棚橋弘至。
自ら「100年に一人の逸材」を名乗り、暗黒期にあった新日本プロレスをV字回復させた立役者。いつしか「プロレス界のエース」と呼ばれ業界発展と向上のために尽力してきた。
IWGPヘビー級王座8度獲得という歴代最多戴冠記録を持ち、G1CLIMAX3度優勝、東京スポーツ制定プロレス大賞MVP4度受賞と数々のタイトルを獲得してきた。
また2023年からは新日本プロレス代表取締役社長に就任。現役レスラー兼経営者として人気団体の屋台骨を支えてきた。
その棚橋が社長業に専念するために引退を発表したのは2024年10月のこと。
「多くのみなさまの前でいつまでも戦っていたい。戦っていたい思いはありますが⋯棚橋のゴールを決めました。2026年1月4日…あと1年2か月あります。あと1年2カ月、全力で走りますんで、新日本プロレスをよろしくお願いいたします!」
2026年1月4日東京ドーム大会で引退試合を行うまで「ファイナルロード」と題して棚橋は団体所属の多くのレスラーたちとシングルマッチで対戦、また他団体にも参戦して、最後の花道を飾るために引退全国行脚の旅に出ることにした。
ファイナルロード当初はコンディションがあまり整っておらず、動きに精彩を欠いた部分もあったが、後藤洋央紀とのIWGP戦や鷹木信悟戦からエンジンがかかり、かつてのIWGP絶対王者時代を彷彿とさせる動きを見せてきた。
正直、レスラーとしての衰えは目立ったり、古傷のヒザの影響もありスピードは全盛期を過ぎている。それでも気持ちは若々しく、あの頃の「太陽の天才児」と呼ばれた20代後半と変わらない。
ファイナルロードを歩み、プロレス界の最前線を走り続けた中で遂に約束の地2026年1月4日・東京ドーム大会にたどり着いた。対戦相手は、これまで数々の名勝負を繰り広げてきた「レインメーカー」オカダ・カズチカ(AEW)。棚橋の最後の相手として相応しい好敵手だ。




会場は4万6913人(超満員札止め)。
かつて暗黒時代に「いつか超満員の東京ドームで闘いたい」という目標を語ってきたがこの日、遂に叶った。
プロレス冬の時代を支え、新日本プロレスやプロレス界の人気回復に尽力したプロレスラーのフィナーレが自身が夢見ていた超満員の東京ドームでの引退試合とは、プロレスの神様はなかなか粋なエンディングを提供してくれるものである。
試合はこれまでの棚橋VSオカダの流れや試合展開を踏襲するような内容でありながら、オカダは所々AEWでのヒールテイストも出し、これまでの棚橋VSオカダとは違う味わいも出していく。
オカダの攻撃に耐え、反撃する棚橋。
「新闘魂三銃士」として激しく切磋琢磨してきた柴田勝頼のPK、中邑真輔のボマイェを繰り出したのは、師匠・武藤敬司の引退試合のオマージュか。(武藤は内藤哲也との引退試合で、三沢光晴のエメラルドフロウジョン、橋本真也のDDT、蝶野正洋のSTFを出している)
試合は棚橋のすべてを受け止めた上でオカダが33分3秒、レインメーカーで勝利。棚橋は見事にリング上で完全燃焼。
試合後の引退セレモニーで盟友・柴田勝頼や飯伏幸太などライバルたちとの再会に涙する棚橋は、バックステージで次のようなメッセージを残している。
「なりたくてなりたくて、3回目で新日本プロレスの入門テストを受かって26年間、いろんなことがあった。いいことも悪いこともあって、ブーイングもあったけど、プロレスを見てもらう、楽しんでもらうというものを僕なりにつくり出すことができた。そして最高の舞台でレスラー生活の幕を閉じることができた。出来過ぎのプロレス人生だった。これからは社長として、選手にはもっともっと気合を入れてもらって。今以上に新日本プロレスを大きくしていくことが夢に変わった」
「 本当に僕がプロレスファンになって、人生これからもプロレスを知らない人に知ってもらって、楽しくなったと思えるそういう人が一人でも増えるように、社長としてできることが山ほどあるんで。 今言っておかないといけない一生言えないと思うので…ああ、疲れたぁ! 2012年から14年間「疲れた」と言ってなかったので、14年分の疲れたとストックしてますので。ああ、疲れた…ありがとうございました。(報道陣から拍手)「疲れた」と言って拍手をもらったのは、たぶん人類で最初ですね(笑)」
こうして「100年に一人の逸材」と自称し、「プロレス界のエース」と呼ばれた男のレスラー人生は幕を閉じた。
棚橋弘至は、新日本プロレス創設者・アントニオ猪木や自身が憧れたプロレスラーであり、師匠・武藤敬司のような「プロレス界の伝説」となった。
女性スキャンダルがあり、大怪我を負った時、棚橋は入院中に引退を考えていた。世間を騒がし、プロレスに泥を塗ってしまったことの責任。
そんな時、新日本を離れていた長州力から花が届き、メッセージカードにはこう書いてあった。
「人生は長い。諦めずに頑張れ。」
棚橋は号泣した。
涙が止まらなかった。
とんでもないことをしたその罪を償うにはプロレスで返すしかない。
プロレスを全うするしか自分の生きる道はないと決めた。
新日本プロレスは迷走をしていく。一度不渡りを出してしまうほど経営が悪化。観客から見放されていく厳しい現実を変えることができない。選手達も次々と辞めていく。
このままでは新日本は終わる。
どうしたらいいんだ?
棚橋はあることに気付く。
ストロングスタイルという伝統に新日本は余りにも囚われているのではないのか。
新日本スタイルを守れば、団体は安泰だという驕りと固定観念。
固定観念から揺るがない原理思想を持つ一部の関係者やファン達。
そのストロングスタイルを追いすぎるがために格闘技の世界に選手を派遣し、次々と敗れ、新日本のイメージダウンにつながる現実。
そして何より、プロレスのスタイルは一つではない。多種多様なのだ。
「ストロングスタイルはあくまでも言葉に過ぎない。」
新日本の固定観念という魔法にかかっている現状を変えるためにこの発言を彼は多用した。
そして今あるすべての現状を受けいれ、自分が信じたプロレスを続けた。
信頼や信用は失墜している新日本をどう立て直すのか。殿様商売の時代ではない。プロレス村にとどまっていたら未来などない。誰もプロレスに触れようとしないのなら、自分からみんなに触れにいこう。
大会のPRのために全国各地を回る日々を続けた。
地元の新聞、ラジオ、タウン誌、コミュニティFM…
とにかく宣伝させてもらえる媒体や機会があれば足を運んだ。
またプロレスを広める前に棚橋弘至という人間に興味を持ってもらうことを心掛けた。
そうしなければプロレスへの興味を持ってもらえるきっかけが作れないと考えたからだ。
そして一人でも多くの人が自分経由でプロレスに興味を持ってもらう。もしそこからプロレスファンになってもらえたら、あとは他の選手が好きになったり、自分のことが嫌いになってもいい。できれば新日本好きでいてほしいけど、他の団体を見てもらっても構わない。
とにかくプロレスの輪を作りたい…。
試合以外でも、このプロモーション活動を三年近く、ひとりでこなしてきた。結婚をして子供いたが、例え、休日でも仕事の依頼が入れば、仕事を優先した。
とにかく、プロレスを知ってもらうこと。
プロレスへの偏見やアレルギーを解消すること。
そして、プロレスをもっと広めることを使命として、彼はプロレス全力プロモーションに注力していく。
棚橋はあきらめずにやるべきこと、やらなければいけないことをコツコツとやり続けてきた。いつか実を結ぶかもしれないと信じて。
プロレスに関わる全ての人達が幸せになってほしいと願う闘い続けてきたプロレスに人生を捧げた男・棚橋弘至は生涯、我々にこう言い続けることだろう。
「プロレスは今も昔も、面白いぜ!」
サンボマスターの名曲「できっこないを やらなくちゃ」の中にはこのような歌詞がある。
「あきらめないでどんな時も
君なら出来るんだどんな事も
今世界にひとつだけの強い力をみたよ
君ならできない事だって出来るんだ本当さウソじゃないよ
今世界にひとつだけの強い光をみたよ」
棚橋弘至は「諦めない」ことの尊さと大切さを自身の生き方で我々に教えてくれた。だからずっと「君ならできる」「大丈夫だよ」とプロレスで励ましてくれた。
そして「お前には無理だよ!」「できないよ、そんなことは!」という声が飛び交ったり、苦しくて、挫けそうになった時、困難に打ち勝つために彼はいつも心の中でこう叫んで立ち向かっていったはずだ。
「できっこないを やらなくちゃ」
誰もやれなかったことをやってきた。
逃げずに諦めずに挫けずにいつも矢面に立ってきた。
全力で生き抜いたレスラー人生の果てに100年に一人の逸材は世界でひとつだけの強い光となった。
さらば、プロレス界のエース・棚橋弘至。
本当にありがとう⋯。






















