ジャスト日本のプロレス考察日誌

ジャスト日本のプロレス考察日誌

プロレスやエンタメ関係の記事を執筆しているライターのブログ


 




 




 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 
 
今回のゲストはライターの鈴木健.txtさんです。
 
 
 
 
(画像は本人提供です)
 
鈴木健.txt
すずきけん/1966年9月3日、福島県会津若松市生まれ、葛飾区西亀有出身。1988年より21年間『週刊プロレス』の編集記者から編集次長、2001年より週刊プロレスモバイル編集長を務め、2009年よりフリーとなりプロレス、音楽、演劇等の表現ジャンルについて執筆。プロレス中継では50団体以上の実況と解説を経験。ワニブックスウェブ「News Crunch」にてみちのくプロレスを題材とした小説『アンドレ・ザ・小学生』(https://wanibooks-newscrunch.com/category/series-054) を執筆。著書に『プロレス きょうは何の日?』(河出書房新社)『白と黒とハッピー~純烈物語』(扶桑社)『純烈物語20-21』(同)『髙山善廣評伝 ノーフィアー』(ワニブックス)『虎ハンターの美学』(小林邦昭との共著/玄光社)がある。
 
 
週刊プロレスmobile編集長に就任、週プロ編集次長として数々の現場を体験してきた「週プロ野郎」である鈴木健.txtさん。2009年にベースボール・マガジン社を退社後はプロレスを中心にライターとして活躍、またイベントや番組のMCやプロレス実況・解説とマルチに活動されています。

プロレスライターとして数々の名場面を文章に刻んできた。その情熱の源は、少年時代に感じたプロレスの衝撃と興奮にある。スタン・ハンセンや小林邦昭さんとの出会い、そして初めての会場観戦が、彼の人生をどう変えたのでしょうか。「元・週プロ野郎」の原体験に迫ります。

是非ご覧ください。
 
 
 私とプロレス 鈴木健.txtさんの場合 
第1回「元・週プロ野郎の原体験」 
 
 

プロレスを好きになったきっかけはスタン・ハンセン


──鈴木健.txtさん(以下・健さん)、このような企画にご協力いただきありがとうございます! 今回は「私とプロレス」というテーマで色々とお伺いしますので、よろしくお願いいたします。

健さん こちらこそよろしくお願いします!


──まず健さんがプロレスを好きになったきっかけを教えてください。

健さん 中学の終わりから高校に入ったあたりだと記憶してるんですけども、プロレスが好きな友達がいて、彼の影響を受けてテレビで見るようになりました。当初はプロレス中継をテレビ番組のひとつとして見てましたけど、プロレスが好きになるきっかけとなったのはスタン・ハンセンですね。


──ハンセンだったんですね!

健さん 1981年9月23日に新日本プロレス・田園コロシアム大会で行われたスタン・ハンセンVSアンドレ・ザ・ジャイアントがあるじゃないですか。あの試合は別の番組を見ていたのでテレビで見れなくて、チャンネルを変えたところでラッシャー木村さんの「こんばんは」事件を見て「他団体の選手が新日本に殴り込んできたのか」と興味を抱いたんです。そこからプロレス中継を意識して視聴するようになると、段々スタン・ハンセンの「ウィーッ!」とウェスタン・ラリアットに「カッコいいな」と憧れるようになるんです。

──確かにハンセンはワイルドでカッコいいですよね。

健さん そうですよね。ハンセンが新日本から全日本プロレスに移籍してからさらにプロレスを追うようになりました。そのあと1982年10月8日の新日本・後楽園ホール大会で勃発した長州力「嚙ませ犬」事件があってから、長州力さんが好きになったんです。

──そうだったんですか!

健さん その長州さんと同時期に初代タイガーマスクのライバルとして出てきたのが小林邦昭さんでした。長州さんは長州革命とかムーブメントを含めて面白いなという感じで見てたんですけど、小林さんに関しては「この人に勝ってほしい」と思えるほどのめり込んでました。

──ということは初めて好きになったプロレスラーというのは長州さんと小林さんになりますか。

健さん そうですね。特に小林さんに関してはかなり思い入れが深いんですよ。今年、小林さんの本を出しました。2024年に他界されましたけど、亡くなる2か月前までご本人に取材しましたが夢のようで。プロレスという沼から抜け出せなくなったのは小林さんの存在が大きかったので、大好きなプロレスラーの本に携われたのは、この業界でずっとやってきて報われたと思いました。


──以前、健さんが週刊プロレスmobileで連載していた「週モバ野郎」で小林さんに対する熱き思いを書かれた記事を読ませていただいたことがあります。


健さん ありがとうございます。


初めてのプロレス観戦


──次の瞬間ですが、初めてのプロレス観戦はいつ頃でしょうか?

健さん 1982年5月15日、東京葛飾区のお花茶屋城山閣前広場という野外で全日本プロレスが興行しまして、会場が城山閣という焼肉屋の駐車場なんですよ。当時は高校生でお金がなくてチケットが買えないんですけど、家から近いので会場まで行きました。ブルーシートで囲んである隣にバスが停まっていて、それが選手の控室代わりなんですよ。試合は見れなかったんですけど、選手の出入りは見てました。

──随分レアな体験ですね!

健さん これがプロレス初観戦となると微妙なところなんですけど(笑)。このシリーズはハンセンが来日してました。ハンセンの控室が城山閣の1階個室で、裏庭にまわるとガラス張りになっていて中が見えちゃうんですよ。だからハンセンが個室でくつろいでいるところやシューズを履いているところを見てしまったんですよ。しかも焼肉屋さんの営業中に、店の出入り口からブルロープとテンガロンハットを身について入場してました(笑)。


──ハハハ(笑)。

健さん 不沈艦の入場は見れたけど、会場内はブルーシートが張っているから試合は見れないんですよ。ちゃんとした初観戦は1982年8月28日の全日本・後楽園ホール大会でした。





「こんなレスラーいたよな」という人ほど時間が経つと妙に覚えている


──実際に生でプロレス観戦してどのような印象を持ちましたか?

健さん プロレスラーの身体の大きさにびっくりしました。もちろんお目当てはスタン・ハンセンで、あとロン・バスが来てましたね。


──ハンセンとロン・バスは「ラリアット・ライダーズ」というコンビで、1983年4月12日松山大会でジャイアント馬場&ジャンボ鶴田を破り、インターナショナル・タッグ王座を獲得してますね。ブルーザー・ブロディが不在のシリーズでハンセンはロン・バスと組んでいることが多かったです。

健さん 確かハンセンとロン・バスが組んでインタータッグに挑戦する前哨戦が後楽園で組まれていたんですよ。あとフランク・デュセックという選手が中盤戦に登場していて、勝ったのか負けたのかも覚えていないんですけど、そういう「こんなレスラーいたよな」という人ほど時間が経つと妙に覚えているじゃないですか。


──確かにそうですね。

健さん B級外国人の妙ですよ(笑)。ブロディのパートナーとしていつも隣にいるバック・ロブレイとか。しかも当時では珍しくTシャツを着て試合をしていたので余計に記憶に残ってますね。



あの時代のプロレスは“テレビの王様”だった



──正式な初観戦となった後楽園大会から、健さんのプロレス趣向がある程度決まっていったところがあるのでしょうか。

健さん どうでしょうか。今思えば紐づいて考えることができるかもしれませんけど、プロレス記者になりたいという意識は全然なかったですから。初観戦時はテレビでやっている催し物を生で見れてよかったと思いました。



──確かに1980年代はテレビ黄金時代ですね。


健さん この時期に『8時だヨ!全員集合』という人気番組があったじゃないですか。毎週土曜日生放送で、各地の劇場・ホールで公開収録していたんですけど、東京でやるときは日本青年館であって、抽選で当たって見に行ったことがあったんです。当時はプロレス観戦も『8時だヨ!全員集合』収録と同じ感覚で見ていたところはありますね。

──あの頃はプロレス自体がテレビの人気番組に負けないくらいのコンテンツだったというのはあるのでしょうか。

健さん  それは一理ありますね。

(第1回終了)






 
 



【イベント出演情報】
闘道館presents「鈴木健.txt対決シリーズSeason6 EXTRA~タイガースマスクの大阪プロレス講座」
★11月27日(木)巣鴨・闘道館(18:30開場/19:00開始)
〔出演〕タイガースマスク(大阪プロレス)
〔進行〕鈴木健.txt
〔入場料金〕前売り4000円、当日4500円
〔プレミアムツーショット撮影権〕1人1000円
〔内容〕
・開演前:鈴木健.txt余興演奏
・第1部:タイガースマスクによる新生大阪プロレスのプレゼントーク
・第2部:タイガースマスクお任せタイム
〔イベント詳細〕https://toudoukan.com/blogs/event/20251127_versus_ex



闘道館presents「鈴木健.txt対決シリーズSeason6 Vol.69~吉田綾斗10周年記念トークライブ:喋りもATDK」
★11月29日(土)巣鴨・闘道館(16:30開場/17:00開始)
〔出演〕吉田綾斗(2AW)
〔進行〕鈴木健.txt
〔入場料金〕前売り3500円、当日4000円
〔プレミアムツーショット撮影権〕1人1000円
〔内容〕
・開演前:鈴木健.txt余興演奏
・第1部:NEX4→新日本での経験→2AWのエース→反体制→そしてATDK…10年間の変遷史
・第2部:昨今の自身に対するファンの反応、周囲の受け取り方に関する言い分、そして11年目へ
〔イベント詳細〕https://toudoukan.com/blogs/event/20251108_versus69




闘道館presents「鈴木健.txt対決シリーズSeason6 Vol.68~MEN'Sテイオー×男色ディーノ東西学プロ両巨頭対談」
★12月6日(日)巣鴨・闘道館(16:30開場/17:00開始)※10月19日(日)より変更
〔出演〕MEN'Sテイオー(UWF関東学生プロレス連盟東海大学出身)、男色ディーノ(DDTプロレスリング/OWF大阪学院大学プロレス研究会出身)
〔進行〕鈴木健.txt
〔入場料金〕前売り4000円、当日4500円(スリーショット撮影券つき)
〔プレミアムツーショット撮影権〕1人1000円
〔内容〕
・開演前:鈴木健.txt余興演奏
・第1部:関東と関西の学生プロレスそれぞれのルーツ、文化の違い。あの学プロ出身者のアマチュア時代
・第2部:学プロ出身者がプロになってみたら。MEN'Sテイオーと男色ディーノ、それぞれのお互いに対する思いのたけを語る
〔イベント詳細〕https://toudoukan.com/blogs/event/20251019_versus68




闘道館presents闘道館presents「鈴木健.txt対決シリーズSeason6 Vol.70~おしゃんぴー!ザ・グレート・サスケの大予言2026」
★12月14日(日)巣鴨・闘道館(15:30開場/16:00開始)
〔出演〕ザ・グレート・サスケ(みちのくプロレス/ムーの太陽)
〔進行〕鈴木健.txt
〔入場料金〕前売り4000円、当日4500円(ムーの太陽へのお布施代込み)
〔内容〕
開演前:鈴木健.txt余興演奏
第1部:流行語は「おしゃんぴー!」…昨年おこなったありがたい予言の徹底検証
※休憩時間後、参加者全員とのツーショット撮影会あり
第2部:来年の世の中とプロレス界が丸わかり!サスケの大予言2026
〔イベント詳細〕https://toudoukan.com/blogs/event/20251214_versus70




BAR & FIGHT地下闘技場Presents「GO!GO!新根室Night Vol.11~アンドレザ・ジャイアントパンダと添い寝撮影会」
★12月26日(金)歌舞伎町・地下闘技場(19:00開店&開始)
※イベントの都合上、開店まではお店の入り口に集まらないよう、よろしくお願いします
〔出演〕アンドレザ・ジャイアントパンダ
〔進行・コメンタリー〕鈴木健.txt
〔参加費〕3000円+1オーダー
〔予約〕地下闘技場 X DM
〔問い合わせ〕地下闘技場(TEL03-6205-6264)
アンドレザは全長3mの巨大パンダゆえ天井が低い地下闘技場には入店できませんが、それを逆手に取りリング上でファンの皆様に添い寝していただき撮影します。撮影会後は、新根室プロレス旗揚げ戦の貴重映像を上映。レアアイテムが当たるプレゼント抽選会もあり。鈴木健.txt著書『髙山善廣評伝 ノーフィアー』『虎ハンターの美学』も販売




「チェックマンと魔神のためのプロレス・トークライブ32~君は…南大塚に咲く一輪の花~」
★12月28日(日)大塚・Welcome back(15:00開場/15:30開演)
〔出演〕ドクター水上、 登坂栄児、 橋爪哲也、志生野温夫、鈴木健.txt
〔ゲスト〕コマンド・ボリショイ、 中森華子(PURE-J女子プロレス)
〔入場料金〕前売2900円、当日3400円(要1ドリンク代600円)
〔発売場所〕Welcome back HPチケット予約フォーム https://welcomeback.jp/contact/
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 
 
今回のゲストはZ世代のプロレスファン・ソイカラさんです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(画像は本人提供です)
 
 ソイカラ
1999年生まれ。2017年からプロレスに魅了され、2019年にはベトナムへ留学。東南アジア諸国を巡りながら格闘技・プロレス観戦を重ね、2023年にはAEWがロンドン・ウェンブリースタジアムで開催した「ALL IN」を現地観戦した。現在はコンサルティングファームで働きながら、古今東西のプロレスを追い続けている。

 

 

 ソイカラさんのXアカウント

 

 

 

 

 
ソイカラさんのプロレス愛は、過去と現在をつなぐ探求心に溢れます。彼が感じるプロレスの本質とは何か?最終回では、ソイカラさんのプロレスへの深い視点をお聞きしました。
 
 

 

 

 

 

 

 
 
私とプロレス ソイカラさんの場合
最終回 「今も昔も根本は変わらない」
 
 
 

今のプロレスと昔のプロレス



──1999年生まれのソイカラさんですが、ソイカラさん視点で今のプロレスと昔のプロレスについて語っていただいてもよろしいですか。


ソイカラさん 今のプロレス、昔のプロレス…どっちも素晴らしいです。実際、最近だと大技連発の試合を「少し胃もたれするな」と思いながら見てしまうこともあります。ただ、同じ30分という試合時間帯であっても、ブレット・ハートが技を厳選しながら足攻めをメインで組み立ててシャープシューターでフィニッシュする試合も、ケニー・オメガがヒザ蹴りと危険度マックスの大技連発で勝つ試合も凄いわけで、簡単に比較できないと思うんです。


──そうですね。

ソイカラさん 世の中のトレンドでも同じことが言えますが、何が美しいのか、何がカッコいいのか、何がいいのかというのは時代と共に少し変化する部分があります。今のプロレスと昔のプロレス、違う魅力があるような気がするんですよ。でも、昔も今もプロレスラーの「相手を倒してやる」、「凄い試合を見せてやる」という思いは変わらないと思うんです。


──確かに!

ソイカラさん プロレスラーの根本の部分にある闘争心というのは、時代とか関係なく変わらない不変なものじゃないでしょうか。レスラーの試合の見せ方や観客の価値観は変わるかもしれないけど、根本は変わらないと思います。


──ネットで今のプロレスを批判して、昔のプロレスを絶賛するオールド層を「老害」と形容されています。また昔のプロレスを批判して、今のプロレスを絶賛している層もいます。このような現象についてどのように感じてますか?

ソイカラさん 今のIWGP戦線とアントニオ猪木VSビル・ロビンソンが同じかというと、中々そうとは言えないと思います。見せ方が違いますから。でも根っこはあまり変わらないかなと。「昔の試合に闘いがあったけど、今の試合には闘いがないのか」というとそんなことはありません。例えばEVILさんには「ストロングスタイルの風上にもおけない」「新日本プロレスを愚弄している」という声が時折浴びせられますが、彼は長州力さんや蝶野正洋さんをリスペクトしているのが伝わりますし、何よりプロレスが巧いし強いじゃないですか。だからきちんと彼の試合を見てほしいとは思うんですけど…これは押し付けになっちゃうんでしょうね(笑)。


──その気持ち、よく分かりますよ。

ソイカラさん SNSにおいては、マニアもビギナーの声も同列な情報として上がってくるわけで、そうなると絶対数が多いビギナーの方がマジョリティーに見えるという現象があります。だからうまくSNSやネットと付き合っていくのが大事なのかもしれませんね。


──今も昔もプロレスは味付けが異なっても原材料はあまり変わらないんですよね。


ソイカラさん 変わらないですよ。それは映画も同様ですよね。

──同感です。

ソイカラさん 僕がプロレスを見始めた頃はネットに情報が氾濫していて、業界用語や隠語のようなものが調べたら出てくるという印象があったんです。僕個人の意見ですが、それを見てプロレスについて達観して知ったつもりになっている人たちが多いのではないかなと思います。

──今の指摘は鋭いですね。

ソイカラさん ネットに出ている業界用語や隠語でプロレスを分かったつもりになっているのは違うと思いますし、僕からするとどこか寂しいですね。プロレスの面白さはそこじゃない。もっとプロレスを見てほしいんです。そうするとプロレス本来持っている魅力や素晴らしさ、人によってそれが何であるかは異なると思いますが、その「大事な何か」に気づくことができると思います。




ソイカラさんが選ぶプロレス名勝負 


──ありがとうございます。ここからソイカラさんが選ぶプロレス名勝負を3試合、挙げていただいてよろしいでしょうか。


ソイカラさん 1試合目は2017年8月8日・新日本プロレス・横浜文化体育館で行われた『G1 CLIMAX』Bブロック公式戦・オカダ・カズチカVS鈴木みのるです。

──G1ですね!

ソイカラさん 30分時間切れ引き分けで終わった試合なんですけど、プロレスを見始めて最初に感動した一戦ですね。最後の殴り合いとかは壮絶でした。鈴木みのるさんのカッコよさが光りましたね。


──ありがとうございます。では2試合目をお願いします。

ソイカラさん 2023年6月25日新日本&AEW合同興行でカナダ・トロントで行われた『ForbiddenDoor』ケニー・オメガVSウィル・オスプレイのIWGP・USヘビー級選手権試合です。


──禁断の扉!2023年のイッテンヨンのケニーVSオスプレイ再戦ですね。

ソイカラさん AEWを見ていて一番心が動いたのはこの試合で、ケニーの地元であるカナダでリマッチをやるわけじゃないですか。オスプレイは”極悪マネージャー”ドン・キャリスと一緒に入ってきて、クリス・ベノワのクロスフェースもやったり、ブレット・ハートのシャープシューターやショーン・マイケルズの動きをやったりとか.。


──「モントリオール事件」(1997年11月9日、WWF(現WWE)のカナダ・モントリオール大会中に起きたベルト強奪事件。ライバル団体WCWへの移籍が内定していた当時のWWF王者ブレット・ハートの試合中、団体オーナーのビンス・マクマホンの指示によりブレッドの負けが突然宣告。事前に決められたストーリーと違う展開にブレットは激怒し、バックステージでビンスを殴打した。プロレス史上最大の裏切り事件と呼ばれている)を思い起こさせるムーブをオスプレイがやるわけですね。

ソイカラさん カナダのプロレスにちなんだ過去の歴史とか踏まえながら、凄惨な流血戦になり、終盤には大技の攻防を展開していくのが凄く美しいと感じました。ケニーもオスプレイも大技をガンガン繰り出す印象が強いんですけど、根本は似ていてサイコロジーを大事にしているんですよ。二人とも足し算のプロレスなんですけど、プロレスで大事にしないといけないことは重んじつつ、今のプロレスのスタイルをミックスしてやっているような気がします。


──ありがとうございます。では3試合目をお願いします。

ソイカラさん 1991年8月26日アメリカ・MSGで行われた『サマースラム』ミスターパーフェクトVSブレット・ハートのインターコンチネンタル戦です。



──プロレス史に残る名勝負ですね。


ソイカラさん 僕のプロレス観が変わった試合です。ミスターパーフェクトはどの技も全部綺麗で、一方のブレット・ハートも技が正確無比。本当にベストマッチですよ。個人的に好きなシーンがあって、ブレットが足を痛めたミスターパーフェクトにローキックをやった時にトップロープを掴むながらクルっと後ろに回って受けたんですよ。「こんな受け方があるのか」と衝撃を受けました。



──ありましたね。

ソイカラさん 古きアメリカンプロレスを見ると新発見が多いんですよ。ミスターパーフェクトとブレット・ハート。二人の技量が遺憾なく発揮された一戦だったと思います。僕にとってオールドスクールの名勝負といえばやっぱりこの試合ですね。



──素晴らしいセレクトですよ!

ソイカラさん ありがとうございます。



あなたにとってプロレスとは⁈



──ではソイカラさんの今後について語ってください。


ソイカラさん 僕はコンサル業をやっているんですけど、プロレスと絡めた仕事ができたらいいなと考えています。あとは、もっとプロレスを勉強していきたいですね。本当に奥が深いんですよね、プロレスは。ゴージャス・ジョージやルー・テーズ、バディ・ロジャースの試合もまだ見てませんので、これからたくさん過去の動画やDVDを視聴していきたいなと。


──素晴らしいです!

ソイカラさん ヨーロッパでいればカール・ゴッチやビル・ロビンソンの試合もあまり見ていないですし、唯一ジョニー・セイントは見ましたけど、マーティ・ジョーンズの試合はまだ見ていないですし。アメリカンプロレスについても、ECWやTNAもそこまで掘ってないので、これからも歴史探求を続けていきたいです。





──では最後の質問です。あなたにとってプロレスとは何でしょうか?


ソイカラさん プロレスは…最高のエンターテインメントであり、最も奥が深いスポーツだと思います。社会人になって、総合格闘技、ボクシング、野球、相撲、サッカー、バスケットボール、コンサート、歌舞伎とか、色々なエンタメを見る機会があったんですけど、プロレスは他のジャンルと大きく異なる点を感じてます。それは観客が声援やブーイングとして、舞台装置の一部になれることなんです。これこそ、プロレスが唯一無二のエンタメである理由の一つなのかなと思います。

──素晴らしいです。

ソイカラさん プロレスを「エンターテインメント」と表現することを嫌う方も一定数いらっしゃると思いますが、僕個人の考えとしては、お客さんを集めて彼らの心を揺さぶるものを提供する行為は基本的にすべてエンターテインメントと言えると思うんです。その中でも、ひいき目なしでプロレスは極上のエンターテインメントなんです。
その一方、持っている技術を相手と競い合うスポーツやコンペティションという一面も兼ね備えています。技術的なことがわからなくても楽しめるのがプロレスの良さでもありますが、逆に技術のことを勉強していくと「こんな技があるんだ!」とか「本当に奥が深いスポーツだな!」と何度も思わされますね。
エンタメだけでなくスポーツとしての一面があることも、プロレスの奥深さと面白さを形作る重要な要素だと思います。


──これでインタビューは以上です。ソイカラさん、今回のインタビューにご協力していただきありがとうございました。ソイカラさんの今後のご活躍とご健勝をお祈り申し上げます。

 
ソイカラさん こちらこそ本当にありがとうございました。




【編集後記】
ソイカラさんにインタビューをさせていただき、改めてプロレスの奥深さと多様性を痛感しました。最初は「1999年生まれでプロレス歴わずか8年」ということで、まだ若いファンとしての視点をお聞きするつもりでしたが、話を伺ううちに、その経験の濃密さと洞察の鋭さに驚かされました。 

プロレスを見ている年数は関係ありません。
年数が浅くても深くプロレスを見ている方はたくさんいるなと改めて実感しました。


ソイカラさんが歩んできた道のりは、単なる「ファン歴8年」を超えた、まさに「プロレス探求の旅」そのものでした。 ミスターパーフェクトVSブレット・ハートがきっかけで古のアメリカンプロレスを勉強したり、知見を広げていこうとする姿勢には感銘を覚えました、

「今と昔のプロレスは見せ方が違っても、根っこは同じなんじゃないのか」と言葉がとても印象的でした。


規模の大小、時代、国境、スタイルの違いを超えて、プロレスは常に新しい発見と感動を与えてくれる。ソイカラさんのこの情熱が、これからのプロレス界をさらに豊かにしていくと確信しています。  

(私とプロレス ソイカラさんの場合・完)




 

 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 
 
今回のゲストはZ世代のプロレスファン・ソイカラさんです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(画像は本人提供です)
 
 ソイカラ
1999年生まれ。2017年からプロレスに魅了され、2019年にはベトナムへ留学。東南アジア諸国を巡りながら格闘技・プロレス観戦を重ね、2023年にはAEWがロンドン・ウェンブリースタジアムで開催した「ALL IN」を現地観戦した。現在はコンサルティングファームで働きながら、古今東西のプロレスを追い続けている。

 

 

 ソイカラさんのXアカウント

 

 

 

 

 
ソイカラさんのプロレス愛は、新日本プロレスを飛び越え、世界のリングにも広がります。アメリカのAEWやWWE、独自の色を持つDDTや2AWまで、彼の視点は多角的です。さらに、個性的なレスラーたちへの愛も熱い。第2回では、ソイカラさんが語る海外・国内のプロレス団体の魅力と、好きなレスラーたちの人間的魅力に迫ります。
 
 
 

 

 

 

 

 
 
私とプロレス ソイカラさんの場合
第2回 「技がシンプルな人が好き」
 
 
 

 

AEWの魅力


──ではソイカラさんの好きなプロレス団体。次はAEWの魅力について語っていただいてもよろしいですか。

ソイカラさん 海外のプロレス自体に興味を持ったきっかけは新日本プロレスのアメリカ大会だったんですが、後にケニー・オメガやコーディー・ローデス、ヤングバックスが新日本を離れてAEWを旗揚げしたことを契機に団体を追うようになりました。海外留学を夢見て英語を勉強していたのもあったので、アメリカンプロレスにすんなり入れたんです。


──そうだったんですね。

ソイカラさん アメリカンプロレスの良さとジャパニーズレスリングの上質さに、胡散臭さや妖しさが加味されているのがAEWの魅力ですね。傲慢なMJF、無気力ファイトのオレンジ・キャシディ、無鉄砲なダービー・アリンとか、妖しくて最高なレスラーがたくさんいるんですよ。

──確かにソイカラさんが挙げた三人は妖しいですね(笑)。

ソイカラさん 個人的には2023年8月27日にイギリス・ロンドン・ウェンブリー・スタジアムで行われた『All In』を現地観戦できたのが一生の思い出ですね。僕はイギリスのロックバンド・クイーンが大好きで、彼らがコンサートしたウェンブリー・スタジアムでプロレスが見れたのが本当に嬉しくて、自分の人生が線で繋がったような気がしました。女子プロレスラーのサラヤ(ペイジ)がクイーンの名曲『We Will Rock You』で入場してきたのには感動しましたね。


──そうだったんですね。

ソイカラさん あとAEWはアメリカンプロレスを進化させている一方で伝統も大切にしていて、MJFがテリー・ファンクのTシャツをオマージュしたTシャツを着たり、CMパンクがロディ・パイパーのパロディTシャツを着たこともあったんですよ。WWEもそうですけど、AEWは歴史を重んじていますよね。

──長年WCWを実況してきたトニー・シバー二が放送席でアナウンサーを務めていますし、新設のAEWナショナル王座はNWAナショナル王座に対するリスペクトを込めて設立したという話もありますし、なかなか歴史や伝統を大切にしてますね。

ソイカラさん そうなんですよ。AEWは『All In』もあって思い入れの深い団体ですね。



WWEの魅力


──ありがとうございます。ではWWEの魅力について語っていただいてもよろしいですか。

ソイカラさん 実は新日本の次に出逢った団体はWWEでして、サンテレビで『This Week in WWE』などのダイジェストを見たことがきっかけです。これまたアメリカンプロレスの妖しさに引き込まれ、すぐファンになりました。


──そうだったんですね。

ソイカラさん WWEはプロレスだけじゃなくて、エンタメとしてもトップランナーじゃないですか。2020年段階で年間10億ドル以上の売り上げがあって、演出もストーリーもド派手ですけど、試合展開は非常にシンプルなんですよ。得意技に繋ぐまでの試合運びが素晴らしい選手たちがたくさんいるのがWWEの魅力ですね。あと、歴史を大事にしてますね。


──AEWと同様ですね。今、WWEは日本ではABEMAで視聴できる環境ですがいかがでしょうか。

ソイカラさん 誰でもアメリカンプロレスやWWEの世界に触れられる環境が無料で提供されているわけですよね。本当にありがたいですね。



DDTプロレスリングの魅力


──ありがとうございます。次はDDTプロレスリングの魅力について語ってください。


ソイカラさん DDTは文化系プロレスといわれてますけど、実際に見るとめちゃくちゃレベルが高い団体なんですよ。僕の友達が武知海青(THE RAMPAGE from EXILE TRIBEのメンバー)さんのファンで、彼がプロレスに出るということで一緒にDDTを観戦したのがファンになったきっかけです。確かに「おちゃらけ」はなくはないですけど、凄くオーソドックスなプロレスを展開していて衝撃を受けたんです。あとアメリカンプロレスっぽさもありました。


──同感です。


ソイカラさん たまにWWEやWCWネタが出たりするじゃないですか(笑)。この前、WRESTLE UNIVERSEを見たら、ハルク・ホーガンがケビン・ナッシュにやった胸に指をつついてフォールを取って大ひんしゅくを買ったやつのパロディをやってました。

──ハハハ(笑)。これは元ネタを説明させていただきますと、1999年1月4日のWCW『マンデー・ナイトロ』で行われたケビン・ナッシュVSハルク・ホーガンで、試合後すぐにホーガンはナッシュの胸を軽く指で突くと、すぐさまナッシュは大げさにダウン、そのままホーガンが押さえてあっと言う間にピンフォールを奪った試合ですね。この試合がWCWを凋落へと導いたきっかけとされていて、一部では「フィンガーポーク・オブ・ドゥーム(破滅の指突き)」と呼ばれている事件です。

ソイカラさん 本当にDDTの選手たちはアメリカンプロレスが好きな人が多いなと。松井レフェリーがゴールドバーグの曲で入場してきた時は興奮しましたよ(笑)。どの団体のレスラーや関係者もプロレスが好きなんだと思いますが、特にDDTはプロレス愛が溢れていますよね。


2AWの魅力

──では次に挙げていただいたのは千葉のローカルプロレス団体2AWの魅力について教えてください。


ソイカラさん 僕の知り合いに2AWのファンがいたのがきっかけで観に行くようになりました。この団体も技がシンプルなんですよ。そこは団体の系譜としてTAKAみちのくさんのイズムがあるのかもしれません。

──それはあるでしょうね。

ソイカラさん 2AWのエースである吉田綾斗さんはビッグブーツとランニングネックブリーカードロップ、バックドロップくらいしか技をやらないんですよ。他にも足攻めに特化していたり、何かと各々に特色がある選手が多くて、緻密でクラシックなプロレスが見れるのが2AWの魅力ですね。


──WWEやAEW好きのソイカラさんからすると2AWのスタイルは好みに合うでしょうね。

ソイカラさん そうなんですよ。特に吉田綾斗さんが好きで、例えば足攻めとかがアメリカンテイストで、キャラクターも含めて素晴らしいと思います。また、2025年3月にデビューした新人の彩月悠叶さんにも注目しています。彩月悠叶さんは先日センダイガールズプロレスリングで「じゃじゃ馬トーナメント」に出場したのですが、その試合を見た里村明衣子さんが太鼓判を押してしまうほどの成長っぷりです。デビュー半年にも関わらず、ですよ。日々メキメキと腕を上げている選手なので、今後の活躍が本当に楽しみです。




エディ・キングストンの魅力


──ありがとうございます。ここから好きなプロレスラーについて語っていただきます。ソイカラさんは5選手を挙げていますが、素晴らしいチョイスですよ。

ソイカラさん ありがとうございます。


──まず一人目がエディ・キングストンの魅力について語ってください。

ソイカラさん これは勝手な憶測ですけど、オールドファンがテリー・ファンクを好きになったような同じ感覚でエディが好きになりました。テリーもエディも感情移入しやすくて人々の心を打つような生き様を試合で表現しているじゃないですか。


──確かに!


ソイカラさん あと彼の人間性が好きですね。コロナ禍になってコスチュームを売ってプロレスを辞めようと思った時に、ダメ元で「コーディ・ローデスとやらせろ」と言ったのがAEWのトニー・カーン社長の耳に入って、AEW入りしてからトップに駆け上がっていって、一時期はROH世界王座、STRONG無差別級王座、AEWコンチネンタル王座の三冠王者(AEWコンチネンタルクラウン王座)にもなったことがありました。本当にアメリカンドリームですよ。


──遅咲きのアメリカンドリームですね。


ソイカラさん あと日本のプロレスにリスペクトを捧げていて、特に四天王プロレスが大好きなんですよね。技もアジャコングさんを彷彿とさせる裏拳(バックフィスト・トゥ・ザ・フューチャー)や北斗晶さんのノーザンライトボム、秋山準さんのエクスプロイダーとか自身のフェイバリットをプロレススタイルに入れ込んでいて、オタク気質があるところも最高なんですよ。


──そうですよね。

ソイカラさん エディを見ていると、超プロレスマニアがやりたいことや好きなことをリングで表現している感じがするんです。そこが人間臭いなと。しかも劇場激情型ですからね。だからファンの心を掴んでしまうのかもしれませんね。



──エディはテリーと同様にやられっぷりが素晴らしいんですよ。ダスティ・ローデスもそうですが、対戦相手にとっては叩き潰したり、殴りがいがあるレスラーじゃないですか。


ソイカラさん そうなんですよ。エディは強いんですけど、弱さも吐露するところがたまらなく好きです。プロレスって人間の素が出るジャンルスポーツじゃないですか。だからエディの素の分に共感してしまうんですよ。




ゲイブ・キッドの魅力



──ありがとうございます。次はゲイブ・キッドの魅力について語ってください。


ソイカラさん そもそもWAR DOGSが好きなんですよ。なぜなら、彼らの試合は技が少なくてシンプルだからです。WAR DOGSのメンバーはパンチ、キック、噛みつきで試合を組み立てているんです、特にゲイブはビンタ、クローズライン、パイルドライバーというシンプルな技でプロレスをする選手じゃないですか。

──確かに!

ソイカラさん ゲイブは新日本の野毛道場で修行している最中にコロナ禍になって、母国イギリスになかなか帰れない中で孤独と闘って頑張ってきた苦労人ですし、苦悩を乗り越えてトップレスラーの一角になっているのが嬉しいですね。


──ゲイブは本当に苦労してますよね。

ソイカラさん 元々はAEW嫌いを公言していたのに、AEWにも上がるようになったのでこれまでの発言と矛盾があるので一部で批判されたりしてますけど。でも、これもゲイブなりのなぞかけかもしれないので、どのような道程を歩んでいくのか気になります。



上村優也の魅力


──ありがとうございます。次に上村優也選手の魅力について語っていただいてもよろしいですか。

ソイカラさん 僕が昔のプロレスを見漁り始めた時に、ちょうど上村さんが怪我から復帰してきたんです。僕は1987年の「レッスルマニアIII」で行われたランディ・サベージVSリッキー・スティムボートが大好きで、上村さんはスティムボートに対するリスペクトが強いじゃないですか。


──確かにそうですね。

ソイカラさん アームドラッグ、バックハンドチョップとかスティムボートを彷彿とさせますよね。技もシンプルなものが多いんですよ。僕は技がシンプルな人がやっぱり好きなんです。

──お聞きしていてよく伝わります。

ソイカラさん 上村さんはアメリカンプロレスに対する敬意も伝わりますし、攻防を見ていてもクラシカルなスタイルなんですよね。今後またクラシックな技の引き出しも増えていって、上村さんなら今のプロレス界で”ニュークラシック”を開拓することができるのではないかと期待しています。


”ミスターパーフェクト”カート・ヘニングの魅力

──ありがとうございます。次は”ミスターパーフェクト”カート・ヘニングの魅力について語ってください。

ソイカラさん 僕の家にはいくつかプロレスラーのフィギュアがあるんですが、あえて唯一、八頭身で持っているフィギュアがミスターパーフェクトなんです。斎藤文彦さんの本を読んでプロレスを勉強しているんですけど、そこで1991年「サマースラム」で行われたミスターパーフェクトVSブレット・ハートに出逢うんです。


──名勝負ですね。


ソイカラさん ミスターパーフェクトという名前からして傲慢なキャラクターなのに、やられっぷりが凄いし、技がめちゃくちゃ綺麗なテクニシャンなんですよ。彼の試合から古きアメリカンプロレスの世界から抜け出せなくなりました(笑)。


──勉強になりますよね。

ソイカラさん ミスターパーフェクトからレイ・スティーブンス、ブレット・ハートの試合を見てさらに勉強するようになりました。


──素晴らしいです!

ソイカラさん ドルフ・ジグラー(ニック・ネメス)がミスターパーフェクトを彷彿とさせて、クラーク・コナーズがジグラーとミスターパーフェクトを足して割ったような感じで、ミスターパーフェクトがプロレス界に与えた功績は大きいんだなと感じてますね。




ハーリー・レイスの魅力


──最後にハーリー・レイスの魅力について語ってください。

ソイカラさん 僕らの世代にとって、レイスといえば清野茂樹さんがやっている『真夜中のハーリー&レイス』(ラジオ日本)がしっくりくるじゃないですか。でも、ミスターパーフェクトがきっかけでAWAやNWAの試合をたくさん見るようになって、レイスが好きになったんです。リック・フレアーほどやられるわけじゃないけど、ジャック・ブリスコほどレスリングでガンガンやるわけじゃない。プロレスラーとしてちょうどいいさじ加減が魅力なんですよ。



──おっしゃっていることはよく分かります。

ソイカラさん ジャイアント馬場さん、ジャンボ鶴田さん、アブドーラ・ザ・ブッチャー、テリー・ファンク…誰とやっても面白い試合をやるのがレイスの魅力ですね。


──確かに!


ソイカラさん レイスもニック・ボックウィンクルもそうですけど、技が色々とできるのに削りに削ってシンプルな技で勝負しているじゃないですか。そこが素晴らしいですね。


──レイスはやられもしますけど、強さもあって巧さもあって、弱さが見えないんですよね。


ソイカラさん そうなんです!そこがレイスの凄いところなんです。弱いところが見えないんですよ。



1970~1990年代のアメリカンプロレスの魅力とは?


──先ほどから話にも出ていますが、ソイカラさんがハマっている1970-1990年代のアメリカンプロレスの魅力はどこにあるとお考えですか?

ソイカラさん 斎藤文彦さんの本に影響を受けて、古いアメリカンプロレスに興味が出てきたんです。試合を見ていると、技をほとんど出さずに30分、長くて50分の長時間プロレスをやる技術が凄いなと思うんです。また、今のプロレスの由来を探っていくと、多くの部分が古いアメリカンプロレスな気がするんですよ。


──なるほど。

ソイカラさん 今のプロレスラーだと上村さんはリッキー・スティムボートにリスペクトがあるし、ゲイブ・キッドのコスチュームはスティーブ・ウィリアムスへのオマージュを感じますし、MJFはフレアーっぽいかなと思いきやディーン・マレンコのような感じもしますし。元ネタ探しがめちゃくちゃ楽しいんです。



──素晴らしい楽しみ方ですよ。

ソイカラさん ありがとうございます。今はChatGPTを使って古いアメリカンプロレスの情報を調べつつ、実際の試合の動画をもチェックして勉強してますね。


──プロレスは歴史探求ができるから面白いんですよね。

ソイカラさん そうなんですよ。例えばアントニオ猪木VSドリー・ファンク・ジュニアを見た時のことですが、試合はもちろん素晴らしかったんですけど、ドリーのセコンドにドリー・ファンク・シニアや若き日のハーリー・レイスがいることに気づきました。そういう思わぬ副産物に出逢うのが嬉しいので、これからもプロレスの歴史探求を続けていきたいですね。


(第2回終了)








 

 

 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 
 
今回のゲストはZ世代のプロレスファン・ソイカラさんです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(画像は本人提供です)
 
 ソイカラ
1999年生まれ。2017年からプロレスに魅了され、2019年にはベトナムへ留学。東南アジア諸国を巡りながら格闘技・プロレス観戦を重ね、2023年にはAEWがロンドン・ウェンブリースタジアムで開催した「ALL IN」を現地観戦した。現在はコンサルティングファームで働きながら、古今東西のプロレスを追い続けている。

 

 

 ソイカラさんのXアカウント

 

 

 

 

 
ソイカラさんがプロレスに出逢ったのは偶然でした。
「プロレスってこんなにヤバいの!?」
彼はプロレスを好きになってからどんどん深みにハマっていきます。
このインタビューは1999年生まれのプロレス者・ソイカラさんが丁寧に語るプロレス探求の旅なのです。
 
第1回はプロレスとの出逢い、初めてのプロレス観戦など彼の原点についてお聞きしています。是非、ご覧ください。
 
 
 

 

 
 

 

 

 
 
私とプロレス ソイカラさんの場合
第1回 「1999年生まれのプロレス者」
 
 
 

 

 

プロレスを好きになったきっかけ

 

──ソイカラさん、この度は「私とプロレス」をテーマにしたインタビューにご協力いただき、本当にありがとうございます! このインタビューでソイカラさんのプロレス話をじっくりお伺いしますので、よろしくお願いします!
 
ソイカラさん こちらこそよろしくお願いします!


──まずはソイカラさんがプロレスを好きになったきっかけについて教えてください。

ソイカラさん わかりました。高校3年を迎える春休みだったんですけど、たまたま僕が長風呂しているときにスマホでAbemaTVで番組をスイッチングしていた時にプロレスの試合が配信されていたんです。奇抜な髪型の怖い男性が金髪のお兄さんをボコボコにしていたシーンでした。後から鈴木みのるさんとオカダ・カズチカさんということが分かるんですけど。


──そうだったんですね。

ソイカラさん この試合が、鈴木さんが結構オカダさんを攻めこんでいたのに、最後はオカダさんがジャーマン・スープレックスからレインメーカーを決めてあっさり終わったという印象を受けたんです。父がジャンボ鶴田さん好きのプロレスファンだったので、「なんでこんなにあっさり試合が終わったの?」と聞くと「プロレスはショーだから」と言われたんですよ(笑)。

──ハハハ(笑)。


ソイカラさん その次にAbemaでプロレスを見たのがウィル・オスプレイで、人間技とは思えない空中殺法をやっていて衝撃を受けたんです。当時、ニュースで普天間基地のオスプレイが話題になっていたので、名前が重なってさらに記憶に残りました。
鈴木さんとオカダさんの試合である意味プロレスの怪しさを知って、その次にオスプレイの空中戦を見て、プロレスって摩訶不思議で面白いなと感じたんです。


──やっぱりプロレスは多種多様ですからね。

ソイカラさん それで3度目にAbemaでプロレスを見たのが2016年4月10日・両国国技館で行われたオカダ・カズチカVS内藤哲也のIWGPヘビー級選手権試合だったんです。オカダさんが勝つかなと思っていたら、ドクロのマスクをつけたSANADAさんが乱入してきて、最終的には内藤さんが勝った試合で。その試合を見終わった時に「僕はとんでもないエンターテインメントに出逢ったな」と。そこからプロレスに心を掴まれたんですよ。


──今の話を聞くとソイカラさんが見た頃のAbemaはまだDDTがサイバーエージェントグループに入る以前だったということでしょうか?

ソイカラさん そうですね。たまたまAbemaでは新日本プロレスのダイジェストが流れていた時期でしたね。


初めて好きになったプロレスラー


──Abemaがきっかけというのは私からするとかなり新鮮です。ちなみに初めて好きになったプロレスラーは誰ですか?


ソイカラさん 鈴木みのるさんです。僕が考えるプロレスの魅力の一つとして「妖しさ」というのがあると考えているんです。鈴木さんのニックネームである「世界一性格の悪い男」って一般常識では理解できないニックネームじゃないですか。実力だけで勝負してもいいのに、当時は鈴木軍のメンバーが試合に介入したりしていて、ある種の矛盾もあるんです。でもなぜかそこに魅力を感じたんです。

──逆にですね。

ソイカラさん 鈴木さんは試合で出す技が少ないんですけど、その中でお客さんを沸かせるのが好きですね。あと人間としてもストイックにプロレスラーとして生き抜いているところも。当時は学生だったので鈴木さんの生き方には影響を受けました。

──そうなんですね。

ソイカラさん 僕はSNS世代なので、Xとかで見ると鈴木さんが「年齢で人をくくるな」「もっと先を見て生きているんだ」というポストをよくされてますが、そういった人間性は他のレスラーと異なって見えましたし、深みもあって。プロレスラー・鈴木みのるの面白さと人間・鈴木みのるの生々しい感情に心を惹かれていったのかなと思います。


──今も鈴木選手に対する思いは変わりませんか?

ソイカラさん 変わらないですね。今は新日本を離れて、アメリカやDDTに上がるようになっても鈴木さんはカッコいいですし、自身の生き様を貫いてますよね。


初めてのプロレス観戦



──では初めてのプロレス観戦はいつ頃ですか?

ソイカラさん  2017年9月12日の新日本プロレス・富山県魚津市総合体育館大会です。会場に着いてすぐに物販で鈴木さんの「KING」Tシャツを購入しました。それで鈴木さんに「サインお願いします」と声をかけましたが、鋭い視線で睨まれ、無言でサインを書いてくださいました。「応援します」というと「おぅ」と返事されましたけど、とにかくギロっという目が怖かったです(笑)。

──それは忘れられないプロレス初観戦になりましたね!

ソイカラさん この魚津大会の第1試合が海野翔太VS成田蓮でしたね。あと首輪に繋がれた飯塚高史さんが自分が座っていた席の後ろから接近してきて「殺される!」と思って逃げたのは印象に残っています。プロレス生観戦の興奮が忘れられず、僕は「一生プロレスを見続けていこう」と決意しました。会場を出た後、興奮冷めやらぬまま家に帰りました(笑)。



新日本プロレスの魅力


──ありがとうございます。ここからソイカラさんが好きなプロレス団体について語っていただきます。まずは新日本プロレスの魅力です。


ソイカラさん プロレスにハマってからずっと追い続けている団体です。やっぱり日本を代表するプロレス団体は新日本かなと。今は絶対王者がいない群雄割拠の状態が面白いなと思います。相撲で例えると現在IWGP世界ヘビー級王者のKOUNOSUKE TAKESHITAやザック・セイバー・ジュニアは横綱かもしれないけど、他にも大関や関脇クラスの選手がたくさんいて、誰が優勝するのか分からないんですよ。 


──それは分かりやすい例えですね。

ソイカラさん 海野翔太さん、上村優也さん、大岩陵平さん、成田蓮さん、辻陽太さん、ゲイブ・キッドは大関かもしれないですが、横綱ではないんですよね。この群雄割拠な現状から誰が抜け出して天下を取るのかという歴史的転換点を我々は見届けているのかなと思います。新日本プロレスは離合集散と変動を繰り返している歴史じゃないですか。


──確かに!

ソイカラさん 日本プロレスから独立してアントニオ猪木さんが旗揚げしたのが新日本プロレス。猪木さんの黄金伝説があって、初代タイガーマスクや長州力さんや藤波辰爾さんの時代があって、UWFが生まれた。平成になって闘魂三銃士の時代が訪れるも、2000年代に入ると格闘技の波に飲み込まれて暗黒期になって、棚橋弘至さんや中邑真輔さんが奮闘して復活して、オカダ・カズチカさんがレインメーカーとなってカネの雨を降らせて、内藤哲也さんが制御不能の時代を作ったという歴史があるわけですよね。

 

 

今の新日本は戦国時代

──その通りです。

ソイカラさん 2017年からプロレスを見始めた僕にとって、新日本プロレス
はV回復した後から見ているんです。いわゆるブシロード体制の新日本を。これからの将来、日本武道館、東京ドームだけでなく、全国各地で建設されるリボンビジョンと釣り天井ビジョンを備えた最新型のすり鉢型アリーナで、スーパースターとなった新世代の選手たちが激闘する姿を見届けられるワクワクがあります。これから10年、20年経った後、「あの時代の新日本を見てた」と誇れる日が来るのではないかなと考えています。


──それは棚橋体制の新日本が思い描いている輝かしい未来ですね。

ソイカラさん 僕がプロレスを見出した頃はオカダさん、内藤さん、ケニー・オメガが横綱として君臨していたように思うんです。でもオカダさんも内藤さんもケニーも今は新日本にはいないですし、彼らの壁として存在していた棚橋さんも引退するわけですよ。あるいは、オカダさんや内藤さんを倒して横綱になったジェイ・ホワイトもウィル・オスプレイもいない。今の新日本は戦国時代なんですよ。誰が天下を取るのか。天下を取った後にどのような風景になるのか。ものすごく楽しみです。



(第1回終了)




 

 

 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 
 
今回のゲストはXで「動画茶屋 山茶花」と称し、様々な映像作品や音楽の同時視聴スペースを運営されているプロレスファンの山茶花究太郎さんです。
 
 
 
 
 
 
 
 
(画像は本人提供です)
 
 
山茶花究太郎(さざんか きゅうたろう)
毎週Xで水曜21:00から「動画茶屋 山茶花」と称し、様々な映像作品や音楽の同時視聴スペースを開催しており、時には臨時営業も。その週に視聴する作品は、当アカウントの固定ポストなどでご確認をお願いします。

 

山茶花究太郎(@holyShitsuckit)さん / X

 

 

 

 

 

 
最終回では、山茶花究太郎さんがXでの活動や心に残る名試合を熱く語ります。ファンとしての深い愛情と、プロレスを通じた繋がりが感じられる、感動的な締めくくりの回となっています。是非ご覧ください。
 
 

 

 
 

是非、ご覧ください!

 

 

 

私とプロレス 山茶花究太郎さんの場合 第1回 「プロレスとの出会い」 

 

 



 

 私とプロレス 山茶花究太郎さんの場合 第2回「プロレス愛と情熱」





 
私とプロレス 山茶花究太郎さんの場合
 最終回「動画茶屋 山茶花」
 
 
 

 










山茶花さんから見たライター・ジャスト日本とは?


── 山茶花さんは7~8年ほど前から私とXで相互フォローの関係で、いつもポストにいいねやリポストをしてくださっています。本当にありがとうございます。山茶花さんから見て私ジャスト日本とはどのようなライターとお考えですか?



山茶花さん  僕は5ちゃんねるとかの書き込みを目にして、プロレスに対しての揚げ足取りに本当に嫌気がさしていたんです。そんな中で、たまたまSNSを始めて間もない頃にジャストさんのブログ記事やポストを目にして、プロレスに熱を持って書いている人がまだいるんだなと嬉しくなったんです。



── ありがとうございます。


山茶花さん ジャストさんの文章は読んでいて真っ直ぐで熱くて、どこか切なくなるんですよ。だから僕はジャストさんのブログに出逢わなければ、プロレスを見るのをもう辞めていたんじゃないかな、と。


──そうだったんですね…。


山茶花さん  特に「俺達のプロレスラーDX」で高橋裕二郎選手の回(https://ameblo.jp/jumpwith44/entry-12051419540.html)が好きなんです。読むとジャストさんが上から目線ではなく近くから見ていて、本当にプロレスラーとプロレスに対して愛を持って書いているのが伝わってくるんですよ。


──なんだから照れますね(苦笑)。


山茶花さん ジャストさんのプロレス考察は非常にフラットで丹念なんですよ。そこが僕のプロレス心にフィットしたのかなと思います。電子書籍に、単行本『インディペンデント・ブルース』と『プロレス喧嘩マッチ伝説』も購入させていただきましたよ。





「動画茶屋 山茶花」


── 山茶花さんは現在、Xで毎週水曜21:00に「動画茶屋 山茶花」と称し、様々な映像作品の同時視聴スペースを開催しています。こちらのスペースを始めるきっかけについて教えてください。


山茶花さん  X内でフォロワーさんの様々な同時視聴スペースにお邪魔している内に、自分でもやってみたくなったんです。


── そうだったんですね。


山茶花さん Xでアニメとか特撮や映画が好きな人たちと話してるうちに、「みんなで一緒に見たら楽しいんじゃないかな?」って思っていて。最初は自分の好きな動画をリンクを貼って共有してたんですけど、フォロワーさんから「YouTubeの無料動画ならみんなで見やすいよ!」ってアドバイスもらって、そっちにシフトしたんです。だいたい1週間前に告知して、当日に同時視聴スペースを行うんです。



── なかなか楽しそうですね!


山茶花さん  毎回ジャンルや内容を変えてやってるんですけど、プロレスは1回だけハルク・ホーガンさんの訃報の直後にコッソリ別の日にやりました(笑)。その時は名前は知っていても、試合は見たことのない方ばかりだったので説明しながら視聴して盛り上がったんですけど、プロレスは熱くなりすぎる人やこだわりの強い人もいらっしゃるのでまだまだ怖くて出来ないですね。


── その気持ち、よく分かります。


山茶花さん でも、そのXのおかげで全国のプロレスファンや様々なサブカル好きの方と繋がれて、本当に楽しいんです。



山茶花さんの好きなプロレス名勝負三選



──ここで山茶花さんの好きなプロレス名勝負三選を教えていただいてもよろしいでしょうか。



山茶花さん  はい。まず1つ目は、1989年7月13日新日本プロレス・両国国技館で行われた獣神ライガーVS佐野直喜のIWGPジュニアヘビー級選手権試合です。この試合が高難度なテクニックとハイスピードで構成されている現在のジュニアヘビー級スタイルの原点で、加えて両者KOという結末が衝撃的だったんですよ。


──佐野さんがライガーさんを雪崩式バックドロップを敢行するも、佐野さんがライガーさんの下敷きになり、ライガーさんも後頭部を痛打して両者動けなくなって両者KOとなりました。


山茶花さん  そうですね。合わせ鏡のようなドロップキックの打ち合いに場外ミサイルキック、リング上から場外へのトぺ・アトミコ、エプロンから場外へのブレーンバスターとかなりエスカレートした攻防が印象的でした。今はこれ以上の攻防は普通に見られますが、この試合が起点だと思います。ライガーさんと佐野さんの抗争は結局半年くらいで終わるんですよ、佐野さんがSWSに行くので。なので結果的にライガーVS佐野は、太く短いからこそ人々の心に残った平成初期の名勝負数え歌ですよね。


──ありがとうございます。では2試合目をお願いします。


山茶花さん 1993年12月9日、全日本女子プロレス・両国国技館で行われたアジャコングVS工藤めぐみのWWWA世界シングル選手権試合です。


──これはいいセレクトですね。


山茶花さん 1986年同期対決でしかも両国国技館という大舞台で名勝負を繰り広げたんですよ。しかも技術で魅せるプロレスで、工藤さんの徹底した裏拳潰しの腕攻めをアジャさんが受け止めた上での本当に良い試合でした。工藤さんの雪崩式フランケンシュタイナーでの「幻の3カウント」があったり、アジャさんが工藤さんを裏拳7発でKO状態に追い込むも、マイクで「立て!!」と活を入れて。工藤さんも最後の力をふり絞って立ち上がって闘いをまだ諦めなかった。そして最後はまるで互いに抱きしめるような体勢で3カウントが決まって、アジャさんが勝利した時は感動しましたね。この試合は「女忠臣蔵」と銘打たれていて退団した工藤さんが赤穂浪士なら、残ったアジャさんひいては全女を吉良方と見れば結果として討ち入りは果たせなかったとしても、それ以上の感動を見せたのではないでしょうか。



──ありがとうございます。では3試合目を教えてください。


山茶花さん 2001年4月18日ゼロワン・日本武道館で行われた三沢光晴&力皇猛VS小川直也&村上一成です。三沢さんが小川さんをグラウンドでコントロールしたのがとても印象的な試合で、最初はジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんの代理戦争のイメージが強かったんですけど、時間が経ってから何か違うなと思いまして。


──それはどういうことですか?


山茶花さん これは競馬の話になるんですけど、海外で競馬はブラッド(血筋)ゲームとも呼ばれているんです。なのでこの試合は色々な格闘技のベース、いわば血筋が垣間見えるんです。三沢さんはレスリングと全日本プロレス、力皇さんは大相撲、小川さんは柔道、村上さんは総合格闘技という四者四様の血筋がリングで衝突した言わばブラッドゲームだったんだろうなと。当時深夜のノア中継でも試合を怖いもの見たさで見た記憶がありますし、今でも年一位で見返しますよ。最後の三沢さんが村上さんに見舞ったスープレックス3連発がプロレスでは見たことがない投げ方だったのが印象的でした。





今後について



──ありがとうございます。では山茶花さんの今後についてお聞かせください。



山茶花さん  田舎の片隅で、Xで情報集めて知らない人にプロレスの魅力をもっと広めたいですね。動画茶屋でプロレスの企画もやってみたいんですが、昭和の試合はマウント取りたがる人がたくさん来そうで正直ビビってます。AmazonPRIMEで配信されているアントニオ猪木さんの10番勝負のアントニオ猪木VSビル・ロビンソン戦とかやりたいなと思いましたけど、やってきた猪木さんファンに「お前に猪木さんの何がわかる!」とか「お前にプロレスの何がわかる!」なんて言われそうで結局引っ込めました(笑)。


──ハハハ(笑)。


山茶花さん 例えばストーンコールドのスタナー受け祭りとか、ルチャの飛び技と技術集みたいなテーマでYouTubeで動画を集めてみんなでワイワイ見るのは絶対楽しいと思うんですよね。今後も「動画茶屋 山茶花」でみんなで楽しめる動画を共有していきたいです。それが僕や来て下さる方にとって、ちょっとした”心のオアシス”になれば…。





あなたにとってプロレスとは?



──ありがとうございます。では最後の質問です。山茶花さんにとってプロレスとは何でしょうか?


山茶花さん  僕にとってプロレスは…離れたところにいても常に連絡を取り合っている友人みたいなものですね。


──それは素晴らしい表現ですね!


山茶花さん  Xで情報集めて、記事読んで、「ああ、プロレスまだ熱いな!」って再確認するたび、なんか心が繋がってる感じがするんです。離れてても、いつでもリングで会えるみたいな。プロレス見てると、人生のいろんな感情が蘇ってくるんですよね。プロレスがあるから、毎日ワクワクできるんですよ!



──これでインタビューは以上です。山茶花さん、今回のインタビューにご協力していただきありがとうございました。山茶花さんの今後のご活躍とご健勝をお祈り申し上げます。


 


山茶花さん こちらこそ本当にありがとうございました。



【編集後記】

このインタビューを通じて、山茶花究太郎さんのプロレス人生が鮮やかに浮かび上がりました。ゲームをきっかけにした少年時代の出会いから、国内外の団体やレスラーの分析、Xでの活動まで、プロレスへの愛が全編に溢れたものでした。彼のファン心理は、プロレスの奥深さと普遍性を改めて示しています。プロレスは単なる競技ではなく、人生を豊かにする伴侶のような存在だと感じさせる内容でした。山茶花さんの今後の活動にも期待が高まります。








 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 
 
今回のゲストはXで「動画茶屋 山茶花」と称し、様々な映像作品や音楽の同時視聴スペースを運営されているプロレスファンの山茶花究太郎さんです。
 
 
 
 
 
 
 
 
(画像は本人提供です)
 
 
山茶花究太郎(さざんか きゅうたろう)
毎週Xで水曜21:00から「動画茶屋 山茶花」と称し、様々な映像作品や音楽の同時視聴スペースを開催しており、時には臨時営業も。その週に視聴する作品は、当アカウントの固定ポストなどでご確認をお願いします。

 

山茶花究太郎(@holyShitsuckit)さん / X

 

 

 

 

 

 
第2回では、山茶花究太郎さんが国内外のプロレス団体の魅力と心を掴んだ選手たちについて熱く語っています。各団体の個性やレスラーの魅力が掘り下げられ、プロレスの多面的な楽しさが浮き彫りに。山茶花さんのファン目線での深い洞察と情熱が、プロレス愛をさらに引き立てる回です。
 
 

 

 
 

是非、ご覧ください!

 

 

 

私とプロレス 山茶花究太郎さんの場合 第1回 「プロレスとの出会い」 

 

 

 

 

 
 
私とプロレス 山茶花究太郎さんの場合
第2回 「プロレス愛と情熱」
 
 
 

 


選手離脱、体制が変わって今や全日本プロレスはブランド化している



── 山茶花さんが好きなプロレス団体・全日本プロレスの魅力について語っていただいてもよろしいですか。
山茶花さん 自分がちゃんとプロレスを見るようになってハマったのが全日本プロレスでした。当時は四天王プロレスの真っ只中。そこからずっと全日本を追いかけてましたが、そこから三沢光晴さんを筆頭に大量離脱が発生したり、経営危機があったり、体制が変わって今の全日本プロレスは経営母体が全く違うじゃないですか。
 

── 確かにそうですね。
 

山茶花さん それでも看板が残っているということはある意味、全日本はブランド化しているんですよね。例えばキティちゃんは、昔は「女子児童向けキャラクター」だったんですけど、今では靴下とかさまざなコラボ商品になったり、男女問わず広い年齢層に支持されているんです。これはもう立派なブランドなんですよ。そういう領域に全日本は突入しているような気がします。創設者のジャイアント馬場さんの影がうっすら見えればそれでいいんですよ。

──それは素晴らしい。新しい見方ですよ。
 

山茶花さん ありがとうございます。
 

──昭和、平成、令和と時代が変わっても全日本はスーパーヘビー級の選手たちが集結する怪物ランドなんですよね。
 

山茶花さん そうですよね。これは僕の趣味の話になりますが、かつてコクサイというモデルガンメーカーがありました。そこはリボルバー(回転式拳銃)のモデルアップを中心に映画やドラマのプロップガンのベースに使われる位のメーカーでしたが、2000年代に工場の火災によって金型が焼失してしまってメーカー活動を終了したんです。その後、別の会社が残った金型を引き取って製造を再開して「コクサイ」のブランドを引き継ぎました。その流れに全日本の歴史は近いのかなと思うんです。
 

 

──それは全日本プロレスの金型を引き取っている方が今の全日本を運営しているという意味ですよね。
 

 

山茶花さん そうです。金型って大事で、300万円から下手すると一億くらいしますし、そこから商品を量産するわけですから、きちんとメンテナンスをする必要があるんです。金型は常に磨いて油をひいて綺麗にしておかないといけない。これはプロレスラーも一緒ではないでしょうか。

DVDがきっかけでハマったWWE


── 山茶花さんが好きなプロレス団体・WWEはどんなきっかけでハマったんですか?

山茶花さん  そうですね、WWEは最初は遠い世界の話で『週刊プロレス』のカラーページでチラッと見る程度で、「なんか派手なアメリカのプロレスだな」くらいの印象しかなかったんです。その見方がガラッと変わったのがTSUTAYAでレンタルされていたWWEのDVDを見てからなんですよ。

── ということは2002年以降ですね。

山茶花さん トリプルH、ショーン・マイケルズ、ブロック・レスナー、カート・アングルが活躍していた時代で、長時間見ていても飽きないんですよ。うちの父親、昭和の日本プロレスや国際プロレスを見てた世代なんですけど試しに一緒に見せたらハマっちゃって(笑)。特にロイヤルランブルが家族全員のお気に入りで、ブザーが鳴るたびに「次は一体誰が出るのか!?」ってみんなで盛り上がってましたね。

──素晴らしいです!

山茶花さん WWEは吉本新喜劇とか一般層が見ていて分かりやすい魅力がありますよね。ロイヤルランブルでは。コフィ・キングストンがリングアウトを回避するムーブとかを見せると、家族で「ブンちゃん(山茶花さんのご家族の間でのキングストン選手の愛称)、今回どうやって残るの!?」って盛り上がってました。


──ハハハ(笑)

山茶花さん 1月のロイヤルランブルで始まって、4月のレッスルマニアでドカンと一度締めるけど、次の日からまた新しいドラマが始まるのがたまらないです。そういえばプロレス知らない友達に『アメトーーク!』(テレビ朝日系)のWWE芸人の回があって、「レッスルマニアはどんなイベントなのか」と聞かれたので、「プロ野球のオープン戦と日本シリーズを一緒にやっている祭典だよ」と説明すると納得してくれましたよ。


──それは的確な例えですね!

山茶花さん WWEは超メジャー団体なので、どんなものだってWWE流にガラッと変えちゃうとこがあるんですよ。それが素晴らしいところでもある一方で最初は「ん?これどうなんだ?」って思うこともあって、その最たるものがECWの再興とかですね。元のハードコアな感じが薄れて、WWEのエンタメ色が強すぎた時はちょっとモヤッとしたかな。でも、慣れるとそれもWWEの魅力だなって(笑)。




お金がないから頭と身体をフル活用したECW

──ありがとうございます。では次はECWの魅力について語っていただいてもよろしいですか。

山茶花さん ECWは最初は『週刊プロレス』のモノクロページで「この団体、崩壊したんだな」って知った程度だったんですよ。ちゃんとハマったのは、たぶん2000年代中盤くらいに、ネットレンタルで借りたECWのDVDで田中将斗 VS ザ・グラジエーター(マイク・アッサム)を見た時に「こんなに凄い団体だったのか!!」と衝撃を受けたんです。

──そうだったんですね。

山茶花さん そこからECWのDVDをレンタルビデオ屋で借りてさらにハマったんですよ。ECWはWWEやWCWに比べてお金がない中で、頭と身体をフル活用してリングで表現してるところに惹かれました。クリス・ベノワがサブゥーを危険な角度のショルダースルーで首を壊すとプロデューサーのポール・ヘイマンが「お前は今日からクリップラー(壊し屋)だ!」と言ったり、タズがシュートファイターキャラでブレイクして、片羽絞め(タズミッション)があんなに怖い技なのかと思い知りましたよ。


──現地実況できちんと「片羽絞め」と日本語で言ってましたね。

山茶花さん そうなんですよ。試合や実況も含めてECWのスタイルには日本のプロレスへのリスペクトに溢れているんです。ECWって、なんか泥臭い魅力があるんですよ。メジャーなWWEやWCWとは全然違う、「お前らにこういう試合が出来るか!」みたいな反骨精神みたいなものが心に刺さりました。


── 先ほどお話にもありましたが、ECWは2001年に崩壊後に、WWEの1ブランドとして復活します。こちらに関しては賛否両論ありました。山茶花さんより「元のハードコアな感じが薄れて、WWEのエンタメ色が強すぎた」とのことですが、改めてWWE版ECWについて振り返っていただいてもよろしいですか。

山茶花さん  WWE版ECWは、なんかWWEのフィルターが掛かっていて、元の荒々しさが薄れた感じがしましたね。あくまでもWWEの1ブランドであり、ハードコア革命を掲げていたあの頃のECWではなかったです。テコ入れでクリス・ベノワが入りましたけど…。例えるなら、これはオリジナルではなくカバー曲なのかもしれません。


リングスの魅力

──では次にリングスの魅力について語っていただいてもよろしいですか。

山茶花さん  リングスは前田日明さんの存在がデカかったです。プロレスにハマる前から、前田さんの名前はなんか知ってたんですよ。テレビで取り上げられたり、読切漫画「前田日明物語」でめっちゃカッコよく描かれていたのも印象的でした(笑)プロレスに目覚めてからリングスの存在を知って、世界中の格闘家が集まって1つのルールで闘うというのは凄いリングだなと思いました。

──確かに!

山茶花さん だから「これ、絶対見たい!」ってなったんですけど、秋田じゃレンタルビデオ屋にリングスのビデオが全然なくて。母がWOWOWに加入していた職場の同僚に頼んで、リングスのビデオを録画していただいてました(笑)。初めて見た時、プロレスと格闘技の間みたいな独特の雰囲気にハマりました。


──そうだったんですね。


山茶花さん  高校に入ってから活動範囲が広くなって、そこで新しく見つけたレンタルビデオ店でリングスのビデオを見つけて借りるようになりました。あと新旧UWFも後追いで見てましたね。リングスって国別に所属が分かれていて、対抗戦の緊張感やそこからくる不穏な空気にドキドキしていました。それと国別の個性の付け方が上手かったですよね。立ち技ベースで荒くれ揃いのオランダ勢、複雑にも程がある関節技を見せるロシア勢に、前田さんの格闘人生の原点の一つである空手で猛威を振るったグルジア(現ジョージア)勢みたいに。リングスジャパンはその中で初期の長井さんの奮闘や山本さんがヒクソンと戦って名前を上げたり、田村さんの移籍があったりしてまた違ったドラマが好きでしたね。

 


三沢光晴さんの魅力

── ありがとうございます。では山茶花さんの好きなプロレスラーについて語っていただきます。まずは三沢光晴さんの魅力です。

山茶花さん  三沢さんは特別な存在なんですよ。エルボーを中心に試合を組み立てる技術とタフさ、相手との駆け引き、リング上での存在感、全部が「これがプロレス!」と思わせてくれる不世出のプロレスラーです。でも生観戦した時は、残念ながら三沢さんが6人タッグで負ける試合ばっかりだったんですよ。

──なかなか三沢さんが勝つシーンは生観戦では見れなかったんですね。

山茶花さん 三沢さんがプロレスリング・ノアを旗揚げして以降はDVD買い集めて、何度も見返してました。2009年に三沢さんが亡くなった時は、本当ににショックで…プロレス界にデカい穴が開いた感じでしたね。でもジータスで全日本やノアの試合は見続けて、三沢さんの魂がまだリングに生きてると思いましたね。


── 三沢さんが亡くなって今年(2025年)で16年なんですよ。

山茶花さん  早いですよね…やっぱり三沢さんは偉大ですよ。今でも三沢さんの試合を見るたび、プロレスの奥深さに引き込まれてますね。
 

 

プロレスをもう一度好きにさせてくれた救世主・棚橋弘至

 

 

── では棚橋弘至さんの魅力について語っていただいてもよろしいですか。

山茶花さん  棚橋さんは、僕の中でプロレスをもう一度好きにさせてくれた救世主みたいな人です。1999年のモヤモヤ期、プロレスから離れそうになってた時に、2002年の棚橋さんの「僕は新日本のリングでプロレスをやります!」と宣言したのが心に刺さったんですよ。2006年以降から何度もIWGPヘビー級王座のベルトを背負って、いろんな批判やプレッシャーの中で新日本を支えてた姿が本当にカッコよかったです。

──同感です。

山茶花さん  棚橋さんの試合見ながら、「プロレスってやっぱりスゴいな」って再確認できたんです。でも、オカダ・カズチカ選手が出てきてから、棚橋さんが少しずつ後ろに下がっていくのは切なかったですね…。でも、それもプロレスの歴史の流れならばって納得してます。


──確かにそうですね。


山茶花さん  棚橋さんといえば2001年から赤と白のショートタイツで躍動していた時代があって、ハーフハッチ・スープレックス・ホールドを使っているのが印象的でした。棚橋さんがいたからプロレスをもう一度好きになれたので本当に感謝しかないです!今の新日本プロレスがあるのは棚橋さんがいるからですよ。

──それは棚橋さんが聞いたら喜びますよ。

山茶花さん 誰かがいなくなれば、誰かが出てくるということを見事にプロレス界で体現したのが棚橋さんだったと思います。


──ちなみに2023年に当ブログで掲載した棚橋選手と作家・木村光一さんの対談をご覧になられたそうですね。


山茶花さん はい。昭和プロレス至上主義のような方々っていらっしゃるじゃないですか。2000年代にプロレスがK-1やPRIDEにひたすらしゃぶりつくされている時に、「あの時にプロレスはいっそ消えてなくなればよかったですか?」って問いかけてみたいです。リアルタイムで視聴した昭和プロレスファンの思い出の中に、ただ美しく残ればいいのか。今のプロレスを全否定して、昔のプロレスをひたすら賛美する人たちがSNSにいるので…今のプロレスに対する悪口を聞くのは、やっぱりつらいじゃないですか。過去あっての現在だし、未来は過去があってこそだと思うんです。

──そうですよね。あの対談は今のファンにも昔のファンにも届けばいいなと思ってやらせていただきました。


山茶花さん 木村さんはアントニオ猪木さんに近い方でしたし、古いプロレスファンの代弁者的立ち位置にいるイメージがあったんです。まさかその方と棚橋さんを繋ぐとは…棚橋さんと木村さんの対談を実現させてくれたジャストさんには本当に感謝しかないです。しかも緊張感がある内容だったんですけど、対談はロジカルな会話をされていて素晴らしい内容でした。

天龍源一郎さんの魅力

──ありがとうございます。では好きなプロレスラー・天龍源一郎さんについても語ってください。

山茶花さん  僕がプロレスを見る前から天龍さんの名前は知ってました。天龍さんのプロレスを見始めたのはWAR時代で、新日本との対抗戦がひと段落ついて、大仁田厚さんと電流爆破デスマッチや冬木弘道さんとの抗争を繰り広げていた時期です。

──そうだったんですね。

山茶花さん 本当に荒くれていて乱暴なんですけど、一本道を歩いているプロレスラーだなと。天龍さんの生き様がカッコいいんですよ。オカダ・カズチカ選手を引退試合に選んだ際に、一人新日本プロレスのリングに現れてリング上で受け身を見せた時は本当に痺れました(笑)。様々な大物レスラーに勝ちを重ねてきた記録だけでなく、CSやネットの時代になって鶴龍対決やサベージ戦をやっと見たり、またSNSで天龍さんの様々な逸話を知ったりして。元々好きな選手ではあったんですけど、改めてこの時代になって好きになったという感じです。引退近くに放送された天龍さんのドキュメント番組のタイトルが、「すべて天龍の生き様」だったのですが、まさに、という感じですね。

ショーン・マイケルズの魅力

──ありがとうございます。では好きなプロレスラーであるショーン・マイケルズの魅力について語っていただいてもよろしいですか。

山茶花さん  ショーン・マイケルズは真のエンターテイナーですよ!1998年に一度引退して2002年に復帰してから見るようになったんですけど、本当に攻めも受けも身体を張ったプロレスをしますよね。イリミネーション・チェンバーの金網上からダイビング・エルボードロップを見舞ったり、スイート・チン・ミュージックのキレとか、空中技の美しさ…彼は別格です。

──同感です。

山茶花さん  あと試合のクオリティーに外れがないのがショーンの魅力です。それから引退試合となったレッスルマニア26(2010年3月26日)でのアンダーテイカー戦は、プロレスの歴史に残る名試合ですね。最後、アンダーテイカーが「立つな」と首を振っているところをショーンが思いっきり顔を張って、首をかっ斬るポーズを見せて「やれるものならやってみろ!」と挑発して、アンダーテイカーが一気に白目になってジャンプしてツームストン・パイルドライバーを決めて勝利したときは正直ゾッとしました。



──アンダーテイカーに介錯されたショーンは以前、リック・フレアーの介錯人をしているので、介錯した人は誰かに介錯されるのかもしれませんね。

山茶花さん  歴史の数珠つなぎですよね。


クリス・ベノワの魅力

──ありがとうございます。では好きなプロレスラーであるクリス・ベノワの魅力について語っていただいてもよろしいですか。

山茶花さん  ベノワは、新日本時代から見ていたので思い入れが深いです。ダイビング・ヘッドバット、スープレックス、クリップラー・クロスフェースの精度、めっちゃ鳥肌立ちました。テクニックの化身ですよ!アメリカではECWを経てWCWに移籍しますけど、なかなか上に行けない印象でした。WWEに行ってからは、実力で一歩ずつトップにのし上がっていったのが嬉しかったです。


──確かに!

山茶花さん 2004年のレッスルマニア20で、ベノワがショーン・マイケルズ、トリプルHとの3ウェイを制して世界ヘビー級王座を獲得した試合後に親友である当時WWE王者のエディ・ゲレロが登場してベノワのベルト奪取を祝って抱擁したシーンは感動しました。でもその数年後…

──2007年6月24日、CMパンクとのECW王座戦に出場予定だったベノワがPPVを「家庭の事情」を理由に急遽欠場。翌25日にジョージア州の自宅で妻のナンシー・ベノワと息子とともに遺体で発見されました。捜査の結果、ベノワが22日に妻を縛ったうえで絞殺、翌23日には息子に薬物を投与し意識を失わせた状態で窒息死させた後に、自宅地下のトレーニングルームで首吊り自殺したと断定。自宅における多重殺人事件と自殺事件であると発表されました。アメリカでは無理心中という概念がないので、残念ながら彼は殺人者なんですよね。

山茶花さん そうなんですよ…WWEでは今後もベノワについて語ることはできないのかもしれませんが、彼の名前を語れるのがSNSのような場所なんですよ。ベノワの技術は今でもプロレスの教科書だと思います。人生の結末は残念でしたが、彼の功績は今でも色褪せないのではないでしょうか。
(第2回終了)






 

 

 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 
 
今回のゲストはXで「動画茶屋 山茶花」と称し、様々な映像作品や音楽の同時視聴スペースを運営されているプロレスファンの山茶花究太郎さんです。
 
 
 
 
 
 


(画像は本人提供です)
 
 
山茶花究太郎(さざんか きゅうたろう)
毎週Xで水曜21:00から「動画茶屋 山茶花」と称し、様々な映像作品や音楽の同時視聴スペースを開催しており、時には臨時営業も。その週に視聴する作品は、当アカウントの固定ポストなどでご確認をお願いします。

 

山茶花究太郎(@holyShitsuckit)さん / X

 

 

 

 

 
インタビュー初回は山茶花究太郎さんがプロレスとの出会いを振り返ります。ゲームから始まった興味が、深夜放送や生観戦へと発展する過程を詳細な会話で追体験。ファンとしての純粋な感動が、時代背景とともに語られ、プロレス入門の醍醐味を感じさせる内容となっています。
 
 

 

 
 

是非、ご覧ください!

 

 

 
 
私とプロレス 山茶花究太郎さんの場合
第1回 「プロレスとの出会い」
 
 
 

 


プロレスに対する興味の芽生え

 


──山茶花さん、この度は「私とプロレス」をテーマにしたインタビューにご協力いただき、本当にありがとうございます! 今日は山茶花さんのプロレス話をじっくりお聞きしますのでよろしくお願いします!
 

 

山茶花さん  こちらこそよろしくお願いします。

 

──まずは山茶花さんがプロレスにハマったきっかけは何でしたか?
 

 

山茶花さん  実は最初はプロレスにあまりピンときてなかったんです。子どもの頃、うちの祖父母がテレビで大相撲と一緒にプロレスを見てて、よく夕方の時間帯に放送があったんですよね。でも、正直、テレビから聞こえてくる「ガシャーン!」って鉄柵の音とか、選手の叫び声とか、なんか怖いイメージしかなくて。「何これ、乱暴なやつだな」って、子ども心に敬遠してたんです(笑)。
 

──その気持ちはよく分かりますよ。
 

 

山茶花さん その気持ちがガラッと変わったのは、中学2年生の頃、1994年ですね。スーパーファミコンの『スーパーファイヤープロレスリング』(以下『ファイプロ』)に出会ったのが大きかったです。『ファイプロ』はアクションゲームの延長みたいな感覚で遊んでたんですけど、技の名前とか選手の動きを見てたら、「あ、これってテレビでやってるプロレスと一緒だ!」って気づいて。そこから夜中の全日本プロレスの中継を見るようになって、どんどん引き込まれていったんですよ。
 

 

──『ファイプロ』きつかけでプロレスに興味を持つようになったんですね。
 

 

山茶花さん そうなんですよ。そして、気づいたら『週刊プロレス』とか『ゴング』とか、プロレス雑誌を本屋で買って読み漁るようになってました。もう毎週、発売日が楽しみで。高校で電車通学になった時は懐に余裕があれば『週刊ファイト』も買ったりしましたよ。本当に、『ファイプロ』がなかったらプロレスにハマることはなかったかもしれないですね。

── めっちゃいい話ですね!

山茶花さん  1994年からプロレスを好きになって、当時僕は14歳、中学2年生。ちょうど多感な時期ですよ(笑)。特に衝撃を受けたのが1994年6月3日・日本武道館で行われた三沢光晴VS川田利明さんの三冠ヘビー級選手権試合です。三沢さんが封印していたタイガードライバー'91を解禁して戦慄が走りましたよ!

── 確かに!

山茶花さん 僕は秋田県に住んでたんで、放送はちょっとタイムラグがあったと思うんですけど、土曜の深夜に新日本プロレスの『ワールドプロレスリング』、日曜の深夜に『全日本プロレス中継』があって。関東の放送時間とはズレてたかもしれないけど、ほぼリアルタイムで熱狂してましたね。あの頃は隣室の祖父母に「早く寝なさい!」って怒られながら、こっそりテレビの音量下げて見てたんですよ(笑)。その時間がもう宝物みたいでした。

── 地方ならではのタイムラグですね!

山茶花さん  秋田だと1990年代初頭まで民放が2局しかなくて、放送環境が今より全然貧弱だったんです。でも、1992年くらいに新しい局が増えて、プロレスの放送枠もちょっと変わったんですよ。それで土曜と日曜の深夜に連続で放送があって、まるでプロレスのダブルヘッダーですよ!「今週から新日本と全日本、両方見れる!」って、めっちゃテンション上がってました。

──素晴らしい!

山茶花さん あの頃はビデオテープに録画した放送を正座して見てたんですけど、たまにテープが途中で終わっちゃって「うわ、続きどうなるんだ!」って焦ったこともありました(笑)。あの頃のワクワク感、今でも鮮明に覚えてます。

初めてのプロレス観戦

── 最高のエピソードです!では山茶花さんが初めて好きになったプロレスラーは誰でした?

山茶花さん  やっぱり三沢光晴さんです!あの人の試合を見て、プロレスの深さにハマったんですよ。三沢さんのエルボー一発一発に魂がこもってる感じ、本当にカッコよかったんです。

──同感です。

山茶花さん あと、動きのキレとか、相手との駆け引きとか、全部が「これがプロレス!」って感じで。翌日録画したビデオを見るのが楽しみでした

──ありがとうございます。

山茶花さん  生観戦は1995年5月30日・秋田県立体育館での全日本プロレスの興行です。あの時の興奮、忘れられないです。リングが目の前にあって、選手の息づかいとか技の音が直で聞こえてくるのが、テレビとは全然違いましたね。

──生観戦では体感する音がテレビとは全然違いますよね。

山茶花さん そうですね。当日は前もってチケットを買って、特リンの席で見たんですけど、リングサイドでの試合の迫力に圧倒されて。試合後に「これ、生きてるうちに何回見れるだろう」って本気で思いました(笑)

── 東北地方は全日本プロレスの興行多かったイメージがあるんですけど、実際はどうでした?

山茶花さん  そうなんですよ、東北は全日本のなんだか聖地みたいでしたね!秋田でも青森でも、結構ビッグマッチが組まれてたんです。スタン・ハンセン失神事件や小橋健太さんとスタン・ハンセンがブチ切れの大乱闘を繰り広げたりとか、東北ってちょっと事件性の強い試合が多いですね(笑)。

──そのイメージがあります!

山茶花さん 特に秋田では、秋山準さんが6人タッグマッチで川田さんに垂直落下式ブレーンバスターを決めて失神させて、会場が騒然となったのを専門誌で読んで今も覚えてますよ!あの頃の全日本、東北でかなり熱かったんです。テレビ中継も多かったし、地方のファンとしてはありがたかったですね。東北のファンの熱さもあって、会場全体が一体になってた気がします。プロレスのパワーってすごいですよね。


新日プロレスは独特の世界観で紡ぐ大河ドラマ


── ありがとうございます。ではここから山茶花さんには好きなプロレス団体について語っていただきます。まずは新日本プロレスです。


山茶花さん  新日本プロレスは独特の世界観で紡ぐ大河ドラマですよね。なんていうか、選手が一度出て行っても、また戻ってきてもちゃんと受け入れる懐の深さがあるっていうか。長年見てると、初期のメンバーから今に至るまでの変遷がドラマみたいで面白いんですよ。


──確かにそうですね。


山茶花さん たとえば、長州力さんとか、藤波辰爾さんとか、いろんな選手が出たり入ったりしても、新日本はちゃんとその選手のストーリーを紡いでいくじゃないですか。あの包容力が好きです。で、僕が特に印象に残ってる試合が、2015年のG1クライマックス、8月8日・横浜文化体育館での棚橋弘至さんVS柴田勝頼さんの試合なんですよ。

──2015年G1棚橋VS柴田は語れる名勝負ですよね!

山茶花さん あの試合、棚橋さんと柴田さんがそれぞれ影響を受けた先輩レスラーの影が何度もチラッと見えるんですよね。柴田さんがあの頃、ちょっと迷走してた時期から這い上がるきっかけになった試合で、めっちゃ心に刺さりました。決着も、なんか前田日明さんや藤波さんがいた頃の新日本を彷彿とさせる愛おしさや切なさ、それとどこか爽やかさがあったんですよ。

──同感です。

山茶花さん 後に棚橋さんが藤波さんと共にスカパーの番組でこの試合を見て振り返っていたことがあって。平成から令和に時代が移っていく中で、2015年の棚橋VS柴田は大事な一戦だったと思っています。

──この試合は活字プロレス要素が強かったですね。

山茶花さん 以前、フリー時代の柴田さんが対角線ドロップキックを放ち着地の際に左腕から不自然な体勢で落下して、左手首を骨折したことがあって。それをネットでめっちゃ叩かれてて、「柴田、なんでだ!」ってファンもザワついてたんですけど、僕は逆にその不器用さが柴田さんらしいなって思ってました。あのG1の試合は、そういう批判も全部背負ってリングに立ってる柴田さんの覚悟が見えたんですよ。

──柴田選手はG1では語れる名勝負が多いんですよね。 

山茶花さん そうですよね。試合内容も、棚橋さんとのぶつかり合いがリアルで、活字プロレスの要素も詰まってて。なんか、プロレスの歴史を体現してるみたいな試合でしたね。あと、僕、昔から『週刊プロレス』の山本編集長時代の誌面の影響をガッツリ受けていて、その頃の文章を読んでプロレスの奥深さにハマったので、こういう試合見ると、活字で読んだ感動がなんだか蘇ってくるんです。

── ちなみにプロレスから離れた時期とのことですが、どのようなことがきっかけでしたが?

山茶花さん  1999年の1.4東京ドーム、小川直也さんと橋本真也さんの試合、あれで一回プロレスから心が離れたんですよ。あの試合、なんかプロレスの枠を超えたセメント感が強すぎて、「これ、俺が見たいプロレスじゃない」ってモヤモヤしました。

──そうだったんですね。

山茶花さん 『週刊プロレス』の定期購読もやめて、しばらく深夜放送だけは一応チェックする感じになってました。でも、2002年2月の札幌でのいわゆる猪木問答で棚橋さんが「俺は新日本のリングでプロレスをやります!」と語ってから、プロレスに対して前向きな気持ちになれたんです。


──出てくる登場人物の言葉のやり取りが嚙み合わない中で棚橋選手が普通に「新日本でプロレスをやります」といったのは素晴らしかったですね。

山茶花さん あの時、みんなが格闘技にベクトルが行く中で棚橋さんだけが真っ直ぐだったのかなと思います。

(第1回終了)
 

 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 
 
今回のゲストは伝説のプロレスラーであるドイツで発売されたローラン・ボック自伝『ローラン・ボック 欧州最強プロレスラー、人生の軌跡』(サウザンブックス)日本版発売に向けて奔走されたボック本発起人であり、翻訳を務めた沢田智さんです。
 
 
 
 
 
(画像は本人提供です)
 
 
沢田智(さわだ さとる)
島根県生まれ。学校を卒業後、放送局のエンジニアとして働く。オリンピックやサッカーワールドカップなどのテレビ中継で、ドイツをはじめ、南北アメリカやアジアなど、世界各地で業務を経験。放送業界専門誌への寄稿多数。プロレスファンとして独自のホームページを立ち上げて情報を発信。ブログ・ライター名は『FavoriteCafe』の管理人。2020年よりWebプロレス専門誌『週刊ファイト』に連載コラム『ファイトドキュメンタリー劇場』を執筆中。

 

 

 

 

 

 

 
 
 
インタビュー最終回は、ローラン・ボック自伝の翻訳出版エピソードと心動かされた部分、好きな名勝負、今後の展望、そしてプロレスとは何かを問う。沢田さんの情熱がクライマックスを迎えます。
 
 

 

 
 

是非、ご覧ください!

 

私とプロレス 沢田智さんの場合 第1回「出会いの記憶」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

 

 
 
私とプロレス 沢田智さんの場合
最終回 「価値がないからこそ価値がある
 
 
 


ローラン・ボック自伝の出版秘話


──ありがとうございます。沢田さんはボック本の日本語翻訳を担当されています。この本が出版される経緯について教えてください。


沢田さん 2021年に、ローラン・ボックの自伝『BOCK!』がドイツで発売されたことをSNSの書き込みで知りました。しかし、日本語版の出版に関する情報は一向に見当たらず、気になりながらも時間だけが過ぎていきました。それでもどうしても読みたいという思いが募り、2023年の秋に原書を入手する決意をしました。

──どのような形で原書を入手したのですか。

沢田さん 日本国内で販売している店舗やサイトが見つからなかったため、ドイツのAmazonに直接アクセスし注文しました。慣れないドイツ語の注文画面で確定ボタンを押しながら、「本当にドイツから届くだろうか」と不安もありましたが、たとえうまく注文できていなくても仕方がないと思っていました。そして約10日後、予想以上に早く本が無事に届いたことに驚きました。


──そうだったんですね。

沢田さん 手に取った原書は写真も挿絵もなく文字だけがぎっしり詰まっており、まるで魔法の書のような印象を受けました。私のドイツ語力は学生時代に学んだ程度でしたので最初は最後まで読み切れるか不安でしたが、単語を調べながら読み進めるうちにボックの壮絶な人生に引き込まれ、約2ヶ月かけて一気に読み終えました。


──なかなか読み終えるだけで大変な印象を受けます。

沢田さん この本の魅力を昭和プロレスを知るファンの皆さまにぜひ伝えたいと思い、自分のホームページで一部を紹介しました。また、1978年のアントニオ猪木の欧州遠征や1981〜82年のローラン・ボック来日に関する報道と自伝に書かれている出来事を照らし合わせることも楽しみの一つでした。

──歴史研究的な意味合いもあったんですね。


沢田さん そうですね。この自伝はボック本人による「自伝」(正確には口述をライターがまとめたもの)であるため、多少の誇張や自己弁護、脚色も含まれている可能性があります。一方で、当時のプロレスマスコミが伝えきれなかった事実もあるかもしれません。そうした視点を持ちながら読むことで、より深く興味を持って読むことができました。感想や部分的な翻訳、検証記事をホームページに掲載すると、当時を知るファンの方々から反響もいただきました。


──それは素晴らしいですね。

沢田さん しかし、この本の魅力を完全に伝える難しさも感じました。また、著作権的な問題もあります。それでも、どうにかしてこの本をプロレスファンの皆さまと共有したいと考え、「それなら権利をクリアして日本語の本にしてみよう」と決意しました。しかし昭和プロレス、しかもローラン・ボックという非常にニッチなテーマの翻訳出版に理解を示してくれる出版社を探すのは容易ではありませんでした。



ボック本人から応援メッセージが届くもクラウドファンディングに苦戦



──確かにハードルが高そうですね。

沢田さん 紆余曲折の末、クラウドファンディングで資金を募る方法なら実現の可能性があると分かりました。しかし、実際にやるとなると、目標金額を達成できるかどうか不安しかありませんでした。ところがクラウドファンディングのスタートダッシュは思いのほか好調で、当初は最初の一週間で30%の達成率を目標にしていましたが、惜しくも届かないとはいえ、なんとか25%に達したため、まずまずの滑り出しと言えました。


──そうだったんですね。

沢田さん さらに、ローラン・ボック氏本人からも応援メッセージをいただきました。過去の人だからもう亡くなっていると思われているファンの方が多いのですが、まだご存命です。ボック自身、2021年にドイツで発行された当初から日本語版の実現を強く望んでいたそうです。ならば、この出版を成功させ、ボック氏に喜んでいただきたいと心から願いました。しかし、プロジェクトはスタートダッシュ後に徐々に停滞していったんです。

──そこから沢田さんの苦闘が続くんですね。

沢田さん 目標達成は自分自身への“通信簿”のようなもので、達成できなければ「企画に価値がない」と突きつけられるように感じ、期間中は不安と闘う毎日でした。「自分の夢はローラン・ボック自伝を日本語に翻訳して出版することです」と、顔写真付きでSNSに発信するし、リアルな友人にも面と向かって夢を語るのは恥ずかしい時もありましたが、それでもクラファンを成功させるためには、メッセージを発信し続け、支援をお願いするしかありませんでした。



──プロレスファンが集まるイベントにも足を運んでプロジェクトに向けて動いていたんですよね。

沢田さん そうなんですよ。イベントに行って最前列に座り、イベントの休憩時間には登壇者に直接挨拶をしました。これまでなら、絶対にしなかった行動でしたが、覚悟を決めれば何でもできると実感しました。突然の挨拶にも関わらず、どの方も快く応じてくださり、とても感謝しています。

──ありがたいですね。

沢田さん もうひとつの課題は「クラウドファンディングの仕組み」を理解してもらうことでした。ローラン・ボックが活躍したのは1980年前後の短期間で、その時代を知る方々は現在60歳前後。多くの方に「クラウドファンディングって何?」、「詐欺なのか?」という状態でスルーされるので、そういった方たちには、まず仕組みを丁寧に説明して理解してもらうことが重要でした。



──クラウドファンディングがどのようなものかという理解も広めないと支援は広がらないですからね。

沢田さん そうした課題を抱えつつも、熱烈な支援者が徐々に現れ始め、知らないところでも広がりが生まれて、プロレスファンの底力を感じる展開となりました。そして、目標額達成目前にはSNS上で「ローラン・ボック祭り」とも言える盛り上がりを見せました。
このプロジェクトは私一人の力では成し遂げられず、多くの方の力があってこそ『BOCK!』日本語翻訳出版プロジェクトが実現したのだと心から感じ、感謝しています。


──個人的には沢田さんの執念がプロレスファンを動かし、ボック自伝日本語版が発売されることになったと思いますよ。

沢田さん ありがとうございます。



ローラン・ボックは人を深く愛しつつ、その愛に溺れてしまう側面も持っていた



──では翻訳者として、この『BOCK』という本の中で特に心を動かされたエピソードや言葉はどこでしたか?

沢田さん 私が翻訳を通して感じたローラン・ボックの人物像を一言で表すなら、「無謀なまでに真っ直ぐな人」という印象です。貧しい家庭で育ったことも影響してか、逆境に強く、人生を自分の力で切り拓こうとする強い意志を持っていました。

──良くも悪くも真っ直ぐな人ですよね。

沢田さん また、「稼ぐ」ことに対する執念が非常に強い、筋金入りのハードネゴシエーターでもありました。子ども時代の小遣い稼ぎから始まり、ステーキハウス経営、プロレス転向、アントニオ猪木さんを巻き込んだ興行、映画出演、ディスコ経営、タイでの事業、そしてドイツ帰国後の起業活動まで、常に経営者としてビジネスの現場に立ち続け、サラリーマン経験は一度もありません。実は翻訳から省略した部分ですが、自分に似たプロレスゲームのキャラクターを見つけて「肖像権はどうなっているのか」と真剣に憤る姿もありました。そういった記述からは、歳を取ってもビジネスについては妥協しない部分が垣間見えました。

──そうなんですね。


沢田さん 自伝ではボックの家族への思いが随所に感じられますが、その中に印象深いエピソードがありました。とくに最初の妻カローラと別れ、彼女が家を出て行く場面が心に残っています。カローラは家を出る際に、ボックがなんとなく買って帰ったメキシコ五輪のお土産を持って出て行ったのです。そのことに気づいたボックは、彼女がそのお土産を喜んでいたことをあらためて知り、空虚な気持ちになった瞬間がありました。彼が本当に彼女に申し訳ないと思った心情に触れて胸が締め付けられるような思いでした。私の訳文で日本の読者にその感情が、うまく伝わったかどうか不安はありますが。


──ボックの心象描写が沢田さんの翻訳で見事に伝わった印象がありますよ。

沢田さん ありがとうございます。また、母親への優しさや、最初の妻や再婚した2番目の妻も幸せにできなかったことに対する後悔も伝わってきます。自伝ではありませんが、最近の現地スポーツ紙の報道では80歳になった今も悔やんでいる様子が伝えられており、家庭を顧みなかった自分を責めている姿が浮かびます。不倫相手にも真剣であった彼は、ある意味で「愛にあふれた男」だったのかもしれません。ゲイ疑惑も含め、ボックは人を深く愛しつつ、その愛に溺れてしまう側面も持っているように感じます。


──確かに!

沢田さん そして、何より印象的なのは「無謀さ」です。自分の体力に過剰な自信を持ち、過酷なアマレスのトレーニング、酒場での喧嘩、飛び入りのチャレンジファイト、妥協なきプロレス――どれも彼の身体を蝕んでいきました。経営者としても大胆すぎる判断で事業の拡大と失敗を繰り返しています。結果として、現在は事業も家族も失い、妹と息子が時折訪ねてくれるだけの質素な暮らしに戻っているようですが、それでも「後悔はしていない」と語る彼の姿には、どこか清々しさを感じます。

 

 

沢田さんが選ぶプロレス名勝負


──ありがとうございます。ここで沢田さんが選ぶ好きなプロレス名勝負を3試合挙げてください。


沢田さん まずは1976年6月26日・日本武道館で行われたアントニオ猪木vs.モハメド・アリです。当時は「つまらない試合」だなと思いましたが、なぜか「本当に猪木VSアリはつまらない試合だったのか」と気になってしまって、後年に猪木VSアリを再評価する番組が放映されたりして、色々と調べたり、映像を見直すと実は凄い試合だったと感じるんです。


──では2試合目を教えてください。


沢田さん これは1978年11月25日・ドイツ・シュツットガルトで行われたアントニオ猪木vs.ローラン・ボックです。最初見た時は「猪木さん、全然ダメだな」と思ったんですけど、やっぱり何度も見直すと、実はそうじゃないことが分かってきます。ボックと闘う猪木さんのプロレスに毎回新しい発見があるんです。


──あと3試合目ですね。

沢田さん 1980年2月5日・東京体育館で行われたアントニオ猪木vsスタン・ハンセンです。この試合のフィニッシュのエプロンの猪木に向けての横殴りのウエスタン・ラリアートは壮絶で、「猪木さん、死んじゃった」と心配するほどでした。技が決まった瞬間の衝撃は、ホーガン戦の舌だし失神のアックスボンバーどころではありません。


今後について

 



──ありがとうございます。では沢田さんの今後についてお聞かせください。

沢田さん 「次は何を翻訳しますか?」とよく聞かれますが、そもそも翻訳がしたいわけではないので、おそらくもう翻訳出版はしないと思います。ただ、ネットの海外記事でレアな面白そうなネタを見つけたら、ホームページ上で紹介したりはしたいと思います。


──それは楽しみです!

沢田さん 一方で、今回のクラウドファンディングで交友関係が広がった昭和プロレスを楽しむ仲間たちとは、昔のことを掘り起こしながら「猪木とは何か?」を探り続けていきたいと思っています。あと実はこんな夢を抱いていまして、現在、個人的に『週刊ファイト』の全紙コンプリートを目指すプロジェクトを密かに一人で進めております。


──それは気になります!

沢田さん 1977年から2006年の休刊までの分は、ほぼ収集できており、1970年以前については「縮刷版」で補完可能です。 しかしながら、1971年〜1976年の5年間分については入手が非常に困難で、現在のコンプリート率は10%程度にとどまっています。メルカリやヤフオクで高額なものを無理して購入したり、SNSでつながった昭和プロレスファンの方々にご相談したりしながら、少しずつ収集しています。 とはいえ、現存数が少ないようで、なかなか手に入りません。保存されている方にとっては貴重なお宝であり、譲っていただくのも難しいのではと感じています。

──確かにそうですね。


沢田さん そのため、譲渡が難しい場合は、借用してスキャンし、資料化するという方法も取っています。 何人かの方とは、手持ちの『週刊ファイト』の中から希望される号をデータ化して交換するなど、協力し合いながら進めている状況です。このブログをお読みになっている方で、古い週刊ファイトをお持ちの方がいらっしゃらないですかね。



沢田さんにとってプロレスとは何か⁈

 



──ありがとうございます。では最後に沢田さんにお聞きします。あなたにとってプロレスとは何ですか?


沢田さん プロレスって本当はあってもなくてもいいものなんですよ。でも、そんなどうでもいいものに一生懸命になるのが面白いわけで、価値がないからこそ価値があるのがプロレスなんですよ。それでも定義するなら私にとってプロレスとは…アントニオ猪木一代かぎりのエンターテインメントです。自分のプロレス世界観の中では、その彩りとして、ジャイアント馬場がいて、長州・藤波たち、その後の世代、闘魂三銃士などがいるのです。

──なかなか深いですね。


沢田さん 世の中に役に立たないものに対して、価値を見出す行為って結構楽しいことなんですよ。プロレスは存在しなくてもいい娯楽なのかもしれない。でもそこに大きな意義を見つけていくことがプロレスの奥深さであり、面白さじゃないでしょうか。


──よく分かります。

沢田さん 今のプロレスを見ないと話すと、「食わず嫌い」や「老害」と言われることもありますが、私にとっては、今のプロレスは形が似ていても全く別のエンターテインメントだと感じています。たとえば私はガス燈時代のプロレスに対して、知識としての興味はありますが、夢中になることはありません。しかし、その頃のプロレスをこよなく愛する人がいることは、否定する気はありませんし、プロレスの見方が違って当然です。ガス燈時代も昭和プロレスも、そして今のプロレスも、好きに楽しめば良いのですし、それぞれの楽しみ方を尊重し合うべきだと考えています。

──これでインタビューは以上です。沢田さん、今回のインタビューにご協力していただきありがとうございました。沢田さんの今後のご活躍とご健勝をお祈り申し上げます。

 

沢田さん こちらこそありがとうございました。








【編集後記】
このインタビューを通じて、沢田さんのプロレス愛が幼少期から一貫して猪木中心にあり、ボックの翻訳出版のような行動力に繋がっていることが明らかになりました。インタビューを通じて、ファン心理の深みを浮き彫りにし、プロレスを「なくてもいいもの」として価値を見出す視点が印象的でした。全体として、昭和プロレスの魅力を現代に伝える貴重な証言となったのではないでしょうか。

(私とプロレス 沢田智さんの場合・完)





 

 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 
 
今回のゲストは伝説のプロレスラーであるドイツで発売されたローラン・ボック自伝『ローラン・ボック 欧州最強プロレスラー、人生の軌跡』(サウザンブックス)日本版発売に向けて奔走されたボック本発起人であり、翻訳を務めた沢田智さんです。
 
 
 
 
 
(画像は本人提供です)
 
 
沢田智(さわだ さとる)
島根県生まれ。学校を卒業後、放送局のエンジニアとして働く。オリンピックやサッカーワールドカップなどのテレビ中継で、ドイツをはじめ、南北アメリカやアジアなど、世界各地で業務を経験。放送業界専門誌への寄稿多数。プロレスファンとして独自のホームページを立ち上げて情報を発信。ブログ・ライター名は『FavoriteCafe』の管理人。2020年よりWebプロレス専門誌『週刊ファイト』に連載コラム『ファイトドキュメンタリー劇場』を執筆中。

 

 

 

 

 

 

 
 
 
インタビュー第2回は、沢田智さんがアントニオ猪木さんとローラン・ボックの魅力を熱く語ります。猪木さんの無謀さとやられっぷり、ボックの謎めいた存在感が、インタビューを通じて鮮やかに伝える内容です。さらに自身が運営しているホームページ『Favorite Cafe』の立ち上げ理由も明かされます。
 
 

 

 
 

是非、ご覧ください!

 

私とプロレス 沢田智さんの場合 第1回「出会いの記憶」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

 

 
 
私とプロレス 沢田智さんの場合
第2回 「アントニオ猪木とローラン・ボック
 
 
 





アントニオ猪木さんのプロレスは真剣勝負に見える


──ここから沢田さんには好きなプロレスラーについて語っていただきます。まずはアントニオ猪木の魅力です。



沢田さん いや、もう生き方もプロレスも含めて何もかもむちゃくちゃなところですよね。あと猪木さんの最大の魅力…それは徹底した“やられっぷり”にあると思います。


──確かに!

沢田さん 猪木さんは潔いほどに相手の技を受け止め、まるでボロ雑巾のようにマットに叩きつけられる姿をさらすんですよ。タイガー・ジェット・シン戦をはじめ、スタン・ハンセン戦やハルク・ホーガン戦においても、試合中に相手に対して「もっとハードに来い」と何度も挑発したという逸話があります。

──そうなんですね。

沢田さん 近年、よく1996年1月4日東京ドームで行われたビッグバン・ベイダー戦について語られることが多いじゃないですか。あれは本当に凄い試合で興奮しましたよ。


──あの試合は名勝負として語られますよね。

沢田さん プロレスラー・アントニオ猪木の晩年は衰えもあって力がなくなっていく中でやられる凄みを見せつけたのがベイダー戦でした。あとベイダーの自伝には興味深い記述があるんです。

──どんな記述なんですか⁈

沢田さん ベイダーのデビュー戦でリング上で交わされたやりとりで、猪木さんは「もっと徹底的に俺を殴れ」と言い続けているんですよ。まさに「壮絶」の一言に尽きます。猪木さんは自身の身体のすべてを差し出し、相手を引き上げ、リアルな試合を作り上げる。そのプロレスは、まさに猪木にしか成し得ないものです。これを真剣勝負と呼ばずして、何と呼べばよいのでしょうか。

──確かに!

沢田さん 猪木さんのプロレスは真剣勝負に見えるんです。例えばパンチの入れ方にしても、本気で怒って殴っている。その一方で自分が殴られてもいいという覚悟がある。自分も本気で、相手を本気にさせる。本気の果たし合いでずっと競っているのが猪木プロレスの魅力なのかなと思います。



ジャイアント馬場がいてこそのアントニオ猪木



──ちなみに猪木さんは40歳を過ぎてから衰えが見え出してくると思うんですが、その辺はどのようにご覧になってましたか?

沢田さん 衰えたら衰えたなりの見せ方を猪木さんはちゃんとやってましたね。ダメなところも見せるし、よだれを垂らしながら殴るみたいなこともやるし。40歳、45歳、50歳になっても、自分が出来る精一杯のプロレスを見せてきたのが猪木さんの生き方じゃないですか。

──それは79歳の生涯を終えるまで貫いたような気がします。

沢田さん そうですね。もうベッドで動けなくなってもエンターテイナーだから、動けない自分をさらけ出してきた。死ぬまで「アントニオ猪木」の生き方をやり通した猪木さんは凄いですよ。


──では1998年4月4日・東京ドームで行われたドン・フライとの引退試合はどのようにご覧になられましたか?

沢田さん そもそもめっちゃ強かったら引退試合なんてやる必要ないですし、自分ができる精一杯のプロレスを見せてくれていたと思います。



──対戦相手がドン・フライ(猪木引退試合対戦相手決定トーナメント優勝)になったのが意外でしたね。

沢田さん あれはもう一波乱ほしかったかな。小川直也が「俺がやる!」と言ってドン・フライを殴って交代してもよかったし、藤波辰爾さんが「ちょっと待った!」と出てきたら面白かったですね。ハプニングに期待をしてたんですけど(笑)。波乱もなくすんなり引退試合が終わった感じでした。

──確かにそうですね。猪木さんは2022年10月1日、79歳で逝去されました。猪木さんの訃報はどう受け止めましたか?

沢田さん 遂に…という感じですね。体調が悪いのは分かっていましたので覚悟はしてました。でも、心にぽっかり穴が空いたのは馬場さんが亡くなった時の方が大きかったですね。馬場さんの死には衝撃を受けました。猪木さんを好きになってからはそこまで馬場さんを応援していませんでしたが、やっぱり馬場さんがいてこその猪木さんなんだなと。



ローラン・ボックの謎めいた存在感


──ありがとうございます。では沢田さんの好きなプロレスラーであるローラン・ボックについて語ってください。


沢田さん ローラン・ボックはとにかく分からないレスラーなんですよ。謎が多くて分からないから好きなんです。噂とか報道ばかりが先行していつまで経っても、シュツットガルト以降の彼の試合が見れないし。やっと来日したと思ったら数試合しかやらない。IWGPリーグ戦に参加するのかと思いきや来ない。そのまま日本のファンの前から消えてしまった。ボックは何をしているんだろうと…何十年もずっと気になっていたんです。

──謎が多いプロレスラーですよね。

沢田さん その謎めいた存在感が彼の魅力ですね。メディアに登場する以前は、プロレスファンにとって、まるで未知の存在であったこと。そして、新日本プロレスと関わっていた約5年間も来日回数が極めて少なく、その間に多くの謎や幻想が膨らんでいったことも挙げられます。そのまま、弱さや人間らしい部分を見せる前に、突然マット界から姿を消してしまった点が、彼の神秘性をより一層強めていますよ。


──では実際にテレビでボックの試合を見た時にどのような印象を受けましたか。


沢田さん 投げ技が凄いなと。でも長い時間は闘えないんだろうなと感じましたね。あんまり技も多彩じゃないし、来日したときは、血栓症で体調が悪かったということなんですが。プロレスは全くうまくないけど、恐ろしく強いだろうなと思わせてくれた選手です。


──私がローラン・ボックという名前を知ったのは1992年、当時UWFインターナショナルで殺人スープレックスでKO勝ちを量産していたゲーリー・オブライトについて書いた記事でした。その記事でも「現在、ボックの消息は不明」と書かれました。


沢田さん 記事にも書かれているように、専門のマスコミでさえ知らないし、すべてが謎と幻想で包まれているからこそ、彼の真実の姿がどうであったのか、いつまでも興味が尽きることがありませんでした。そうした思いから、ドイツ語の原書を手に入れてでも読みたいと強く感じたのです。


アントニオ猪木とローラン・ボックは似ているけど…


──ドイツ語で書かれたボックの原書を読まれたときはどのような感想を抱きましたか?

沢田さん 破天荒な人生を生きてきたんだなと感じました。ボックさんはご存命なので、過去形はおかしいですけど。そして、この破天荒さはアントニオ猪木と似ているなと(笑)。


──ハハハ(笑)。

沢田さん ボックは著書で「猪木を目指していた」と書いていました。新日本プロレスのようなプロモーションを作りたかったと。あと青少年育成でもボックと猪木さんは意気投合したらしいので、あまり表には出てこない隠れた善行と言った部分でも、本当に二人は似てますね。


──なるほど。


沢田さん ただ猪木さんは金だけじゃなくてロマンをかけて大事業をやっていましたけど、ボックはひたすら金を追いかけていたという印象ですので、その点は違いますね。

──沢田さんが翻訳したボック本を読ませていただきましたが、ボックはプロレスラーのこだわりとかプライドとか言うんですけど、最終的には金に負けてやるんですよ。

沢田さん 猪木さんは最終的には金じゃなかったような気がするんです。もちろんお金をは好きなんだけど、最終的には誰かがなんとかしてくれるだろうという思いがあるんですね。それよりも優先したのは、自分の理想を実現すること。だから「5億円ほど集めてくれ」と、スタッフに軽く頼んでしまう。新間さんの苦労もかえりみず(笑)。でも最後は「しょうがねえな、俺が行くよ」と佐川会長にでも頭を下げる覚悟がある。30億円の借金だって、「どおってことねぇよ」ですからね。

 

──猪木さんらしいエピソードですね!

 

沢田さん ところがボックは、金が儲かるなら何にでも挑戦する。レスラー時代は世界チャンピオンになって、アンドレの様に世界一稼ぐレスラーになりたかったし、実業家時代でも世界一のディスコを経営して大富豪になることを目指していたんです。
夢を追って失敗するか、金を追って失敗するか、まあ、二人とも数々の大失敗をやらかしているところは共通してますけどね。


──ボック本なんですけど、読ませていただきました。本当に不思議な作品で、やや官能的な部分もあったり、先の展開が読めなかったです。以前、「Gスピリッツ」で那嵯涼介さんが担当したボックのインタビュー記事を読んで、「この人はナルシストだな」「過大に自己肯定していないか」という印象を受けました。

沢田さん はい。



──でもボック本を読むとなぜ、彼がナルシストにならざるを得なかったのかという理由が分かるんです。生い立ちや家庭環境、結婚や離婚、さまざまな成功と失敗といった壮絶な人生があるからこそなんだと。本人自身は愛情に溢れているんだろうけど、それが周囲に伝わりにくい。彼の人生そのものが、ずっとそのジレンマに包まれているような気がしました。



沢田さん はい。最初の奥さんが出て行った時の描写などからは、「本当に愛してたんだな」と感じます。彼女が亡くなったときの描写からも伝わってきます。ボックはその都度、出会う人みんなを本気で好きになっちゃう人なのかなという気がしました。無骨で取っつきにくくて不器用だけど、本当は愛に溢れた人なんです。


ホームページ『Favorite Cafe』を立ち上げた理由


──ありがとうございます。沢田さんは1970年代から1980年代のプロレス雑誌とテレビ番組から「昭和プロレス」を振り返るホームページ『Favorite Cafe』を立ち上げた理由

沢田さん もともと、自分のパソコンにはさまざまなプロレス関連のデータが蓄積されていました。特に手持ちのビデオについては、「いつの試合か」「どこでの試合か」をビデオの背表紙に正確に記入して、きちんと保存しなければ気が済まないA型で几帳面な私の性格なんです。それをやろうとすると、その都度ネットや雑誌の記事を調べる必要があって、非常に手間がかかっていました。

──そうなんですね!

沢田さん そんな苦労を重ねてデータが徐々に蓄積されていくうちに、いっそのこと、資料を調べる手間を省くために、自分でまとめようと考え、それがきっかけでホームページを立ち上げました。つまり、自分自身が調べるためのメモ代わりに作ったものなのです。なので、閲覧数も全く気にしていませんし、収益化するつもりもありません。ファンの方が調べたいときに、何かのお役に立っているとしたら、それでいいんです。

(第2回終了)




 
 

 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 
 
今回のゲストは伝説のプロレスラーであるドイツで発売されたローラン・ボック自伝『ローラン・ボック 欧州最強プロレスラー、人生の軌跡』(サウザンブックス)日本版発売に向けて奔走されたボック本発起人であり、翻訳を務めた沢田智さんです。
 
 
 
 
 
(画像は本人提供です)
 
 
沢田智(さわだ さとる)
島根県生まれ。学校を卒業後、放送局のエンジニアとして働く。オリンピックやサッカーワールドカップなどのテレビ中継で、ドイツをはじめ、南北アメリカやアジアなど、世界各地で業務を経験。放送業界専門誌への寄稿多数。プロレスファンとして独自のホームページを立ち上げて情報を発信。ブログ・ライター名は『FavoriteCafe』の管理人。2020年よりWebプロレス専門誌『週刊ファイト』に連載コラム『ファイトドキュメンタリー劇場』を執筆中。

 

 

 

 

 

 

 
 
 
昭和時代からのプロレスファンである沢田さんがなぜローラン・ボック本出版に向けて動くことになったのか?まずは沢田さんのプロレスファン遍歴を追うことにしましょう。
 
 

 

 
 

是非、ご覧ください!

 

 

 
 
私とプロレス 沢田智さんの場合
第1回 「出会いの記憶」
 
 
 



沢田さんがプロレスを好きになった理由

 


──沢田さん、この度は「私とプロレス」をテーマにしたインタビューにご協力いただき、本当にありがとうございます! プロレス愛をたっぷり聞かせてください。よろしくお願いします!
 
沢田さん こちらこそよろしくお願いします!
 
──まずは沢田さん、プロレスにハマったきっかけを教えてください。
 
沢田さん 物心ついた頃から、金曜夜8時は父と一緒に日本テレビのプロレス中継を見るのが習慣でした。幼少期から毎週のように見ていたので、いつからハマったのかは覚えていません。やっぱりアントニオ猪木さんの試合を見ているうちに、だんだん好きになっていったという感じですね。
 
──物心がついた頃ということは、幼少期からだったんですね。
 
沢田さん はい。あと当時の少年マンガにも「プロレス悪役物語」「大火炎放射」など、大げさなプロレスのイラストがよく載っていて、そうした世界観にも強く惹かれました。テレビ放送で特に印象に残っているのは、1969年5月の猪木 vs クリス・マルコフ戦。卍固めで猪木が勝利した試合です。その前のシリーズでは新必殺技の名前募集もあり、ワクワクしながら見ていました。
 
──そうだったんですね。
 
沢田さん あと翌年にザ・コンビクト(1968年から1970年にかけて活動した囚人姿の覆面悪役プロレスラー)来日も衝撃を受けました。「こんな危険な大男にジャイアント馬場さんが勝てるのか?」と子ども心に本気で心配しました。実際の試合内容はあまり覚えていないだけに、ザ・コンビクトはいまだに自分の中で“最強レスラー”の一人なのです。
 
──ちなみに沢田さんがご覧になっていた頃の日本プロレスはどのような印象を受けましたか?
 
沢田さん ひたすら馬場さんと猪木さんを応援してました。あと外国人レスラーが悪いヤツというイメージが根強かったですね。あの頃の日本プロレス界は日本人VS外国人がメインの図式だったので。日本プロレスで見ている一方でTBSで水曜夜7時から30分だけ放送されていた国際プロレスを見てまして、父がまだ帰宅していない時間帯だったので、自分の意思でチャンネルを合わせていたのだと思います。
 
──国際プロレスもご覧になられていたんですね。
 
沢田さん 特に外国人なのに反則をしないビル・ロビンソンの登場には驚きました。さらにカール・ゴッチとの夢の対決。アキレス腱固めの掛け合いから、その体勢のまま握手してブレイクする場面は、今も鮮明に覚えています。ゴッチがモンスター・ロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)にジャーマンを決めたシーンも感動的でした。他にも、シャチ横内が味方から敵に寝返ったときの衝撃や、ミスター珍がゲタ攻撃で笑わせつつ、めったに勝たないのに一度だけ勝った試合が放送されたときの大喜び——あの瞬間の嬉しさは、画面越しにその喜びを共有したような気がします。そうした毎週のワクワクと驚きが、私をプロレス好きにした原点です。
 
 
初めて好きになったプロレスラー
 
──ありがとうございます。では沢田さんが最初に好きになったプロレスラーは誰ですか?
 
沢田さん 最初に好きになったのは、もちろんジャイアント馬場さんですね。当時は馬場が絶対的に世界最強だと思っていました。
 
──そうなんですね!
 
沢田さん だいたい我々の年代はまず馬場さんでしょう。ところがある時期から、「もしかするとアントニオ猪木さんの方が強いんじゃないか?」と思うようになって——これは当時の常勝の読売ジャイアンツに対して、あえて阪神タイガースを応援したくなる心理に近かったかもしれません。
 
 
 ──それは分かりやすい例えですね。
 
沢田さん テレビ中継を見ていると解説者が「猪木君はここ1年、ロープブレイクしていないんですよ」と言っていたんです。「あっ、そうなんだ」と気にして見ると本当に猪木さんはロープブレイクしないんです。技をかけられてもロープに逃れずに自力で外している。ちなみに猪木さんのロープブレイクはロープをつかむんじゃなくて、エプロンに頭を突っ込むんですよ。これも独特で、猪木さんの意地や負けん気を感じまして好きになりましたね。
 
──ロープブレイクの話はなかなか興味深いです。
 
沢田さん そのうち猪木さんがテレビから消え、気づけば別チャンネルの中継でタイガー・ジェット・シンに毎週首を絞められている姿を見るように(笑)。しかもローカルの時差放送地域に住んでいたため、日曜の昼の放送、家族そろってのお昼の食卓でそれを鑑賞するという、なかなかカオスな時間でした。
 
──確かに!
 
沢田さん  振り返ってみれば、決定的だったのは1976年6月26日・日本武道館で行われたアントニオ猪木 vs モハメド・アリ戦です。中学時代、土曜日の半ドン授業を終えて、学校近くの電器屋に駆け込み、立ち見で中継を見ました。正直、そのときは何がすごいのか理解できず「世紀の凡戦」と思ったのですが、大人になってから4万円も出してビデオを探し求めたくらいです。今思えば、あの独特の緊張感に惹かれていたんでしょうね。
 
 
初めてのプロレス観戦

 
 
──ありがとうございます。では初めてのプロレス観戦はいつ頃でしたか?
 
沢田さん 私は新日本プロレスのファンでありながら、初めて観戦した試合は全日本プロレスでした。
 
 
──これは意外ですね!
 
沢田さん おそらく1982年頃のことで、その大会の招待券をいただいたことがきっかけだったと思います。対戦カードはあまり詳しく覚えていませんが、国際プロレスが消滅した後に全日本のリングに上がっていたアポロ菅原選手の回転エビ固めのスピードと迫力だけは、今でも鮮明に覚えています。
 
──アポロ菅原さんに目をつけるとはマニアックですね!実際に生観戦した感想はいかがでしたか?
 
沢田さん うーん、なんかテレビの方がしっかり見えるなぁっていう気がしましたよね。解説もありませんから。
 
 
──そうですよね。
 
沢田さん 僕が社会人になって、自分の自由に使えるお金ができてからは、年に2~3回のペースで試合を観戦するようになりました。当時は広島に住んでおり、主に広島県立体育館に足を運んでいました。特に第一回IWGP広島県立体育館大会の猪木対キラー・カーンの試合は、非常に印象深い思い出です。
 
 
──1983年のIWGPリーグ戦も観戦されているんですね!
 
沢田さん そうなんですよ。さらに、広島で行われた試合の中で、猪木&アンドレ対マシーンズの試合では、絶好調のアンドレが試合終了後に何度も「ダーッ」と叫んだシーンを目の当たりにできたことも、私にとってラッキーな体験でした。
 
──それは貴重な体験をされましたね。
 
沢田さん また、旧UWFが広島に来るたびに足を運びました。あの時代の旧UWF、特に一瞬だけ社名が変わった「海外U.W.F.」のチケットは今では貴重なものとなっています。ただ、旧UWFの試合では、仕事の疲れからか居眠りしてしまったことも何度かありました(笑)。
 
 
──ハハハ(笑)。
 
沢田さん テクニック合戦なんですけど、なんか退屈な気がしてそんなに面白いとは思わなかったんですけど、プロレスの教養になるので見ておこうと。
 
 
 
昭和新日本プロレスの魅力


 
──素晴らしいです!ここで沢田さんに好きなプロレス団体・昭和時代の新日本プロレスについて語ってください。
 
沢田さん 昭和というか、猪木さんが出ていれば何でもよかったというのはあります。だから長州力VS藤波辰巳は早送りで見る感じでした。
 
──そうだったんですね。
 
沢田さん 個人的な見方ですが、プロレスは、「ロープに振られれば必ず返ってくるもの」、「ジャイアント馬場が左足を上げれば16文キックは必ず命中するもの」、「ラッシャー木村が場外で額を押さえれば流血するもの」、「8時49分の延髄斬りでは必ずスリーカウント」といった程度には理解しつつ、楽しんでいました。それでもなお、私がプロレスに強く惹かれたのは、どこかで選手同士に本気の火花が散るような瞬間が垣間見えたときです。
 
──本気の火花ですか。
 
沢田さん 今にして思えば、それらはほとんどが一流レスラーの見せ場だったとはいえ、いまだに「あの○○のシーンの猪木は本気だったに違いない」と言えるような場面が数多く存在することこそが、新日本プロレスの大きな魅力だと思います。毎週テレビを見続けたのも、どこかで予期せぬアクシデントが起こった場合、それを見逃したくないという思いがあったからです。だからこそ、第1回IWGPの猪木選手の舌だし失神シーンには大いに興奮し、猪木さんの選手生命を本気で案じたものです。
 
 
──なるほど!
 
沢田さん 昭和の新日本では暴動がありましたけど、あんなの台本を書いてもその通りになりませんよ。それだけ一寸先がハプニングで何が起こるか分からなかった。
 
──暴動は起こしたくても起きるものではありませんよね。
 
沢田さん そうですよ。だから結構暴動待ちのところもあったかもしれないですね。暴動は演出では生み出せないリアルな出来事であり、それはかえって私のテンションを上げる出来事でもありました。
 
──テンションが上がったんですね!
 
沢田さん 普通の終わり方だと物足りないんです。猪木舌出し失神事件もそうですし、暴動もそうですが、意外性のある終わり方でないと、次に見に行こうかとならないんですよ。裏切られたら裏切られるほど嬉しいんです。
 
──ちなみに平成以降の新日本はご覧になってましたか?
 
沢田さん ほとんど見ていないです。ビデオ録画しても結果を見るだけで早送りしますから。猪木さんに関してもショータ・チョチョシビリ戦が事実上の引退試合だと思ってますから。これはちょっと面白いなと思ったのは1989年の日米ソの三国対抗シリーズ。でもいいカードが多く組まれていて、逆にお腹いっぱいになったんです。もういいやと。平成新日本に関しては猪木さんが出ている試合は喜んで見てました。昭和新日本というよりも、昭和のアントニオ猪木ワールドに魅せられて惹かれてしまったんでしょうね。
 
(第1回終了)