またまた…お久しぶりです。
春めいてきて、そろそろ桜が咲きそうですね。
年明けから忙しくなって、バタバタと過ごしていましたが、
とりあえずは、一区切り終わりました。
やっと時間が出来たので、久しぶりに教会へ行きました。
普段真面目に通っているわけでもない、不信人な信者ですが
暫く教会へ行かないと、心に澱が溜まって耐えられなくなってしまうので…
行く前から、何となく、今日はミサに出たら泣いてしまいそうだな…と思っていました。
いつも一人で祈りに行く、小さなお堂で思い切り泣けばいいや…と思って行くと、
普段来ていない罰なのか、始まる時間を間違えて、前の方の席に通されてしまいました。
すると案の定、聖体拝領(※参照)の時に、どうしようもなくこみあげてきてしまいました。
(※レオナルドダヴィンチの有名な画の、「最後の晩餐」をご想像下さい。キリストは、十字架の磔の刑を受ける前の晩、パンを割いて弟子たちに、「これは私の体、これ(パンを割いて、食べる事)を記念として行いなさい。」と伝えて分け与えます。これを模してミサ中に行われる儀式を「聖体拝領」と言います。)
堪えきれなくなって、涙が流れ、涙が落ちないよう我慢していると、
涙が全部鼻の方へ行って、マスクの中が大変な事になります。
席に戻って、座っても収まらない。いっそ荷物を持って出て行こうかと思っても、前の席では逃げられない…
眼鏡をかけて、マスクで覆っていて良かった。
涙目をもし見られても、花粉症としか思われないかな…と考え、最後まで我慢して、小さなお堂に駆け込みました。
何で泣くの?…自分でも判らないのです。
悲しくもあり…
感激してもいて…
心に愛を感じてもいる…
子供の頃や、若い頃はこんな事は一度も無かった。
大人になって、それも…50代なって…誰にも言えない悪さをしてからです。
神様に背を向けて、道の端、ドブのような所を、
泥にまみれ、下を向いて歩いていたあの頃…
私は悪さをして、自分が汚い、光を向いては生きられない存在なんだと自覚しました。
求めても求めても幸せになれない自分が哀れでした。
ただ、ただ…泣くしかなかった。
そんな汚い私が、光に向かって歩き、
キリストの体(パン)を口に含む。
汚い体に入ってくるイエス様に申し訳ない…
そう思うと、こみあげてきてしまうのです。
でも、だからって、泣くことないじゃないの。
50代も後半にならんとする、いい歳なのに…
どうしてなのか、判りませんが、
ひとしきり涙を流した後は、すっきりして
自転車に乗って、鼻歌なんか歌いながら帰るのです。
…傍から見たら、一層変ですね。
(ここへ書いたらこの先少しは収まるだろうか。
…解らないけれど。)
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