20世紀新日本プロレステーマ曲史論「第2回 1980年代編」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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昨年、待望の書籍「昭和プロレステーマ曲大事典」を出された"プロレステーマ曲界の吉村作治"コブラさんとの対談企画第5 弾が実現しました。
 
 

 


 今回は、「20世紀新日本プロレステーマ曲史論」と題して、1970年~1990年代の新日本プロレスのテーマ曲の魅力に迫る対談をお届けします。


アントニオ猪木『炎のファイター』誕生秘話、新日本プロレスのテーマ曲を支えたキーマン、レアでマニアックなテーマ曲、鈴木修さんとウッドベルの時代、コブラさんが新日本プロレステーマ曲ベスト3など話題がもりだくさんです!


   
 第2回は「1980年代編」です!


 

昭和プロレステーマ曲研究家コブラ✕プロレス考察家・ジャスト日本

20世紀新日本プロレステーマ曲史論

「第2回 1980年代編
 
 

革命的だった名盤『新日本プロレス・スーパーファイターのテーマ』


ーー次は1980年代前半の新日本テーマ曲の歴史と代表作について語っていただきたいと思います。

 コブラさん やっぱり1980年の末にキングレコードから発売された『新日本プロレス・スーパーファイターのテーマ』というレコードですね。これは革命的でした。テーマ曲集を出す場合、全日本は在りもの、もしくは在りもののカバー曲を中心に収録されるのに対し、新日本はオリジナル中心というパターンはここで確立されます。これは猪木と藤波以外は全てオリジナルで、このアルバムのために新日本の多くの選手は在りものからオリジナルのテーマ曲に変えてるんですよ。その方が団体やテレビ局側が曲の著作権を所有出来て、メディア戦略上の都合も良いですし。アルバムの発売を機に、それに収録されているオリジナル曲に変える手法は今でもありますが、その元祖が『新日本プロレス・スーパーファイターのテーマ』なんです。

ーーつまり現代に続くテーマ曲手法の源流になっているのですね。  

 コブラさん そうですね。これは画期的だったんです。

ーー今だとネット配信とか権利関係がややこしかったりするので、余計に団体が著作権を持つオリジナルテーマ曲の採用が多いですね。 

 コブラさん 以前、集英社から『燃えろ!新日本プロレス』というDVDブックが発売されていましたが、このDVDを見ると、キングレコードで発売された曲に関してはきちんと使われていて、それ以外はカットされていたりしましたね。

ーー『燃えろ!新日本プロレス』は人気を呼んで売れましたね!ちなみに『新日本プロレス・スーパーファイターのテーマ』を出したキングレコードと新日本との関係はいつ頃からなんですか?

 コブラさん まずキングレコードというのは欲張りだなと(笑)。全日本は当時ミル・マスカラスのテーマ曲『スカイ・ハイ』やジャンボ鶴田のテーマ曲『チャイニーズ・カンフー』の権利を持っているテイチクレコードと繋がっていて、そこからテーマ曲集を出していたんですけど、新日本はあまり特定のレコード会社と接点がなかったんです。そこにキングレコードが参入するのですが、何を欲張ったのか、新日本だけではなく、全日本と国際プロレスにも手を出したんです(笑)。新日本に対しては、坂口征二のテーマ曲『燃えよ荒鷲』(ミノタウロス)を作って、、国際に対しては阿修羅・原のテーマ曲『阿修羅』(ミノタウロス)を作って、全日本に対しては馬場のテーマ曲を作ったんです。

ーーそれは『チャンピオン』(ジョン・スタンレー)ですか?

 コブラさん そうです。つまりキングレコードは三団体制覇を目論んだんですよ(笑)。後から知って「すげぇことするな」と。三団体制覇の話は、テイチクと繋がっている全日本が恐らくキングレコードと組むことに消極的だったので、泡と消えましたね。


ーーキングレコードの性質は今もあまり変わっていないような気がしますね。

 コブラさん 変わっていないです。1990年代前半にキングレコードは新日本、WAR、藤原組、みちのくプロレス、W★INGと手当たり次第にテーマ曲CDを出してますから。

ーー新日本に関しては猪木さんのインタビューとか収録された作品がありませんでしたか?

 コブラさん それはビクターですよ。新日本とWARはキングレコードとビクターからテーマ曲CDを出しているんですよ。


組むべくして組んだ似た者同士の新日本とキングレコード 


ーー凄いじゃないですか!今の話を聞くと新日本とキングレコードが繋がる理由もなんとなく分かりました(笑)。

 コブラさん 組むべくして組んだ似た者同士なのかも(笑)。全日本はテイチクとは『スカイ・ハイ』や『チャイニーズ・カンフー』の版権もあって繋がっただけですし、後にバップからテーマ曲集が出ますが、バップは日本テレビ系のレコード会社なので必然ですし。

ーー逆にバップからテーマ曲集が出ないとなると「なんでなの?」と思いますからね。

 コブラさん 新日本とキングレコードは全日本とテイチク・バップのように必然的な接点がないのにも関わらず、長年繋がっているのが面白いですよね。


急にさまざまな選手にテーマ曲が流れるようになった1981年


ーー1980年代前半になりますと、新日本のテーマ曲の流れは変わるんですか?

 コブラさん 1981年を境に流れが変わっているという印象がありますね。タイトルマッチとかリーグ戦の決勝とかでしか流れなかったテーマ曲が、1981年新春シリーズから普通の試合でも急に流れるようになります。 

ーー唐突にですか(笑)

 コブラさん そうなんですよ。これはテーマ曲の担当が変わったというより,上から言われて方針を変えたのかなと。そう思ったのは、選曲の傾向があまり変わっていないからです。1981年新春シリーズに来日した外国人レスラーが、ザ・サモアンズ(1号&2号)、ケン・パテラ、ジ・エンフォーサー、トム・プリチャードだったんです。ザ・サモアンズが坂口と長州力が保持する北米タッグ王座に挑戦するので、毎週テレビマッチに登場するのですが、その時に流れたテーマ曲がYMOの『シチズンズ・オブ・サイエンス』なんです(笑)

ーーハハハ(笑)。サモアにテクノミュージックですね!

 コブラさん なぜサモアンズにYMOなんだろうと思いましたけど(笑)。
  

選曲理由がないが故に不思議な魅力がある
    

ーーあまり選曲の理由がなさそうですね。

 コブラさん そうですね。理由がないが故に、逆に不思議な魅力があるのが新日本のテーマ曲なんですよ。

ーーちなみに以前、コブラさんは「新日本はB級やC級の外国人レスラーにもテーマ曲を流していた」とおっしゃっていたと思うんですが、この頃からですか?

 コブラさん まさにその通りで、1981年からその傾向が強くなるんですよ。それこそ1983年に来日したヘラクレス・ローンホークにもテーマ曲を用意していますから(笑)。

ーーハハハ(笑)。伝説の期待外れ外国人レスラーですね!

 コブラさん ローンホークに関しては、期待されての来日だったのでテーマ曲を用意するのは分かるんですよ。本当に末端のレスラーにもテーマ曲を与えていましたね。これは1980年代後半の話ですけど、1986年の「ニューウェーブダッシュ」というシリーズで外国人レスラーは、ビリー・ジャック、ザ・ジャッカル、クリス・アダムスというメンツだったんですよ。彼らにテーマ曲が与えられたのは分かるんですが、このシリーズにニック・キニスキーというレスラーが来日しているんです。この選手は、”荒法師”ジン・キニスキーの次男です。

ーーそうなんですか!ジン・キニスキーの息子がプロレスラーだったとは知らなかったです。

 コブラさん このニック・キニスキーとファーマーボーイ・イボというレスラーにもテーマ曲が用意されていて、それが『誘惑』という洋画のサントラから2曲選ばれました(笑)。

ーーハハハ(笑)。やっつけじゃないですか!

 コブラさん このランクのレスラーなので適当にチョイスされたのかもしれませんね。それと、当時はアンダーカードに曲は流れなかったので、実際にこれらの曲が使われたかどうかは分からないという事は申し上げておきます。

ーーその頃の新日本の外国人レスラーは癖の強いメンツですね。

 コブラさん 全日本だったら、ミッチー・スノーとかア・シークにわざわざ曲を選ぶようなものですから(笑)。その頃のテーマ曲リストを見ると驚きますよ(笑)。あのレスラーにもこんな曲が選ばれていたのかという事実が分かりますから。


「ミスタープロレステーマ曲」鈴木修がテーマ曲に関わるようになった1984年

   
ーーこの対談で何度も出る話題ですが、新日本のテーマ曲を支えたキーマンの存在が見えにくいんですよね。でも、恐らくいるわけですよね。

 コブラさん 清野茂樹さんの著書によりますと、1984年まで中島さんという方がテーマ曲を担当されています。それで鈴木修さんが本格的にテーマ曲に携わるようになったのが1984年だと言われていますね。

ーーそうなんですね!「ミスタープロレステーマ曲」鈴木修さんは割と昔からテーマ曲に関わっているんですね。

 コブラさん 1984年の段階は、鈴木修さんはペーペー中のペーペーだったと思われます。

ーー鈴木修さんは木原文人さんのYouTubeに出ていたんですけど、その時に在りもののテーマ曲を選ぶ大変さについて語ってましたね。テレビ番組で映像で使うBGM一曲も納得する曲が見つかるまで一日かけて探したそうですよ。

 コブラさん そうなんですよ。曲を選ぶ時の心構えは先輩に厳しく教わったみたいですね。

ーー「安易な選曲はするな」とも言われたそうですよ。
 コブラさん 何かしらの意義が必要だと。でもザ・サモアンズのテーマ曲には意義があったのか(笑)。 

ーーテレビマンがBGMを選ぶ心構えに関しては今も脈々と受け継がれているのかもしれませんね。例えばの話ですが、「タイガー」にちなんだ人に使うBGMで安易に「タイガー」というタイトルがついた曲を使うなとか。

 コブラさん 意外とタイガー・ジェット・シンのテーマ曲にはオリジナルの『サーベル・タイガー』以外は「タイガー」というタイトルがついた曲はないんですよ。

ーーちなみに新間寿さんが絡んだテーマ曲というのは猪木さんと藤波さんだけですか?

 コブラさん 猪木さんと藤波さんだけですね。あと新間さんの知り合いであるゴジン・カーンさんが音楽事務所の社長をされていて、その事務所に所属していたブレイン・ウォッシュ・バンドが会場で初代タイガーマスク、藤波らのテーマ曲を生演奏するという演出はありましたね。猪木と藤波以外に団体サイドがテーマ曲を選んだことは基本的には無いと思います。


ストロング・マシン1号のテーマ曲の手法はまるで全日本?! 


ーー次は1980年代後半の新日本テーマ曲の歴史と代表作について語っていただきたいと思います。

 コブラさん まずターニング・ポイントになったのが1984年。マシン軍団が来襲したじゃないですか。1984年9月7日・福岡スポーツセンターで猪木とストロング・マシン1号がシングルマッチで対決します。そこで使われたストロング・マシン1号のテーマ曲がその後の新日本のテーマ曲の流れを変えましたね。急にテーマ曲がゴリゴリに編集されるようになったんですよ。前奏にヴァン・ヘイレンの『生か死か』が流れて、そこから同じヴァン・ヘイレンの『輝ける空』のボーカル部分をカットしたものを繋ぎ合わせていて、怪獣の咆哮や効果音をガンガン入れているんですよ!

ーーそれ、全日本がやっている凝ったテーマ曲じゃないですか。

 コブラさん そうなんですよ!「急にどうしたの?」と思いましたよ(笑)。何があったのかと。それを皮切りに、新日本で編集に凝ったテーマ曲が増えていくんですよ。  

 
鈴木修さんが選んだ二選手の名曲  


ーーこれまでの担当者が関わっているとは思えないのですが…。

 コブラさん もしかしたらこの辺りから鈴木修さんが暗躍しているのかなと思うんですよ(笑)。

ーー鈴木修さんならこのような手法はやりかねないですね。

 コブラさん そうなんですよ。鈴木修さんが選んだテーマ曲というのが意外と分かってなくて、ご本人は1987年12月27日・両国国技館で行われた『イヤーエンド・イン・国技館』でのビッグバン・ベイダーのテーマ曲『アイズ・オブ・ザ・ワールド』(レインボー)と馳浩のテーマ曲『トゥー・ハーツ』(ジョン・バー)は明確に「この2曲は私が選んだ」とおっしゃっています。

ーーこの2曲を選んだのは俊逸ですね。 

 コブラさん あれは大ヒットですよ。さすが鈴木修さんです!

ーー鈴木修さんといえば、オリジナルテーマ曲を生み出すイメージがあるのですが、既存でテーマ曲を選ぶセンスもあったんですね。

 コブラさん そういうセンスがあったからこそオリジナルを作る事にも長けていたのかと。ただそれ以外のテーマ曲に関してはどの曲を選んだのかは分からないんです。鈴木修さんは「本格的に選んだのはベイダーと馳の曲から」と語っているのですが、それが初めて選曲したとは思えないんですよ。その前からもちゃんと選んでいたはずなんですよ。ご自身のオリジナル曲の曲調にありそうな、いわば「鈴木修さんのお好きそうな曲」も散見されますし。

ーーもしかしたらその前に関しては覚えていないのかもしれませんね。 

 コブラさん そうかもしれませんね。あと1984年あたりは先輩の社員さんがメインで選曲していたと思うので、その時期に関しては自分が選んだものじゃないという考えもあるかもしれません。

ーー先輩に選曲のアイデアを出したりとかはあり得そうですね。

 コブラさん そうですね。

 
団体に元気はないけどテーマ曲だけ逆に元気になる新日本


ーー中島さんがテーマ曲選びの現場が離れたのは転機になったかもしれませんね。1984年といえば、新日本にとっても分岐点となった年じゃないですか。前田日明さんが離脱して第1次UWFが旗揚げして、長州力さんを筆頭とした維新軍が離脱して、ジャパン・プロレスを旗揚げして、全日本に殴り込んでいきましたよね。団体にとっても、テーマ曲においてもキーポイントになる年だったんですね。

コブラさん 長州や前田がいなくなって、新日本に元気がなくなっていくのに、テーマ曲だけ逆に元気になるんですよ(笑)。 


新日本時代のブルーザー・ブロディのテーマ曲


ーー逆転現象ですね。全日本は1985年頃からテーマ曲に関しては元気がなくなっていくじゃないですか。 

コブラさん そうなんですよ。新日本は1985年に、ブルーザー・ブロディが新日本に移籍して、ベートーベンの『運命』とレッド・ツェッペリンの『移民の歌』を合体させたテーマ曲で入場していますからね。こんなことは1980年前半の新日本では考えられないですよ。

ーーブロディが新日本に突如現れた時に『運命』を流すアイデアは新間さんのアイデアですか?

コブラさん いや、猪木ですね。『ビッグレスラー』で「スーツ姿でブロディが現れたのは運命を感じたから」と語っていますよ。

ーー恐らくそれが正解だと思うんですよ。でも新間さんが以前、VHSかDVDの映像で猪木さんが語った同じような理由で、自分が選んだと言っていたという記憶があって、「これは運命だ!!」と言ってましたよ。

コブラさん ハハハ(笑)。言いそうだな(笑)。

ーー新間さんなら言いそうじゃないですか。

コブラさん 意外とプロレス関係者の話は信用できないんですよ。   


『ギブUPまで待てない!! ワールドプロレスリング』

 
ーープロレス関係者の話は色付きされて証言されているケースはあると思いますね。これは気になったことなんですけど、1980年代後半から『ワールドプロレスリング』でエンディング曲でミュージシャンの曲が採用されるようになりましたよね。

コブラさん そうですね。まず『ワールドプロレスリング』のフォーマットが1987年春に変わりまして、3月26日大阪城ホール大会の特番中継で一旦最終回となって、4月から『ギブUPまで待てない!! ワールドプロレスリング』という番組にリニューアルしたんです。

ーー伝説の番組ですね。

コブラさん この番組からスポーツ局からバラエティ部門の編成局制作3部に製作が変わるんですよ。

ーーここからIVSテレビが絡むんですよ。

コブラさん そうですね。今までの『ワールドプロレスリング』は『朝日に栄光あれ』(神津善行)がオープニング曲で流れていたのですが、『ギブUPまで待てない!! ワールドプロレスリング』のオープニング曲が、男闘呼組の『夜を撃て』に変わるんですよ。

ーー男闘呼組!!懐かしいですね!

コブラさん 番組内容もスタジオ収録のバラエティと試合中継をミックスさせたものになるんですよ。あと試合映像の前に、今で言うところの煽りVTRが流れたりしていて、そこでBGMが使われたりしました。

ーー番組がリニューアルになったことは、テーマ曲選びにも影響があったのですか?

コブラさん そんなには影響はないような気がします。ただ番組で使われたBGMが後に選手のテーマ曲として採用された事はよくありましたね。例えば藤原喜明が『ダーティハリー4テーマ』(ラロ・シフリン)をテーマ曲にしていたことがあったのですが、その前に『ギブUPまで待てない!! ワールドプロレスリング』で流れた煽りVTRで使われていたんです。

ーー煽りVTR発信で、後に選手のテーマ曲で採用されたケースってありますよね。

コブラさん あと猪木特集が番組で流れて、そのコーナーのエンディングで使われたのは馳浩のテーマ曲『トゥー・ハーツ』ですからね。これは馳に使われる前の話ですから。



サザンオールスターズ『旅姿六人衆』
  

ーー確か、もっと後で『ワールドプロレスリング』のエンディング曲にサザンオールスターズの『旅姿六人衆』が使われましたよね。 

コブラさん それは1988年の「'88 ワールドプロレスリング」ですね。 

ーー1988年8月8日・横浜文化体育館で行われた藤波辰巳VSアントニオ猪木のIWGPヘビー級選手権試合で、60分時間切れ引き分けで名勝負となったあの中継のエンディングで流れたのが『旅姿六人衆』で、バスやフェリーで各地を回り試合をこなしファンと交流する猪木さんと新日本の選手たちの映像が流れて、田中信夫さんのナレーションが加わるんですよ。あれは神演出でしたよね!

コブラさん 『旅姿六人衆』の時のあのVTRは古くから見てきたファンほど号泣したんですよ。

ーーあのVTRを見るとやっぱりテレビ屋さんの仕事だなと思ったんですよ。丁寧に丹念に練られていて製作されてましたよね。あの藤波VS猪木のIWGP戦は、古舘伊知郎アナウンサーがこの試合だけ実況に復帰したじゃないですか。だからより特別感が増してましたね。

コブラさん 古舘がプロレス実況から勇退する時に「次の猪木の実況をするのは引退試合」と言っていて、この試合の実況をするということで「猪木最後の試合」というムードもあったんですよ。

ーーそして古舘さんは藤波VS猪木の後にプロレス実況するのは、1998年4月4日・東京ドームで行われた猪木さんの引退試合ですから。

コブラさん そうですね。


強烈無比な独特のワードセンス!古舘伊知郎さんの実況  


ーー対戦相手はドン・フライでした。その3年後にの2001年大晦日の『猪木祭り』で古舘さんが総合格闘技の実況をすることになり、そこにドン・フライが出ていたので、「ドン・フライの試合は実況させてほしい」と名乗りを上げて、ドン・フライVSシリル・アビディは古舘さんが実況したんですよ。恐らく猪木さんの引退試合を実況して、ドン・フライという選手に魅力を感じたと思うんですよ。

コブラさん なるほどね。

ーー古舘さんの格闘技実況は最高でしたよ。強烈無比なワードセンスなんですよ。ドン・フライには「修羅場の渡世人」、「ファンにとっては私の心に火をつけた消防士」とか、ジェロム・レ・バンナには「筋肉のワインセラー」「筋肉の隆起、1人山岳地帯」とか、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラには「皆殺しのサンバ」「技の世界遺産」「肉体のアマゾン」という形容が次々と飛び出すんですよ(笑)。

コブラさん あの人は「肉体の〇〇」という形容が好きですよね。以前、カウボーイ・ボブ・オートンに「肉体ララミー牧場」って言ってました(笑)。

ーーハハハ(笑)。

コブラさん 「なんだそれ」ってやつですよ(笑)。ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミスには「肉体ペアルック」「闘う二人羽織」とか(笑)。

ーーヤングライオン時代の橋本真也さんに「闘う渡辺徹」って言ってましたね(笑)。あれは的を得ていると思いますよ。

コブラさん それは古舘じゃなくても、多くの方が感じていたことじゃないですか(笑)。

ーー渡辺徹さんといえば、ドラマ『太陽にほえろ!』のラガー刑事ですからね。伝説の殉職シーンがあるじゃないですか。

コブラさん 銃で撃たれた後に倒れてエレベーターに挟まって絶命するんですよ。

ーー渡辺徹さんはラガー刑事になった当初はスリムだったんですけど、どんどんふくよかになっていって、橋本さんに似ていくんですよ。

コブラさん 『約束』を歌っていた頃の渡辺徹はスリムでしたね。
(第2回終了)



 

 

 

次回の20世紀新日本プロレステーマ曲史論は「1990年代編」です!
ご期待ください!