私とプロレス 谷本進さんの場合「第1回  アントニオ猪木王、登場」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 

 

今回のゲストは、俳優の谷本進さんです。



(写真は本人提供)

【プロフィール】
谷本進 SUSUMU TANIMOTO
1972年静岡県出身。15歳よりバンド活動、児童劇団、商業演劇での下積みを経験し、舞台芸術学院演劇部本科を卒業。金杉忠男アソシエーツを経て、自身が主宰する劇団「NEVER LOSE」を旗揚げ。一人芝居で全国の劇場、ライブハウス、野外フェスティバル、芸術祭などで300ステージ以上を敢行。日本を代表するアンダーグラウンド俳優。多数のロックバンド、ハードコア、パンク、HIPHOP、DJ、グラフィティライター、パフォーミングアーティストなどと、日本全国、同じステージで俳優として戦ってきた孤高の表現者。第9回読売演劇大賞優秀作品賞受賞、相鉄本多劇場主催 横浜SAAC優秀作品賞受賞。劇場公開映画、ミュージックビデオ、ボストンとロードアイランド短編国際映画祭入選、国際Dシネマ映画祭映像作品賞受賞作などの映像作品にも多数出演。TV番組において、春一番を破り第2代アントニオ猪木王の座を獲得。現役の防衛省陸上自衛隊予備3等陸曹でもある。


 

かつてバラエティー番組で、アントニオ猪木王に輝くほどの猪木ファンの谷本さんは現在、あまりメディアに露出せずに舞台で役者としての生き様を見せつけることに全力に取り組んでいる俳優さんです。そんな谷本さんだからこそ語れるプロレス話、是非ご覧ください!

  

私とプロレス 谷本進さんの場合「第1回アントニオ猪木王、登場」

 



谷本さんがプロレスを好きになるきっかけ


 

ーー谷本さん、このような企画にご協力いただきありがとうございます!今回は「私とプロレス」というテーマで色々とお伺いしますので、よろしくお願いいたします。


谷本さん よろしくお願いいたします!


ーーまず、谷本さんがプロレスを好きになるきっかけを教えてください。


谷本さん きっかけというか…母親が元々プロレスファンで、お腹の中にいる時からアントニオ猪木さんの試合を観ていたんですよ。幼少期でよく覚えているのが、祖母が母親に「子供を早くお風呂に入れなさい」と言っているのに、テレビ中継のアントニオ猪木VSタイガー・ジェット・シンで、シンの反則を猪木さんがやり返して反則まけになった試合に母親が熱中しちゃって、なかなか風呂に入れないとか(笑)。


ーーそれほどお母様は大のプロレスファンだったんですね!ちなみに幼少期の谷本さんが、見た中で印象に残っている試合はありますか?


谷本さん 1980年9月25日広島県立体育館で行われたアントニオ猪木VSスタン・ハンセンのNWFヘビー級試合で、猪木さんがハンセンが得意にしているラリアットを放った”逆ラリアット”ですね。あとジュニアヘビー級時代の藤波辰巳さんの試合も見てましたね。それから、小学生の時から『週刊ファイト』を愛読していたんですよ(笑)。


ーーそうだったんですか!それは強者ですね(笑)。


谷本さん 親戚もプロレスファンだったので、子供の頃からプロレスごっこをよくやってましたね。


ーー谷本さんはプロレスを好きになるための家庭環境で育ったんですね!


谷本さん そうでしたね。もう、プロレスが地元静岡に来るとはその日の朝からずっと楽しみで、ワクワクしながら過ごしてましたよ。


ーー谷本さんが初めて好きになったプロレスラーは猪木さんということでよろしいですか?


谷本さん はい。もう好きと言うより、当たり前に猪木さんの試合を見てましたね。



初めてのプロレス観戦



ーーなるほど!猪木さんの存在は谷本さんにとってはなくてはならないものだったんですね。ちなみに初めての会場でのプロレス観戦はいつ頃でしたか?


谷本さん 実は新日本ではなく、最初に見たのは全日本で、1982年12月12日の静岡産業大会館大会で、『世界最強タッグ決定リーグ戦』の終盤背でしたね。公式戦ではありませんが、スタン・ハンセン&ブル―ザー・ブロディVS天龍源一郎&阿修羅・原が組まれてましたね。新日本の初観戦は1983年5月31日・静岡県清水市鈴与記念体育館ですね。これが『第1回IWGP決勝リーグ戦』が開催されていて、猪木さんが”中南米の強豪”エンリケ・ベラと公式戦で対戦しているんですよ。



アントニオ猪木さんの凄さと魅力



ーー『第1回IWGP決勝リーグ戦』といえば、優勝決定戦の1983年6月2日・蔵前国技館大会で猪木さんがハルク・ホーガンのアックス・ボンバーで失神KO負けした伝説の大会ですね。ここで谷本さんに深く語っていただきたいのですが、猪木さんの凄さと魅力はどこにあると思いますか?


谷本さん 猪木さんはとにかく練習熱心で、社長業の傍ら夜中に練習したりとか、朝4時からランニングしていたんですよ。あと僕は晩年の猪木さんの試合も観に行ったりしてたんですけど、1997年8月2日・両国国技館で行われた藤田和之VSドン・フライで、フライが勝利して、藤田選手のセコンドにいた小川直也選手とにらみ合いになった時に、花道から猪木さんが颯爽と走ってくるだけで、会場が「猪木!!」ってなって、主役の座をかっさらうんですよ。それだけでも猪木さんの偉大さが分かりますよ。


ーー猪木さんがちょこっと出てきただけで会場の空気が一変するんですよね。


谷本さん そうなんですよ。


ーー猪木さんは色々な魅力があって、各々に猪木さんについての考えがあると思うんです。だから谷本さんの猪木論はかなり興味があるんです。


谷本さん 猪木さんに会える機会も何度かあったのですが、やっぱり気軽に会ったり、接しちゃいけない人ですよ。僕なんかは恐れ多くて。


ーー猪木さんは会ってはいけない人ですか?


谷本さん 会ってはいけないですね。あまりにも偉大過ぎて…。猪木さんについて考えてみると、言葉とかで沸かせるのは実は晩年になってからで、全盛期の猪木さんはコメントではなく、リング上の試合で雄弁に語っていたのかなと思うんです。



『アントニオ猪木選手権』で二代目猪木王に


ーーありがとうございます。谷本さんは2001年にテレビ東京系列で放映された『火の玉スポーツ列伝』という番組の名物コーナー『アントニオ猪木選手権』に出演されて、二代目アントニオ猪木王に輝きました。この番組に出るきっかけは何だったんですか?


谷本さん 僕の友達が番組製作やイベントを手掛ける会社に務めていて、その友達の上司が自分が主宰していた劇団「NEVER LOSE」初期の舞台公演で、猪木さんの格好で舞台に出ていたことを知って、「春一番さんの対戦相手を探しているんだけど…」と声をかけてくれたんです。元々バンドもやっていた時も『炎のファイター』を流したり、舞台では猪木さんのガウンを着て登場したり、猪木シーンのプロレスムーブで、ロープに振ってカニばさみで相手を倒して、リバース・インディアンデスロックをして、そこからブリッジを効かせて鎌固めとか(笑)。


ーー鎌固めはマニアックですね!!


谷本さん 鎌固めまでやらないといけませんよ(笑)。でも猪木さんのものまねをされている猪木タレントになるのは考えていなくて、それはおこがましいなと。


ーーそう考えると長年、猪木さんのものまねで活躍されてきた春一番さんに対しては相当なリスペクトがあったんじゃないですか。


谷本さん そうですね。春さんは本当に優しい方だったんです。『アントニオ猪木王グランドチャンピオン選手権』の時も、芸人さんやプロレス記者さんとかと一緒にロケバスに乗ってたんですけど、車内での話題に入れない僕をフォローしてくれましたね。『アントニオ猪木選手権』は、猪木さんに関する知識で闘うというより、猪木さんへの愛をぶつけ合う場で、春さんは猪木愛を真っ向からぶつけ合えたのかなと。だから春さんは芸人として、人として本当に尊敬してますし、今でも大好きです。


ーー芸人仲間の皆さんからもあまり春さんに関しては悪口を聞かないですよね。


谷本さん 春さんはいい意味で、世間的なイメージの芸能人タレントさんっぽくなかったですね。

 (第1回終了)