ボーイ・トーイの夢/内藤哲也【俺達のプロレスラーDX】 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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俺達のプロレスラーDX
第7回 ボーイ・トーイの夢/内藤哲也





ある日、男は試合後に観衆の前でこう語った。

「俺には夢がある。夢を語って何が悪い。お前に夢はあるのか!?」

男の名は内藤哲也。

IWGP戦直前のマイクで王者のオカダ相手に言い放った。

彼にとってはIWGPとは夢の頂だった。


内藤哲也は21世紀新日本プロレスが生んだ天才と言われている。

スターダスト☆ジーニアスと呼ばれ、天性の身体能力とプロレスセンスは抜群。

またファンサービスの良さにも定評があり、エース棚橋を越えるのは内藤ではと言われていた。

2013年に念願のG1初優勝し、新日本の主役取りを宣言した。


しかし、その後内藤に待っていたのは一部のファンからのブーイングだった。

試合内容からなのか?

内藤が嫌なのか?

ごり押し的ムードに対するファンからの反発だったのか…


ボーイ・トーイとはおもちゃみたいな可愛い少年という意味で、

かつてショーン・マイケルズのニックネームだった。

HBK以前のショーンはまだ青臭い若手ヒール。

内藤を見ているとプロレス少年のままレスラーになったような印象がある。


もしかしたら今、内藤はHBK以前のショーンのような立場なのかもしれない。

青臭さが抜けず大人として脱皮していない少年のような内藤はHBKのようなスターになるのか!?

或いは少年のままで終わるのか…

今、分岐点に立っている。


内藤にとっての最初の転機は裕次郎(現・高橋裕二郎)とのタッグNOLIMIT結成である。

お互いの性格の相違はあっても二人の息はぴったりで上に上がるための下克上タッグはブレイクし、IWGPヘビー&Jrのタッグを獲得した。


IWGPヘビー&Jrのタッグ両方を獲得したチームは彼らだけである。

しかし性格が違う二人は別々の道へ。

裕二郎は内藤に見下り半を突きつけNOLIMITは解散。

裕二郎の東京ピンプスを食らい担架送りとなる内藤に哀愁が漂っていた…


内藤が海外から帰ってきたときから常に意識してきたのは絶対エース棚橋弘至。

実は内藤はかつてインタビューで棚橋に憧れてプロレス入りしたと告白したことがある。

しかし同時に越える対象として棚橋を見ていた。

内藤にとって棚橋とは?


内藤哲也はなんと17歳の時に棚橋のデビュー戦をファンとして観戦していた。

彼は棚橋も憧れた武藤敬司の試合を暗記するほど見続けて、

完コピして武藤役のプロレスごっこをしていた。

武藤、棚橋、内藤、三人の天才がまるで星座として結び付く。


棚橋と内藤は2010年だけで4回シングルで対戦した。

特に2010年3月では膝を負傷中の棚橋の膝をあの手この手で徹底的に痛め付け完勝した。

また8月のG1公式戦では引き分け。

10月と12月は棚橋が勝利した。

この対戦は内藤を成長させた。


内藤にとっての夢や目標というのは棚橋に代わってエースになること、IWGPヘビー級王座を巻くことである。

もしかしたらこの2点に絞ってレスラー人生を歩んだのかもしれない。

男は愚直なまでにこの夢にこだわる。

しかし、現実は厳しかった。


2011年G1準優勝、2013年G1初優勝と膝の大怪我を乗り越え実績を重ねる内藤。

しかし一部からこのような声があった。


(中邑真輔)「内藤はプロレスのことしか考えていない。もっと視野を広く持たないと成長していけないよ」

この中邑発言ほど内藤を表したものはない。

プロレスが好きすぎて、視野が狭いということなのだ。

天才と呼ばれながらも本当は愚直で泥臭いのかもしれない。


あのG1以後から始まった一部のファンからのブーイングを今一度振り返る。
内藤のブーイングが始まったのは2013年10月の裕二郎戦だった。

入場時から変だった。

内藤が入場して一部歓声はあるもののブーイングがあったのだ。

試合も周囲からは凡戦だという声も上がり、ますますブーイングは大きくなる。


裕二郎戦後の田中戦は壮絶な内容。

しかし、内藤が何を技を仕掛けてもブーイング。

その後の大会もブーイングは続く。

悪役でもないのにこの光景は異様だった。

なぜ観衆の一部は内藤にブーイングをしたのだろう!?

考察してみようと思う。

これはあくまでも私の考察なので異論もあるかもしれない。


内藤にブーイングした理由

①試合内容がつまらない。

②個人的に嫌いである。

③G1後の東京ドームへのメイン獲得への自然な流れに対しての反発

④会社のごり押しに対しての反発。
⑤愉快犯的に標的としてのブーイング

⑥なんとなくまわりがしているから


大体これぐらいかと思われる。


この理由についてまず①の場合は実は内藤は裕二郎戦以外はよく見ると試合内容は悪くはない。

試合のミスも少ないのである。

続いて②の場合はこれは人の好みなのでわからないが、

ただし言えることは内藤はG1ではブーイングはほぼなく、人気選手だった。

内藤優勝を望んでいるファンも沢山いたのでこの理由も考えにくい。


③と④については最大の理由かもしれない。
結局は会社の内藤路線に対しての反発。

これは最大の理由かもしれない。

当初の理由もこちらだったと推測する。

⑤と⑥はブーイング現象後に彼はブーイングしろという一種の勘違いによるものである。

だからある意味たちが悪い。


このブーイングを誘発し、きっかけとなったといわれているのは

新日本の熱烈ファングループであり、応援手法に賛否両論がある通称・赤シャツ集団 (今●田軍団)

だという説もある。会場内でコールやブーイングをやけに甲高い声で誘発するあの皆さんである。

真意と意図は謎だが、この人達が2013年10月以降になり、

やけに内藤にブーイングしているような気がするのは私だけかもしれないが…


しかし私は思う。

かつて武藤も響かない試合内容に観客からブーイングを受け、

棚橋はIWGP王者当初はブーイングを浴びた。

そして内藤も…

これはファンと天才と呼ばれる選手達との間に生じている不一致現象なのではないのか!?


天才達とファンとの溝が埋まらないとき、このようなブーイングが起こったのかもしれない。

ただし内藤の場合は二次災害もあるので特殊かもしれない。

ただこのブーイングをプラスに変えなけば内藤のエースの道は遠くなってしまう…


武藤や棚橋はブーイングを乗り越えてプロレス界のエースとなった。

内藤は試されている。

夢はエース、主役、IWGPならこの試練を乗り越えてほしい。

もしこの試練を乗り越えたときボーイ・トーイは真のスターになるのかもしれない…