ジャスト日本です。
有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレス好きの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画「私とプロレス」。
今回のゲストは、元総合格闘家で大阪でパーソナルジムトレーナーを務める余膳正志さんです。
自らを「プロレスに導かれた男」と語る余膳さんはかつてプロ修斗で活躍。83kg級(当時はライトヘビー級、現在はミドル級)では世界ランキング6位の実力者でした。
ちなみに私と余膳さんは共に1980年生まれのプロレス者であり、関西で育ち、プロレスに出逢った時期も近いという共通項があるんです。
今回はそんな余膳さんのプロレスとの出逢い、初めて好きになったプロレスラーや団体、初めてのプロレス観戦、好きな名勝負、総合格闘技との出逢い、今後について…。
ひとつひとつのテーマに対して、不器用ながら愛をぶつけるように想いを語る余膳さん。
これはプロレスに魅了され、プロレス愛に満ちたひとりの男の物語です。
──余膳さんの好きなプロレス団体。残るは二団体でどちらもUWF系ですね。まずはリングスについて語っていただいてもよろしいですか?
余膳さん リングスはスリリングな闘いが多くてたまらなかったですね。あと異種格闘技戦とか好きだったので選手の特色がはっきりしているリングスにハマりました。
──今考えるとリングスは凄い団体ですよね。第二次UWFが三派に分裂して藤原組とUWFインターナショナルはUWFプロレスの延長線上でやっているのに対してリングスは異種格闘技戦をベースにした団体として誕生している。これは一種の革命かもしれません。ちなみにWOWOWのリングス中継はご覧になってましたか?
余膳さん WOWOWは見てなくて友達に録画してもらって借りてました。僕は高校の時にリングスにハマって、リングスの若きエースとして山本宜久さんが人気が出始めた頃でした。よく大阪府立体育会館大会は観に行きましたよ。
──余膳さんが観戦した大阪大会はどのような試合がありましたか?
余膳さん 山本宜久VSディック・フライ(1995.7.18大阪府立体育会館)、田村潔司VSビターゼ・タリエル(1997.7.22大阪府立体育会館)とか組まれてましたね。
──素晴らしいカードじゃないか?ちなみにKOK(1999年よりUWFや異種格闘技戦をベースとした闘いから総合格闘技色を強めたリングスルール)はご覧になってましたか?
余膳さん 映像ではあまり見てなかったかも。格闘技雑誌で情報を追っていたように思います。僕はその頃になると格闘技を始めていてリングスはヘビー級の選手が多い印象がありました。だから体格が違うので自分とは無縁の世界だなと。
余膳さんがUWFインターナショナルの魅力とは?
──ありがとうございます。次はUWFインターナショナルについて語ってください。
余膳さん UWFインターナショナルは大好きでしたね。毎興行ごとにビデオが出て、いつもレンタル開始日を調べて借りて見てました。最初にUインターを観たのは1994年の『プロレスリング・ワールド・トーナメント』だったと記憶しています。
──Uインターがプロレス史に残した金字塔と一部で言われているトーナメントですね。ちなみにUインターは1996年12月に解散します。これについてどのように感じましたか?
余膳さん 後年になって新日本やWARと対抗戦をしていって、東京プロレスにUインターの選手が上がったりして、最終的には高田延彦VSアブドーラ・ザ・ブッチャーという超・異色カードが組まれたりしましたけど、それは何の違和感もなく見てました。
──なぜ違和感なく見れたのですか?
余膳さん 当時は純プロレス、格闘プロレス、ルチャも同じカテゴリーとして認識していたので「どちらが勝つか?」ということに重きを置いていたからだと思います。
余膳さんが語る闘魂三銃士の魅力
──ありがとうございます。では続きまして余膳さんの好きなプロレスラーについて語っていただきます。まずは闘魂三銃士(武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也)です。
余膳さん 闘魂三銃士は新日本で売り出されていたので、よくテレビで見かけましたよね。先ほども言ったように「誰が勝つか?強いか?」というのが最大の魅力でしたからね。三銃士絡みの試合となると、だいたい勝敗が読めてしまう気がして。だから彼ら同士のシングルマッチ、特にG1やドーム大会の試合はとてもスリリングに見ていました。
──三銃士VS他の選手の試合はどのように見ていましたか?
余膳さん 馳浩さん、佐々木健介さんをはじめとしたポスト三銃士の選手とのシングルマッチになると彼らの大金星を期待しながら見ていましたね。特に92年9月10日大阪府立体育会館大会のメインで見た蝶野VS健介はすごかったですよ。
──確かに!
余膳さん 一か月前のG1で蝶野さんが優勝。そしてNWA世界ヘビー級王座を戴冠。一方の健介さんは準決勝敗退。健介さんがその悔しさをぶつける。んなストーリーがあった試合でした。当時の新日では珍しい30分超えの激闘で後半、健介さんのストラングルホールドで蝶野さんがロープに逃げれなくなってしまうシーンは興奮しましたね!蝶野さんは首に爆弾を抱えていますしスリリングは試合でした。初めて新日本プロレスを会場で観戦したのがこの大会でしたね。
──当時、三銃士の上には長州力さん、藤波辰爾さん、アントニオ猪木さんもスポット参戦ではありましたがリングに上がっていました。そして馳さん、健介さんど所属選手の層は厚かったですもんね。
余膳さん そうですよね。ヤングライオンでさえ個性豊かな選手が多かったですから。だからこそ三銃士は魅力的だったのかもしれません。
余膳さんが語る全日四天王の魅力とは?
──では次は全日四天王(三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太)について語ってください。
余膳さん 三沢光晴さんは華があって、小橋健太さんが熱くて、僕は三沢&小橋が大好きでした。三沢&川田はド定番という印象があって、三沢&小橋はちょっと変化球という感じがしました。
──おっしゃりたいことはよくわかります。
余膳さん 四天王プロレスというと急角度のスープレックスやロングタイムの激しい試合にスポットが当たりますが、自分は超世代軍VS鶴田軍の時代が好きです。例えば三沢、川田、菊池VS鶴田、田上、渕。
一このカードはある程度勝敗が読めてしまうと思いますが、それでも好きだったということはどのような魅力があったのでしょうか?
余膳さん 今思えば全日本には強さや勝敗うんぬんよりも試合内容に魅力を感じていましたね!インタビューに答えさせてもらうことで当時の気持ちが鮮明になってきて新たな発見です(笑)ますますプロレスが好きになってしまいましたね。全日本のレスラーは勝ち負けに関係なく楽しく見てましたね。特にジョニー・スミスが好きでした!友人からジョニー・スミスのイラストの描かれた年賀状が届いたのを鮮明に覚えてますよ!(笑)
余膳さんが語るグレート-O-カーンの魅力とは?
──今回、余膳さんが好きなプロレスラーを一人だけ固有名詞として挙げていただいたのがグレート-O-カーン選手です。O-カーン選手の魅力についてお聞かせください。
余膳さん O-カーン選手は今では珍しい「強さというナイフ」を持っていて、エンターテインメントもできるプロレスラーという印象があります。
──余膳さんはO-カーン選手について格闘家として見ている部分もありますか?
余膳さん そうですね。僕がプロレスを見始めた頃に憧れたプロレスラー像を体現している選手だと思います。
──たまにO-カーン選手は飯伏幸太選手やザック・セイバー・ジュニアとの試合で格闘家として強さを見せつけてくれる時がありますね。プロレスセンスもあってもっともっと評価されていいプロレスラーですよ。
余膳さん 確かにそうですね。
プロレスラーではなく、総合格闘家になった理由
──ありがとうございます。これはどうしてもお聞きしたかったのですけど、余膳さんがなぜプロレスラーではなく、総合格闘家になられたのですか?
余膳さん きっかけは1997年10月11日東京ドームで行われた『PRIDE.1』でした。「最強」「平成の格闘王」と呼ばれた高田延彦さんが「400戦無敗」ヒクソン・グレイシーに惨敗したことによって、「プロレスラーってもしかしたら強くないんじゃないのか?」という想いが出てきました。
──高田VSヒクソンによって「プロレス最強神話」が崩壊しましたよね。
余膳さん 僕は大学に入学した1999年に修斗の道場(シューティングジム大阪/修斗ジム大阪)に入るんですよ。PRIDEもあって、プロレス熱がちょっと下がって、格闘技熱が上がってましたね。
──ちなみに当時のシューティングジム大阪はどのようなメンバーがいましたか?
余膳さん 元・DEEPウェルター級王者の中尾受太郎(長年修斗で活躍した関西MMAの重鎮。UFC参戦経験もある三角絞めマスター)さんとよく練習させていただきました。後に修斗世界ライト級王者になる中蔵隆志さんがいました。あと出稽古でレッドスレイヤー・ガイ(コスプレ入場の元祖と言われている総合格闘家)という選手が来ていて、この方は元プロレスラーで剛竜馬さんの弟子だったんですよ。
高田道場入門テストを受けた過去、プロ修斗公式戦で使った意外なテーマ曲チョイス
──そこから余膳はシューティングジム大阪で総合格闘技を学んでプロデビューする傍らでジムのトレーナーをされてましたよね。
余膳さん はい。大学を卒業してジムのトレーナーになって、シューティングジム大阪に通ってました。2004年にプロデビューしているんですけど、実は大学の時に唯一の就活が高田道場の入門テストだったんですよ。
──そうだったんですね!
余膳さん やっぱりPRIDEに出たかったんです。桜庭和志さんにすごく憧れていて、修斗をやるよりは高田道場に入った方がPRIDEに出る近道かなと思って。でもいざ入門テストを受けると、すごいテスト内容が根性試しなんですよ。
──どういった内容だったんですか?
余膳さん 身長を測る時も上から頭にバーンと落とされたりとか、メニューもジャンピングスクワット200回、アヒル歩きを何十往復、ブリッジ何分といった感じで10人くらい受けて全員落ちてましたね。僕も入門テストを受けながら「こんなにしんどいんだったらもういいかな」と諦めてしまいました。
──そこで高田道場に入門してPRIDE参戦という目標は断念されるんですね。
余膳さん 2004年に修斗でデビューして、僕は桜庭さんが好きで、桜庭さんに届いてほしいという一心でオレンジのパンツを履いて試合をしてました。修斗の場合はクラスAになると自分の入場テーマ曲を選べるんです。それで橋本真也さんが1997年から数か月だけ使っていた『闘魂伝承』という曲をテーマ曲にしてました。
──めちゃくちゃマニアックなチョイスですね!
余膳さん この曲が大好きで、橋本信也VS小川直也の初戦(1997.4.12東京ドーム)とか思い出すんですよ。
──元・柔道世界王者の小川さんプロ転向初戦ですね!
余膳さん 橋本さんが小川さんに負けて凄くショックを受けましたね。
総合格闘技の世界から離れた理由
──余膳さんは修斗で闘う中で一時期は修斗世界ミドル級6位になられますが、総合格闘技は何年ほどされたのですか?
余膳さん 2007年までリングに上がっていてプロでは3年、アマチュアも入れると8年半です。
──なぜ総合格闘技のリングを離れられたのですか?
余膳さん クラスAに上がって、ここから上がるとなると今以上に練習をしないといけないわけで、兼業格闘家としてそこに限界を感じてました。あと27歳でジムのトレーナーをしていて、「いつまでこれを続けるべきなのか?」「トレーナーの仕事に支障が出てしまうのかな?」とか色々と考えまして、総合格闘技のリングから足を洗うという決断に至りました。
──そうだったんですね。
余膳さん 僕は大学もトレーナーとか関係ないところだったので、トレーニングの勉強とかも他の若い人よりも遅れを取ってしまっていて、それなら一気にトレーナー一本で頑張ろうかなと思ったんです。総合格闘技をやっていた頃は総合格闘技のコーチとか道場を開くとかやってみたいなとか考えてましたが、どんどんトレーナーの仕事の魅力に取りつかれてしまいました。
──ちなみにプロのリングに上がったのは修斗だけですか?
余膳さん 修斗だけです。
──他のリングに上がりたいとかありましたか?
余膳さん それはなかったです。とりあえず修斗で試合をすることしか考えてなかったですね。でもやっていくに連れて悲しいかな自分の実力は大体このくらいなのかなと自覚していくんですよ。だからPRIDEやHERO'Sはちょっと違う世界やなと思ってました。
──余膳さんは180cmあって、体重も83kg級ですからPRIDEやHERO'Sでも適合できそうな気がしたのですが、そこはシビアな世界ですね…。ちなみに総合格闘技をやっている時にプロレスラーになりたいというお考えはありましたか?
余膳さん 小学生から高校まではプロレスラーになりたいという気持ちはありました。どうも寮生活とかプロレス特有の人間関係に自分が耐えられる自信がなかったんですよ。
──基本的には日本のプロレス団体は道場制度なので、この道場での生活に馴染めるのかどうかがプロレスラーになるためには肝心なんですよね。
余膳さん 僕は絶対に馴染めないと思ったので、総合格闘技の場合はそういう感じでもないじゃないですか。マイペースでやれるから総合格闘技の世界でプロデビューすることができたんだと思います。
──総合格闘家の多くはプロ一本で生活できている人が少ないですよね。
余膳さん そうですね。昼間は社会人として働いている人がほとんどだったので、総合格闘技の練習でも無茶苦茶なしごきもなければ、学生の部活のような上下関係はありませんでした。結構いい雰囲気で練習に打ち込めたので、僕には総合格闘技の世界が合っていたんですよ。
──ありがとうございます。これも余膳さんにお聞きしたかったんですけど、余膳さんが総合格闘技をやられていた2000年代はプロレスラーが格闘技のリングに、格闘家がプロレスのリングに上がる機会が多かった時代だと思います。これについてどのように思われてましたか?
余膳さん プロレスラーが格闘技のリングに参戦していたのはすごく熱くなって見てました。逆に格闘家がプロレスのリングに上がっていたこと…ハッスルにマーク・コールマンやケビン・ランデルマン、真撃(ゼロワン)にマーク・ケアーが参戦している試合を見るとプロレスの間がすごく合っていないというか、見ていて違和感がありました。
──それがプロレスの難しさなんですよね。
余膳さん 今見たら面白いのかもしれません。でも格闘家のプロレス参戦に関しては個人的に橋本真也VSトニー・ホームのような熱い試合になってほしかったんですけど、そこまで当時は面白いとは思いませんでした。
──格闘家でプロレスラーとして成功した方は皆さん、プロレスの間を掴んでいる印象がありました。大阪プロレスで活躍した元シュートボクシングの村浜武洋さんとか。
余膳さん そうですね。村浜さんの試合は自然に見れましたよ。
──IGFになると総合格闘家だけじゃなくて、元K-1ファイターもプロレスをやる時代になりますよね。
余膳さん あれは僕の中で何も引っかかるものはなかったですね。
──ちなみにプロレスラーが格闘技のリングに上がったときに、どの選手の試合に熱くなられましたか?
余膳さん 多くのプロレスラーが格闘技のリングに出ていたら熱く見てました。特に初期PRIDEで活躍した藤田和之さんやアレクサンダー大塚さんの試合はめちゃくちゃ熱くなりました。形成が不利な試合でも「何か起こすんじゃないのか」「ただでは負けへんのちゃいか」という期待感を抱かせてくれたような気がします。
──藤田選手は「霊長類最強の男」マーク・ケアー、大塚選手が「路上の王」マルコ・ファスに大番狂わせを演じて金星を挙げたり、他のプロレスラーも格闘技のリングで敗れたとしても負け様や生き様を見せつけてくれる試合も多かった印象があります。
余膳さん そうですね。あと船木誠勝さんの総合格闘技の試合は全部見ましたよ。パンクラチオンマッチ(1990年代後期、パンクラスがバーリ・トゥードへの対応を目指した実験マッチ。オープンフィンガーグローブ着用、頭突き・肘・パウンド有りという過激な総合格闘技ルール)とか。だから船木さんのパンクラスやPRIDEはスカパーのPPVを買って見てましたよ。
余膳さんの好きなプロレス名勝負
──素晴らしいです!ではここで余膳さんの好きなプロレス名勝負を3試合、挙げてください。
余膳さん これは先ほど話させていただいた1991年のスコット・ノートンVS木村健悟ですね。プロレスを見始めた頃でこんなに圧倒的にやられる試合をみたことがなかったので衝撃でした。
──ありがとうございます。あとはどのような試合を選ばれましたか?
余膳さん 格闘技系になるんですけど、田村潔司VSビターゼ・タリエル(リングス/1997.7.22大阪府立体育会館)ですね。この試合は田村さんが関節技を極めてタリエルがロープエスケープ、タリエルの打撃で田村さんがダウンするというポイントの取り合いになるんですよ。シーソーゲームだったんですけど、最後は田村さんがスリーパーホールドでタリエルがエスケープして勝利という素晴らしい試合でした。
──エスケープポイントが決め手になったんですね!
余膳さん すごいスリリングでしたよ。田村VSタリエルは会場がひとつになって盛り上がってました。
──UWF系のポイント制は面白いんですよね。あとはどのような試合を選ばれましたか?
余膳さん 申し訳ないんですけどあと2試合ありまして…。武藤敬司VS馳浩(新日本/1993.9.24宮城県スポーツセンター)がものすごく好きで、この試合は10年位前に『闘魂Vスペシャル』(ヴァリスから発売されていた新日本プロレスオフィシャルビデオ。主にノーTVの会場が収録されたものをまとめている)で改めて見て、地味な技しか使っていないんですよ。足4の字固めの攻防で5分くらいやっているんです。
──武藤VS馳は寝技の攻防とかレスリングをきちんと時間をかけてやってましたよね。
余膳さん 最初は馳さんが足4の字をやって段々効いてきて、足4の字だけで起承転結がありましたね。
──試合は武藤さんがドラゴン・スープレックス2連発からムーンサルト・プレスで勝利された大熱戦でしたね。
余膳さん そしてもう一つの試合が『レッスルマニア17』(WWE/2001年4月1日アメリカ・テキサス州ヒューストン・アストロドーム)からカート・アングルVSクリス・ベノワなんです。
──おおお!これは名勝負です!
余膳さん 当時、僕は格闘技熱が上がってプロレスを見ていない時に大学の友達が持ってきてくれたビデオが『レッスルマニア17』でした。「こんなに面白いエンターテインメントプロレスがあったのか⁈」と衝撃を受けたんです。その中でみたカート・アングルVSクリス・ベノワは素晴らしい試合を展開したんです。
──この試合もレスリングの攻防がメインでロープワークがほぼなかったんですよ。
余膳さん 僕のプロレス熱を上げてくれた試合でした。1990年代にWWEでも日本公演(マニアツアー)をやってもお客さんが入らなかったじゃないですか。日本は格闘技としてもプロレス、アメリカはエンターテインメントとしてのプロレスという打ち出し方をしていて、プロレスのあり方が違ったように感じていたのですが、『レッスルマニア17』からWWEにハマって、JSportsも契約してPPVも買って『RAW』と『SMACK DOWN』は毎週欠かさずに見てました。
──素晴らしいです!
余膳さん JSportsでWWEが見れなくなってから10年近く離れてましたけど、先日ABEMAで久しぶりにWWEを視聴しました。面白かったんですけど、メンツを見るとかなり変わりましたね。僕が知っている選手が結構少なくなってました。
──確かにそうですね。それにしても余膳さんは見ているプロレスが幅広いですね。
余膳さん 僕もそう思います。今も新日本からGLEAT、乱丸フェスタ、京橋プロレス、松山座まで会場観戦しますから(笑)。
今後について
──ハハハ(笑)。プロレスジャンキーですね!では余膳さんの今後について語ってください。
余膳さん 今後もずっとプロレスは見ていくと思います。未だにプロレスラーになりたいという想いはあったりします。でも格闘プロレスじゃなくて、純プロレスをやりたいなと。でもそれをやるなら相当なトレーニングをやるしかないですね。
──「格闘プロレスをやりたくない」って思いはプロレス好きだからこそ出てくる言葉ですよね。
余膳さん 今のトレーナーの仕事が大事なので、そちらも頑張りつつプロレスを楽しみたいですね。小学生の時にプロレスに出逢ったことによって、格闘技をやることやトレーナーへの道にも繋がっているので、僕の人生を創ってくれたプロレスなんですよ。
あなたにとってプロレスとは?
──プロレスによって今の余膳さんの人生は導かれていったのですね。ありがとうございます。では最後の質問です。あなたにとってプロレスとは何ですか?
余膳さん プロレスは…僕の人生においてずっと横についているものですね。小学5年生の時からずっとプロレスのことを何も思わなかった日はありません。プロレスに裏切られたと感じたこともありました。でも切っても切れないんですね。
──腐れ縁みたいなものですね。これはインタビューは以上です。余膳さんの今後のご活躍とご健勝を心よりお祈り申し上げます。ありがとうございました。
余膳さん こちらこそありがとうございました。
(「私とプロレス 余膳正志さんの場合」完/第2回終了)