私とプロレス 中村健吾さんの場合「第2回 流転のスポーツ紙記者人生」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレス好きの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画「私とプロレス」。


 

 

 

 

今回のゲストは、スポーツ報知の中村健吾さんです。





(画像は本人提供です)



中村 健吾(なかむら・けんご) 1965年、神奈川県横浜市生まれ。88年4月、早稲田大学教育学部教育心理学専修卒業後、報知新聞社入社。編集局整理部(レイアウト担当)、運動第二部(サッカー担当)、文化部(映画担当)などで取材後、社会部、地方部、メディア企画部でデスクを経験。2015年から編集局デジタル編集部でネット記者として活動。主な取材ジャンルはプロレス、芸能、社会。過去の著作はスタジオジブリの制作過程を追った「『もののけ姫』から『ホーホケキョとなりの山田くん』へ テーマは『生きろ。』から『適当』へ…!?」(徳間書店刊)。



【活動情報】

現在、「スポーツ報知WEB(https://hochi.news/)でプロレス速報(新日本プロレス中心)、芸能速報、記者コラム(週1本ペース)で情報発信中。巨人戦、高校野球の速報記事からインスタグラムなどのSNS記事、テレビ番組を見ての「こたつ記事」など、なんでも書いてます。現場に行ってのプロレス記事は基本、署名入りで書いておりますので、感想お寄せ下さい。





以前、「私とプロレス」にご登場していただきましたスポーツ報知の加藤弘士さんの紹介で中村さんのインタビューが実現しました。



スポーツ報知一筋で数々の記事を執筆されてきた中村さん。近年はスポーツ報知WEB版の記者コラムでプロレスやエンタメを中心に更新されています。時には賛否両論を呼ぶインパクトを放つコラムを書かれる中村さんとはどのような人物なのでしょうか?


これまでの経歴、プロレスとの出逢い、語りたいプロレスラーや団体、文章を書く上で大切にしていること、賛否両論の記者コラム、好きな名勝負などさまざまなテーマで中村さん、語ってくださいました!



『私とプロレス 中村健吾さんの場合「第1回 賛否両論の記者が語るプロレスとの出逢い」』 




是非ご覧ください!


私とプロレス 中村健吾さんの場合「第2回 流転のスポーツ紙記者人生」


スポーツ報知・新日本担当記者が語る新日本プロレス

ーー続きまして、中村さんがどうしても語ってみたいプロレス団体があれば、教えてください。

 中村さん この7年間、新日本プロレスを追いかけているので、新日本になりますね。

ーー個人的に中村さんの新日本プロレス論は聞いてみたいです。

 中村さん 今の新日本はずらりとスターが揃っているじゃないですか。それは素晴らしいんですけど、果たして彼らの活躍をさらに後押しするような企業努力がどれほどできているのかは気になりますね。棚橋弘至選手、オカダ・カズチカ選手、内藤哲也選手、KENTA選手といったコメント力やSNSでの発信力があるトップ選手に見合う露出、舞台が団体として提供できているのかに疑問を感じます。

ーー選手ではなく団体に対して懸念があるんですね。

 中村さん 新日本は日本プロレス界最大手の団体です。コロナ禍の中でスタッフの皆さんが懸命の努力をしてきたのは近くで見てきて心底、分かっているのですが、試合内容を含めその努力がどこまでファンに伝わっているのか? 以前、この件に関してコラムを書いたんです。


ーーその記事は読んだことありますよ!割と踏み込んだ内容になってますね。

 中村さん コロナ禍の新日本ではEVIL選手が率いるハウス・オブ・トーチャーの乱入や凶器攻撃がメイン戦線で目立つようになった。アメリカンプロレスの影響もあって、それはそれでいいと思いますけど、観客はフラストレーションを溜めているのではないか。もっと、楽しくて激しい試合を見たい。体制批判と受け取ってほしくはないのですが、もっと、プロレスファンの声に耳を傾けてほしいと思います。

ーー今の話を聞いて感じたんですけど、中村さんの新日本への熱い想いを、大張髙己社長に取材してぶつけてみてはいかがでしょうか? 大張社長はフットワークが軽くて、さまざまなメディアの取材を受けています。Twitterでも細目に発信もされています。

 中村さん 一度、ご挨拶をさせてもらった時に「いつも厳しい筆致で書いていただきありがたいです」とおっしゃって下さって。非常にフレンドリーで懐の深い方だなと思いました。確かに大張社長に聞くという手段がありますね。

ーー今の新日本について気になることを大張社長に取材して、まとめたものを記事として発信していくことは、報知さんや中村さんにとっても、新日本にとってもお互いにウィンウィンになると思うんですよ。

 中村さん そうかもしれませんね。

ーー新日本の場合は、プロレスラー以外にこのような取材で応えられる方が、大張社長と木谷オーナーくらいしか見当たらないので、これは大張社長にインタビューしてほしいですね。私はその記事を一読者として拝見したいです。

 中村さん ジャストさんにそう言っていただけると、やってみたい気持ちが強くなりました。相手の立ち位置をきちんと捉えた上で反対意見も取材しながらの作業になりますが、やはり、当事者に取材しないと物事の核心に触れられないのは真理ですからね。


中村健吾さんの経歴

ーーその通りです!団体もファンも中村さんご自身も納得できるような大張社長のインタビューが実現することを個人的に期待しています。先ほどからちらほらお話にも出ていますが、スポーツ報知記者としての中村さんの経歴についてお聞かせください。

 中村さん 1988年に大学を卒業して、報知新聞社(スポーツ報知)に入社しました。整理部に4年在籍してから、企画の部に異動し、『ファイト‘93』というプロレスのページを担当しました。そこから野球以外のスポーツを取り扱う運動第二部に異動して、サッカー担当になりました。Jリーグ開幕2年目でベルマーレ平塚(現湘南)を担当しました。「湘南の暴れん坊」と名付けて95年元旦の天皇杯優勝まで、まさに密着取材しました。当時は「一生、ベルマーレ平塚担当で終わりたい」とまで思っていました。

ーーJリーグ公式戦がゴールデンタイムでテレビ中継されていた黄金期ですね!

 中村さん そうですね。でも、泣く泣く異動になって企画部に戻って。当時、話題になっていた「価格破壊」をテーマにした特集ページを担当しました。スポーツ紙では初のパチンコの紙面も一から立ち上げました。色々な店に行って足で新台情報を集めて、「パチパチ報知」というページをカラーの最終面で作ったりしました。


実は過去に書籍を出されている中村さん

ーー結構、色々な部署を転々とされていますね。

 中村さん 本当ですね。結局、一つの担当には“定住”できませんでした。97年に文化部に異動。芸能班の映画担当記者になりました。北野武(ビートたけし)監督の『HANA-BI』がベネチア映画祭グランプリを取った年から4年間、たけしさんを担当して、さまざまな映画祭に取材で同行したり、たけしさんのロングインタビューを何回も掲載したり、半年ほど連載を執筆しました。

ーーそうだったんですか!中村さんがたけし番記者とは驚きました!

 中村さん たけし番ですが、映画担当だったので、東小金井のスタジオジブリにも1年ほど通って制作過程を密着取材して、それを紙面で長期連載。最終的には「『もののけ姫』から『ホーホケキョとなりの山田くん』へ テーマは『生きろ。』から『適当』へ…!?」(徳間書店)という書籍を出版しました。当時、ご存命だった徳間康快社長の「中村、1年間連載して1冊の本にしろ! 初版1万部刷ってやるから」という大号令のもとの仕事でした。




ーー書籍も出されているんですね!

 中村さん 1冊だけですが…。そこから社会班に担当替えになって、政治経済、事件のデスクを6年やりました。その後、地方版(北海道、東北などの)紙面をつくるデスクも担当して、2015年から編集局デジタル編集部で芸能やプロレスをメインにネット記者として活動しています。



Instagram引用記事のパイオニアはスポーツ報知


ーーデジタル編集部といえば、かつて加藤弘士さんがデスクとして活躍されていた部署ですね!

 中村さん その通りです。加藤君は記事を受けるデスクとしても優秀ですが、取材者、書き手として報知一、二を争う筆力の持ち主で社内にファンもいる特別な存在です。一方でデジタル編集部はネット記事を配信する部署で、PV(ページビュー)が取れる、おカネが稼げる芸能記事を主体にしていて、プロレスは新日本とノアのビッグマッチ中心に取材しています。ネット記事のメインストリーム(ヒット記事)は、どうしてもスキャンダルや熱愛・結婚といった芸能ニュースなんですよ。

ーー報知さんのネット記事で気になったのが、Instagramの記事が多いですよね。

 中村さん それは多くの皆さんに言われます。他のメディアも、許可をもらってInstagramを引用した記事を掲載していますが、実は報知がパイオニアなんです。

ーー最近のInstagram引用記事の見出しが連想ゲームのようなものが目立ってませんか(笑)。例えば女子アナだと「人気絶頂の25歳でテレビ局を退社、今は…」「元テレビ局人気女子アナ、激変した今の姿」といった感じなんですよ。

 中村さん いわゆる「吊り見だし」ですね。うちはあくまでも中身がともなっているものしか出せませんがやり過ぎるとよくないので、読者が興味を引き、記事をクリックしてくれるギリギリのところで抑えています。

ーーInstagram引用記事は需要があるからどんどん掲載されているんですね。

 中村さん そうですね。ネット上でもよく叩かれますが、ずばり言ってしまえば「ひとのふんどし」です。有名人がSNSで投稿した写真と文章を写しているわけですから。ただし、うちにはそれぞれの芸能事務所担当記者がいて、ある程度の信頼関係があるからこそ記事化できていると思います。


ビートたけしさんが中村さんに語った「振り子の理論」とは?


ーーネット記事で気になっていたことが聞けて勉強になりました。中村さんはこれまでスポーツ報知の記者としてさまざまな記事を執筆されてきましたが、文章を書く上でモットーを教えていただけますか。

 中村さん コラムを書く時は自分の意見を表明する場なので必ず署名を入れています。団体側や権力者といった強い立場の人間側ではなく、意見を届けたいけど届けられないファンの小さな声、しかもマスな意見を代弁できる立場でいたいなと思っています。決して私個人の偏った意見ではなく、「なぜこのお客さんはこの試合を見て泣いているのか」「なぜ、観客はこの試合を見て怒っているのか」という真情の部分を汲み取れるように意識して書いてます。多くの皆さんが心の中で感じているけど、声が小さくて、社会的な力がなくて届きにくいことだったり、発することができない声を代弁して伝えていきたいですね。

ーー今のお話を踏まえた上でお聞きします。近年、中村さんにとって理想に近い文章が書けた記事はありますか?

 中村さん プロレスの記事ではないのですが、たけしさんが離婚して、再婚して、たけし軍団を切り離したり、70歳を過ぎて「なんでこんな刹那的生き方しかできないんだろう」と思った時に、番記者時代にたけしさんが「振り子の理論」の話をしていたことを思い出したんです。

ーー「振り子の理論」ですか!どんなお話なんですか?

 中村さん 97年、ベネチア映画祭でグランプリを獲った夜、ベネチア・リド島のイタリア料理店でワインでしこたま酔った、たけしさんが私にこう言いました。「なあ、報知よ。人間というのは、生と死の間を振り子のようにフラフラと揺れ動いている存在なんだ。日々、楽しいこともあれば悲しいこともある。時には死ぬことも考えたりする。映画監督として大きな賞をもらっても俺はお笑い芸人としての活動を絶対にやめないよ。それは精神のバランスを取るためなんだ。俺の映画では主人公が必ず死ぬけどよ。そうやってバランスを取らないと自殺したくなるんだよ。だから、いつも振り子の理論で物事を見ているんだ」―。要約すると、こうした内容ですが、その言葉の記憶を呼び起こして、コラムとして書かせていただきました。



ーーたけし番記者だったからこそ、書けた記事だったんですね。

 中村さん この記事を書いた時に、読者の方から「この記者、凄いな」とか「たけしさんの深層にたどり着いている気がする」という言葉が数多く届きました。嬉しかったです。自分でも「テレビ界のモンスター」という作られた虚像ではなく、弱い1人の人間としての、たけしさんの実像を伝えたいという思いがあったので、「一部には届いたな」と思った、あの瞬間が最も記者としてのやりがいを感じましたね。

ーーたけしさんは陽気と狂気の二面性がありますよね。

 中村さん そうです。あのバイク事故も潜在意識的には自殺未遂だったという説もありますしね。

ーー確かご本人も「記憶にはないけど、あの走り方だと自殺しようとしたんだろう」と話していたように思います。

 中村さん 『みんな〜やってるか!』がものすごく酷評されて、「こんな素人に映画を撮らせるな」とか言われて、実はたけしさんはそういう声を気にするんですよ。だから、たけしさんについて突き詰めて考えた上で書いた文章が評価をいただいて、本当に嬉しかったんです。

(第2回終了)