカルガリー・ハリケーンズを経由して移籍していた高野俊二(高野拳磁/現 ケン・タカノ)の全日本での扱いを見ると、あの前田日明でさえも中堅で終わっていたのかもしれません。全日本は外様に厳しいイメージがあるので。


佐藤選手 全日本は生え抜きじゃない選手には厳しかったですね。


細田さん 佐藤選手はプロレスラーだからよくわかるんじゃないですか。


佐藤選手 それこそUWFの話で和田京平レフェリーから聞いた馬場さんの話をするのはなんですけど、馬場さんは選手の心情を気にする人だったそうです。例えば団体のエースであるジャンボ鶴田さんがかつて付き人を務めた三沢光晴さんに敗れたというのは、ファンもそうですが、何より鶴田さん自身が結構思うところがあったと。馬場さんと渕正信さんが二人でマッチメイク会議とかで選手の敏感なところを突きすぎると猪木さんの新日本みたいになるし、色々と苦心されて凄く考えてた、あと三沢さんがすごくかわいかったという話を京平さんから聞きました。


細田さん 保守的ですよね。でも会社経営はそうあるべきなので、ジャイアント馬場の判断は間違っていないと思います。


佐藤選手 みんな猪木さんに憧れている部分があるんで、普段の会社から出る鬱憤を晴らすために非現実社会の新日本を見ている人からすると、全日本は普段の会社と同じようなことをしているんですよ。


細田さん 全日本に移籍したら、その後、前田日明がピザ屋でバイトをしている可能性もあったかもしれませんね。


佐藤選手 ありますよ(笑)。


細田さん ただ、アキラ兄さんは男前だから、外様でも全日本である程度は優遇された可能性はありますね。


佐藤選手 僕から見て前田さんはすごく上下関係を重んじる真面目な方なんですよ。昔、鈴木みのるさんが前田さんに「これはなぜ必要なんですか?」と聞くと決して頭ごなしに怒鳴りつけずにきちんと説明されていたそうなんですよ。


細田さん ラッシャー木村が全日本に移籍して中堅ポジションで、馬場さんと兄弟コンビを結成して見せ場を担ったとするならば、もしかしたら、前田日明は後の高山善廣のような感じで、馬場さんの懐に入っていったら、面白かったかもしれないですね。鶴田&前田とか凄く魅力的じゃないですか。大型タッグですよ。


佐藤選手 ちょっとそれは想像したことがなかったので、細田さんの意見は面白いですよ!鶴田&前田が実現したら歴史が変わったんじゃないですか。


──鶴田さんが引退会見で「前田さんと闘いたかった」と言われていたので、前田さんの存在は鶴田さんの視界に入っていたと思います。


細田さん あと全日本には天龍源一郎もいたので、天龍・前田の絡みは面白かったでしょうね。


佐藤選手 それは怖いなぁ(笑)。


細田さん 天龍源一郎VS前田日明、阿修羅・原VS前田日明が実現していたら最高ですよ!


佐藤選手 確かにそうですね。


細田さん  UWFが格闘技路線に走ったことには、そのときは少しガッカリしたけど、でも、佐山聡に魅了されるし、地味だった木戸修にスポットライトが当たったりして、その上、第2次UWFのムーブメントに繋がっていくわけなので、結果としてよかったんだろうけど、でもやっぱりそっちの歴史も面白かったんだろうなと思います。


──前田さんは国際プロレスの選手をかなり評価されていたので、阿修羅・原さんとの一戦が実現したら面白かったでしょうね。


細田さん 面白かったと思います。阿修羅原は頑丈ですからね。




「猪木さんの全盛期もリアルタイムで見ていないので、僕はUWFというひとつの大河が三つの方向に川が流れるようになったことを知らずに育ったんです」(佐藤選手)




──原さんは後に新日本(反選手会同盟自主興行)で空手出身の齋藤彰俊選手とシングルマッチで対戦したのですが、齋藤選手の蹴りと正拳突きを真正面から受けきって、頭突きとヒットマン・ラリアットのみで勝ったことがあったんです。もし、原さんと前田さんのマッチアップが実現したら、前田さんのキックを原さんが受け止めた試合展開になったのかもしれません。では佐藤選手、UWFとの出逢いについてお聞かせください。


佐藤選手 僕は1980年生まれで、前田さんと知ったのはリングスからなんですよ。ケイブンシャの『プロレス大百科』で見た前田さんはまだ新日本にいた頃で、第一次UWFとかがごっそり抜けているんです。


細田さん 佐藤選手は第一次UWFが旗揚げした時はまだ4歳ですね。


佐藤選手 小学校4年生になって、同級生にプロレスが好きな子がいて、僕は新日本だけ見ていたんですけど、全日本も見るようになったんですよ。実はジャイアント馬場さんは『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』(日本テレビ系で放送されていた人気クイズ番組)に出ていた人だという認識しかありませんでした(笑)。


細田さん ハハハ(笑)。


佐藤選手 プロレス好きの同級生から『週刊プロレス』と『週刊ゴング』というプロレス雑誌があると教えてもらってから読むようになるんですけど、その頃には第二次UWF崩壊が三派に分裂(リングス、UWFインターナショナル、藤原組)していたんですよ。最初は藤原組を見ましたけど、覆面レスラーがいないし、みんなやっていることが同じで全然興味が引かれなくて、エスケープとダウンという概念もよくわかりませんでした。


細田さん 確かに分かりにくいですよね。


佐藤選手 猪木さんの全盛期もリアルタイムで見ていないので、僕はUWFというひとつの大河が三つの方向に川が流れるようになったことを知らずに育ったんです。だから細田さんと9歳違いなんですけど、こんなに見てきたものが違うのかとちょっとショックを受けてますよ。


細田さん 僕が13歳の時に第一次UWFに出逢うんですけど、佐藤選手が13歳の時にちょうどパンクラス旗揚げすることになるんですね。


佐藤選手 パンクラスはプロレスっぽい攻防を全てなくして「完全実力主義」だと言っているのがよくわからなくて。僕からすれば大仁田厚さんが全盛期バリバリでやっていたFMWだって真剣勝負なんですよ。


細田さん 中学生だったらそう思うでしょう。


佐藤選手 「完全実力主義」って船木誠勝さんや鈴木みのるさんは何を言っているのかと(笑)。


細田さん ハハハ(笑)。だから佐藤選手はパンクラスに居ながら思い切って振り切れたのかもしれない。UWFという思想の洗礼を受けていないわけだから。


佐藤選手 それはあるかもしれませんね。


細田さん 僕は総合格闘技の菊田早苗、キックボクシングの立嶋篤史、小林聡と同学年なんです。僕らの世代は変なこだわりだけで生きてきた人たちがいっぱいいますね。あと今、名前を挙げた人たちはUWFの影響を受けていたりして。


佐藤選手 そうですね。立嶋さんと前田憲作さんはよく鈴木さんから話を聞くんですけど、未だにお互いに色々と思うところがあるみたいで、嫉妬心とかも交えつつどこかで戦友なんだなと感じました。


細田さん 船木誠勝と鈴木みのるがパンクラスに舵を切った要因のひとつに、当時、全日本キックで人気を誇っていた立嶋さんと前田さんの影響も多少はあっただろうし。彼らが同世代だからなおさら。


佐藤選手 鈴木さんと前田さんはムエタイの同じジムだったんですよね。


細田さん シンサック・ソーシリパンが会長を務めていたS.V.G.(シンサック・ビクトリー・ジム)ですね。


佐藤選手 ワイクーの音楽をかけながらムエタイの練習をやるんですけど、その電源をどこから引っ張ってくるのかで料理屋と風呂屋が喧嘩になったという話とかスゲェ面白かったですよ(笑)。


細田さん 鈴木みのるはS.V.G.で長い間、練習していたようですね。S.V.G.は田村潔司も練習に来ていて、意外とプロレス界、特にUWFはすごく密接で、シンサック会長の奥さんの高岡(左千子)さんが姓名判断をしていて、その画数で「船木誠勝」「鈴木みのる」「田村潔司」の名付け親なんですよ。




「なんでUWFを触れてほしくないのか?UWFは『昔、好きだった異性』『意味もなくフラれた彼氏・彼女』なんですよ」(細田さん)



──そうだったんですね!知らなかったです。


細田さん 「中野巽耀」「冨宅祐輔」「高橋義生」「柳沢龍志」も高岡さんが名付け親ですから。改めてネーミングセンス抜群だと思う。あと第二次UWFで社長になった「神新二」も高岡さんがつけたらしいし。


佐藤選手 ええええ!!


細田さん 神さんは本名が「真慈(しんじ)」なんですけど、「新二」に改名していて、あとパンクラスで社長になった「尾崎允実」も高岡さんがつけたようで。


佐藤選手 マジですか!!これはパンクラス32年目の新事実ですよ!!


細田さん 高岡さんも僕は長く会っていないけど、鈴木みのるは、会場で会えば話す仲ではあるとか。


佐藤選手 鈴木さんは未だに試合前に同じ興行に出る場合、一緒にキックボクシングの練習をやるんですけど、その技術が完全にムエタイなんですよ。僕はパンクラスでデビューする段階からオープンフィンガーグローブをつけてMMAをやっていて、どちらかというとパンチ主流なんですけど、掌底とキックがメインのUWFスタイルを通っている皆さんは蹴りを当てる技術体系がすごく強かったのがシンサック会長やUWFインターでムエタイコーチをされたボーウィー・チョーワイクンさんの影響があるんだろうなと思いますね。


細田さん シンサック会長がUWFに与えた影響は凄い大きいと思う。実はシュートボクシングのシーザー武志会長経由でシンサック会長はUWFと繋がって、色々な偶然が重なってプロレス界や格闘技界に功績を残していったことが分かります。


佐藤選手 そうですね。無益な暴露本とか出していないで、こういうことを書いたり、言ってほしいですよ。


細田さん それは確かにそう。


佐藤選手 年数が経って、登場人物の三分の一が亡くなって、みんなの記憶が曖昧になっているスキャンダラスな出来事ばかり追っていて、証言する人たちは異口同音に「俺が言ってることが正しい」と。本当にうんざりしますよ。


細田さん その気持ちはよくわかります。


佐藤選手 変な話、僕がハードヒットで「現在進行形のU」と言ってやってますけど、それは自分だけがそう思ってることかもしれない。UWFをやってきた人たちからすると「これは違う」「こうした方がいい」と異論もあるかもしれません。それなら今までUWFをやっていた人たちにはあまり関わらず、自分たちで解釈して、ハードヒットのリングで「UWF道」を突き進んでいるんですよ。未だに誰にも理解されないですけど、理解されようと思ってやることじゃないので。


細田さん 大事ですよ。それだけ言うほどUWFに価値があるということですよね。


佐藤選手 ハードヒットをやって「今はMMAになっていて、UWFは終わったスタイル」となんかみんなUWFを終わらせてなかったことにしようとしているんです。最初は反発していましたが、よくよく考えると昔のUWFが好きな人が多くて、好きだからこそ他者に触れてほしくないんですよ。


細田さん この対談の本質にたどり着きましたね。なんでUWFを触れてほしくないのか?UWFは「昔、好きだった異性」「意味もなくフラれた彼氏・彼女」なんですよ。その時はすごくショックですよね。失恋しているわけだから、何年か経って心の傷も癒えていく。UWFが三派に分かれたのは3人の違う異性と結ばれるみたいなことで(笑)。 


佐藤選手 ハハハ(笑)。


細田さん 本当にそうなんですよ。だから佐藤選手がハードヒットをやっていることに「なんで今頃、やっているんだ⁈」という気持ちは少し理解できるし「昔の話はやめろよ。思い出したくない」ということなんですよ。


佐藤選手 細田さんの話を聞いて納得しましたよ。僕も同窓会で昔、好きだった子が老いていたら会いたくないですから。あの時の彼女がいいんですよ。


細田さん 「UWFという綺麗な思い出をそんな弄らないで」と考える人たちは佐藤選手のハードヒットについていないんですよ。だからUWFを好きだった人たちの多くはUWFから卒業したんだと思うんです。


佐藤選手 ハードヒットは、昔のUWFを知らない人たちが観に来られますけど、細田さんと同じ時期からUWFを見ていた人たちも来てくださるんですよ。フラれた、フラれていないどころか女の子と話したことがないような人もやってきますよ。

細田さん もしかしたらそういう人たちがハードヒットを支えているのかもしれないです。


佐藤選手 僕より一世代下の女の子が10歳くらいの時にハードヒットを観戦して「面白い」と言ってくれたんですよ。UWFの成り立ちを考えるとプロレスというすごく色濃く形として馬場さんと猪木さんであったところに、もっと掘り下げたスタイルとしてUWFが生まれて、やがてムーブメントとなり今のMMAに繋がっていくわけで、その過程を踏まえた上でハードヒットを見て「面白い」と言ってくれる人たちがいるんです。


細田さん 今の若者で昭和歌謡が好きな人が多いというのと似ていて、その感覚で若い世代がハードヒットを見ているのかもしれないですね。


佐藤選手 僕がUWFを好きになった理由の一つにとにかくかっこよかったんですよ。冴夢来プロジェクトで当時、誠ジムにいた美濃輪育久(現・ミノワマンZ)さんの試合を見てファンになったことがきっかけで、美濃輪さんがパンクラスに入団したから、僕もパンクラスに入ったんです。


細田さん じゃあ、美濃輪チルドレンですね!


佐藤選手 恐らく僕は美濃輪さんを見てプロレスラーになった第一号だと思います。


細田さん 美濃輪育久は当時、パンクラスの入門テストを受けてましたか?


佐藤選手 受けてましたね。


細田さん パンクラスの入門テストは100人が来てた時代ですよね。


佐藤選手 僕の先輩の窪田幸生さんに聞いたのが、窪田さんが合格した時は100人受けて合格するのは4人で東京の広尾道場と横浜道場で2人ずつ取って、一週間経つと窪田さんだけ残ったそうです。その後に入門テストに受かってデビューしたのが僕で、窪田さんがデビューしてから3年くらい経っているんです。


細田さん 練習生が逃げちゃう理由って練習だけじゃないでしょう。人間関係とかもあるんですか?


佐藤選手 ハッキリ言うと僕がパンクラスに入った1999年って、鈴木さんが31歳で怖さが半端なかったですよ。入門直後に窪田さんに「できるだけ鈴木さんの前では笑うな」と言われて、楽しく笑うためにパンクラスに入ったわけじゃないけど、人間らしい生活をしちゃダメなんだと思いましたよ。


細田さん 船木さんって人はどんな感じでしたか?


佐藤選手 パンクラス在籍時には三言しか話したことがないくらい船木さんとは交流がなかったですよ。入門テストで僕はダントツの成績を残したんですけど、船木さんが「あいつの目が嫌い」と言って僕を鈴木さんがいる横浜道場に押し付けたんです(笑)。


細田さん ハハハ(笑)。


佐藤選手 今はすごく仲がいいんですけど。


細田さん 船木誠勝、そういうことを言うんだ(笑)。



「細田さんと話していて、どこでUWFに触れたかによってその人のプロレス人生が左右しているような気がしました」(佐藤選手)



──佐藤選手がデビューした2000年の5月26日『コロシアム2000』東京ドーム大会で船木選手はヒクソン・グレイシーに敗れて引退されますよね。




佐藤選手 はい。船木さんがヒクソンに負けて控室にパンクラスのメンバーが集合したんですよ。そこでヒクソンに絞め落とされたばかりの船木さんが「ごめんな」と色々と話されている顔と船木さんの話を聞いている鈴木さんの顔が印象的で、あれが僕が知っているUWF思想のフィナーレだったように思います。船木さんもパンクラスを離れて、思想を持ちすぎて団体が分かれたり、経営が苦しくなったパンクラスが団体から興行運営会社に変わって、選手が次々と辞めていって、バトラーツ゚もどんとん経営難になって団体規模が縮小していって、リングスも活動休止していくので、僕がUWFの末端に触れられたのはあの時の船木さんと鈴木さんの顔だけだなと思いますね。


細田さん 貴重な経験だな、それは。2000年といえばPRIDEが大躍進したじゃないですか。


佐藤選手  そうですね。パンクラスでは鈴木さんは頚椎椎間板ヘルニアの影響もあってコンディションがよくなくて欠場は復帰してはすぐに怪我をしていて、もう引退しようかなということで橋本真也さんや佐々木健介さんとの対戦話が上がっていた頃で、近藤有己さんがパンクラスの若きエースだったのでPRIDEに出る、出ないという話がありましたね。近藤さんは後にPRIDEに出るんですけど。


細田さん PRIDE武士道に近藤選手は出てましたね。


佐藤選手 後にセーム・シュルトが無差別級キング・オブ・パンクラスのベルトを持ってさまざまな格闘技興行に出て、勝ったり負けたり。ジョシュ・バーネットもそうですよね。


細田さん ジョシュと近藤有己の試合(2003年8月30日・両国国技館)は素晴らしかったですよ。


佐藤選手 あれは今でも思い返すと震えるほど名勝負でした。細田さんと話していて、どこでUWFに触れたかによってその人のプロレス人生が左右しているような気がしました。僕はプロレスラーとして全日本とFMWとパンクラスを秤にかけて悩んでパンクラスに入って、パンクラスに入った頃は、まだ週刊プロレスに掲載されてました。練習生時代のエピソードは昭和の新日本みたいなものばかりで、ベンジンを染み込ませた竹刀に火をつけて、真剣白刃取りするとか。


細田さん うわぁ…。


佐藤選手 その頃のパンクラスは僕みたいにプロレスラーとして入った人間もいれば、格闘技をやるために入った人間もいて、UWFの色が変わっていく境目を目撃しましたよ。プロレスからプロレスじゃなくて、プロレスからMMAに変わっていくところを。


──細田さんとUWF観と佐藤選手のUWF観が見事にコントラストが分かれていて、お聞きして素晴らしいなと思います。


佐藤選手 僕はカッコいいなと思って購入した車に乗ってもっと好きになっていくタイプで、細田さんはこの車のシリーズがいいと思って乗って、新しいモデルが出ると取り敢えず乗ってみようというタイプなのかなと思うんですが、いかがでしょうか。


細田さん そうかもしれないです。これは宇野薫選手も言っていたけど、UWFの鮮やかな色のレガースとニーパットを見て憧れましたし、カッコよかったですよ。これはレガースを作った佐山聡さんがいかに天才だったかということですけど。


佐藤選手 今やキックを使わない選手がカッコいいという理由でレガースを着用する時代ですから。


細田さん 特に第二次UWFの快進撃にはレガースの存在が一役買っていたはずなんですよ。


佐藤選手 レガースの話で言うと、船木さんや鈴木さんがパンクラスを旗揚げする時にレフェリーやトレーナーを務めた廣戸聡一さんから「どんなに君たちが深い思想を持っていてやる気があっても、聞いてくれる大人はいないよ。人間は見た目だよ。僕はお手伝いするから身体を変えなさい」と言われて、パンクラスのメンバーはバキバキに肉体改造するんですよ。


細田さん これは貴重な証言ですよ!


佐藤選手 船木さんと鈴木さんを筆頭に元・藤原組の主要メンバーが自分たちの船で航海するんですけど、藤原組時代にお世話になったスポンサーさんに誰一人相手にされなくて自分たちの無力さを知ったんですよ。いざパンクラスを旗揚げして、ブームになって、「完全実力主義」という旗印を元で激しい試合をやり続ける責任と、それに付随する高揚感が凄くあったと鈴木さんから聞いたことがあります。


(前編終了)