俺達のプロレス実況解説者列伝
第3回 斉藤充&杉作J太郎(実況&解説)
「エンタメプロレスの象徴となったゲーセワ実況」
日本プロレス界においてエンタメ路線の元祖となった団体があった。
その名はFMW。
大仁田厚が旗揚げしたこの団体は、体制を一新し、誰も手をつけなかったエンタメ路線に走った。
1998年CS放送ディレクTVが「3年3億円」で契約したことをきっかけにして、テレビ局の予算をバックにしてエンターテインメントプロレスとして生まれ変わる。
ディレクTVが放送するようになり、FMWに専属の実況アナと解説者が誕生する。
実況は現在はテレビプロデューサーとして活躍し、かつては全日本女子プロレスの実況も担当した斉藤充さん、解説は漫画家、映画監督、そしてFMWのシナリオライターも担当した杉作J太郎が務めた。
この二人の実況はマニア心をくすぐりつつ、時にはゲーセワ(下世話)なフレーズも飛び出すエンタメプロレスには最適なスタイルだった。
例えば、AV女優の若菜瀬奈がリングに上がったときにはJ太郎さんは、
「いい女だなぁ、抱きたいなぁ~」
と下心をむき出しにしたり、
敗者がドッグフードを食べるというとんでもない罰ゲームを受けたTNRの冬木弘道が、ドッグフードを食べたものの、対戦相手の田中将斗の顔にドッグフードをリバースしたら、すかさず斉藤さんが
「きたねぇ!」
と実況アナらしからぬ汚い言葉と使ったりもした。
彼らの実況は今までの日本プロレス団体における実況スタイルとは異なり、アメリカの実況スタイルに似ていた。これも意図的にやったことであろう。だから彼らがコンビを組まなくなっても、団体は崩壊してもその実況は、印象深く残っている。
そんな彼らの最高傑作の一つは、1999年11月横浜アリーナ大会のメインイベント・H(江崎英治)VSハヤブサ(ミスター雁之助)
だった。
解説のJ太郎さんは、セミファイナルの冬木VS田中に感動して号泣していた。その中でメインを迎えた。一時のFMWは場外カウントを取らないルールだったのだが、特別レフェリーのショーン・マイケルズが場外カウントを数えてしまった。
一部のファンがざわつき異論を唱える中で、解説のJ太郎さんは号泣から一転、大炎上!!
場外カウントなしというルールは当時コミッショナーだった冬木が作ったルール。
セミファイナルで田中に敗れて、冬木はFMW追放(一時期)となったから、このルールはなくなって通常の場外カウントルールになったんだと放送席で激怒していた。
そしてメインが終わり、長年抗争してきた江崎と雁之助が和解し、両者が涙を流しながら抱擁をしている姿を見ると、J太郎さんはまたしても大号泣してします。
実況の斉藤さんはこの時は冷静に実況していた。
「二人がここまでにたどりつくまで本当に長かった…」
そして斉藤さんはJ太郎さんに向かってこう言った。
「泣いて、怒って、むせて…今日一日でいろんなことがありましたね…」
このゲーセワ実況コンビの活動期間は3年である。
もう少し長く彼らの実況を聞きたかったと率直に思う。
確かに品はないかもしれないが、プロレスへの愛が慈しみが詰まった名実況解説だった。