ジャスト日本です。
プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。
かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。
プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。
プロレスとは何か?
その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。
そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。
有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。
それが「私とプロレス」です。
週刊プロレス時代の思い出
──健さんは1988年から21年間に渡り、週刊プロレス記者として活躍されてきました。週刊プロレス時代について振り返っていただいてよろしいですか。
健さん 楽しかったですよ! 徹夜作業も、好きなことをやっているので苦じゃなかったです。体力的にはきつくても、なんやかんやで睡眠は取れていましたし。基本的には火曜日は取材がなければ休みだったので。
──そうだったんですね。
健さん ただ、楽しい中でもネガティブなこともあるわけで。特に取材拒否(1991年のSWS、1996年の新日本プロレス・WAR・UWFインターナショナル)は「なんでこうなっちゃうんだろう。同じプロレスを好きな者同士がいがみ合うのだろう」と。もちろんそうなる要因もあるし、表に出ている話もあれば、表に出ていない事情もありますが、すべてを見てきた者としては取材拒否というネガティブな状況に陥った時はやるせなかったですね。自分の力でどうなるというものではなかったですから。僕にとっての週プロは「弱い者の味方」だったんです。小さなインディペンデント団体、無名ながらファンに支持されている選手…今はジャンルとして成熟したので観客=消費者が望む形を常に提供するようになりましたけど、当時はまだファンが団体に裏切られた思いになることもあった。週プロは届かないファンの思いを代弁する雑誌だから、僕は好きだった。でも、1996年の取材拒否によって史実的には週プロが悪とされている。年月が経った今では、それはもう覆せないものとして刻まれていますよね。「週プロは嘘の記事を書いていた」という人がいて、それが真実として伝わっている。だからこそ、内部にいた人間として見たものや楽しかったこと、やり甲斐を持てたものが大切なものとして自分の中には残っているんです。それは、他者がどう見ようとどう受け取ろうと揺るぎがないものです。
──取材拒否の話が出たのでお聞きしたかったんですけど、1996年4月29日新日本プロレス東京ドーム大会で取材拒否があって、現場に入れない週刊プロレスは観戦記と題して増刊号を出しているんです。健さんも「文字だけ増刊号」に参加されて記事を書かれたと思いますが、その時はどのような心境でしたか?
健さん あれは単純にグレート・ムタVS新崎”白使”人生が見たかったので、東京ドームで観戦できるから嬉しかったです。
──ハハハ。そこはポジティブに捉えたんですね!
健さん ただ、観戦後が大変でした。写真もないから膨大な文字の記事を書かないといけませんから。通常の試合レポートの5倍ぐらいの文字数を一晩で書き上げましたよ。
──通常のレポート1本分はどれくらいの文字数なんですか?
健さん 大体、1ページは16文字✕42行(672文字)で、これを1段と呼んでいました。IWGP戦や三冠戦では長くても5段~6段で終わるんですよ。
──3300~4000文字くらいですね。
健さん でもあの時はそれ以上の文字数があったので大変でした。8000文字ぐらい書いたんじゃないかな。よくスキーのジャンプで飛距離を伸ばすために着地寸前で踏ん張るじゃないですか。あの感覚です。無理やり決められた行数を埋めている感じ。まだ今ほど長文を書けるだけのスキルがなかったですから。読み直していただくと、よく分かると思いますよ。ただ、形にして永遠に残せてよかったです。あれを発案したのは先輩の市瀬英俊さんだったんですけど、そういう無茶な試みに対し、誰もNOと言わずにノリノリになるんです。そういう一体感、連帯感が週プロにはあった。普段は一緒に飲んだりご飯を食べたりすることがほぼほぼないのに、そういうことになるとみんなで面白がれるんです。当時の週プロの熱量って、そういうところから放出されていたんじゃないですか。
ターザン山本さんの存在
──ありがとうございます。健さんはターザン山本さんがきっかけにベースボール・マガジン社に入社されました。健さんにとって山本さんはどのような存在でしたか?
健さん 山本さんがいたから、プロレスの文章を書きたいと思うようになりました。学生時代は数学の教師になりたくて理数系クラスを選んでいて、文章は授業の作文くらいしか書いたことがありませんでした。でも、山本さんの『ザッツ・レスラー』を読むうちに傾倒していって、マスコミ系の専門学校へ通うようになったんです。ただ、まさか週プロの記者になれるとは思っていなかったですから、卒業時は地方紙の入社試験を受けたんですけど、山本さんが「お前はこのまま週プロにいろ」と。山本さんに週刊プロレスのアルバイトに誘っていただかなければ、今の僕はいません。山本さんからは教わったというよりも一つひとつを共感することで身につけていった感じです。「ファンファースト」は特に叩き込まれましたね。選手でも団体でもない。一番大切にしなければいけないのはファンなんだよと。
──これは興味深い話ですね。
健さん これは個人的な受け取り方ですが、僕の中では山本隆司編集長とターザン山本さんは別モノなんです。今の山本さんは周りが考えるターザン山本像に沿って生きている気がします。もしかしたら週刊プロレス編集長時代の山本さんは、週刊プロレス編集長像を全うしてある種、演じていたところがあったのかもしれません。ターザン山本さんは、自分ファーストという本性に対し忠実に生きていて、またそれが認知されている。
──ハハハ。
健さん 編集長時代の山本さんからは、文章は10行以内に留める、1つの段落に同じ言葉は2回以上使わないといったベーシックなことを教わって、あとは直しを入れられることはありませんでした。山本さんから教わったライティングの基礎は、今でも僕の基軸になっていて、自分がやっている文章講座でも最初の段階でルールとして叩き込ませています。山本さんが編集長時代に行っていたトークイベント「山本隆司対決シリーズ」をオマージュして、闘道館で「鈴木健.txt対決シリーズ」をやっているんですけど、月一ペースで7年目に入っているので、そこだけは山本さんを超えられましたね(笑)。対決シリーズがあったから(第1回のゲスト・佐山聡の時に足を運び、そこで初対面を果たす)山本さんと出会えたので、そのタイトルを復刻させたかったんです。
村田晴郎アナウンサーとの神実況コンビ
──ありがとうございます。健さんといえば、DDTプロレスリング(DDTドラマティックファンタジア)、マッスル中継、みちのくプロレスの「宇宙大戦争」での村田晴郎アナウンサーとの“神実況コンビ”が有名です。村田アナとの思い出をお聞かせください。
健さん 村田さんとはプロレスにおける見る角度が似ていて、ボールを投げればきちんと受けて返してくれるから楽しんでもらえるものにはなったと思います。でも、今はそれを面白いと思ってもらえたり、価値を持ってもらえなくなったから機会が減ったんでしょうね。村田さんは揺るぎないポジション、替えが効かない存在で誰とコンビを組んでも高い水準のクオリティー生み出しますけど、僕は起用する側に評価されたり面白がられたりしないとお役が回ってこないので。ちゃんとしたことを口にしたところで、信ぴょう性がないですからねえ。
──神実況コンビの実況は最高に面白いです。それは時代がめぐっても変わらないように感じますよ。
健さん 今はサムライTVで継続して村田さんとやらせてもらっていますけど、それがもっと拡がれば多くの皆さんに楽しんでもらえるんですが、こればかりは自分だけが望んでどうにかなることはないので。DDT中継があったからライター以外のお仕事をいただけるようになったという意味では、転機でしたね。それまでの僕は喋りを生業とすることは想定していませんでした。やってみたら喋りと書くことは地続きだということがわかったんですが。
──健さんは後に解説者だけでなく実況をやられるようになりましたね。
健さん ニコニコプロレスチャンネルでは解説…僕はプレイヤー出身じゃないからコメンテーターと言うようにしているんですけど、コメンタリーと実況を一人でやるスタイルだったんです。それで月15大会ぐらいやるうちに試合展開と解説的な内容を同時に話すスタイルが身につきました。実況と解説の区別がなくなったんです。実況は解説と違う能力が必要ですから、それは身近にいた村田さんのグルーヴ感をマネしました。その経験があって、プロのアナウンサーでもないのに実況する機会をいただくようになりました。僕はアナウンサーとしてのスキルはないので、ド素人なのは自分がよくわかっているんです。滑舌もよくなくて、本職の方と比べたら聞き取りにくい。そもそも声の質がアナウンサーのそれではない。噛むことも言い間違えもあるけど、それをスピード感、グルーヴ感で帳消しにしているようなものです。だから番組が始まったら次の試合に移るまでのわずかなつなぎ時間を除けば最後までノンストップで喋りまくっています。情報量を多くする、疾走感を出すことで飽きさせない。現場で観戦した方もアーカイブで見て別の楽しさを味わえるよう、はじめから現場と番組は別コンテンツと位置づけています。ド素人にもかかわらず実況の仕事をいただけているのは、自分が見てきた過去の記録の蓄積を言葉にして伝えられることと、本職の方とは違うスタイルによる話す内容を面白いと思ってもらえているからだと思います。GLEATさんはコメンタリー実況として一人でやらせていただいていますし、天龍プロジェクトさんでは、解説の天龍源一郎さんのタッグパートナーとして5年も続いている。おかげで天龍さんの声もほぼ100%聞き取れるようになりました。今は書くことと、実況&コメンタリー&イベントMCの喋りの仕事との割合は半々ぐらいですね。
──神実況コンビの話に戻りますが、やっぱり二人の真骨頂はマッスルでの実況。漫才コンビで例えると健さんがボケで、村田さんがツッコミという図式が最高なんですよ。
健さん そうですか、あまりそのへんは決めていなかったんですよね。むしろ、プロレスの中継に関してはボケとツッコミを分担したら面白くなくなるんじゃないかな。
──健さんのボケを村田さんが拾いまくってツッコんで、場内が爆笑に包まれるという光景がマッスルの名物だと思いますよ。
健さん ボケというより、見たままのことを言っているだけだったんです。それがプロレスという器の中ではイレギュラーに映る。村田さんとは、それを逆手に取っていました。だから、二人ともいたって真面目なことを言っていたんです。真面目に言えば言うほど面白く聞こえる。そこに気づいたのが新崎人生選手でした。人生選手はザ・グレート・サスケ選手のことが大好きで、その持ち味を伝えるには僕らのスタイルがベストだと。もちろん膨らますことで面白いものにしようとは思いましたけど、茶化したり選手の価値が下がるようなことは言わない。そこでも村田さんとは合っていたんです。村田さんは、とにかく僕が何を言っても笑わないんですよ。観客が笑う前に、やる側が笑ってしまったらどっちらけじゃないですか。それと同じでDDTのプロレスであっても受けないようにしていた。それによって耐久性が磨かれたと思います。僕は、プロレス中継って実況アナウンサーの方の作品だと思っていて、コメンテーターはいかにそのいい対話相手になるかが役割りだと思っています。プロレスリングFREEDOMSや2AWは塩野潤二さんの作品、GAORAでWRESTLE-1中継をしていた頃は、髙橋大輔さんの作品として成り立たせるための受け答えをする。村田さんが投げてきたボールをキャッチし、時にはストレートに、時にはクセのある変化球を取りやすい位置に投げ返すことを心がけていました。マッスルはああいう形のプロレスでしたが、実況に関してセリフは一切与えられず、投げっぱなしだったのでほぼその場で浮かんできた言葉を口にしていただけだったんです。今でも実況をやっていると「あのフレーズは用意したものですよね」と言われるんですけど、試合に関しては本当に何も用意していません。本当は用意した方がそれらしく聞こえるかもしれないですけど、本職でもない人間がそれっぽいことを言ったところで響かないですよ。
僕のカラーって何なんでしょうね
──ありがとうございます。健さんは2025年にワニブックスさんから『髙山善廣評伝 ノーフィアー』を出されました。こちらの本を拝見させていただきました。素晴らしかったです。髙山選手の伝記ものとして興味深く読むことができたこと、証人となった皆さんの髙山選手に対する愛情がうまくまとまっていた印象を受けました。
健さん 髙山選手を支援するために本を出すことに関しては異論などなかったと思いますし、購入していただきくことで本当に帝王に力を貸していただけたと思います。ありがとうございます。ただ、書き手である僕に関しては当然ながら賛否両論あります。プロレス内の人間が書いているノンフィクションだからつまらない、外部のノンフィクションライターが書かなければ面白くないという意見もありました。それ以前に、僕自身の筆力が足りないという評価も見ましたし。確かに、僕以外にも筆力を持った書き手の方はいくらでもいるのでそういう声に対しても力不足で申し訳なかったのと同時に、それでも髙山選手の支援につながるからと購入していただけたのであれば感謝です。
──でも本当に素晴らしいプロレス本でした。なんだかんだで言う人は言いますし、皆さんにおすすめできる本だと思いますよ。
健さん ありがとうございます。発刊から1年以上が経過したので、この場を借りて…『髙山善廣評伝 ノーフィアー』は、売り上げの一部がTAKAYAMANIAに寄付されますので、購入していただくことが髙山選手の支援につながります。よろしくお願い申し上げます。
──元週刊プロレスの記者さんで書籍を出されている方が多いですけど、やっぱり週刊プロレスのカラーである私感が多めの純文学のような活字プロレスを展開している印象があるんですけど、健さんはそこまで私感が強くないんですよね。その中で週プロイズムを文章で表現はされていますよね、
健さん そこはあまり出さないようにしています。僕は自分のカラーがどのようなものなのかが分かっていないんです。市瀬さんやフミ・サイトー(斎藤文彦)さん、元週刊ゴングの金澤克彦さん、小佐野景浩さんは独自の世界観を持っているじゃないですか。市瀬文学、フミ文学、金沢文学、小佐野文学があるわけですよ。それは、主観や主張、独自視点にバリューがあり、読み手に求められているからです。でも僕は求められているとは思えない。僕のカラーって何なんでしょうね?
──健さんは週刊プロレス時代から様々な団体の記事を執筆されてきたオールラウンダーで、こっちがクスッと笑ってしまうボケを挟んでくるんですよ。綺麗に文章を組み立てながらも、ボケを挟んで和ませる…これが健さんの世界観ではないかと考えていますよ。
健さん そうなんですね。そこは意図的にやっていますね。文章って作品であり、芸だと思っているので、そういう変化球やツッコミを入れる余地を与えるようにしています。まあ、ささやかな色ではありますが。それは、FMWの影響が大きいです。FMWって、初めて笑いやネタ的要素を記事に盛り込める団体だったんですよ。大仁田厚のデスマッチだけでなく、アミーゴ・ウルトラやパンディータ、ダミアンのようにネタ的なレスラーがいたじゃないですか。それらの面白さが伝わるよう、膨らませた文章をけっこう書いていたんで。それは同期の小島和宏記者の影響も大きかったです。二人で「ここまでバカなことを書いて怒られないかな」「まあ、面白ければいいんじゃね?」みたいに話して。お互い「向こうがここまで書いてんだから自分も大丈夫だ」と思いながら書いていたのかもしれませんが。
──それが全体を読み込むと際立つ色なんですよ。どんなにシリアスな文章を書いたとしても、クスっと笑えるところを入れて最終的に感動してしまうが健さんの文章の魅力ですよね。
健さん そこは落語でいうところの「緊張と緩和」ですね。マッスルもそうじゃないですか。第1部でゲラゲラ笑える内容で、第2部はシリアスで勝負するという感じで構成していた。今、言われて自分の色があるとしたら、そこなのかなという気がします。全然権威はないですが。
──新たな発見になりましたか。
健さん そうですね。プロレスマスコミの先人である菊池孝さんのスタイルとして、一人称を出さずとも伝わる書き方を心がけてきたので、主張や主観は薄く、自分のカラーなんて確立したという自覚はなかったんですよ。だからこのインタビューでそれらしきものに気づくことができました。ありがとうございます。
健さんが選ぶプロレス名勝負
──では健さんの好きなプロレス名勝負を3試合、挙げていただいてよろしいですか?
健さん みんなそうだと思いますが、なかなか選べないですよね。パッと浮かんだのは2024年9月3日後楽園ホールで行われた『TAKAYAMANIA EMPIRE 3』での鈴木みのるVS髙山善廣です。奇跡のボーナストラックで、まごうことなきシングルマッチだったと思います。あれは「水入り」で、今も試合は続いていると考えています。みのるさんが「お前が立てないんだったら、この勝負お預けにしてやるよ。その代わり、テメェが帰ってくるまで、俺はプロレスのリングでお前のことずっと待ってるからな!」と言ったということは、いつか続きがあるんですよ。
──同感です。健さんはこの大会の実況をされていますが、現場で見ていてどのような感想を持ちましたか?
健さん 客席で見ていたら絶対に泣いていたでしょうけど生中継中、実況者が泣くわけにはいかない。だからエモーショナルな空気に持っていかれぬよう、ひたすら目の前の風景を言語化することに専念していました。結果、自分でも意外なほど冷静な距離感で見られたと思います。だから、中継が終わってからドワッと押し寄せてきた感じでした。ただ、あれも今思うと申し訳ないですよね。あのシーンの動画は、永久保存版の名シーンとして今後も再生され、多くの方々に見られるわけじゃないですか。それとともに僕のような本職ではない人間の喋りが残ってしまう…もっとプロフェッショナルな方がやった方がふさわしい場面だったのに…。
──では残りの2試合を挙げてください。
健さん 盛岡でのザ・グレート・サスケVSスペル・デルフィン(2006年10月8日)と、2001年12月2日大日本プロレス横浜アリーナ大会で行われた山川竜司&金村キンタローVSMEN'Sテイオー&関本大介にします。現場で見たレッスルマニア18のハルク・ホーガンVSザ・ロックも捨て難いですが。
──大日本のは山川選手が頭蓋骨骨折という重傷を負って長期欠場から奇跡の復帰を果たした試合ですね。
健さん 山川選手が重症から復帰するべきかという狭間でずっと葛藤があって、賛否両論で、温かいファンの皆さんは復帰させたいというけど、容体を考えると復帰しない方がいいのではというファンもいた。だから伝える側としては、慎重にならないといけなかったです。
──確かにそうかもしれませんね。
健さん 僕個人としては復帰してほしいけど、その前にマスコミとしての立場にある。伝える人間としての立ち位置を、山川選手の復帰で色々と考えさせられました。山川選手が入院して、病院のベッドで麻酔が効いた状態で朦朧としながら起き上がろうとするのを、登坂栄児社長やMEN’Sテイオー選手らみんなでベッドに押し戻すようなシーンも見ていましたからね。
──そうだったんですね…。
健さん その姿を見たら、なんとかしてもう一度リングに立ってほしい、でももしものことがあったらという中で、気がつけば運命共同体のようになってしまったなと。これでもし復帰させて取り返しのつかない事故が起こったら、リング禍が起こってしまったら、それを認めたお前の責任はどうなるのかという話じゃないですか。結果的に山川選手が復帰してマイクで「なんて素晴らしい職業なんでしょう、プロレスは」と言った時は、お客さんの心を揺さぶりましたよね。試合後のバックステージでそれまで抑えていたものが決壊して号泣した関本大介選手の姿にも、プロレスのドラマ性を感じずにはいられなかったです。
──涙と感動の復帰戦でしたね。
健さん 立場上プロレスマスコミなので、選手に思い入れを持たないように心がけていますが、山川選手は何人かの例外の一人ですね。最終的には自分の足でリングを降りて引退できて、数年間のしかかっていたものから解放された気がしました。それほど山川竜司は、ずっと僕の心に残り続けているプロレスラーです。
──山川選手は記録より記憶に残るプロレスラーですよね。
健さん 山川選手の復帰戦が大日本プロレスでは初の週刊プロレス巻頭カラーで掲載されました。当時はメジャー団体とインディー団体では壁が分厚かったので、大日本はページを取るのも大変な時代です。僕が週プロを離れて2010年代ぐらいからは正当に評価され、当たり前のようにページ数も増えてよかった。その礎となったのが、山川選手の復帰戦だったと僕は思っています。
──素晴らしいです!
健さん それから最近ではフジタ“Jr”ハヤト選手の試合はどれも神がかっているし、思い入れを持ってしまいます。インタビューでも包み隠さずに自身の体の状態や心中を語ってくれるので、聞き手としてありがたいわけですよ。本当は思い出したくないだろうけど、プロレスラーとして伝えるべきことは伝えなければならないという姿勢でやっているハヤト選手だから、言葉にも重みと信念があるんです。その上で試合を見ると、平常心では見られなくなりますよね。彼が命懸けで実現させた高橋ヒロム選手との一騎打ちも、めぐり合わせで自分が実況(解説が東京03・豊本明長さんと新崎人生)だったんですけど、あれは冥利に尽きました。自分の言葉であの二人の物語を伝えることができたのは光栄でした。
──素晴らしいです!
健さん あとこれは古い話になりますが、新生FMW時代なんですけど、1996年11月16日・大阪府立臨海スポーツセンターで行われたハヤブサ VS TAKAみちのく戦には恩を感じています。ミスター・ポーゴの懇願によって当時引退していた大仁田厚が復帰するのか、しないのかという最中で、話題性では絶大なるものがあったからそちらにページを割かれて、試合の方がワリを食らってしまう。どんなに内容が素晴らしくても、スキャンダルの方にスポットライトが当たってしまうというジレンマがありました。
──そうだったんですね。
健さん 僕はハヤブサ VS TAKAを通じて「ちゃんと試合を見せて、記事にすれば、伝わる人には伝わるんですよ」と二人が提示してくれたように勝手に解釈したんですよ。あの時は、プロレス記者として初めてネガティブな感情を抱いて、今後取材していくことはしんどくなってきたなという状況だったんです。だからハヤブサ選手とTAKA選手に救ってもらった。この試合を見て、プロレス記者を続けようと思えましたから。
健さんにとってプロレスとは?
──素晴らしいチョイスじゃないですか!では健さんの今後について語ってください。
健さん 僕が憧れていた小林邦昭さんのドキュメント本『虎ハンターの美学』を出すことができて、もうこれ以上の幸運はないと思うんですよ。週プロに運よく入れたこと、髙山さんと小林さんの本を出せたことで、人生における運は使い果たした。
──まだまだ健さんの文章はプロレス界を中心に求められているんじゃないですか。
健さん もちろん今後も、仕事にはポジティブに向き合っていきますよ。ライターもインタビュアーとしても、実況でもコメンタリーでもイベントや番組MCでも、受け手に楽しんでいただいた上で自分も楽しめる形にするのはマストです。フジタ“Jr”ハヤト選手のように、まだまだ本として出したい選手、対象もいますし。あとは、週プロをやめた時の目標だった、他ジャンルについても書くことでプロレスを広めるのも形にしたい。純烈も、その物語を書きつつところどころにプロレスの要素を紛れ込ませていました。実は今、プロレスとも音楽とも違うジャンルの書籍に携わっていて、それを形にできればと思っています。
──ありがとうございます。では最後の質問です。あなたにとってプロレスとはなんですか?
健さん プロレスは…人生を楽しませてくれたツールですね。ポジティブとネガティブが激しく入れ替わる稀有なジャンルで、それだけ心への刺さり具合も圧倒的なんですよ。
プロレスに出会えたから、色々な幸運が巡ってきたし、髙山善廣選手、小林邦昭さんの本を手掛けることができました。純烈の本も、リーダーの酒井一圭さんがマッスルに出ていたことで関係性ができて、書けたんですから。
あと、この質問をされた時に用意している答えとしては「思い入れによる感情芸術」がプロレスだと考えています。その人の脳内での思い入れによって描かれて、その人だけのアート作品となりえるという認識ですね。芸術というのは説明過多にならぬようにというのもあって、なかなか感情をダイレクトに表さないジャンルですよね。でもプロレスは違うんですよ。外に全開放して感情を出せるし、その方が伝わるし、共感を生むことで共有できる。
──言われるとそうですね! 思い入れによる感情芸術という表現は納得しました。
健さん プロレスは思い入れを持ったもん勝ちですよ。人生は楽しんだ方が絶対いいし、面白いですから。僕はプロレスも映画もあらゆる表現ジャンルは、楽しめたら勝ちだと思っています。だって、その方が人生を豊かにさせるんですから。もちろん自分の思い通りにいかない展開もあるでしょうし、「なんだよ」と思うこともあるでしょう。でもポジティブに受け止めた方が人生は好転しますよ。
──これでインタビューは以上となります。健さん、長時間の取材にお付き合いいただき本当にありがとうございました。今後もご活躍とご健康とご多幸をお祈りいたします。
健さん こちらこそありがとうございました。
編集後記 「緊張と緩和の世界観で包むプロレス愛」
私は12歳でプロレスに出会い、週刊プロレスのページを開くたびに「鈴木健」という署名入り記事を読んできた。あの頃はただの少年で、まさか自分がその健さんにロングインタビューする日が来るなんて、夢にも思わなかった。
インタビューが終わった瞬間、鈴木健さんがぽつりと呟いた。
「僕は人から見ても面白いといえるほどの人生を歩んできていないですし、語る実績もないし、コンテンツとしてのバリューはそれほどないんです。なのにインタビューをしていただけるなんて、ジャストさんに還元できるかどうか」
そんなことはない。1990年代の週刊プロレスを支えたスター記者のひとりが健さんだった。30年以上、選手の言葉を、会場の空気を、リングの熱を、誰よりも丁寧に、真っ直ぐに届けてきたのが健さん。その文章と声に、どれだけの人が救われ、どれだけの人がプロレスにのめり込み、どれだけの人が「明日も生きてみよう」と思ったことか。
これは私の持論だが、週刊プロレス出身のライターと週刊ゴング出身のライターでは文章の世界観が好対照である。週刊ゴング出身の小佐野景浩さんや金澤克彦さんは写実的に文章を書いている。物事の事実や史実を丁寧に伝えるというスポーツジャーナリズム手法が週刊ゴングイズムで、ゴング的文章表現ではないかと。
対する週刊プロレス出身のライターの文章はターザン山本さんを筆頭に市瀬英俊さんや小島和宏さんが分かりやすい例だが、主観というものをやや強めに味付けしているのだ。もちろん物事をきちんと追っているが、ゴング的文章表現とは違う。物事の事実や史実を追いつつも主観も入れる純文学的手法が週刊プロレスイズム、週プロ的文章表現。さらに山本さんはそこにアナーキーさも加わる。
そう考えると週刊プロレス出身の健さんは山本さん、市瀬さんや小島さんに比べるとややマイルドだ。なぜなのかずっと気になっていた。すると健さんが意外なことを語った。
「市瀬さん、フミさん、金澤さん、小佐野さんは独自の世界観を持っているじゃないですか。市瀬文学、フミ文学、金澤文学、小佐野文学があるわけですよ。でも僕のカラーって何なんでしょうね…」
謙虚なのか、自虐なのかは分からないが、インタビューで健さんは自身の評価は低めだった。
そんなことはない。健さんには描けない文章の世界観は確かに存在している。熱さと面白さの双方を重ねながらも、冷静沈着に俯瞰しているからこそ、気になるツッコミどころはきちんと突くのが健さんの凄さなのだ。
「健さんは週刊プロレス時代から様々な団体の記事を執筆されてきたオールラウンダーで、こっちがクスっと笑ってしまうボケを挟んでくるんですよ。綺麗に文章を組み立てながらも、ボケを挟んで和ませる…これが健さんの世界観ではないですか」
私はこのように健さんにアンサーした。本音だった。もし本当に気づいていないのなら、僭越ながらこの場できちんとお伝えしたほうがいい。
すると健さんが「そこは落語でいうところの”緊張と緩和”ですよ」と語った。そうなのだ。健さんの文章にはいつも緊張と緩和が存在している。どんなにシリアスな文章でも、ほんの少しボケを挟み、コメディアスな文章だったとして、急にシリアスな話題をぶっこむこともある。プロレスというジャンルの中で、緊張と緩和という感情を巧く使いこなしながら文章表現していくのが、鈴木健.txtというライターの世界観ではないだろうか。
小佐野さん、金澤さん、市瀬さん、山本さんに負けない唯一無二の文学を健さんは持っているのだ。
緊張と緩和のオールラウンダーはこれからもプロレスという思い入れの感情芸術で、我々の心を文章と言葉で揺さぶり続ける。
【私とプロレス 鈴木健.txtさんの場合 完】

























