中村さんの好きなプロレス名勝負とは?
ーーこれまで記者として現場で立ち会ったり、映像でご覧になったものでも構いません。中村さんの好きな名勝負を3試合、選んでください。
中村さん まずは1995年10月9日新日本・東京ドーム大会の武藤敬司VS髙田延彦ですね。僕は企画ページでずっと追いかけてきた髙田さん側の目線で見ていたので、彼の「最強」という商品価値がこの試合で下がってしまった印象があります。プロレスの怖さを心底、知った試合でした。
ーー武藤VS髙田は多くの皆さんが名勝負にあげますよね。他の2試合もお聞かせください。
中村さん 2019年のG1決勝戦・飯伏幸太VSジェイ・ホワイトです。やっと、飯伏選手が新日本の頂点にたどり着いた試合です。よく覚えているのが、試合後のバックステージで瓶ビールが並べられていて、優勝した飯伏選手が親指で弾くように瓶ビールの王冠を外して、グビグビと一気飲みしたんです。その後に飯伏選手が「中村さんも飲んでくださいよ」と、瓶ビールを一本差し出してくれて、その場で乾杯しました。インタビューや試合で飯伏選手を追っかけてきて良かったなと、その瞬間、心底思いました。試合も凄かったんですけど、指先で王冠を軽く開けて瓶ビールを一気飲みする飯伏選手の姿はずっと忘れられないですね。
ーーではもう1試合ですね。よろしくお願いいたします。
中村さん 今、記事でかなりの頻度でお世話になっている大仁田厚さんの試合で、1993年5月5日・FMW川崎球場で行われた「ノーロープ有刺鉄線電流爆破超大型時限爆弾デスマッチ」大仁田厚VSテリー・ファンクです。
ーーあの試合ですか!大仁田選手がテリーに勝利した後に、大の字になっているテリーを助けるために、覆いかぶさるように一緒に時限爆弾の餌食にあった名シーンでしたね。
中村さん そうです。時限爆弾を浴びて倒れ伏した後に二人で抱き合ったんですよ。
ーーこの試合は歴史的転換期だと思ってまして、テリーは大仁田戦以後、ハードコア路線で覚醒するんですよ。ECWでFMWでの経験を活かして、「リビング・レジェンド」としてブレイクしているんです。テリーにとっては大仁田戦は分岐点になったんですよ。
中村さん あの試合は強烈に覚えてますね。
定年まであと2年。報知から現場記者として「究極の自己救済」できる場を与えられたことに感謝している
ーーありがとうございます。では中村さんの今後についてお聞かせください。
中村さん 僕は今年(2023年)で58歳になりました。報知新聞社の定年まであと2年です。いつまで記者生活が続けられるかは分かりませんが、プロレスは一記者としてこれからも追いかけていきます。新日本中心にプロレスの取材に行って、いい記事を書いていきたいですね。新日本以外にもノアの拳王選手、全日本の宮原健斗選手と魅力的なレスラーがいますので、取材して記事が書けたらいいと思っています。尊敬する出版人である幻冬舎の見城徹社長の「表現とは究極の自己救済」という有名な言葉があります。今回、ジャストさんに話させていただいたように僕は報知新聞社社員としての晩年に現場記者という「究極の自己救済」ができる場を与えられました。この幸運に溺れず、読者の皆さんに「この中村という記者の書いたコラム、一理あるな」「ちょっと面白いな」と、ふと思ってもらえるような記事を場が与えられる限り、書き続けたいと思っています。
ーー期待しています!まだまだ記者として色々とチャレンジしていただき、記事として読みたいですよ。
中村さん ありがとうございます。デジタル部門は日進月歩で競争が激しくて、新しいメディアが出てきては消滅していき、名のある老舗のメディアもデジタルにはついていけずに退場していくサバイバル時代に突入しています。近年は報知Webで多くのネット記事を書かせていただいているので、さまざまなジャンルでもっと数字を稼げる記事を書いて会社に貢献したいです。そのためには皆さんが共感して、興味深く読んでくださる記事を書き続けていくしかないです。僕の記事にジャストさんのように興味を持ってくださることは、書くこと以外になんの取り柄もない僕にとっては非常に幸せなことです。今回、インタビューしていただいたことにも心から感謝しています。
ーーありがとうございます!中村さんは大学卒業後に報知新聞社(スポーツ報知)に入社されていて、社会人生活のほとんどをスポーツ報知で過ごされてきたと思います。中村さんにとってスポーツ報知とはどのような会社ですか?
中村さん 大学生の頃は一般紙の記者になりたかったんです。『黒田ジャーナル』(元読売新聞大阪本社のジャーナリスト・黒田清さんが主宰していた機関)に憧れていて、社会の巨悪とペンで闘いたいと本気で思っていました。大学もマスコミの入社試験に強いということで選んだ経緯もあります。でも、希望通りには行かず、最終的には採用試験の一番遅かった報知新聞社だけ、なぜか、とんとん拍子に進んで採用されました。僕を拾っていただき、記者にしていただいた会社なので、記者生活も既に最終コーナーを回っていますが、その恩返しをしていきたいですね。
中村さんにとってプロレスとは?
ーー素晴らしいですね。ありがとうございます。では最後の質問になります。あなたにとってプロレスとは何ですか?
中村さん プロレスは命を懸けたエンターテインメントがあることを教えてくれた存在です。受け身を取る首の角度を少しでも誤るだけで死んでしまうし、日常生活に支障が出る大怪我を負ってしまうわけで。究極まで心と身体を鍛え上げながら、立花隆氏のような世間の偏見とも闘ってきたのがプロレスラーだと思います。以前、棚橋弘至選手にインタビューした時に、「僕は笑顔で表情をフィックスできるんです。楽しくない時でも笑顔でいられるんです」と語っていました。棚橋選手は8本のひざのじん帯のうち4本が切れていても命を懸けて人を楽しませるために試合に出続けている。内藤哲也選手もあれだけヒザがボロボロなのに「お客様」のために絶対に欠場しない。ああいう選手たちを見ていると、心の底から尊敬できます。
ーー中村さんはプロレス以外のジャンルも書かれています。さまざまなエンターテインメントを見てきたと思いますが、命懸けという部門ではプロレスは別格でしたか?
中村さん はい。プロレスは特別ですね。身一つで感動させているわけですよね。北野武(ビートたけし)さんがどんなに凄い映画監督でも、たけしさんひとりだけでは映画は作れない。たけしさんが脳内で描いたものを演者や制作会社やスタッフも加わって作り上げていくのが映画ですから。その点、プロレスは自分ひとりで主演も監督もプロデューサーもできる。そこがプロレスとプロレスラーの凄さかなと思います。
ーーこれでインタビューは以上となります。これからも中村さんの熱い記事を書き続けてくださいよ。今後のご活躍とご健康をお祈りいたします。ありがとうございました。
中村さん ありがとうございました。
【編集後記】
「なんでこの人は賛否両論を呼ぶ内容のコラム記事を書き続けるのだろうか?」
スポーツ報知Web版で定期的に更新されている中村健吾さんの記者コラムを読んでいるとこのような疑問が起こりました。
特に新日本VSノアの対抗戦について論じた記事は、ネット上で炎上。ファンだけではなく、選手やマスコミからも批判が多かったように思います。
批判や悪口に言うのは簡単です。私は中村さんのコラムに対して、悪口を言ったり、嘲笑するような輪には乗れなかったんです。
だからこそ中村さん御本人に直接インタビューしてみたいなと思うようになりました。
そして実現した今回のインタビュー。
中村さんはこちらからの厳しい質問や疑問に対して、きちんと受け止めて答えてくださいました。本当にこのインタビューをお受けいただき、感謝しています。
決して批判から逃げず、きちんと受け止めた上で真っ向から自身の意見を言う。なかなかできることではありません。
文章を書くときに自分のモノサシにはめて記事を書く人が多いと思います。
「この人はこういう人だろう」「こうあるべきだ」という自分の希望や願望を記事にしてしまい、炎上してしまう。
ライターはそれが味になるが、記者の場合は事実をきちんと伝えることが大前提です。事実誤認はもってのほかなので、そこは書き手は肝に免じておかないといけません。
私はスポーツ新聞の記者さんをめちゃくちゃリスペクトしているので、偉そうなことを言える立場ではありません。
だからこそ、自戒も込めて言います。ライターや記者は、物事を見る自身のモノサシやアンテナの精度を高めておく必要があるのではないでしょうか。そうしないと事象と異なったり、逸脱してしまうとそれこそ「トンチンカン」な文章になってしまうのかもしれません。
私は中村さんにインタビューしてみて、良くも悪くも「不器用」「愚直」という印象を受けました。その「不器用」「愚直」が時に暴走してしまい、炎上という事態になることがあるのだろうなと。その一方で物事を突き動かすパワーにもなるのが「不器用」「愚直」なんだと思います。
だからメリットもデメリットもあるのです。
これからも中村さんは記事を書き続けていく中で、炎上するケースもあるかもしれません。
ただ中村さんがどのような思いを記者コラムを書いているのかという理由や考えは、今回のインタビューで記すことができました。
考えは人それぞれであって、さまざまな意見があっていいのです。
みんなちがって、みんないい。
私はこれからも中村さんが書かれる記者コラムをリスペクトを持って、読み続けようと思います。
中村さん、今回のインタビューをお受けいただきありがとうございました!
(第4回終了/私とプロレス 中村健吾さんの場合・完結)