見誤ったサイボーグの悲劇/ザ・グラジエーター【俺達のプロレスラーDX】 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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俺達のプロレスラーDX
第6回 見誤ったサイボーグの悲劇/ザ・グラジエーター





皆さんはザ・グラジエーターという選手を覚えているだろうか!?

FMWで最強外国人となり全日本で小橋健太と互角に戦い、

日米で沸かせた田中将斗との名勝負数え歌を演じたあのグラジである。

今こそ彼の軌跡を伝えたい。


ザ・グラジエーターことマイク・アッサム(オーサム)は1990年にFMWで初来日を果たす。

キャリアは僅か1年のグリーンボーイだったが、

198cm130kgの巨体を生かしたパワーと跳躍力を武器に常連外国人となる。

グラジの十八番アッサムボム(ライガーボム)は強烈で失神者が続出した。

また巨体ながらノータッチトペや高い飛距離のダイビングボディプレスを得意とし、

インディーFMWでは規格外の強さを持ったサイボーグだった。


中でも200cm130kgのビッグ・タイトンとのメガトンパワーコンビは

強すぎてまともに倒せるレスラーではいない最強タッグだった。

恐らくあの時代にメジャー団体に進出しても通用するのではという幻想があった。


しかしグラジとタイトンの仲は最悪だった。

ライバル意識もあったのかもしれない。

二人はコンビを解散、グラジはFMWに残りタイトンはその後WARに移籍した。

そんなグラジに転機が訪れる。新生FMW旗揚げである。


涙のカリスマ大仁田厚が二度目の引退により新生FMWとして再出発。

ハヤブサ、田中将斗、金村ゆきひろ、大矢剛功などのメンバーの中で頂点に立ったのはグラジだった。

彼はグランドスラムというリーグ戦を圧倒的強さで優勝を果すのである。

特にリーグ戦決勝のハヤブサ戦は名勝負となる。


グラジにとって同年代のハヤブサはお互いをリスペクトし合えるライバルであった。

最後は最終兵器カミカゼアッサムボム(雪崩式)を敢行。

遂に無冠の帝王を返上したのだ。


エースハヤブサの優勝を願ってたファンだったが、

素晴らしい試合にファンはグラジに歓声を送った。

二人は互いの健闘を称えあう。

グラジコールで包まれる後楽園。

今思えばこの時が一番の至福の時だったのかもしれない…


その後、グラジは膝の怪我に泣かされる。

痛々しいニープレスを着けた状態でも戦い続けた。

しかし、川崎球場での田中との死闘で評価は上がり、

さらにその会場で逢いたかったレスラーに初対面を果す。

全日本の小橋健太だった。


グラジにとって小橋はテレビのスターだった。

日曜深夜の全日本プロレス中継で眩しい光を放ち熱い戦いをする小橋。

この男と戦いたい。

自分の力を解放したい。

もしかしたらこの男なら俺を受け止めてくれるかもしれない。


1999年、FMWを離れたグラジは小橋を追って全日本に参戦する。

最終戦の日本武道館でのシングルマッチでグラジは燃えた!

今まで培ったものを全てぶつけた。

そして小橋はやっぱりグラジを受け止めてくれ、打ち返してきた。

小橋との戦いは名勝負となった。

しかし、グラジは惜しくも敗北してしまう。


その後、全日本でトップを目指すのかと思われたが、

彼は全日本を離脱しECWに移籍する。

この決断が彼のレスラー人生に徐々に暗雲が立ち込める…

ECWに移籍したグラジはマイク・オーサムと名乗り、

FMWから参戦した田中とのド迫力の死闘を演じて全米を驚かせECW世界王者となる。

しかしECWは資金売りに苦戦していた。グラジはさらに波紋を呼ぶ行動を起こす。

グラジはECW世界王者でありながらなんとWCWに電撃移籍する。

この行動は全米からバッシングを受ける。

当然である。

契約はまだ残っており、WCWにECWベルトをもって現れたのだから…

グラジの迷走が始まる…


ECW世界王座はWWFのタズに奪われ、

WCWに専念するものの時代遅れのファッションに身を包み違和感しか覚えないスタイルへと劣化。

結局この選択は裏目に出てしまいWCWはWWFによって買収。彼はまたも流転。

WWFに移籍した旧WCWのグラジは出場機会が与えられずに干され解雇される。


その後再び日本に活路を求めるが全日本に参戦しても長続きせず、

ノアでもブレイクできず、2005年サイボーグはひっそりと引退する。

引退したグラジは不動産会社に勤務する。

まだ40歳でのリアイア。


もしかしたらこの時、彼の脳裏に何がよぎっていたのだろうか!?

あの時、もっと日本に参戦していれば…

あの時、WCWに電撃移籍しなければ…

グラジは苦しみを隠して誰にも相談しなかったのかもしれない。

グラジしか分からない苦しみだったのかもしれない。


2007年彼は自宅で首を吊って自殺…

まだ42歳の若さだった。

壊れたサイボーグの機能は停止した…


ひとつの決断の誤りにより、その後の人生が狂ってしまう…

グラジの人生はその教訓を教えてくれた。

辛かっただろう…

苦しかっただろう…

しかし、私は言いたい!

グラジが我々に残した勇姿はずっと生きていくのだ。


最後にグラジのように長期間日本に参戦した外国人選手をトーキョーガイジンというらしい。

グラジがこの世を去ったあともたくさんのトーキョーガイジンが誕生している。

彼らの勇姿をグラジはそっと天国で見守っている。