俺達のプロレスラーDX
第263回 テロリズムの牙〜蜃気楼に消えたラテンの至宝〜/アル・ペレス【俺達のプロレスラーDX】
俺達のプロレスラーDX
第262回 オペラ座の怪人劇場〜切なくも美しき「黒い心臓」/ザ・ブラックハーツ

俺達のプロレスラーDX
第261回 偉大なる血統 静かに燃えたいぶし銀の軌跡/ケンドール・ウィンダム

俺達のプロレスラーDX
第260回 GREAT MUTAの正体〜海賊版極悪忍者物語/トロイ・エンドレス【俺達のプロレスラーDX】

俺達のプロレスラーDX
第259回 主役を引き立てることにすべてを捧げた男の誇り/デビッド・アイズリー

俺達のプロレスラーDX
第258回 「とんだ一杯食わせ者」と呼ばれたマスター・ブラスター/アル・グリーン
俺達のプロレスラーDX
第257回 剛柔兼備怪獣〜サブミッション&スープレックスの二丁拳銃/サモア・ジョー【俺達のプロレスラーDX】
プロレスラーの「強さ」を定義づけるものは、一体何なのだろうか。
誰もが畏怖する圧倒的な巨体か。それとも、ヘビー級の常識を覆すほどの俊敏なスピードか。あるいは、いかなる強豪をも一瞬で眠らせるリアルな格闘技術なのか。
もし、そのすべてを同時に兼ね備え、なおかつ四半世紀にわたって世界のトップ戦線で「恐怖の象徴」であり続けた男がいるとすれば、私たちはその存在を「奇跡」と呼ばずして何と呼べばいいのだろう。
男の名は、サモア・ジョー。
本名ニュファラウ・ジョエル・シーノア。188cm、130kgのポリネシア系の獰猛な肉体を持ちながら、リングに上がればキックボクサーのような鋭い蹴りを放ち、軽量級レスラー顔負けのトペ・スイシーダ(決死の場外飛び)を敢行し、最後は冷酷無比な「コキーナ・クラッチ(裸絞め)」で相手の意識を完全に刈り取る。
彼がついた異名は「サモアン・サブミッション・マシン」。
総合格闘技のエッセンスを取り入れた独自のファイトスタイルや、一度極まったら脱出不可能な絞め技「コキーナ・クラッチ」などのサブミッション技術に由来している。
また基本的には「サブミッション・マシーン」が最も定着しているが、彼がスープレックス(投げ技)のスペシャリストでもあるため、「サモアン・スープレックス・マシン」と表現されることがある。
巨体でありながら、キメラ・プレックス(ジャーマン・スープレックス→ドラゴン・スープレックス→クロスアーム・スープレックスを連続で叩き込むコンボ技)、投げっぱなしジャーマン・スープレックス、ハーフネルソン・スープレックス、エクスプロイダーといった強烈なスープレックスを得意にしている。
かつてアメリカのインディープロレスの聖地「ROH」で前人未到の長期政権を築き、メジャー団体「TNA」では団体の象徴として一時代を築いた。
そして、誰もが「そのファイトスタイルはメジャーでは受け入れられない」と悲観した世界最大団体「WWE」、さらには現代のユートピア「AEW」にいたるまで、彼は行く先々のすべてのリングで「世界ヘビー級王座」のベルトを強引にその腰へと巻き付けてみせた。
今もその圧倒的な存在感と威厳は衰えるどころか、世界のマット界における「生ける伝説(リビング・レジェンド)」として、若き才能たちの前に巨大な壁として立ちはだかり続けている。
インディーの混沌、メジャーの冷遇、度重なる怪我という試練、そして世界の頂点への完全なる復権――。
今回は、世界中のプロレスファンを熱狂させ、レスラーたちが最も恐れた「真の怪物」のプロレス人生を、その卓越したファイトスタイルの分析とともに深く考察していきたい。
★ポリネシアンの血と柔道のハイブリッド――「踊る怪獣」の誕生
1979年3月17日、サモア・ジョーはアメリカ・カリフォルニア州オレンジカウンティで、誇り高きサモア系の家系に生まれた。
彼の幼少期は、一般的なプロレスラーのそれとは大きく異なっていた。彼の家族は、ポリネシアの伝統的な歌と踊りを伝える高名なダンス・グループ「トウス・サモア」を主宰していたのだ。
ジョー自身も、わずか5歳の頃からステージに立ち、1984年のロサンゼルスオリンピックの開会式では、伝統衣装に身を包んでパフォーマンスを披露したという経歴を持つ。
この、幼少期から叩き込まれた「ポリネシアン・ダンス」の経験こそが、後年のサモア・ジョーのプロレスの最大の武器となる「並外れたリズム感」と「圧倒的なステップ、柔軟性」の礎となった。
130kgを超える巨体を持ちながら、彼がリング上で見せる猫のようなしなやかな身のこなし、そして一瞬でトップスピードに乗る爆発的なダッシュ力は、この伝統ダンスのステップによって培われたものだったのだ。
しかし、彼の身体に流れるのは、闘いの一族としてのサモアの血である。
ダンスと同時に、彼は実戦的な格闘技の世界へと没頭していく。 5歳から柔道を始めたジョーは、サモア系特有の恵まれた骨格に加え、並外れた運動神経を持っていた。
カリフォルニア州のジュニア選手権を制するなど、若くして畳の上で頭角を現した彼は、ここで「相手の重心を奪い、自重を浴びせて叩きつける」という体捌きの極意を無意識のうちに骨の髄まで染み込ませていく。
本物のサブミッション(関節術)と投げの技術を十代のうちに完全にマスターした彼は、格闘家としてのリアルなバックボーンをその肉体に刻み込んでいった。
高校時代にアメリカンフットボールのトップ選手として鳴らしたジョーだが、彼の魂は常に「一対一の闘い」へと向いていた。
10代後半から20代前半にかけ、彼は柔道のベースの上に、さらに実戦的な格闘技術を上書きしていく。
目をつけたのは、当時アメリカで爆発的なブームを巻き起こしつつあった総合格闘技(MMA)の世界だった。
ジョーはキックボクシングやムエタイのジムに泥臭く通い詰め、巨体から放たれるローキックや、骨を砕くようなエルボーの技術を習得する。
さらに、UFCの黄金期を築いたティト・オーティズらのジム「パニッシュメント・トレーニング・センター」に出入りし、本物のMMAファイターたちと火の出るようなスパーリングを重ねた。
ここでブラジリアン柔術の寝技やポジショニングを吸収したジョーは、ただ相手を力任せにねじ伏せるのではない、極めてロジカルな「絞め技・関節技」のスキルをコンプリートしていった。
当時の彼は、本気でMMAファイターとしてのデビューを模索していたという。
やがて、その強靭な肉体と格闘センスに目を付けたプロレス界のスカウトにより、彼はプロレスラーへの道を歩み始める。 カリフォルニアのUPW(アルティメット・プロ・レスリング)の道場で、後にWWEの絶対的エースとなるジョン・シナらと同期として切磋琢磨したジョーは、1999年12月にプロデビューを果たす。
デビュー直後から、彼の怪物ぶりは際立っていた。アメリカのインディーマットでその名を轟かせ始めた彼は早くも日本に行くチャンスをつかむことになる。
★「ZERO-ONE」「真撃」「破壊王」「火祭り」」ジャパニーズ・スタイルがサモア・ジョーのバックボーン
2001年、新日本プロレスを解雇された橋本真也が不退転の決意で立ち上げたZERO-ONE。
その橋本が、イベント会社「ステージア」とタッグを組んでプロデュースした格闘プロレス興行が『真撃(しんげき)』であった。
総合格闘技(MMA)の台頭により、プロレスラーにも「ガチの強さ」が要求された時代。この殺伐とした実験場に放り込まれたのが、米UPWから送り込まれた22歳のサモア・ジョーだった。
2001年6月14日、大阪城ホールで行われた『真撃 第1章』。ジョーはケイジ・サコダと組み、バトラーツの石川雄規&臼田勝美という、関節技の猛者たちと対峙する。
アメリカ仕込みのパワーに、柔道ベースの寝技をミックスさせたジョーは、日本のマニアックな格闘プロレスファンを驚愕させた。16分48秒、臼田を必殺のチョークスリーパー(のちのコキーナ・クラッチ)で絞め落とし、衝撃的なTKO勝ちを収めたのだ。
『真撃』での確かな実力を見た橋本真也は、ジョーをZERO-ONEの本戦へレギュラー外国人として正式に招聘する。
ここでジョーは、団体の象徴である「破壊王」橋本真也と正面から激突した。
橋本の代名詞といえば、相手の肉体を破壊するような重戦車のごときミドルキックである。
並の外国人であればその殺気に気圧されるところだが、ジョーは違った。橋本の強烈な蹴りを、一歩も引かずに自らの肉体を突き出して受け止め、不敵な笑みを浮かべたのだ。
逆に、重いエルボーを顔面に叩き込み、豪快なスープレックスで巨体の破壊王を攻め立てた。
「アメリカに、とんでもないサモア人がいる」
ファンの間でその名は一気に広まり、彼は同じサモア系の仲間たちと「キング・ジョー」のリングネームで暴れ回った。
さらに、元グリーンベレーのトム・ハワードやザ・プレデターらと共に、初期ZERO-ONEの強力な外国人勢の筆頭として定着したのである。
ジョーの日本での評価を決定づけたのが、ZERO-ONE真夏の過酷なシングルリーグ戦『火祭り』だった。
2001年(第1回火祭り)には 無名に近い状態でエントリーしたジョーは、9月15日のディファ有明での最終公式戦で、当時すでに団体トップだった田中将斗と激突。
パワー、スピード、タフネスのすべてで田中を圧倒し、最後はアイランド・ドライバー(エメラルド・フロウジョン)で沈める大金星を挙げた。この敗北により、田中は優勝決定戦への道を断たれ、ジョーは「スーパルーキー」として確固たる地位を築いた。
2002年(第2回火祭り)には 大谷晋二郎、TAKAみちのく、金村キンタローらと同じブロックで大暴れし、大会の格を上げる立役者となった。
タッグ戦線でも、2002年1月6日の後楽園ホール大会にて、トム・ハワードと組んで大谷晋二郎&田中将斗組との「NWAインターコンチネンタル・タッグ王座決定戦」に挑むなど、常にメインストーリーの中心にいた。
2003年、与えられたストーリーラインへの不満や、自身のさらなるステップアップのため、ジョーは一度ZERO-ONEのリングを離れることになる。
しかし、22歳から24歳というレスラーとしての最も重要な吸収期に、『真撃』や『ZERO-ONE』という「世界で最も痛みの伝わるリング」を経験したことは、彼の運命を決定づけた。
橋本真也のキックを受け止め、田中将斗をマットに沈めた自信――。日本発のストロングスタイルと受けの美学を完璧に自身の血肉としたジョーは、アメリカへと帰国。
日本で「闘いのリアル」を学んだジョーは、カリフォルニアに帰国後、さらなる進化を遂げる。
2002年、アントニオ猪木がロサンゼルスに設立した「新日本プロレス・LA道場(猪木道場)」に、開校当初から主要メンバーとして関わったのだ。
当時のLA道場は、日本のストロングスタイルをアメリカの地で再現するための、文字通りの虎の穴だった。
そこには、日本から遠征してきた藤田和之やケンドー・カシンといった本物の猛者たちがおり、ジョーは彼らと日常的にガチガチのスパーリングを重ねた。
さらに、同じマットには豪華すぎる同期たちがいた。のちにWWEで頂点に立つブライアン・ダニエルソン(ダニエル・ブライアン)ジュニアヘビー級の至宝となるロッキー・ロメロやTJP、のちにUFC世界王者となるリョート・マチダがいた。柔道とMMAのバックボーン、そして日本のリングを経験していた23歳のジョーは、この環境で完全に覚醒する。
日本の過激なリングで「本物の闘い」を肌で学んだジョーは、アメリカへと帰国後、本格的に世界のプロレス界の歴史を塗り替えるためのカウントダウンを始めることになる。
★ROHの「絶対的守護神」――CMパンクとの神話、そしてインディーの象徴へ
2002年、アメリカのインディープロレス界に「ROH(リング・オブ・オナー)」という名の新たなユートピアが誕生した。
過激なハードコアやアメプロ特有のギミックを排除し、「コード・オブ・オナー(名誉の規律)」のもと、純粋なレスリング技術の攻防で観客を熱狂させるこのリングに、サモア・ジョーは「最強の刺客」として参戦を果たす。
当初は単発の外国人ヒールとしての参戦予定だったが、ジョーがリング上で見せた圧倒的なクオリティの前に、ROHの首脳陣、そして世界一目が肥えていると言われたフィラデルフィアのファンは、瞬く間に魅了されてしまった。
2003年3月、ジョーはザヴィアを破り、第3代ROH世界ヘビー級王座を奪取。
ここから、ROHの歴史、否、アメリカインディープロレスの歴史における「神話の時代」が幕を開ける。
彼の王座保持期間は、実に「21ヶ月(645日間)」。防衛回数は29回。
この数字は、歴史あるROHの世界王座防衛記録の中で今なお破られていない伝説の「絶対政権」である。
この時代のサモア・ジョーは、まさに誰も手がつけられない「破壊神」だった。 相手をコーナーに逆さ吊りにし、その顔面に強烈な顔面ウォッシュ(顔面踏みつけ刑)を叩き込む。
場外戦になれば、リングサイドの観客を文字通り跳ね飛ばしながら、巨体を弾丸のように突き刺す「トペ・スイシーダ」でスタンドをパニックに陥れた。
そして、トップロープから相手を脳天からマットに突き刺す「マッスル・バスター(キン肉バスター)」、あるいは背後から首元を完璧にロックする「コキーナ・クラッチ(胴絞めスリーパーホールド)」の前に、あらゆる挑戦者たちが泡を吹いてマットに沈んでいった。
そして、この絶対政権の中で、ジョーはプロレス界の歴史に永遠に残り続ける「至高のライバル」と出会う。
男の名は、CMパンク。
シカゴのストレート・エッジ(禁欲主義者)であり、卓越したマイクパフォーマンスとインサイドワークを誇るパンクと、圧倒的な破壊力を持つ絶対王者ジョー。
二人が2004年に繰り広げた「ROH世界王座戦3連戦」は、今なおアメリカプロレス史における「最高傑作」と称されている。
第1戦(2004年6月12日、デイトン大会)、そして第2戦(同年10月16日、シカゴ大会)。
二人は、130kgと90kg台という体重差を全く感じさせない、息をもつかせぬ極限のレスリングを展開。攻守が目まぐるしく入れ替わる緊迫感のなか、2試合連続で「60分時間切れ引き分け(タイムリミット・ドロー)」という、現代アメプロの常識を覆すノンストップの激闘を繰り広げたのだ。
スタミナが枯れ果て、お互いの意地と誇りだけでエルボーを打ち合う二人の姿に、観客は総立ちで涙を流しながら「This is Wrestling!(これぞプロレスだ!)」と叫び続けた。
12月の第3戦で、ジョーがパンクをコキーナ・クラッチで失神させてついに完全決着をつけたものの、この二人の闘いは、ROHというインディー団体が、世界最大団体WWEに対抗できる「本物のプロレス」を提供していることを世界中に知らしめる決定打となった。
サモア・ジョーは、ROHのベルトの価値を世界最高峰まで引き上げ、自らがインディープロレス界の「神」となったのである。
★2005年10月1日・ニューヨーク「絶対王者」と「絶対王者」の奇跡
ジョーといえば、やはり2005年10月1日、米国ニューヨークのホテル・グランド・ボールルームで行われたROHの興行で実現した世界プロレス史に残るシングルマッチ。
対峙したのは、21ヶ月にわたりROH世界王座を守り抜いたアメリカ最恐の男サモア・ジョーと、日本でGHCヘビー級王座を2年間(13回防衛)守り抜き「絶対王者」と呼ばれた小橋建太。
実は試合前、小橋は大きな不安を抱いていた。
「アメリカのファンは、日本のレスラーである自分を知らないのではないか」「卑怯な外国人ヒールとして振る舞うべきか」と、ジョーに相談していたという。
ジョーは「そんな心配は不要だ。あなたは偉大なレジェンドなんだから」と諭したが、小橋は半信半疑のまま花道を歩いた。
しかし、小橋が姿を現した瞬間、会場は割れんばかりの「KOBASHI」コールに包まれた。
アメリカの熱狂的なマニアたちは、海を越えて小橋の偉大さを知っていたのだ。
小橋は驚きと感動を隠せず、のちに「嬉しくて涙が出そうになった」と語るほどの伝説の入場となった。
壮絶極まる「チョップ vs エルボー」試合は、派手な演出を一切排除した「肉体と肉体の激突」となった。
ジョーは小橋への最大のリスペクトを込め、LA道場仕込みの重いエルボーやステップキックを容赦なく叩き込む。これに対し、小橋も魂の「マシンガン・チョップ」で応戦。
二人の胸元は真っ赤に腫れ上がり、鈍い打撃音が会場に響き渡る。ジョーは持てるすべての引き出しを開け、小橋をギリギリまで追い詰めた。
しかし、最後は小橋の「剛腕ラリアット」がジョーの首元を捉え、カウント3。
試合後、ボロボロになりながらも観客へ「ROHよ、永遠なれ」と叫んだジョーと、彼の強さを認めた小橋。この試合は米レスリング・オブザーバー紙で「5つ星(最高評価)」を獲得し、2005年の世界年間最高試合(MOTY)の最有力候補として歴史に刻まれた
★TNAという名の黄金郷――AJ、ダニエルズとの三つ巴、そして「無敗の怪物の進撃」
2005年、ROHの絶対王者としての役割を果たし終えたジョーは、さらなるスケールアップを目指し、メジャー団体への一歩手前にいた「TNA(トータル・ノンストップ・アクション・レスリング)」へと電撃移籍を果たす。
TNAにおけるジョーの主戦場となったのは、軽量級の天才たちがアクロバティックな空中戦を繰り広げる、団体独自の看板戦線「Xディビジョン」だった。
130kgのジョーが、AJスタイルズやクリストファー・ダニエルズといった、世界最高峰のハイフライヤーたちの戦場に放り込まれたのだ。
ファンは最初、「ジョーの巨体では、Xディビジョンのスピードについていけないのではないか」と危惧した。
しかし、サモア・ジョーという怪物は、その予想を遥か斜め上へと嘲笑ってみせた。
2005年9月11日、TNAのPPV『Unbreakable 2005』のメインイベントで行われた「AJスタイルズ vs クリストファー・ダニエルズ vs サモア・ジョー」のXディビジョン王座3WAYマッチ。 この試合は、TNAの歴史の中で唯一「メルトザーの5つ星(最高評価)」を獲得した、伝説のクオリティとなった。
ダニエルズの鋭い飛び技、AJの天才的なひらめきに対し、ジョーは巨体から繰り出す圧倒的なパワームーブと、彼らに勝るとも劣らないスピードのキック、そして意表を突くエプロンサイドからのランニング・ニーで完璧に応戦してみせたのだ。
3人の呼吸が完璧にシンクロしたこの激闘は、TNAという団体の黄金期を決定づける記念碑となった。
TNAでのジョーは、デビューから実に「1年半(18ヶ月)」にわたり、シングルマッチにおいてピンフォール、ギブアップを一度も許さないという、驚異の「無敗記録」を樹立する。
その無敗の怪物ジョーの前に、2006年秋、世界最大のプロレス団体WWEから電撃移籍してきた「オリンピック金メダリスト」カート・アングルが立ちはだかる。
「本物の格闘技術」を持つカートと、「サモア・サブミッション・マシン」ジョーの抗争は、TNAのPPV観客動員記録を次々と塗り替える大ヒットとなった。
カートのアンクルロックをジョーが柔道の技術で切り返し、ジョーのコキーナ・クラッチをカートが執念の反転でフォールを狙う。プロレスが持つ「競技としてのスリル」を極限まで高めた二人の闘いは、ファンを狂喜乱舞させた。
2008年4月の『Lockdown 2008』では、金網に囲まれたリングの中でカート・アングルを撃破し、ついに念願の「TNA世界ヘビー級王座」を初戴冠した。
★2007年10月27日・日本武道館/「緑の方舟」の頂点への挑戦
小橋との死闘から2年後、サモア・ジョーの次なる標的は、プロレスリング・NOAH(ノア)の創設者であり、日本のプロレス界の「至宝」である三沢光晴だった。
2007年10月27日、超満員14,000人のファンで埋まった聖地・日本武道館。
ジョーは、三沢の持つ最高峰の王座「GHCヘビー級王座」に挑戦するべく、NOAHのリングへと帰ってきた。
満身創痍の盟主と、全盛期の怪物当時、45歳を迎えていた第11代王者・三沢光晴の肉体は、長年の激闘(四天王プロレス)の代償として満身創痍、いつ壊れてもおかしくない限界の状態にあった。
一方で、28歳のサモア・ジョーは米TNAやROHで世界の最前線を走り、パワー・スピード・スタミナのすべてが全盛期を迎えていた。
試合は、ジョーがその圧倒的なコンディションの差を見せつける形で幕を開ける。ジョーは三沢のお株を奪うような鋭いエルボー、巨体から放たれるパワーボム、そして容赦のないサブミッションで終始、試合を支配した。
三沢の動きが鈍る中、ジョーは勝機を確信し、必殺の「コキーナ・クラッチ」やスープレックスで仕留めにかかる。
しかし、ここからが「三沢光晴」の本領だった。ジョーの怒濤の猛攻を驚異的な打たれ強さで耐え抜いた三沢はエルボーで反撃。最後は立ち上がろうとするジョーの顔面へ、魂を込めた「ランニング・エルボーバット」を叩き込んだ。
衝撃の一撃により、20分すぎ、ジョーはマットに沈みカウント3。三沢が執念の防衛を果たした。
この試合は、全盛期のジョーが三沢の全盛期(90年代)と闘いたかったというファンの幻想も含め、切なくも美しい「最後の王道スタイル」のぶつかり合いとして、今なお語り継がれている。
★TNAの顔となるも⋯不遇の時期が続き決断
その後も、スティングやケビン・ナッシュ、ブッカーTといった元WCW、WWEのレジェンドたちで結成された「メインイベント・マフィア」に対し、ジョーは団体の生え抜きの若手を率いるエースとして、文字通り「団体の顔」として君臨し続けた。
しかし、2010年代に入り、団体の経営方針の迷走や、クリエイティブ(ストーリー)の混乱に巻き込まれる形で、ジョーは次第に不遇の時期を過ごすようになる。
TNAで10年間、文字通り身体を張り続け、団体を支え続けたサモア・ジョー。しかし、2015年、彼は自らのレスラー人生の「最後の、そして最大の勝負」に出るため、住み慣れた黄金郷に別れを告げる決断を下した。
★WWEという巨大な壁への挑戦――中邑真輔との激闘、レスナーを震え上がらせた「本物の殺気」
「サモア・ジョーのファイトスタイルは、WWEのビンス・マクマホンの好みではない」 「彼の体型や激しすぎる技は、WWEのメインストリームでは通用しない」
長年、アメリカのプロレス関係者やファンの間で囁かれ続けていた「常識」だった。WWEは、モデルのような肉体美を持つエンターテイナーや、2メートルを超えるわかりやすい巨人を好む傾向が強かったからだ。
しかし、2015年5月、WWEの育成ブランドでありながら、世界中のプロレスオタクたちを熱狂させていた「NXT」のリングに、サモア・ジョーが突如として現れた時、その偏見は一瞬で吹き飛んだ。
NXTのファンは、インディーの時代から自分たちの青春のアイコンであったサモア・ジョーの登場に、割れんばかりの「JOE! JOE! JOE!」の大歓声を浴びせた。WWEの首脳陣も、ジョーが持つ「リングに立つだけで空間を支配する圧倒的な説得力」を認めざるを得なかった。
NXTにおいて、ジョーはフィン・ベイラー(プリンス・デヴィット)との激しい王座戦を経て、NXT王者へと登り詰める。
そして、彼の前に立ちはだかったのが、日本からWWEへと電撃移籍し、瞬く間にNXTのカリスマとなった「イヤァオ!」の男、中邑真輔だった。
2016年、サモア・ジョーと中邑真輔によるNXT世界王座を巡る抗争は、日米のプロレスの最高峰がメジャーの舞台で激突する、極上の「ストロングスタイル」の応酬となった。
中邑の変幻自在の蹴りやボマイェ(キンシャサ)に対し、ジョーは容赦ないパワースラムやコキーナ・クラッチで応戦。
ブルックリンやトロントといった大観衆の前で、二人は何度も王座をひっくり返し合う名勝負を展開し、NXTの歴史における最高のライバル関係を築き上げた。ジョーは中邑から王座を奪い返し、史上初の「2度のNXT王者」という栄誉を手にした。
2017年1月、ジョーはついに、誰もが待ち望んだWWEのメインロースター(RAW)への昇格を果たす。 トリプルHの「刺客」として現れ、セス・ロリンズの膝を破壊する衝撃のデビューを飾った彼は、瞬く間にWWEのトップヒールとしての地位を確立した。
メインロースターにおけるサモア・ジョーのハイライトといえば、2017年夏、時のWWEユニバーサル王者であった「人類破壊兵器」ブロック・レスナーとの歴史的な一騎打ち(PPV『Great Balls of Fire』)をおいて他にない。
元UFC世界ヘビー級王者であり、WWEでも無敵を誇っていたレスナーに対し、ジョーは1ミリの臆することもなく、真っ向からその視線を睨みつけた。
試合前のマイクパフォーマンスでは、レスナーの代弁者であるポール・ヘイマンの首を掴み、「レスナーに伝えておけ。俺はお前を恐れていない。お前の首を絞め落としてやる」と冷酷に言い放った。
その時のジョーの眼光に宿っていたのは、台本(シナリオ)を超えた、本物の「殺気」だった。
実際の試合でも、ゴングが鳴る前にジョーはレスナーに奇襲を仕掛け、実況席にレスナーをボディスラムで叩きつける暴挙を敢行。
リング内でも、レスナーのジャーマン・スープレックスの連発に耐え抜き、執念のコキーナ・クラッチでレスナーの顔面を赤紫に変色させるまで追い詰めてみせたのだ。
最後はレスナーの一瞬のF5の前に敗れはしたものの、あのブロック・レスナーを本気で「震え上がらせ、冷や汗をかかせた男」として、サモア・ジョーの名はWWEの歴史に深く刻まれることとなった。
その後も、AJスタイルズとのWWE王座を巡る、家族をも巻き込んだドロドロとした心理戦・抗争や、US王座の獲得など、彼は常にトップ戦線で機能し続けた。
しかし、激しいファイトスタイルの代償として、頭部の負傷(脳震盪)や数々の怪我に悩まされるようになり、2020年以降は解説者としての活動が増えていく。
その知性的で、かつレスラー心理を巧みに突いた解説能力は高く評価されたものの、ファンは「リング上のジョー」を諦めきれなかった。
2021年、一度はWWEから解雇されたものの、NXTの責任者であったトリプルHの強い要望により電撃復帰。
同年8月、新鋭キャリオン・クロスを破り、史上初となる「3度目のNXT王座」を獲得するという意地を見せた。
しかし、団体の体制変更(NXT 2.0への移行)に伴い、2022年1月、彼は再びWWEからリリースされることとなる。
「サモア・ジョーの時代は、これで終わったのだろうか」
世界中のファンが、彼の引き際を覚悟した。しかし、怪獣の心の中に燃え盛る炎は、まだ1ミリも小さくなってはいなかった。
★AEWでの完全なる復権――「キング・オブ・テレビジョン」から世界の頂点へ
2022年4月、かつて彼が絶対王者として君臨した古巣、新生「ROH(トニー・カーンが買収)」のPPV『Supercard of Honor』のエンディング。 突如として鳴り響いたあの不気味なゴジラの咆哮を彷彿とさせるテーマ曲に、会場は爆発的な大歓声に包まれた。
サモア・ジョー、AEWおよび新生ROHへの電撃入団。
ここから、サモア・ジョーのレスラー人生における「奇跡の第2章」が加速していく。
トニー・カーン代表は、ジョーの実力と、これまでのプロレス界への貢献度を最大限にリスペクトし、彼を瞬く間に団体の「最高の重鎮」としてプロモートした。
ジョーはまず、ROH世界TV王座、そしてAEWの若き才能たちがしのぎを削る「TNT王座」を次々と獲得。
二つのテレビ王座のベルトを同時に保持し、自らを「キング・オブ・テレビジョン」と称して、毎週の番組を圧倒的な支配力で牽引した。
かつてROHで若き日のジョーと戦ったファンの子供世代にあたる、ダービー・アリンやパワーハウス・ホブスといったAEWの新世代の天才たちが、ジョーの圧倒的な肉体とインサイドワークの前に、文字通り「プロの本物の凄み」を叩き込まれていった。
彼の試合は、派手な空中戦や過激なスタントが主流となりつつある現代のAEWにおいて、一発のチョップ、一発のボディスラムで観客を黙らせる「プロレスの原点」を提示し続けた。
そして、彼の復権劇が最高のクライマックスを迎えたのが、2023年12月30日、ニューヨークで開催されたAEWのPPV『Worlds End』である。
メインイベントにおいて、長期間にわたりAEWの絶対的エースとして王座に君臨し、絶対的な人気を誇っていたMJF(マクスウェル・ジェイコブ・フリードマン)の持つ「AEW世界ヘビー級王座」に挑戦。
MJFの執拗な反則やテクニックに対し、ジョーはビクともしないタフネスと、全盛期を彷彿とさせる獰猛な攻めを展開。最後は、満身創痍のMJFを強烈なコキーナ・クラッチで完全に絞め落とし、レフェリーストップ勝ちを収めたのだ。
44歳にして、世界で最も熱い団体であるAEWの「世界最高峰の頂点」へと登り詰めた瞬間。
インディーの混沌から這い上がり、メジャーの壁にぶつかり、怪我に泣かされた男が、自らのファイトスタイルを1ミリも変えることなく、世界最大のインディーの情熱を持つメジャー団体の頂点に立った。
このジョーの戴冠劇に、世界中のオールドファン、そして目の肥えたAEWの観客は、惜しみないスタンディングオベーションを送り続けた。
★サモア・ジョーがマット界に遺し続ける「生ける伝説」の重み
明けて2024年、ジョーはAEW世界ヘビー級王者として、ハングマン・アダムスやスワァーブ・ストリックランドといった団体のトップランナーたちと、息をのむような防衛戦を展開。
同年4月の『Dynasty』においてスワァーブに王座を明け渡したものの、王座を失った後も彼の価値が下がることは一切なかった。
それどころか、2024年から2025年にかけて、サモア・ジョーという男のマルチな才能は、プロレス界の枠をも大きく飛び越えていった。
ハリウッドの映像界において、彼のあの「不気味な巨体」と「圧倒的なドスの利いた声」は、最高のキャラクターとして求められ続けたのだ。
人気ゲームのアニメ化大作『ツイステッド・メタル』において、不気味なピエロの殺人鬼「スイートトゥース」のボディ(肉体演技)を担当し、世界的な大ヒットを記録。
さらに、DCコミックスのゲーム映画『スイサイド・スクワッド』では、主要キャラクターである「キング・シャーク」の声優を務めるなど、エンターテインメントの世界においても、彼は唯一無二の「怪獣」としての地位を不動のものにしていった。
そして2026年。
サモア・ジョーは、映画や声優としての華やかなハリウッドのキャリアを並行してこなしながらも、毎週、AEWのバックステージ、そしてリングの上にその巨体を現し続けている。
現在の彼は、ベルトという目に見える勲章を必ずしも必要としていない。
なぜなら、サモア・ジョーがリングに向かって花道を歩いてくる、あのずっしりとした足音、そして解説席から放たれる一言一言の重みそのものが、現在のAEW、そして世界のプロレス界における「格」の基準(スタンダード)になっているからである。
時折、リングに上がっては、最先端の若きレスラーたちを「コキーナ・クラッチ」の一撃でマットに這わせ、プロレスの「綺麗さ」の向こう側にある「恐怖」と「リアル」を叩き込む。
50歳を目前に控えた2026年現在もなお、サモア・ジョーは、世界のプロレス界において誰一人として真似のできない、気高き「破壊神」としての生き様を現在進行形で刻み続けているのだ。
世界のプロレス界に遺し続ける圧倒的な「強さの記憶」と「王者の威厳」
プロレスラーにとって、本当の「偉大さ」とは一体何によって証明されるべきなのだろうか。
「王道を破壊し、インディーのプライドをメジャーの頂点で証明してみせた男」サモア・ジョーのこれまでの歩みを振り返った時、私はある一つの事実に気がつく。
彼は、20代の若き日に日本のZERO-ONEやROHで魅せたあの「激しさ」「タフネス」「サブミッションのキレ」を、40代後半を過ぎ、様々なエンタメの世界で成功を収めた2026年の今もなお、全く錆びつかせることなく保持し続けているということだ。
それは、彼が自らの肉体、そして「プロレス」というジャンルに対して、どれほど深い愛情と、狂気的なまでのプライドを持ち続けてきたかの証明に他ならない。
リング上では、相手を容赦なく破壊する「最凶の怪獣」。しかし、一歩バックステージに下がれば、若きレスラーたちの相談に乗り、的確なアドバイスを送り、ハリウッドのスタッフからも愛される、極めて理性的で知性あふれる「紳士」であるというサモア・ジョー。
彼が今もなお、痛みの伴うプロレスのキャンバスに立ち続ける理由。
それは、彼にとってリングこそが、ポリネシアンの血をたぎらせ、自らの魂を最も純粋に表現できる「約束の地」だからではないだろうか。
彼が今、リング上で相手をコキーナ・クラッチで絞め落とす時、その冷酷な表情の裏側には、かつて5歳の頃にロサンゼルスの大舞台で伝統のステップを踏んでいたあの少年スティーブンの、純粋無垢な「表現者としての喜び」が、今もなお脈々と息づいているに違いない。
ジョーのプロレスは重戦車のごとき破壊力に、天性のスピードと高度なレスリング技術を完全融合させたその姿は、まさに「剛柔兼備怪獣」。
一瞬で相手の意識を刈り取る鋭い関節技と、脳天からマットへ突き刺す多彩な投げ技、すなわち「サブミッション&スープレックスの二丁拳銃」という最強の武器を携え、彼は世界中のマットを恐怖と興奮で支配してきた。
だからこそ、現在のAEWのリングでも、サモア・ジョーの闘いにはあの激動の日本マットで磨き上げた「ストロングスタイル・王道の重み」が、今なお厳然として漂っている。
サモア・ジョーが世界のプロレス界に遺し続けるあの圧倒的な「強さの記憶」と「王者の威厳」を、私たちはこれからも、彼のゴングが鳴るたびに、震えながら、そして心からのリスペクトを込めて目撃し続けるのだ。
俺達のプロレスラーDX
第256回 マットは神聖なり!王道を刻む冷酷非情のリング・ジェネラル/グンター

俺達のプロレスラーDX
第255回 流血と情熱の暴力王。狂気と誇りで時代を撃ち抜く信条/ジョン・モクスリー
2010年代から2020年代、そして2026年の現在に至るまで、世界のプロレスリング・ビジネスはかつてないほどの巨大化と洗練を遂げ、グローバルなエンターテインメントとして進化し続けている。
世界最大手WWEが破格の巨大放映権協定を結び、緻密に計算されたスクリプトとハリウッド映画さながらの映像演出で世界を魅了する一方で、2019年に誕生したAEW(オール・エリート・レスリング)は新たな対抗軸としてマット界のパワーバランスを激変させた。さらに日本の新日本プロレスや欧州、中南米の団体が複雑に交差し、世界的なプロレスの「大航海時代」が到来している。
だが、どれほど時代が進化し、プロレスがハイテク化し、アクロバティックで洗練された技の攻防が主流となろうとも、ファンの心を最も深く、最も激しく揺さぶるものはいつの時代も変わらない。
それは、「命を削る生の人間ドラマ」であり、「剥き出しの感情と血の匂い」である。
アリーナに重低音のテーマ曲「Wild Thing」が轟いた瞬間、会場の雰囲気は一変する。観客席の通路を悠然と闊歩し、鋭い眼光で周囲を威嚇しながらリングへと向かう一人の男がいる。
革ジャンを羽織り、肩を怒らせ、リングインするやいなや相手に襲いかかり、自らの額を割って鮮血を流しながら不敵な笑みを浮かべる。
ジョン・モクスリー。
188cm、102kgの肉体で、かつて世界最大手WWEにおいて「ディーン・アンブローズ」の名でトップに君臨し、いまやAEW、新日本プロレス、そして世界中のインディーマットを縦横無尽に駆け抜ける「現代プロレス界最高の熱量を持ったカリスマ」である。
ある者は彼を「令和のテリー・ファンク」と呼び、ある者は彼を「アメリカン・プロレスのストリート・キング」と称える。
WWEでの巨額の報酬と安泰な未来を自ら投げ打ち、あえて混沌と流血の最前線へと飛び込んでいった男。
2024年にはWWE世界王座、AEW世界王座に続き、日本の最高峰であるIWGP世界ヘビー級王座をも獲得。プロレス史上前人未到の「米日三団体世界王座制覇」という超金字塔を打ち立てた。
さらに2025年の「コンチネンタル・クラシック」を制してAEWコンチネンタル王者となり、2026年現在もその絶対的な存在感を誇示し続けている。
なぜ、この男の背中に僕たちはこれほどまでに魅了され、その生き様に涙するのか。
なぜ彼は、安定を嫌い、常に自らの肉体を傷だらけにしながらリングの最前線に立ち続けるのか。
今回は、シンシナティの底辺から這い上がり、狂気とプロレスへの絶対的愛を武器に世界をひれ伏せさせた「野良犬」ジョン・モクスリーの壮絶なる生涯と、その深遠なるプロレス思想を深く、深く考察していきたい。
★貧困と孤独のシンシナティ――「野良犬」ジョナサン・グッドの原点
1985年12月7日、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ。 本名ジョナサン・デイヴィッド・グッドとして生まれた少年は、アメリカの華やかな繁栄の陰に隠れた、極めて過慮な環境で育った。
彼が育ったシンシナティのイーストエンド地区は、貧困と犯罪、ドラッグが日常茶飯事として蔓延する治安の悪い地域であった。
両親は彼が幼い頃に離婚。母親は夜勤の仕事を掛け持ちしながら必死に彼を育てたが、生活は常に困窮していた。
周囲の同年代の若者たちが路地裏でドラッグの密売や窃盗に手を染めていく中、幼いジョナサンの唯一の救いであり、現実の辛さから逃避できる唯一の聖域が「プロレスリング」であった。
部屋の古いビデオデッキで、擦り切れるまでプロレスのテープを観続ける日々。
プロレスの歴史本や雑誌を貪るように読み漁り、彼は画面の中のレスラーたちに自らの夢と救いを託した。彼が特に心を寄せていたのは、技術と意地の塊であったブレット・ハートや、テネシー州などの南部で繰り広げられていた泥臭く血の匂いがするリアルなレスリングであった。
「俺にはプロレスしかなかった。プロレスがなければ、俺は路地裏で野良犬のように死んでいたか、刑務所の中にいただろう。プロレスが俺の命を救ってくれたんだ」
後に彼が語った言葉には、何の飾りもない生々しい実感がこもっている。
高校を中退した彼は、わずか18歳で地元のプロレス団体HWA(ハートランド・レスリング・アソシエーション)のドアを叩く。
最初は選手としてではなく、リングの設営や撤去、会場の清掃、ポップコーン売りといった雑用係からのスタートだった。
そこで伝説的なレスラーであり名指導者であったレス・サッチャーやコーディ・ホークのもとで厳しくプロレスの基礎を叩き込まれた彼は、2004年に「ジョン・モクスリー」として待望のプロデビューを果たす。
デビュー当初のモクスリーは、恵まれた体格を持ちながらも、エリートレスラーとは程遠い存在だった。日銭を稼ぐために工場や倉庫で最低賃金の労働をこなしながら、週末になれば数十時間も車を走らせて全米各地の粗末なインディー団体のリングに上がる。
路地裏で育った少年が、自らの肉体一つで世界に挑むための第一歩。それはまさに「野良犬」が自らの牙を研ぎ澄ますための、血と汗に塗れた下積みの日々であった。
★過激の泥沼と血塗られた青春――CZW・インディー界での「狂気」の覚醒
2000年代後半、アメリカのインディープロレス界は、過激なハードコア・デスマッチを売りにする団体や、純粋なプロレス技術を競い合う新興団体が乱立する百花繚乱の時代を迎えていた。
その中でジョン・モクスリーが自らの評価を一気に高めたのが、全米で最も過激で危険とされるデスマッチ団体CZW(コンバット・ゾーン・レスリング)や、ドラゴンゲートUSA、FIP(フル・インパクト・プロ)、EVOLVEでの大暴れであった。
有刺鉄線、蛍光灯、画鋲、カミソリ、ガラス板――。 キャンバスが血で染まる惨劇のリングの上で、モクスリーは狂気的なファイトを展開した。相手の攻撃を正面から受け止め、額から流血しながらも不敵な笑みを浮かべる。
だが、モクスリーが他のデスマッチレスラーと決定的に一線を画していたのは、単に刺激的なショッキング映像を提供するだけではなく、「圧倒的なマイクパフォーマンスと人間的なリアリズム」を備えていた点である。
彼がマイクを握ると、アリーナの空気は緊迫した殺気に包まれた。 クエンティン・タランティーノ監督の映画に出てくる危険な犯罪者や、裏社会のストリート・ファイターを思わせる生々しいプロモ(マイクパフォーマンス)。
「俺を殺してみろ! 俺の魂は誰にも壊せない! この血は俺が生きている証だ!」
フェイクの入り込む隙のない、圧倒的なリアル。観客は彼の放つプロレスへの狂気的な執着と、痛みを恐れない姿に息をのんだ。
CZW世界ヘビー級王座を2度にわたって獲得したモクスリーは、アメリカのプロレスオタクやインディー関係者の間で「全米インディー界で最も危険で、最も魅力的で、最もプロレスに憑かれた男」としての評価を揺るぎないものにしていった。
貧困の街シンシナティから飛び出した野良犬は、自らの血を流すことで、プロレス界に「ジョン・モクスリー」という存在を深く、深く刻み込んでいったのである。
★WWEという巨大帝国の光と影――「ザ・シールド」結成とディーン・アンブローズの狂騒曲
2011年4月、ジョン・モクスリーの圧倒的な存在感とインディーでの実績に目をつけていた世界最大手団体WWEが、彼と正式に開発育成契約を結ぶ。
開発団体のFCW(フロリダ・チャンピオンシップ・レスリング、後のNXT)に入門した彼は、リングネームを「ディーン・アンブローズ」へと変更。
ここで彼は、後にライバルであり親友となるウィリアム・リーガルとの壮絶な抗争や、セス・ロリンズとの一連の名勝負を通じて、WWEスタイルのレスリングとストーリーテリングを急速に吸収していった。
そして2012年11月18日、PPV『サバイバー・シリーズ』において、現代プロレス史に残る歴史的事件が起こる。
メインイベントのWWE世界ヘビー級選手権試合の最中、黒いタクティカルベストに身を包んだ3人の若者が突如乱入。
王者CMパンクをアシストし、巨漢ライバックを実況テーブルへ「トリプル・パワーボム」で叩きつけたのだ。
「ザ・シールド(The Shield)」の誕生である。
ディーン・アンブローズ(マイクと狂気を司るマインドハッカー/事実上のリーダー格)
セス・ロリンズ(リング上のスピードと圧倒的技術を司る建築家)
ロマン・レインズ(圧倒的なパワーと説得力を誇る破壊神)
この3人組は、既存のWWEの秩序を粉砕し、ハイスピードで隙のない6人タッグマッチで全米を熱狂させた。
アンブローズはシールドの「声」としてマイクを握り、2013年5月には歴史あるWWE US王座を獲得。保持期間351日という、現代WWEにおける最長記録クラスの長期政権を築き上げた。
2014年にセス・ロリンズの裏切りによってザ・シールドが解散すると、アンブローズは「ルナティック・フリンジ(狂犬)」のニックネームでベビーフェイスとして爆発的な人気を獲得する。
髪を振り乱し、相手の攻撃を正面から受けて立ち上がり、自らの体を省みない危険な技を繰り広げるアンブローズのスタイルは、かつてのストーン・コールド・スティーブ・オースチンやロディ・パイパーを彷彿とさせ、子供から大人まで絶大な支持を集めた。
そして2016年6月19日、PPV『マネー・イン・ザ・バンク 2016』。 同夜のブリーフケース獲得者となったアンブローズは、メインイベントで元同僚セス・ロリンズを破って新王者となったロマン・レインズに対し、直後に権利を行使(キャッシュイン)。ダーティ・ディーズ(ダブルアームDDT)を一閃させ、ついにWWE世界ヘビー級王座をその手に抱きしめたのだ。
かつてシンシナティの路地裏で飢えていた少年が、世界最大の団体でナンバーワンとなった奇跡の瞬間であった。
ザ・シールドの3人が一夜にして全員世界王者となるドラマチックな展開は、ファンを歓喜の渦に巻き込んだ。
★世界王者の栄誉と「魂の摩擦」――葛藤の末に選択したエスケープ
WWE世界王者となり、インディペンデント王座、RAWタッグ王座も獲得してWWEグランドスラム(主要全王座制覇)を達成したディーン・アンブローズ。彼は名実ともに世界のトップスターとなった。
しかし、彼の心の中には、年を追うごとに大きくなる「違和感と絶望」が渦巻いていた。
WWEという巨大企業における極度に管理された環境、毎週会社から渡される細かく書かれたセリフ(スクリプト)の丸暗記、コミカルなキャラクターを強制される演出、過密な移動スケジュール、そしてプロレス本来の殺気や流血が排除された「PG体制(ファミリー向け演出)」――。
「俺が愛したプロレスは、こんなものじゃない。俺は操り人形になりたいんじゃない。自分の言葉で話し、自分の血を流し、自分の魂でリングに立ちたいんだ」
WWEからの破格の長期高額再契約オファーを提示された時、彼は一瞬の迷いもなく首を横に振った。お金や名声、安定した地位よりも、自分の「プロレス魂」を取り戻すことの方が彼にとっては遥かに重要だった。
2019年4月末、WWEとの契約が満了。 契約が切れた直後、彼のSNS上に一本のセンセーショナルな映像が投稿された。
暗闇の刑務所の壁を叩き割り、脱獄して雨の街へと飛び出す男の動画。 最後に画面に浮かび上がった文字は、「JON MOXLEY」であった。
ディーン・アンブローズという作りモノのキャラクターは死んだ。 本物の熱量を持った野良犬、ジョン・モクスリーが還ってきたのだ。
AEW誕生と電撃の「ジョン・モクスリー」復活――両国国技館への降臨とデスライダー旋風
2019年5月25日、ネバダ州ラスベガスで開催された新団体AEWの歴史的旗揚げ興行『Double or Nothing』。
メインイベントでクリス・ジェリコとケニー・オメガが死闘を繰り広げた直後、観客席から私服姿のジョン・モクスリーが突如姿を現した。
アリーナを切り裂くような悲鳴と大歓声の中、モクスリーはリングへ上がり、レフェリー、ジェリコ、そしてケニー・オメガを次々と襲撃。ステージ上の巨大なポーカーチップのオブジェの上からケニーをパラダイム・シフト(高角度ダブルアーム式DDT)で投げ落とし、世界中のプロレスファンに「自由の宣言」をぶち開けた。
さらに、モクスリーの野心は太平洋を越え、日本の新日本プロレスへと向けられる。
2019年6月5日、東京・両国国技館『BEST OF THE SUPER Jr. 26』最終戦。 当時のIWGP USヘビー級王者ジュース・ロビンソンの前に現れたモクスリーは、初参戦にしてジュースを激闘の末に粉砕し、第6代IWGP USヘビー級王座を奪取。
日本のファンは、アメリカのメジャー団体でトップを極めた男が、日本のリングの固いキャンバスの上で剥き出しのファイトを展開し、試合後に「デスライダー」の異名を響かせる姿に熱狂した。
同年夏の『G1 CLIMAX 29』にも初参戦を果たしたモクスリーは、内藤哲也、石井智宏、後藤洋央紀らと激惨な肉弾戦を展開。
特に石井智宏とのゴツゴツとした真っ向勝負は、日米のプロレス史に残る肉弾戦として絶賛された。海野翔太を「俺の野郎(ショータ)」と呼んで子分のように従え、タッグを組む姿もファンに深く愛された。
そして2020年2月29日、AEWのPPV『Revolution』において、クリス・ジェリコを破り第2代AEW世界王者に輝く。
ジョン・モクスリーという野心に満ちた野良犬は、自ら選んだ戦場において、再び世界の頂点へと上り詰めてみせたのである。
★パンデミックの暗雲を切り裂く「団体の背骨」――流血の死闘とBCC(ブラックプール・コンバット・クラブ)の美学
2020年春、新型コロナウイルスの世界的大流行(パンデミック)により、世界中のプロレス興行がストップし、無観客試合を余儀なくされるという未曾有の危機がマット界を襲った。
観客の歓声もリアクションもない静寂のアリーナ。 その絶望的な状況下で、AEW世界王者として団体をその背中で支え続けたのがジョン・モクスリーであった。
モクスリーは、誰もいないパイプ椅子に向かって熱狂のマイクパフォーマンスをぶつけ、リング上ではミスター・ブロディ・リー、ランス・アーチャー、ハングマン・アダム・ページらと観客がいないことを忘れさせるほどの血みどろの激闘を展開。
「観客がいようがいまいが関係ない。俺たちがリング上で生き様を見せることが、世界への答えだ」
彼の見せたプロフェッショナリズムとキャプテンシーは、AEWという新興団体を「本物のメジャー」へと押し上げる最大の原動力となった。
さらに2022年、モクスリーのプロレス人生は新たなステージへと突入する。
元WWEの伝説的な技術屋ウィリアム・リーガルを師と仰ぎ、元WWE世界王者のブライアン・ダニエルソン、クラウディオ・カスタニョーリ、そして若手のウィーラー・ユウタらとともに「ブラックプール・コンバット・クラブ」を結成。
BCCの理念は明快であった。
「エンターテインメントの甘やかしを排し、プロレスリングの基本である『血と汗と技術と痛み』を叩き込む」
モクスリーはBCCの絶対的エースとして、自らの体に刻まれた無数の傷跡を勲章とし、どんな若手選手が相手であっても容赦なく叩きのめし、同時に彼らのプロレス魂を引き出していった。
相手の技から逃げず、額から流血しながらも不敵に笑い、肘打ち(エルボー)と膝蹴りを叩き込む。その姿は、かつてアントニオ猪木やテリー・ファンクが体現した「プロレスの殺気と情熱」そのものであった。
★米日三団体制覇という前人未到の超金字塔――IWGP世界ヘビー級戴冠とストロングスタイルの証明
ジョン・モクスリーのレスラー人生において、間違いなく最大の輝きを放ち、プロレス史の教科書に永久に刻まれることとなったのが2024年である。
2024年4月12日、アメリカ・シカゴで開催された新日本プロレスのビッグマッチ『Windy City Riot』。
メインイベントで、第8代IWGP世界ヘビー級王者・内藤哲也に挑戦したジョン・モクスリーは、アウェイの地で内藤と凄惨な死闘を展開。内藤のデスティーノをギリギリで凌ぎ切ると、渾身のデスライダー(ダブルアーム式DDT)を突き刺し、カウント3を奪い取った。
第9代IWGP世界ヘビー級王座戴冠。
この瞬間、ジョン・モクスリーは歴史上誰一人として成し遂げることができなかった超絶的な金字塔を打ち立てた。
【WWE世界王座】 【AEW世界王座】 【IWGP世界ヘビー級王座】
アメリカの歴史ある2大メジャー団体、そして日本のストロングスタイルの象徴である新日本プロレスの最高峰ベルトを「すべて獲得した世界史上初のレスラー」となったのだ。
王者としてベルトを腰に巻いたモクスリーは、ベルトに深々と礼をし、感動の面持ちでこう語った。
「俺はプロレスを愛している。日本のストロングスタイルを尊敬している。このベルトは、俺の生き様そのものだ」
その後、6月のアメリカでの『Forbidden Door 2024』で内藤哲也との再戦に敗れ王座を譲るまで、彼は日米を股にかけ、ザック・セイバーJr.や成田蓮といった強豪たちを退け、IWGP王者としての威厳を世界に示し続けた。
そして同年の2024年10月『WrestleDream』ではブライアン・ダニエルソンを破り、自身通算4度目となるAEW世界王座を獲得。自らの価値を極限まで高めてみせたのだった。
★デスライダーズの猛威とコンチネンタル王座――2025年〜2026年、終わりなき闘争の最前線
2024年後半から2025年にかけて、ジョン・モクスリーの進撃は新たな危険な領域へと突入する。
彼は自らの新たな思想を体現するため、パック(PAC)やマリーナ・シャフィールらを巻き込んだ新ユニット「デスライダーズ」を結成。AEWのリングにさらなる混沌と緊張感をもたらした。
2025年12月には、全米最高峰のシングル・トーナメントである「コンチネンタル・クラシック 2025」に見事優勝。第3代AEWコンチネンタル王座を獲得し、その強さを再び世界に見せつけた。
そして2026年に入っても、モクスリーの勢いは衰えるどころか、ますます凄みを増している。
2026年3月のPPV『Revolution 2026』では、日本の至宝・KONOSUKE TAKESHITA(竹下幸之介)との一騎打ちを制し、コンチネンタル王座を防衛。
さらに2026年4月の『AEW Dynasty 2026』ではウィル・オスプレイとの激突を制し、2026年6月の『Forbidden Door 2026』ではバンディードを流血の果てにテクニカル・サコミッションで仕留めて見せた。
2026年7月現在も、コマンダーらの挑戦を退け、コンチネンタル王者として王座を防衛し続けている。
ポジションに安住することなく、常に自らを極限状態に追い込み、若き強豪たちの挑戦を全身で受け止め叩きのめす。
2026年の今なお、ジョン・モクスリーは世界のプロレス界の最前線で「絶対的なボス」として君臨し続けているのだ。
★弱さを曝け出す強さと真の愛――アルコール克服、家族の絆、そしてプロレスへの絶対的忠誠
リング上では、誰も近づけないような狂気と殺気を放つジョン・モクスリー。
だが、彼のレスラー人生の真の強さは、自らの「弱さ」と正面から向き合い、それを乗り越えてきた人間的深みにある。
2021年11月、AEW世界王者として多忙を極めていたモクスリーは、突如としてすべての興行を欠場し、「アルコール依存症の治療プログラム(リハビリテーション施設)」に入所することを発表した。
過酷な移動スケジュール、肉体の激痛、そしてトップレスラーとしてのプレッシャーから、長年にわたりアルコールへの依存に苦しんでいたことを自ら明かしたのだ。
ファンや関係者が心配そうに見守る中、彼を支え続けたのが、妻であるアナウンサーのルネ・パケットであった。
WWE時代に出会い、結婚した二人の絆は固かった。ルネはモクスリーの葛藤を優しく受け止め、彼が完全に立ち直るための最大の理解者であり続けた。
また、二人の間に生まれた娘の存在も、モクスリーの心に「守るべき本当の光」を与えた。
約3ヶ月の治療を経て、2022年1月にリングへと復帰したモクスリーの表情は、どこか晴れやかで、より研ぎ澄まされた力強さに満ちあふれていた。
「俺は自分の弱さを隠さない。一度はどん底に落ちたが、俺は生き戻ってきた。プロレスリングが、そして家族が俺を救ってくれた」
自らの過ちや弱さを隠すことなくオープンにし、それを克服してリングで汗と血を流す姿。
これこそが、ファンがジョン・モクスリーという人間に熱狂し、魂を揺さぶられる最大の理由なのだ。
彼は作りモノのヒーローではない。どこまでも生々しい「人間」なのである。
★時代を撃ち抜く自由の魂――彼が四角いジャングルに刻み続ける「生の証明」
ジョン・モクスリーとは、一体何者なのだろうか。
WWEのメガスターか? インディーのデスマッチキングか? それとも、日本とアメリカを繋ぐストロングスタイルの伝道師か?
そのどれもが正解であり、同時にどの枠組みにも収まらないのが、ジョン・モクスリーという男の真価である。
彼はプロレス界において最も重要とされる「自由」を、自らの力と流血で勝ち取った。
大手団体の言いなりになることなく、自分の意志で戦場を選び、自分の意志で技を繰り出し、自分の言葉で想いを語る。
そのために流した血の量は、現代のレスラーの中で間違いなく一番多い。
188cm、102kgの肉体を躍動させ、パイプ椅子で頭を殴られ、有刺鉄線に突っ込み、それでも不敵にニヤリと笑う。
「プロレスは、俺の人生そのものだ。死ぬまで俺はプロレスラーであり続ける」
今日もどこかの街で「Wild Thing」の重低音が響き渡り、観客席の間から革ジャンを着た男が現れる。
ジョン・モクスリーが四角いジャングルに刻み続ける「生の証明」は、これからも世界中のプロレスファンの胸の中で、永遠に、熱く滾り続けるのだ。
プロレス界の最前線を走り続けるジョン・モクスリーのレスラー人生は、既存の枠組みを破壊し、己の生き様を証明し続ける戦いの連続だ。
WWEでトップスターに登り詰めながらも、さらなる刺激と表現の自由を求めて新天地へ飛び出した彼は、過激なデスマッチから王道のヘビー級戦まで、あらゆる戦場でファンを熱狂させてきた。
リング上で赤く染まるその姿は、痛みを恐れず、プロレスへの底知れぬ愛を体現するまさに「流血と情熱の暴力王」そのものだ。
妻であるルネ・パケットをはじめとする家族の支えを背に、彼はこれからも自らの信じる道を突き進んでいく。
数々の名勝負を刻み、団体の壁を越えてプロレス界を牽引するその足跡は、狂気と誇りで時代を撃ち抜くことを信条にしている男の、揺るぎない覚悟を物語っている。

俺達のプロレスラーDX
第254回 プロレスと格闘技の狭間で暴れる「ゼロ年代の超獣」/ザ・プレデター








