父の臨終の前後、
余裕がなくて、
いろいろな想いを
綴ることができなかったので、
回顧録として綴ります。
長いので、
興味がなかったら、
とばしてください。
私はあまり覚悟が
できていないまま、
父を自宅で看取ることに
なってしまった。
自宅で看取ることって、
相当な覚悟が必要だった。
でも、これも、
父が穏やかに旅立っていったなら、
自宅で看取ってよかった、
と言うんだろうな…
だから、どれが正しいなんて
答えはないんだ。
わかっているけど、
今の私は、
自宅で看取りが出来て、
良かったとは言えないのです。
時間が経てば、
そう思える日が来るのかも
しれませんが…。
父は最期、
呼吸困難で
とても苦しんでしまった。
訪問の医師により、
酸素吸入器を
自宅に入れてもらったが、
呼吸が出来ず、
苦しかったのだろう、
最期は
大きな口をあけたままだった。
電動ベッドにエアマット、
入れていただいたけれど、
ベッドの姿勢(傾き)を
どうしてあげたら、
少しでも楽だったのか、
私には知識がなかった。
亡くなる2日前、
突然の高熱。
水枕の高さも、
どのくらいがよかったのか、
知識がない。
こんなこと、言ってるけど、
こうなる1週間前くらいから、
夜中に1時間ごとに起こされて、
「トイレに行きたい」
と言われての介助が続き、
辛くて仕方なかった。
自宅で介護されている方に
言ったら、
「あなた、甘ちゃん😠」
と言われてしまうけど、
私は辛くて、辛くて、
更に、
協力的でない
母の存在。
父のこと、
○んでしまえ!って
思いました。
亡くなる前日の早朝、
投稿はしなかった一時保存の
ブログがあります。
父の尿が
なぜかわからないけれど
背中に回ってしまい、
母を大声で起こして、
痛い腰と、痛い指を
がまんして、
父を着替えさせ、
ベッドシーツを交換しました。
泣きながらやりました。
きっと、これからが
本当の介護が始まるんだと
書いてあります。
そして最期の日。
呼吸困難があまりにも酷いので、
訪看さんをコールして…
私には鎮静の意味が
わからなかった。
先生からも、
訪看さんからも、
事前に説明など受けていなかった。
確かに来ていた訪看さんは、
呼吸困難時にこの薬を入れると、
場合によっては
呼吸が止まってしまうことも
あります…
と言ったけど、
これがたぶん、
鎮静であった事だと
知ったのは、
後日、
自分でググったことと、
幼なじみの友達から
「あまりにも、苦しそうな時は、
そういう場合もあるらしいよ」
と言われたことからだった。
では、薬を入れなかったら
どうだったのか?!
あの呼吸困難のまま、
苦しんで、苦しんで、
2、3日後に亡くなった、
と思う。
あの夜、
父のベッドの横に寝ていた私。
父の呼吸が静かになった時、
父は旅立ったのだと思う。
あの薬が効いて、
眠りについたまま、
旅立ったのだ。