緑の虎は死して神話を遺す
平成のプロレス王・俺達の三沢光晴物語
名勝負選
1991.4.18日本武道館/三冠ヘビー級選手権試合(全日本プロレス)
(挑戦者)三沢光晴 VS ジャンボ鶴田(王者)
エース二人の無限大記念日
~三沢に最高の敬意を払い怪物と化したエース鶴田、鶴田を最大限に引き出した若きエース三沢~
この回からは私が厳選した三沢光晴名勝負をご紹介していきます。
三沢光晴は過去、幾多の名勝負を残してきた。名勝負製造機である。
1991年4月に行われたジャンボ鶴田戦を今回、取り上げる。
この試合は、過去4度行った三沢VS鶴田のシングルマッチの中で唯一のタイトルマッチだった。
三沢にとって鶴田の存在は、師匠であり、高い壁であった。
また鶴田にとって三沢とはかつての付き人であり、天龍離脱後に現れた新しいライバル。
天龍の離脱後、新生全日本プロレスとして団体を盛り上げてきた二人のエースがこの日、三冠のベルトを懸けて一騎打ち。
会場の日本武道館は1万5960人の超満員札止めとなった。
9年ぶりに復活したチャンピオンカーニバルをスタン・ハンセンを破って優勝して勢いに乗る三冠王者・鶴田と、ハンセンに敗れて決勝進出できなかった三沢。勢いは鶴田にあった。
また鶴田は1990年6月に三沢に不覚を取られた後に、9月の三沢との三冠挑戦者決定戦で天龍との抗争の中で見せていた怪物性を発揮し、リベンジを果たしたものの、全日本を長年支えてきたエースの強さと底力を満天下に見せつけるには、若きエースと呼ばれていた三沢を叩きのめす必要があった。
試合は序盤は互角の応酬となるも、次第に鶴田の引き出しが解放される。
豪快無比なキチンシンク、ボディーへのエルボー、コブラツイストで三沢のスタミナを絞りに行く。さらにSTF、アキレス腱固めといった関節技も披露。
三沢は得意のエルボー、キックで応戦していく。
途中に三沢は鶴田の底力を最大限に引き出すために張り手を見舞う。いよいよ鶴田にスイッチが入った。往復ビンタで返していった。
鶴田というレスラーは身体能力が半端ないので、試合でも力をセーブしながら、プロレスをしていた。余裕を見せて、一見すると遊びながらプロレスをしているように見える鶴田をあの手この手で仕掛けていき、遂に本気にさせたのが天龍だった。本気になった鶴田の力は尋常ではなかった。
この時、三沢はかつての兄貴分天龍の領域に踏み込んでいったのである。
何倍返しがくることがわかっていても…
ダイビングエルボー、ジャーマンスープレックスホールドなどで鶴田を追い込むも、流れは鶴田ペースを崩すことはできない。
得意のバックドロップを狙う鶴田は、なんとコーナーにぶつけるように投げる執念を見せる。勢いに乗った鶴田はもう止まらない。必死にこらえる三沢を強引にぶっこぬき、バックドロップで投げた。
その高さ、落下する角度、美しさ、危険度、全てにおいてこのバックドロップが鶴田史上最高の一投だったと私は確信している。鶴田のバックドロップは対戦相手によって投げる角度を変える。普通のレスラーには、けがをしない程度の普通の角度で投げ、場合によってはやさしい角度で投げたりもする。
しかし、三沢に見舞ったその一投は、首の骨が折れても仕方がないくらいの危険な角度。それこそが、鶴田が三沢を認めていた証拠なのだ。
「三沢なら、この角度でも受け切れる」
三沢に最高の敬意を払うからこそ出したプレミアム・バックドロップを食らったが、三沢はエルボーで打ち、抵抗するも、二発目のバックドロップが決まる。実況の若林健治アナは叫ぶ。
「鬼か?魔物か?怪物か?ジャンボ鶴田!!」
得意の「オー!」と叫んでから、三発目のバックドロップで投げた。
完膚なきまでに三沢を叩き潰した鶴田は、文句なしの3カウント!
見事に三冠王座を初防衛を果たした。
ジャンボ鶴田の完全無欠な強さが光ったこの試合。
敗者の三沢は、あの鶴田の底力を出させたという部分では立派な敗戦だった。
鶴田の完全無欠な強さには、信頼ができる対戦相手・三沢がいたからこそ発揮できたものである。
この試合は二人のエースによるプロレスの奥深さを教えてくれた記念すべき試合だった。
(番外編4 追憶 怪物編 完)1991.4.18日本武道館/三冠ヘビー級選手権試合(全日本プロレス)
(王者)〇ジャンボ鶴田(23分17秒 片エビ固め)(挑戦者)●三沢光晴
※バックドロップ3連発。第9代王者が初防衛に成功。